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Capriccio  作者: 紫嶋桜花
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#4 Apple and Cinnamon (iii)

 衣服を改め、侍女を伴ったローラが謁見の間に通されると、玉座のほど近くに隣国からの一行が既に揃って背中を並べていた。

 お付きに囲まれて中央に立つ若者が婚約者のヴァルド王子だろう。薄いクリーム色を基調とした衣装は要所要所を金糸で飾られ、その上に撫でつけられた冴えた色の金髪が載っている。

……金髪に白い服、ね。ローラは子供たちのお喋りを思い出して頬をゆるめた。ただ、美しく整えられたのであろう金髪は、あまり親しみやすそうにも思えなかった。マルクスのような、ひっかき回したくなる茶色だったりしたらよかったかもしれないななどと埒のないことを考える。もちろん、それを実行に移したことがあるわけはないが。

 対して、こちらの宮廷の主立った面々やマルクス、そして玉座には父王もいた。まあ、国同士の縁組みなのだから当然か。その傍らに控えた大臣に示されて、一行がこちらを振り返ろうとする。ローラは不躾に観察していたことを悟られないよう、浅く腰を屈めて視線を伏せる。

「ほう、こちらが」

 王子と思われる若者が朗らかに声を上げ、高く靴音を響かせながら歩み寄ってきた。

「先ほどからこちらの王宮に咲き誇る、華麗なる花々を目に目に楽しませていただいたが、これはまた」

 殿方は淑女を品定めしてもとやかく言われないのはうらやましい。

「亜麻色の髪か。姫、面を上げてくれるかな」

 許しを得て顎を上げる。視線はあくまでも控えめに、と心がけて。

「お初にお目もじいたします」

 小首を傾げるように会釈をすると、相手はうんうんとうなずいている。

「やあ、これはまた、緑の野原にたたずむ素朴な花のふぜいであるな」

 田舎者で悪かったわね。王子はにこやかなまま振り返り、元の場所まで戻っていく。

 玉座の王がうなずいて、大臣が傍らに控える老将軍を紹介した。ローラがつい先日の晩餐会で粗相を働いた彼である。

「国境まではジェルベ将軍が行列の護衛隊長を務めまする。そこから先、姫に随行いたしますのは数人の官と侍女。近侍の責任者は我が愚息、マルクスが僭越ながら」

 将軍とマルクスが礼を取る。王子はうなずいたようだ。

「将軍の勇名は、我が国にも届いておる」

 そんなに立派な人物だったのか。改めて冷や汗をかく一方、それならば若い女に品性のない軽口を叩く真似などしないでほしいとつくづく思った。

「そなたが供か。まだ若いではないか。妻子はおるのか?」

 王子の問いにマルクスは再び軽い会釈をする。

「いえ。若輩の身ですので」

「そうかそうか。では、我が国の娘をとらせねばなるまいな。

 清らか、艶、幼な妻など選り取り見取りだぞ」




 このたびの晩餐はつつがなく終えることができた。饗応係でもあるマルクスは、デザートの後王子や従者たちと酒を一緒にするようだった。席を立ちながら、男同士の話がどうこうとローラに笑ったのは王子当人だった。

「どんな人が来るもんかと思ってたけど」

 自室でドレス姿を解きながらローラは振り返った。

「とんでもないセンスの持ち主とか、何かイヤな癖がありそうな人じゃなくてほっとしたわ」

 高価なアクセサリーを片付けながらベルが応じる。

「癖、でございますか」

「ええ。儀式だの行幸の時に並んでて笑い出しそうになったりでもしちゃ、たまんないもの」

 さようでございますか、と無難な相づちが返ってくる。

 部屋着に着替えたローラは、いつもポットやカップが並べられているワゴンに向かった。が、目当てのポットがそこにはない。

「あら、お湯切らしちゃったの? いいわ、あたしが汲んでくる」

「なりません」

 身を翻そうとすると、強く制止されて鼻白む。

「お客人がたに出くわしでもなさったら、いかがなさいます」

「……そうだったわね」

 今この城には、ローラをこれまでに出会ったどの人間よりも厳しく検分するであろうご一行がいるのだ。

 そして、彼らがここを発つ時は、すなわちローラが城を出て行く時でもあった。

 もう二度と、部屋を一人で離れて気ままな振る舞いをすることは許されないのだろうか。

 嫁いだ先でそうなる覚悟はしていたつもりだった。しかし、実際にその状況が訪れるのがこんなに早いものだとは思っていなかった。

……認めよう。心の準備など、できていなかった。

 もう少しだけ。大人しく諦めるための機会を頂戴。

 ワゴンに両手をつき、肩をいからせたローラの悪知恵が、あがく。




 台所には意外な先客がいた。ろうそくの灯りの元でゴブレットを傾けているマルクスだ。

「あら」

 入っていきしな声を上げると、顔だけ振り向いた彼が眉を跳ね上げる。

「何をしておいでですか」

 声に険がある。まあ彼の立場では仕方がないかもしれない。台所に単身訪れたローラは、いつぞやのようなほっかむりに侍女のお仕着せであった。

「アイディア、お借りしたのよ。この格好なら気づかれっこないでしょ」

 マルクスに責任を転嫁したような言い回しになってしまったが、つまりこれがローラの最後の悪あがきだ。

 マルクスは、はー、と長く尾を引く息をついて無言である。

 水瓶の傍らにいるということは、口にしているのは真水だろうか。ローラもすぐそばに立ってやかんに水を汲むと、それを夜でも消さずに残されているかまどの火にかけた。

「何よ?」

 促せばいつもにも増して憮然とした声が返ってくる。

「いいです。どうせこうしていられるのも今のうちなんですから」

 本当のことではあったが、彼にしては珍しい、何だか嫌味な言い方だ。何か余計な負担でも押しつけてしまっていただろうか。

……ローラは棚をあらためて、二客のティーセットと薬草茶の缶を発掘した。しばらく台所に器具のふれあう、かちゃかちゃとした音を響かせる。

「──どうぞ」

 マルクスの目の前に置かれたのは、黄金色に煮出された一杯。

「胃にはこっちのほうがましでしょ。酔い醒ましにもね」

 りんごにも似たその香りは、カモミールティーだ。

 マルクスは眼差しだけでじろりとローラを見上げ、

「あなたという人は──」

 一瞬、睨みつけるようだった視線をふ、と和ませた。

「いえ。──すみません。

 あなたはずっといつまでも、あなたのままなんでしょうね。

 何におなりでも、どこにおられても」

 口許には薄く笑いが刻まれている。それを見て安堵したローラは自分もカップを手に取り、彼の向かいに腰掛けた。

「そうかしら。自分ではよくわからないけれど」

「私が存じておりますよ」

 マルクスもカップに口を付ける。

「すみません。……少し、酒を過ごしました。勧められてなかなか断りきれず」

「……あぁ、王子にかしら。何か、言ってた?」

 饗応の責任者である彼は何かと気を遣うこともあっただろう。それで、か。

「あなたに関するようなことは、何も。──むしろ、私や城の者から熱心に聞き出そうとしておいででしたよ」

「まあ。妙なことをお耳にお入れしてないでしょうね」

 興味を持って貰えるのはいい傾向なのだろうか、などとカップ越しにマルクスを眺めながら考えた。これからずっと顔を突き合わせていくんだし。

 改めてにやり、と表現してもよさそうな笑みを浮かべた相手も、もう調子は戻ってきたようだ。

 動くものはかまどや燭台の小さな火だけの夜。机や床はひんやりして、火に照らされたところだけがほんのりと熱い。

「あなたにも、王子と早いとこ仲良くなって貰わないといけないわね」

 ローラの呟きに瞬いたマルクスはややその視線を背ける。なんだろうか。

「……私とはあんまり、馬が合わないお方であられるような気がするんですがね」

 おや、珍しい。誰とも如才なくやりとりができるのが持ち味の彼なのに、よほど無理矢理呑まされでもしたのだろうか。

 けれどローラはなんだか、口に出してはそれを言えずに、とりあえずとぼけてみせておいた。

「そいつは困るわね」

 あとは会話もなく、主従はただ、カップを傾けた。




 結婚の儀式はまずこちらの城で執り行われてから、改めてヴァルド王子の国でも行われる。

 それまでにもいろいろと準備があった。衣装や段取りなどは新郎が到着するまでの間にある程度筋道がつけられてはいたが、細かな最終確認や、二人が揃った肖像画を描かせたりなどする必要があるのだ。

 本番での衣装で二人並ぶ必要があるわけではないが、当然ローラとヴァルド王子が顔を合わせる機会も多くなる。


 王子は主に兄と行動を共にしているようだ。一応饗応係であるマルクスとの関係はどうなっているのか、彼が珍しくぼやいたことも気にはなるが、ローラは口を出す立場にはないように思われるし、実際探りを入れられる相手もそうそういない。

 そんなことをとりとめもなく思い浮かべていると、兵舎を見下ろすバルコニーの近くで弟たちがしょんぼりしているのに行き当たった。

 いや、特にしょげかえっているのは下の弟で、上の弟はそれをなだめながら少し憤然としているようにも見える。

「どうしたの?」

 侍女を控えさせてローラが声を掛けると、上の弟が視線を跳ね上げて何かを言いかけ、 ──すぐに思いとどまる。

 弟の髪を撫でてやりながら、バルコニーの外に顔を向け、言葉を選び選び、言った。

「──ヴァルド殿下は、私たちのことを、さほど重くは考えておられないのかな、姉上」

「……まあ」

 それではこの様子は王子のせいか。

「何か、おっしゃったの?」

 しゃがみ込んで下の弟の肩を抱くと、ぽつぽつと事情が語られた。

「お馬を、見せてもらおうと、お願いしたんだけど、どうしてそのようなことをする必要がある、って──」


「──そう」

 王宮に残されている姉専用の応接間にローラは駆け込んでいた。

 降嫁した姉だが、元をたどれば家臣の血筋から出た第二夫人の産んだ王女で、城内の者の機微に聡く、兄が正妃を迎えていない今は若い世代の女主人のような立場にもいた。

 そのアドバイスはこれまでも、慎重という言葉とは無縁のローラにも──完全とは言えないが──重要な手助けとなっていた。

「そんなに難しいというか、複雑な方ではなさそうにお見受けするわね。

 転がし方次第、といったところかしら」

 ヴァルド王子が弟たちを冷たく扱ったこと、そしてマルクスの言葉も控えめに伝えると、穏やかな物腰とは裏腹に相当辛辣なことを姉は言い放つ。

「そうねえ、マルクスとのことも、どちらかがよろしくない、というのではないと思うわ」

「ええと……相性ってことかしら、あくまでも」

 姉は鷹揚に笑う。

「ローレンティアが、少し自分で頑張らないといけない、

 ということかもしれないわね」




 自分が頑張る、か。

 いずれにせよかの国へ嫁いだなら、すべての行動をその都度誰かにお伺いを立てるわけにはいかないのだ。

 思案の末ローラは、ヴァルド王子が兄と一緒に午後のお茶の時間を過ごしているという情報を得、ベルを連れてそこを訪れた。いわば強行偵察である。

 昼間用のドレスで礼を取り、控えめに下座に腰掛け、あらかじめ打ち合わせた通りベルに伝えさせる。

「姫様は殿下とこの機会にご歓談されたいとのことでございます。肖像画を描かせる時間や打ち合わせの折などでは、ゆっくりお話をする時間も取れませんので」

 ヴァルド王子は身を乗り出して膝を打った。

「ほう、姫、かわいいことを言ってくれるではないか」

──釣れた。

「ローレンティア、それでは今日はそなたが殿下に城の中を案内してさしあげてはどうかな」

 兄の援護射撃もあり、ローラは微笑みを浮かべて小さくうなずいた。

「かしこまりましてございます」


 彼がどんなことに興味を持つのか知っておくのはいいことだろう。城の中のことであるから男性ならば軍備だろうか、だがしかし、などといろいろ考えた末に、防衛上問題のなさそうな場所を見せて回ることにした。

「ほう、礼拝堂」

 王子は案内された石造りの室内を見回した。

「時代遅れの神々を崇拝しているとの話だったかな」

 遠慮のない物言いにローラは苦笑する。まあ、古びているのは事実ではある。

「あれは聖人か?」

 王子が指さしたのは祭壇の傍らに据えられた、大きな絵の中の少女だ。

「殿下のお国では、そう、おっしゃるんですの? 我が国の神話に登場する姫君ですわ。ここに祀っておりますのは、我が王家の先祖の一人である、と伝えられているからにございます」

 祭りの山車に立っていた、赤い髪の彼女である。

「ほう、ローレンティア姫につながるお人と。

 どのような逸話なのだ?」

 ご興味がおありでしたら、とローラは口を開く。


 かつてこの国には、山羊の角と二つの性を持った荒ぶる神がいた。

 善悪を知らず、民を苦しめていたのだが、王家に現れた赤い髪の姫君がそれをなだめ、理非を説いて土地の守護神となしたのだ。

「その約定の証として姫君は、石でできた箱に神の荒ぶる力を封じ込め、後に聖地と定められる地に安置した、と伝えられてございます」

 それが祭りの箱の謂われである。

「以来、神の力は決して国土に災いをもたらさず、また他の神々もこの地には害を為すこと能わなくなりました」

「ふむ。まあ、真の神は、我らが奉じる正しき神、お一方のみであらせられるがな!」

 頷きながら聞いていた王子が、話が終わりとみるや何故か鼻高々と宣言する。

「邪神だの魔のものだのの名を畏れよと口にする者どもが巷にはおるが、そのようなものは子供を驚かせるお伽話と同じであろう。怪物や化身が実際に現れ害を為すなど、聞いたことがない」

 王子はつかつかと礼拝堂に置かれた卓を回りつつ演説する。さようでございますか、とローラは相づちを打った。

「それもそのはず。あらゆる神と称するものは、我らが神のご威光の前にひれ伏すのだ。選ばれし我ら民は、有象無象を退け、意のままに従わせる許しを頂戴しておる」

 確かに、分かり易い殿方かもしれない。下の弟と同じようなものだ。

「殿方は、そういった目に見えるものを好まれますものね」

 ぼそりと呟けば、王子が振り返った。満面の笑み。

「なんだ、姫?」

「いいえ、わたくしも殿下の国へと参りましたら、正しき神の教えとやら、もっと承りたく存じますわ」

 王子は両手を大きく打ち鳴らした。

「それはよい心がけだな。最高の教師を用意させよう!」




 王子に教える気はまったくなかったが、建国の神話には続きがある。城に入ってからマルクスに詳しく教えられたものだ。

 契約とは互いに差し出すものがあって、初めて成り立つ。民は神を祀り、神は土地を守る。

 そして王家は祭祀者であると同時に、箱に封じ込めた力を有事の際に解放することを認められていた。

 ただし、王族であれば誰もがそれを許されていたわけではない。時折王家に現れる、赤い髪の人間。建国の姫君と同じそれを備えたものだけが、封印を解くことを許される。

 そうでなければ蓋を開けただけで、力に当てられ死に至り、使いこなすどころではない。長らく簒奪を防ぐためと思われていた言い伝えだったが、しかし、数代前、国を襲った深刻な飢饉の折のことだった。

 民にも慕われていた時の王が、幼い息子が資格者であったため、その重圧を肩代わりしようと開封し──命を落とした。

 ゆえに、その不寛容さとも取れる厳格さが記憶のみならず記録に留められることになったのである。──急遽即位して王家を繋いだ少年王の悔恨とともに。


 今の王家に、赤い髪はない。ローラもそうだ。

 代を重ねるごとに減っていくその継承者。もし自分に資格があれば、生まれてすぐに城へ迎えられ、王族としての教育を受けていただろう。国の外へ出されることもなかったかもしれないし、やはりどこかに嫁ぐ運命だったとしても、自分には特別に許された力があると、胸を張って臨めたはずだ。……いや。

「いけないわね、こんなことじゃ。ベルやマルクスも付き合ってくれるんだし、母様たちも、太鼓判を──」

 王子と別れ、部屋に戻る途中でつい漏らしたローラは気がついた。傍らに付き従っていたはずの侍女の気配がない。

 弱音を聞かれずに済んだと安堵する一方、訝しさが募ってくる。ローラが脱走を企てたわけでもないのに、侍女がいなくなることなどありえない。隣国からの客人が訪れている今なら尚更。

「ベル? どこ?」

 聞きとがめられるのを恐れて声を張り上げることもできず、ローラは足早に今来たはずの通路を戻った。角を曲がればいつぞやパイをきょうだいに振る舞った庭園である。木々の向こうに、かがんでいるような人影があった。

「よかった、焦ったのよ──」

 小走りになっていた歩みもせりふもぴたりと止まる。身を起こして振り返ったのは、ローラが城下で二度遭遇した、あの老人だったのだ。

「あなた……、どうしてこんなところに」

「うむ。まだ、帰り着くには路銀が足りのうての」

 ローラが求めたのは決してそういう返答ではなかった。しかし、詮索をはばかられるその雰囲気に気圧された。

 老人はこちらの顔を見上げて片眉を跳ね上げる。まるで彼女の顔を初めて見た、とでもいう風にしげしげと眺め回し、言った。

「お主が手伝うてくれるならば、謝礼ができるがの。──しかしそれとは別に、素質があるようじゃの」

──素、質?

「……何のことだかわからないけど、何でもあるって言われれば嬉しいもんね。

 ないもの尽くしの姫君だから」

 気品、しとやかさ、落ち着き、美貌、知性。

 これまでないと言われたものを心中数え上げながらそうぼやくと、老人は笑った。

 それで空気が軽くなったような気がして、ローラは肩をすくめ、続ける。

「それでも血筋さえあれば姫君として“使え”ちゃうから困ったもんよね。

 相手が愛想尽かして断ってくれてもよかったんだけど」

「断ってほしかったのか?」

──まさか。ローラは首を横に振った。老人はうなずく。

「確かにお主には、血筋による価値もあることじゃろう。

 しかし、“目に見えるもの”は精々おのこが好む、その程度のこと」

「やだ、聞いてたの?」

 ローラが王子にこっそりつぶやいたあの言葉だ。

「老人の地獄耳を侮るでない」

「気をつけるわ」

 くっくと笑われてローラは憮然とした。

「まあ、その向こう意気と亜麻色の髪、まさに、かの姫の血筋のなせるわざと言えようがの」

「──え?」

 亜麻色の髪の姫。そんな有名人が、過去にいただろうか?

「どういうことかしら」

 何の気なしに投げた質問に老人は目を細める。

「それが、真にお主の聞きたいことか?」

 また老人を取り巻く雰囲気が変わる。どういう意味だろう。

「儂は耳飾り片方ぶんの返礼をせねばならぬ、それは定めである。しかしてその機会、軽々に浪費すれば悔やむことになるやも知れぬぞ」

 どういうことだろうか。……わからないが、なんとなくここで確かめることではないようにも感じられた。

「いえ……、いいわ」

 首を振って気分を切り替え、問い直す。

「で、あたしに手伝ってほしいって?」

 言葉の最後に被さるように、背後でがさりと葉音がした。

 そちらにふと気を取られ、視線を戻すと、わずかな間に老人の姿は──消えている。

 瞬く間とはまさにこのことだ。

「姫様! お探ししたんですよ」

 茂みを割って現れたベルの咎める様子に言い訳する気力も起きない。

「……ええ……、ごめんなさい」


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