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Capriccio  作者: 紫嶋桜花
1/9

#1 チョコレイト・ディスコ

 奇妙なことになっている、とドロシーは思う。

 越してきてしばらく経った村の我が家。広くない台所には大きくない食卓が据えてあって、そこに、自分と向かい合うように小柄な人物が腰掛けていた。

 今は卓の上に深々と頭を下げていて、帽子を取った金の髪の毛が流れ落ちている。

 なんだか最近までもっと違った色だったような気もした。

「……えっと」

 言葉を探してつぶやけば、相手――魔女と呼ばれる少女は面を上げる。

「えっとつまり」

 奇妙なことになった、と思っているのがこちらの顔に表れていたのだろう。魔女は口を開く。

「もう一度最初から」

「ううん、それはもういいんだけど」

 実は既に一度繰り返されているのだ。三回目はさすがに必要ない。……というか、もう一度同じ説明を繰り返されてもきちんと理解できる気はしない。

「つまり……。

 キアッキちゃんが悪魔で、人間とは感覚が違う存在で、いろいろ」

「そう」

 魔女は真剣にうなずく。

「それで魔女さんが謝りに来てくれたん、ですよね」

 魔女はもう一度うなずく。

……奇妙なことになった。


 こうして魔女と呼ばれる彼女と我が家で二人顔を合わせるなど、少し前には考えもしなかった。

 それはアルヴィンを挟んで微妙な関係にあった、と一応ドロシーとしては認識していたせいでもあるし、逆の方を向けば、魔女のことを考えるときは必ず手前に兄の姿があったからでもある。

 どうしよう、これ。

 ドロシーが反応に迷っていたのはそんなに長い時間でもない。しかし魔女は気を回してか、

「そちらの教えが、私たち魔女も悪魔も同じように忌むべきものと断じているのは知っている。けど」

 兄の奉る教えの話を持ち出した。

「私には、監督責任。があって」

 ドロシーはとりあえず、続きを待つ。

「アルヴィンは自分が謝りに来る、って言ってたんだけど」

――そうしたら。

――そんなことをされては、無心では聞けない。

 よぎった考えにドロシーはとらわれる。

「これは私の責任だし、アルヴィンが謝ることじゃない」

――勝者の、余裕?

 悪魔とやらの口車に乗せられたとは言え、一度は思い浮かべた。……そんな私は限りなく道化だったわけだけど。

 ここにアルヴィンが来ていたら、自分はどうしていただろうか。

 褒めてくれたクッキーでも振る舞っていただろうか。

 そしてアルヴィンは、……

――ヘザーさんも喜びそう。

――自分でやらないと意味がないんです。こんなものぐらいしか用意できるものもないし。

 違う。

 全然、違った。


 ドロシーは兄に、自分の見たことを一切話していない。兄から訊かれることもなかった。兄なりに、感じているものはあるのだろう。そしてそれ以上に、口に出してしまったら、嘘やまやかしになってしまう気がして。

――でも。

――ここに、今目の前にいるこの人は現実だ。

 それが改めて、たまらなく不思議だった。

 人外の存在なんかじゃなく、一人の男性を挟んで相対する女の子同士だとばかり思っていたのに。

 魔女が眼差しを上げる。

「でも」

 その紅玉に射すくめられる。

「私があなたに謝りに来た」

 アルヴィンは露ほども知らないことだけれども、


「彼はあなたにあげられない。から」


 余裕なんて、みじんもなかった。

「……うん」

 眼差しは強く、それゆえに脆い。

「あなたは都会から来て、おしゃれで、年相応の愛嬌もあって、かわいくて、料理も得意で、……アルヴィンを初めから笑わせることができるけど」

 ただの、女の子だ。

「あなたのほうが、アルヴィンとお似合いで、幸せにしてあげられるのかも知れない、けど」

 願いと不安と訴えと自負と、そして少しの計算。

 ふつうの女の子を構成するすべて。

「私が持ってるのは、時間とか、思い出、あと彼についての少しだけの知識ぐらいしかないけど」

 下がっていく視線。超越者でもなく勝者ですらない。

「それでも、」

 成り上がりの娘にとって、台所に立つことは嘲笑を招くことでしかなかった。

 兄に付いてこの村に来たのは、兄とその仕事を尊敬し、心配もしていたからだ。

 けれど、あの言葉に、自分を見つけて貰えた気がした。

 大事に隠されている茨の城を暴かれ、発見された姫君は戸惑いとやがて幸福に染め上げられる。――しかし、

 見出されることよりも、自ら見出すことこそが、ほんとうの僥倖であるとドロシーは知った。

「うん、知ってます」

 浅く息を吸って言いつのろうとする魔女にドロシーはほほえみかける。

 テーブルに落ちかけていた瞳が不思議そうにこちらを見つめ直す。

 その一途さ、彼でなくてはならないというひたむきな気持ちは、依存やそういった危ういものではなく、いっそ気高くも見えた。

「知ってます」

 ドロシーは繰り返した。

 どれだけ純真に見える少女でも、胸の裡に計算がないわけはないだろう。

 もし釘を刺しに来たのであれば、自分の反応は彼女には不可解かもしれないが。

 好ましく、羨ましい。あやかりたいくらいだ。

 それは、心地よくすらある敗北感だった。


 魔女はゆっくり大きく瞬いた。

 玄関のドアが静かにきしむ音がする。そして規則的な足音。

「ただいま」

「兄さん、お帰りなさい」

 ポーチからいつも通りの几帳面な姿を見せた兄は、ドロシーにだけわかる目の色の揺らぎをちらりと覗かせた。しかしそれはあの日のアルヴィンとはほど遠い。やはり、なるべくしてこうなったのだろう。

「それじゃ、私は」

 椅子の背に掛けていた帽子を手にとって、魔女が退去しようとする。それを押しとどめたのは他ならぬ兄だった。

「いや、折角なのでゆっくりして行ってください。妹は同じ年頃の話し相手も多くないもので」

 思わぬ言葉にびっくりしたドロシーの手に、持っていた紙包みを押しつけ、兄は奥へと消えていった。――兄さん、そんなこと考えて……多分気にして……いたんだ。

「……それは?」

 まとめて置き去りにされた形の魔女がドロシーへ問いかける。押しつけられた包みのことだ。

「あ、……えっと、都の母さんが」

 几帳面だがところどころ大らかな筆跡はよく見慣れたものだ。気を取り直して食卓の上に広げる。現れたのは焦げ茶色の塊だ。

「……チョコレート?」

「ご存じですか?」

 うん、と魔女はうなずく。

「アルヴィンが好きだから」

 もう胸は痛まなかった。

 身を乗り出してのぞき込む魔女に呼びかける。

「あっでも、これは材料なので苦いですよ」

 そうなのか、と魔女はしげしげと眺めている。

「お菓子作りはされますか?」

「ううん……、

 煎じ薬、くらいなら」

 問えば首を振って、小さく言い添えた。

「あ……、それなら、ホットチョコレートとか。いいレシピがありますけど」

 途端に紅い瞳が輝いた。わかりやすい。

「こちらへどうぞ、魔女さん」

 ドロシーは自然と笑って彼女を火の元へ導く。嬉しそうに足を踏み出しかけた魔女がふと止まって、何か思案げにしている。……この短い時間で、ずいぶん彼女の表情が読めるようになったものだ。

「あの」

 ちいさく、だがきっぱりとした呼びかけが届く。

「はい?」

「ヘザー」

 それはアルヴィンが口にしていた彼女の名前。

「……ヘザー、さん? ヘザーさんってお呼びしていいの?

 それじゃ私は、ドロシー。ですよ」

 そう親しく呼ばせたい人は、故郷にもなかなかいなかったけれど。

 ヘザーはぽん、と胸の前で両手を合わせた。

「私も。

 私もあんまり、同年代の話し相手、多くない」

 まじめくさってそう言うと。

 そのうち二人一緒になって、くすくす笑った。




     ☆




 アルヴィンの部屋から廊下に漏れる灯りが好きだ。その向こうに自分を必ず迎えてくれる存在がいるとわかっているからだろうか。

 ヘザーは片手でその扉をノックした。すぐに返答があって、開けられた暖かな空間に招かれる。それだけで幸福感が身の裡いっぱいに広がってしまうのは、どうしてだろう。

 自分は相当、ちょろいというやつだ。

 そんなことを考えながらいると、片手をふさいでいた盆とその上のものに目を留められる。それは、と訊かれる前に口早に答えた。

「さしいれ」

「あ……、ホットチョコレートですね」

 アルヴィンはすぐに察して目を細める。受け取って書き物机の上に置くと、自分はその椅子に腰掛け、ヘザーにはすぐ脇のベッドの片隅を勧めた。

「どうしたの、ヘザーさんが、これ?」

「うん、ドロシーに教わった。材料も、少し」

……自分もアルヴィンを驚かせることができるようだ。ヘザーは新たな発見をした。

 二重三重の驚きでコメントができなくなっているアルヴィンを眺めて笑う。

「……貰っていいんですか?」

 なんとかといった感じで訊くので、すぐにうなずく。

「アルヴィンの。でも味は、期待しないで」

「何言ってるんですか。期待するに決まってるでしょう、そんなの」

 アルヴィンはどこか急いたように言い切ると、返事を待たずに目の前ですすった。

 彼の言うことや考えは予測できるものとできないものがある。今のが後者だったとしたら、次のは多分前者だ。

「おいしい」

 よかった。

「俺いますっごい嬉しい。ありがとう」

 くすぐったくなって、その雰囲気にしばらくひたる。アルヴィンは手の中のカップを揺らしている。

「ところで、ヘザーさんの分は?」

「私のは、いい」

 見ているだけで嬉しいから。

「でも」

「アルヴィン、好きでしょう?

 私は味見、したから」

 首をかしげると、視線の先でアルヴィンは黙考している。

 やがて口を開いた。あっこれ、予測できない方のやつだ。

「カカオって薬効あるの知ってます?」

 聞いたことはある、かも。……なんだっけ? 本棚に並ぶアルヴィンの薬草の本の背表紙をなんとなく視線でなぞってみる。

「一番有名なのは」

 視界の端でマグカップを呷ったアルヴィンが、ちょいちょい、と手招きした。

 疑いもなく内緒話の距離に近づいた瞬間、あごを掬われる。


 鼻に抜けるスパイスの香り。

……心なしか、味見の何倍も甘かった。

 息を吐いた耳朶に吹き込まれる声。


「媚薬効果」

「!!」


――彼の声とその内容とチョコレート。一番甘くて刺激的なのはどれだったのか、踊らされている自分にはもう判然としなかった。

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