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叡帝興国紀  作者: badman
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本紀 4回

 史官が勤める役所では、毎日の皇帝の発言や出された詔書からはじまり、朝廷での文官たちの発言、地方から上げられてくる雑多な情報などを整理し、記録していく。国政に直接重要な関わりは持たないが、その集積する情報量は帝国随一の機関であった。うららかな春の日差しの午後、眠気を誘う陽気の中、白涼はこの史官官舎を訪ねていた。

慕容循(ぼようじゅん)殿ですね、かしこまりました。呼んでまいりますので、こちらでお待ち下さい」

 白涼が通されたのは客間というほどに整ってはいないが、官吏(かんり)の職場というには片付けられた一角であった。茶を出してくれた下級役人に礼を言い、史官の仕事振りを眺める白涼。

(皆忙しそうにしているようだが……はて)

 なにか引っかかりを感じ、もっとよく観察しようとするが。

「お待たせしてしまいました、白将軍。お噂はかねがね」

 そこにやってきたのは、長身痩躯で目の細い男であった。

「慕容循でございます」

 白涼は立ち上がって一礼する。

「白涼です、お見知りおきを」

「ああ、将軍、私などに敬語を使われなくて結構ですので。ささ、お座り下さい」

 白涼に着席を促すと、自らもその向かいの席に着く慕容循。笑みを浮かべているが、目の奥には白涼を見定めようとする意思が見て取れた。

「さすが慕容太尉のご子息、上背があるな」

 感心したように言う白涼。だが、慕容循は苦笑で返す。

「背だけですよ。兄たちのように横幅もあれば、腕力があれば、軍人になっていたかもしれませんが……まあ、今の役人暮らしも悪くないですよ」

「ふむ、そうか。なかなか忙しそうだが」

 ちら、と書簡を腕に持ちきれないほど抱えて小走りで移動する官吏を見て白涼は言う。

「忙しくしたければ忙しいですが、のんびりやろうと思えばのんびりできます。あれらは自分たちで勝手に忙しくしているだけです」

「手厳しいな」

「金が無い者が上に気に入られようとしているだけですよ」

 言外に、金があるものは賄賂によって出世するので忙しく働きはしないのだと言っていた。であれば。

「お主はどうなのだ?忙しいのか、暇なのか」

「私は変り種のようでして。情報を集めるということが好きのようです。ですからまあ、好きなりの忙しさですね」

 なるほど、と頷く白涼。そして本題を切り出す。

「さて、今日参ったのは他でも無い。慕容循殿、私の幕僚になってくれないか?」

 まっすぐ慕容準を見つめて白涼が言う。その言葉を聞いた慕容循の様子に驚きの色は無かった。

「まあ、十中八九、そうおっしゃるのだろうと思いましたが」

 一呼吸置く慕容循。

「ほう」

「新任の将軍が、突然私の元にいらっしゃるなど、他に考え付きません」

 薄く笑う慕容循に、しかし白涼は不快感を覚えなかった。それは慕容循の鋭い眼光ゆえだったかもしれない。不快ではなく、それでいて心に突き刺さるかのような視線だった。

「ですが、私ではお役に立てないでしょう。体もあまり強いほうではないので、行軍に耐えられないのではないかと」

 申し訳なさそうに断りを口にする慕容循に、それでも白涼はくらいつく。

「そんなことはない。君はあの若さで『霊子(れいし)兵法根源論』を書いた。あれを読んで以来私はいつか君と共に戦ってみたいと思っていたんだ」

 霊子兵法根源論。慕容循が18のときに記した論文で、兵法の名書『霊子』を紐解いて現在の兵法と照らし合わせ、再構築したものである。一時は武官たちが口々に誉めそやしていた名論文だった。

「あれは当時長患いをしていまして、書を読み書を書くくらいのことしか出来なかっただけです。たまたま多くの方々に読んでいただけましたが、若輩者の出来心ですよ」

「それでも!」

 語気を強めて白涼が言う。

「それでも、私は君を迎えたい。考えてもらえないだろうか」

 自然頭が下がっていく白涼。何事かと官吏たちの視線を浴びるが、それでも白涼は気にすることなく頼み込んだ。

「……そこまで言われるのであれば……いや、やはり……」

 心が決まらない様子の慕容循。

「私は……幼いころは、武官を目指していました。しかし、病弱な体であると思い知らされてからは武官をあきらめ、以降書物に没頭しておりました。一度はあきらめた軍というものに、今入るかと言われますと……」

 白涼はそこに未練を見た。しかしだからこそ、根の深そうなそこを突くのはやめておこうと思い、別の言葉を捜す。

「軍に入ると考えるのではなく、私個人に協力すると、そう考えてもだめだろうか」

「……!」

 それは。その言葉は。知識欲の強い慕容循が、多数の情報の集まるこの史官という職に満足しながらも、埋められない『なにか』の部分に、す、と入り込んだ。誰かのため。それは慕容循の承認要求だったかもしれない。思えば論文を書いたことも、そうではなかったか。

「将軍は、軍の力をどうお考えですか」

「道義のためだ。そして『義を為すは、()を避け()に就くに非ず』」

 毀誉褒貶(きよほうへん)を気にして軍事を行っているのではない。すべては帝国と皇帝への忠義のため。白涼はそう言いたいのだ。そして、慕容循も忠義心を忘れたわけではなかった。ただ、少し置いてきただけだったのだ。

「わかりました。将軍、私はあなたのために幕僚となりましょう。あなたを通して、国への忠義を果たしましょう。微力ですが、いかようにもお使い下さい」

 立ち上がり、両手を前に差し出す慕容循。白涼も立ち上がると、しっかりとその両手を握り締めた。

「よろしく頼む」

 白涼の、武器の鍛錬や実戦を潜り抜けたことを示すような、ごつごつとした手の感触は。慕容循の心に、火を着けていったのである。

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