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Capriccio  作者: 紫嶋桜花
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#4 Apple and Cinnamon (ii)

 刈り入れ時が迫った麦が、黄金色の穂を並べて風に吹かれている。頭上ではつばめが飛び交って狩りをしているのが見える。

 傍らの川は水量も豊かだ。それが、水車に持ち上げられてはざぶりと吐き出され、きらきらと陽光に輝いている。

 いよいよ輿入れが迫ったある日、ローラは腹心の侍女とマルクスを伴って生まれ育った村を訪れていた。

 彼女の名前で建設した、石造りの水車小屋が完成したのだ。

「立派なもんじゃない」

 野外を歩くのに邪魔にならない程度のひだを取った綿のドレスを着込んだローラは、腰の両側に手を当ててそれを見上げた。

 自分がこの村どころか、この国を離れても、残した水車はずっとここで働き続けるのだ。

 もしかしたら、この世を後にしてからもずっと。

「わしらのことなど、気にするなと言ったはずなんだがなあ」

 農作業の手を休め、小屋の傍らに積み上げた干し草の山に腰を落ち着けて家から持ってきたお茶と茶菓子を楽しんでいた祖父がまるでぼやいているかのように言った。

「別にみんなのことを気にしてのことじゃないわ、あたしの自己満足よ」

 隣にどすんと腰掛けると、勢い余って帽子を吹っ飛ばすところだった。片手でそれを押さえながらローラは姫君言葉でうそぶく。

「お爺様が教えてくださったことではなくって? よりよい為政者とかおっしゃるものを書物に記されたいにしえよりの知恵から探ることも」

「やあ、参った参った」

 祖父は相好を崩す。

「お前はいい外交官になるよ」

 ローラに求められている役割を的確に表現したその言葉にほっとする。

「なら、いいんだけど」

 傍らにローラのための日傘をさして控えている侍女がくすくすと笑った。水車小屋の角を曲がって掛けてきた数人の小さな少女達が飛びついてくる。

「ローラ姉ちゃん、ひさしぶり!」

「ひさしぶりね、元気にしてた?」

 座ったまま目線を合わせて子供達の頭をなでててやると、元気いっぱいに返ってくる。

「元気だよ! マルクス様にこっちにいるって聞いたから」

「ああ、そうなのね」

 そのマルクスは姿が見えない。ここは彼の父親の領地でもあるから、こまごまとした場所を見回っているのかも知れない。

「ねえ、ローラ姉ちゃん、お嫁さんになるって本当?」

 明るい色の髪を二つに分けて縛った子が興味津々に尋ねてくる。

「あら、耳が早いのね。誰に聞いたの?」

「みんな言ってるよう」

 焦げ茶色のおかっぱの子が後に続いた。更に小さい子たちもうなずいている。

「あらまあ、ほんとに」

「ね、ね、お嫁さんになるなら、お祝いの服着るんだよね」

 最初の子は気になって仕方がないようだ。やはり女の子だ。

「そうなるわね」

「お嫁さんの頭に飾るお花、作ってあげる?」

 おかっぱの子が両手を合わせて首をかしげると、もう少し年かさの少年の声が割って入ってきた。

「バッカだなあ、ローラはお姫様なんだから、もっといい服着るに決まってんだろ」

「兄ちゃん」

 よく似た焦げ茶の髪の子は、ローラの家の近くに住んでいたこの子の兄だ。

「もっといい服? ドレス?」

「そうねー、そうかもしれないわね」

 ローラの返事に少女達はさざめく。

「きゃあ、ドレスだって」

「王子様と結婚するんだもんね」

 本当に耳が早い。

「ねえ、ねえ、王子様、どんな人?」

「どんな人なのかしらね。会ったことないからわかんないわ」

 言ってしまってから、投げやりに聞こえなかったかとひやっとしたが、子供達は気にした風もなく口々に言い合う。

「きっと白い服着て、白いお馬さんに乗ってるんだよ、王子様だもん」

「髪は何色かな、金色かな」

「すっげえ強いかもよ!」

「王子様は自分が戦わなくてもお付きの人が全部倒しちゃうんじゃない?」

「それでもさ!」

 お付きの人が、ね。確かにそれが生粋の王子様やお姫様の感覚なのかもしれない。

「ほらあんたたち、マルクス様は木でも馬でもないよ。さくらんぼのパイをひとかけあげるから、下りた下りた」

 声が聞こえてそちらを見ると、男の子達が腕や肩によじ登るに任せたままのマルクスと、お盆に菓子とポットやらカップやらを並べてきた母親が角を曲がってきたのが見えた。

「母様」

「パイ!」

 子供達が群がる。ローラは立ち上がって、母親からポットを受け取ると、カップに中身を注いでマルクスと侍女に渡した。この黄金色と立ち上る香りは、カモミールティーだ。

「ああ、どうも」

「かたじけのうございますわ、姫様」

 カモミールティーはマルクスの好物だったはずだ。何年も前、母親の淹れるこれを苦手としていたローラに、ミルクを入れれば飲みやすくなると教えてくれたのが彼だったことを思い出す。……今日はミルクの用意はないようだが。

 母親は子供達にパイを与えて散らすと、大きめに切った一つをマルクスに渡して、ローラとよく似た紫の瞳を細めて笑う。

「すみませんねえ。いつもこの子がお城でご面倒お掛けしてるのに、こんなところまで来ていただいて。ローラはご迷惑お掛けしてませんかねえ? 向こうっ気ばかり強くってこの子はもう」

……見透かされている。マルクスは如才なく答えた。

「いえ、なかなか頭の回転も速く、人を飽きさせないお嬢さんですよ」

 予想外のことばかり引き起こすと言外に言われている。

「そうでしょう、姫君としてはどうしても規格外れでしょうからねえ、この子じゃ」

「ははは」

 笑い合う二人を尻目にローラはカモミールティーをすすった。今ではだいぶ平気になったが、やっぱりミルクがほしい。

「マルクス様にはお世話をお掛けするばかりでなく、あちらの国までご一緒していただくことになってしまってねえ。ご領主様は寂しがっておいでなんじゃありませんか?」

「まあ、うちには兄もいますし。俺はもともと王太子殿下が即位して兄が親父の跡を継いだら多分地方回りになっていたでしょうから」

「それでもねえ、国の中と外じゃ違うこともあるでしょうし。

 ご領主様や奥方様は、お変わりなく?」

 そのまま世間話に突入していく二人を放っておいて、ローラはさくらんぼのパイを自分も一切れつかむと、かじりながらその場から数歩離れ、辺りを見渡した。

 小麦やとうもろこしの畑、木の柵で囲まれた原っぱに放された牛馬や羊。点々と続く、石を積んで作った家々。村を取り囲む森。

 その向こうにはローラが暮らす都があり、さらにその先には隣国との境に連なる山々があるはずだ。

「ベルの村も、こんな感じだった?」

 ローラは控える侍女に尋ねる。

「ええ、姫様。うちの村は羊毛を出荷しておりますので、その刈り取りや加工をする建物がもっとたくさん並んでおりましたけれど」

「そう。うちの国は、どっちに行っても同じような気候だものね」

 ローラの国はそう広くはない。一つの王家が目を配るにはちょうどいい大きさだと思う。

 そしてその気候は穏やかで、民を養うのにちょうどいい程度の収穫も望める地域だった。そのためか住む者の気性も穏やかだ。

「……──」

 だが、山の向こうはどうだろうか。

 嫁ぐことになっているかの国は最近急速に力を付けてきていた。技術の革新、軍備の増強も進めているという。

 不安があるのではない。……ただ、自分の身の振り方が突然、抗うことのできない力で書き換えられてしまった現実は、ローラを言いようのない無力感で苛んでいた。

 風に撫でられた髪を耳に掛けながら思った。この髪がもし、赤色だったなら。

「姫様」

 侍女に声を掛けられて、ローラは周囲が静まりかえっていることに気がついた。

 子供達の姿はもうなく、話を止めた母やマルクス、祖父が気遣わしげにこちらを見ている。

「や、やだ、どうしたの?」

 いたたまれない雰囲気にうろたえると、首を横に振ったのは母だ。

「大丈夫だよ」

 ローラの目の前に歩み寄って来た彼女に、両手のひらで頬を挟まれた。身長はもうこちらのほうがわずかに高い。

「大丈夫だ。あんたが心配するようなことは何もない」

 それでものぞき込んでくる視線の強さは相変わらずで、その姿勢のまま言葉が繰り返される。ローラはふと、幼かった頃のようにこの母に甘えてみたくなった。

「ほんとに? そんなこと、ほんとに母様にわかるの?」

 母は頼もしく、にっ、と笑った。

「わかるさ。魔女の血が教えてくれる。──あんたにも、流れているんだよ」




 皆に別れを告げて村を後にしたのは日が傾き掛けた頃だった。城まではそう遠くはないが、晩餐の時刻までには衣服を改めておかなければならない。

 次に母や祖父と顔を合わせるのは、自分の婚礼の席でのことになるだろう。

 揺れる馬車の窓から、見納めになる、慣れ親しんだ景色を眺めやっていたローラの耳に、向かいに侍女と並んで腰掛けるマルクスの呟きが届いた。

「──魔女、とお言いでしたか」

 そのことか。

「初耳だった?」

「ええ」

 大臣が領地を見回り、王の私生児の様子を伺いに来る時、伴われていた次男坊。その彼とはそれなりに長い付き合いだった。だから、これまでにどこかで聞き知っているものだとばかり思っていたのだが。

「ただの、おとぎ話よ。おばあ様のおばあ様だったかしら、なんだかそのくらいの。あの村を栄えさせて、うちの一族が長と敬われるきっかけを作った人がいるって」

 少なくとも、国を挙げて祭られる姫君のような立派な話などではない。

「本当に魔法が使えたとか、そんな話じゃないと思うわ。けど、他の家にはない薬草の知識とかレシピが伝えられてるっていうだけで──」

 それも、マルクスのような系統立った教育を受けた者には敵わない程度のものだ。

「ああ、そうね、でも。

 母様もそのせいか若い頃はそれなりに美人だったみたいだし? 国王に見染められたのは魔女の血筋のなせるわざだなんて、話のネタにはなってたけど」

 だからてっきり耳にしているものと思い込んでいたのだ。ローラはくすりと笑う。マルクスはそれに付き合うでもなく、神妙な顔をしていた。

 何よ、と片眉を上げると、彼はまたつぶやく。

「……そうなんでしょうか。

 陛下が惚れ込んだとしたら、むしろ──」

「何よ?」

「……いえ」

 濁されて、今度は声に出して問うと、彼ははっきりと苦笑した。ローラは憤然とする。

「何よ、本当に。失礼な人ね」

「何でもありませんよ。

……あなたもあんなご婦人になるんでしょうかね、何十年かしたら」

 からかう響き。ローラは肩をすくめた。

「その予定、だったんだけどね。

 豪奢なドレスと繊細なティアラで飾り立てて、ああいうのになるもんかしら?」

 ローラの人生設計は、本人には予想もつかない方向に転がってしまっていた。しかしマルクスはこともなげに言ってのける。

「それもお似合いですよ。斬新で」

 その言い方ときたら。

 むくれようとしたがうまくいかず、マルクスと視線が合うと、そのまま笑い出してしまった。

──と。

 窓越しに見えたものにローラは、次の瞬間、姫君らしくもなく身を乗り出すと、御者に向かって声を張り上げていた。

「止めて!」




 馬車道の傍ら、枝を張り出したクルミの木の根元にたたずむ小さな人影にローラは声を掛けた。

「やっぱり、あなたね」

 ぼろの山とも見紛うようなその人影は振り返る。祭りの日に遭った、あの老人だ。

「またお主か。何かと縁があるようじゃな」

「そうね。この辺にあなたのおうち、……があるわけでもなさそうね」

 ローラはきょろきょろと辺りを見回して肩をすくめる。馬車道の両脇は森と言ってもいいくらいの雑木林だ。ぎゃあぎゃあと上空でカラスが鳴いている。

 少し通り過ぎたところで停止した馬車からは、ローラに続いて降りたマルクスと、バスケットを携えた侍女がこちらに歩いてきていた。

「若い娘がこのような、人の家も畑もなきところで馬車を止めるなど、いったいどういう了見じゃ?」

 老人の声は完全に面白がっている響きである。

「それはこっちの台詞だわ。あなたが見えなきゃ止めなかったもの。か弱いおじいちゃんがこんなところで独りぽっちで、どうしたの? 歩いてきたわけ?」

 勢い言いつのる形になったが、ローラの中にもなんだか、この状況を楽しむような気分が生まれていた。

 老人はにやりと笑って、節くれ立った右手の人差し指を掲げ、頭上を指す。

「見えるかの?」

「何が……えっと、うろ? 木の上の?」

 クルミの木の幹、ローラの身長をちょうど倍にしたぐらいのところに、手のひらをめいっぱい広げたのと同じぐらいの大きさのうろが口を開けていた。

「儂の“路銀”の一部があそこに入り込んでしもうてな」

「何よそれもう……」

 りすか何かが巣を作っていそうな大きさである。

「烏を呼び寄せて、うまい事落として貰えぬかと思ったのじゃが、そうそう上手くはいかんでな」

「いくわけないでしょそんなの。カラスがどうやってあなたの路銀を回収できるのよ。──でもまあ、取って来られるならカラスじゃなくてもいいわけよね」

 言うなりローラは控えめにひだやリボンが付けられた綿のドレスをまくり上げた。

「なっ──!!」

 驚いたのはすぐそばまで来ていたマルクスである。

「何を考えているんですかあなたは!」

「え? わからない?」

 手を止めずに頭を引っこ抜いてドレスを丸める。同じく近寄ってきていた侍女がくすくすと笑いながらそれを受け取った。

「ええ、ええ、極めて遺憾なことにあなたがやろうとしていることは十分よくわかっていますが、どうしてわざわざそんな格好になる必要があるんですか」

「あらまあ、さすがのあたしだってドレスを着込んで挑戦するのは無理よ? それにそんな格好とはご挨拶ね。村だったらこれでも、お祭りの一張羅より立派だわ」

 ドレスの下から現れたローラの格好は綿の膝上ドロワーズと袖無しの下着だ。

 マルクスは顔を背けつつ譲らない。

「金額ではなく、認識の問題です」

「なら見たり考えたりしなけりゃいいじゃない?」

 老人が愉快そうに呵々と笑った。マルクスは憮然としている。

 革の編み上げ靴はそのままで、ごつごつした木肌に取り付く。これなら苦労せずに登れそうだ。

「ベル、そちらのご老人に母様のパイをひとかけ差し上げて」

「よろしいんですか?」

 腹心の侍女は既にバスケットから敷物を広げて彼らの座る場所をしつらえている。

「ええ、あたしの分を回せば、みんなの分は残ってるでしょ」

 母親から言付かった、城のきょうだいたちへのおみやげである。

「あなた、さっきもいただいたでしょうに、自分だけ城に帰ってまで」

 そっぽを向いたままのマルクスの呆れた声がする。

「役得って奴よ、それにたった今放棄したんだからいいじゃない」

 そう答えながらローラはもう一番下の大きな枝によじ登っている。付け根に乗せた足で体重を支えて伸び上がれば、容易にうろの中をのぞき込むことができた。

 傾いた陽光の照らす中、不自然なほどに輝いている小さな水晶のようなかけらがある。

「おじいちゃーん、これのことかしら? お金じゃないんだけど?」

「ああ、相違ない」

 つまみ上げて地上に示すと、チェリーパイを頬張っていた老人はうなずく。それを確かめてローラは立っている木の枝を使い、危なげなく地面に降り立った。

「一度ならず、二度までも手助けされるとはな。

 次に会うたら礼をせねばなるまいの」

「いい心がけだわ。まあ、持たないものからは取らないっていうのがあたしの主義ではあるんだけど」

 老人にその石のかけらを渡すと、木くずをはたき落とし、ベルから受け取ったドレスを着込みながらローラはつぶやいた。受け取ったものを、懐から出したこの間の巾着袋──そうか、こういうものが入っていたのだ──に放り込みながら老人は笑う。

「身なりがこのようにみすぼらしいと言えど、姫君にできる礼を持たぬと決めつけることもあるまい?」

「そうね、失礼したわ」

……自分の身分を明かした覚えはなかったのだが、まあ、この格好と馬車なら推測が立つこともあるのだろう。

 ローラの身支度が終わって、やっとこちらに向き直ったマルクスがつくづくと溜息をつく。

「平気で木登りなんか始めるような姫君ですけどね。

 私に命じようとは思わなかったんですか」

 まあ、それを言うならば、……そうだなあ。

 自分は田舎育ちで慣れていて、マルクスは一応貴族だ。木登りなんかしたことないかもしれないとは思っていたが、それを一言確かめることもせずにさっさとドレスを脱ぎ捨てたのは。

「──あなたなら、何でもだいたいなんとかしてくれるでしょう?

 だから、あたしが一応やるだけやってから頼むことにしてるの」

「尻ぬぐいって言いませんか、それ」

 そのマルクスの深くげんなりしきった様子がおかしく、ローラはきゃらきゃらと笑った。




「いやあ、私も見たかったなあ。姉上、木登り得意なの?」

 翌日の午後、美しく整えられた庭園で、椅子とテーブルを並べ、ローラは母のパイをきょうだいたちに振る舞っていた。

 早速マルクスから仕入れたというネタに突っ込んできたのは年が違い方の弟である。

「んー、お城にいる人間の中では得意なほうだと思うわ。村ではそんなに上手いほうじゃなかったけど」

 貴族たちには眉をひそめられそうなローラの行状だが、このきょうだいたちには概ね好意的に受け止められていた。もちろんこちらの破天荒な振る舞いを真似するわけではないが、王族らしい格式張った振る舞いの裏に、泰然と構え物事を面白がるような姿勢が共通しているようにローラには思えた。

「裸馬に乗るのとどっちが難しい?」

 下の弟が無邪気に聞いてくる。この王子は最近戦に興味を持ち、兵舎や厩舎を覗いては微笑ましさ半分頼もしさ半分で下々に見守られているとのことだ。

「そっちは試したことないからわかんないわね……、けど、初めて馬に乗った時って、木登りとは全然違うところが痛くなったわ」

 ふむふむとうなずくその弟と年が近い妹は、チェリーパイを器用にフォークで口へ運びながら、見るものすべてをとろけさせるような笑顔を浮かべる。

「ローレンティアお姉様のお母様、お菓子お上手」

「ありがとう。機会があったら伝えとくわ」

 それは婚礼の時にでもなるのだろうか。

 年かさの妹が、結い上げた髪に挿した花を揺らしながら、なよやかに溜息をつく。

「……でも、お姉様がお嫁に行かれたら、もう、この美味しいお菓子もいただけないのよね」

「そんなに気に入ったんなら、時々届けさせるように言うけど? マルクスのお父様に頼んでおけば大丈夫でしょう」

「お願いしても、大丈夫かしら?」

「もちろんよ。あたしは遠くに行っちゃうけど、母様も大臣もそのことで約束を破ったりはしないと思うわ」

 よかった、と喜ぶ妹の横で、この場では最も年長の姉が嘆息した。

「ごめんなさいね、本来ならわたくしが参るべきなのでしょうけれど」

 この姉は既に、王家の傍流に当たる公爵家へと嫁いでいる。妹たちも皆、国内の有力貴族や近隣の王家へと縁組みが決まっていた。

 そこを問題視し、“まっさら”な王女との婚姻を求めてきたのは、隣国の信じる神の教えが理由だという。そのためローラに白羽の矢が立ったのだ。

「別に、あっちの宗教事情とかはお姉様の責任じゃないわよ。──いいのよ、こんなきっかけだったけど、半分だけの姫君のあたしでも、やっぱりみんなと親しくなれて嬉しかったわ。

 みんなのことは、お兄様の治世を支える同志っていうのかな? そういうのだと思ってるの」

 それは偽りのない本心だ。

 いつの間にか自分に集まっていた視線に、今日のローラは気負うことなく笑顔を返してみせることができた。

「心強いわ、ローレンティア」

 姉も微笑んでうなずく。弟たちも妹たちも笑顔を返してくれた。

「ああ、ここにいたのか、皆」

 そこへ、王太子である兄がバラのアーチをくぐって姿を現した。

「お兄様。取ってあるわよ」

 ローラは椅子と、テーブルの上に残しておいたチェリーパイに手のひらを向けて示す。

「ああ、後でいただこうか。

 ローレンティア、ヴァルド王子がお着きだ」

──それは、ローラの夫となる人物の名だ。


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