本紀 3回
将軍職に就いた白涼がまず行わなければならないのが、直属軍三千の編成であった。兵士は国から与えられることになるのだが、幕僚や主な前線指揮官などは自分で選んでいく必要がある。将軍の中にはものぐさな者もいて、それを軍事を統括している太尉府に任せっきりにしてしまうことはあるが、多くの場合それまでの経験上見出してきた人材を登用するのが常であった。
白涼が最初に向かったのは、その太尉府である。長官には三公のひとつ、太尉を戴いている、軍事統括府。近年は賊の討伐や周辺の異民族の侵攻への備え、隣接国との国交悪化による小競り合いなどに兵を出すことが多く、必然その仕事量が増えていた。
この国は古来より武官より文官のほうが地位が高い。それは、国を治めるための学問を修めている文官こそが国を動かしているという認識であり、軍はその国政に付随して発生するものという考えがあるからだ。しかし、今の太尉慕容玄は武官出身でありながらその位についていた。高い教養をもち、国政の教科書といえる数々の書物を戦場にも持ち込んでいた勤勉家である。
白涼が慕容太尉の執務室を訪れると、太尉は書簡に目を通していたところであった。
「おう、来たか。まあ座れや」
慕容玄は書簡から目を離し、軽く伸びをする。書類仕事に飽きていたところだ、と白涼に笑いかけた。
「まずは将軍就任、おめでとうさん」
「はっ、有難うございます」
一礼する白涼。その様子に苦笑する慕容玄。
「まあそう固くなるな。で、儂のところにきたのは、お前さんの軍のことだな?」
「はい」
「詳しくは司馬の楊布に聞きな、細かいことはあいつが仕切ってるからよ」
司馬というのは太尉府では太尉に次ぐ地位にあり、実務全般を取り仕切る実質的な責任者である。実務に外せない人材であることが多く、引退まで司馬の役職のまま太尉に上れないことがしばしば発生するため、出世欲の強いものには敬遠されることが多いのも特色であった。
「承知しました。ただ、本日伺ったのは…ご子息を、私の軍に頂きたいとのお願いでして」
慕容玄の一族は武官が多く、将軍にも一族のものが2名、名前を連ねていた。その下の指揮官である中郎将や校尉などにも在籍している。
「はっはっは。律儀だな。だが息子といっても中郎将か将軍じゃぞ?お前さんにやれるのは残っておらんが…」
「いえ、今は軍に所属していないご子息です」
「……まさか、循か」
驚いた、というように眼を見開く慕容玄。そう、白涼が言ったとおり、その子慕容循は現在は軍属ではなく、国の歴史を編纂する史官についているのだった。
「はい。彼の論文を読ませていただいたときから、もし幕僚にする機会があれば是非にと考えておりました」
「くっくっく。あれは五、六年ほど前か。そのような時期から、将軍となる心積もりがあった、ということよな?」
当時まだ十八歳だった慕容循が、古来から軍人によく読まれていた兵書を、過去の事例や資料を参考に再構築し、理解しやすい兵法論として発表したのだが、それが本人の予想を上回る高い評価をされたということがあった。
これには少しあわてて白涼が取り繕った。
「い、いえ、そうのように大それたことまでは考えておりませんでしたが、やはり私も軍人ですから…」
もし出世したら。それくらいの軍人文官を問わず、考えるものだろう。
「まあ、そうだろうよ。冗談だ、真に受けるなって」
秘書官が淹れたお茶を飲みながら、鋭い視線で白涼を射抜く。
「だが、あいつは軍人になろうとは思ってない。使うのは勝手だが、本人がうんと言えば、だぞ」
慕容玄は七十越えてなおその眼光は力強く。挑戦的に白涼の目を覗き込んだ。
「説得して見せます。太尉のお許しは得た、と伝えさせていただきますね」
「へっ、勝手にしな」
再び書簡に目を通しながら、話は終わったと手で追い払うようなしぐさをする慕容玄。白涼は静かに退室して行った。