三題小説第四十七弾『西』『南』『日陰』タイトル「西瓜ボーイミーツ南瓜ガール
強い日差しが反射してケータイの画面がよく見えない。画面の角度を変えてベストポジションを探す。
そこには今月の、つまり夏休みの俺のスケジュールが羅列されている。予定はびっしり、とまではいかないけど、ほぼ毎日が埋まっている。普段ならわざわざ書かないような些細な予定も中にはあるけど、これは気分の問題だ。ちょっとしたスケジュールの装飾だ。今年の夏、に限った事でもないが俺は決して暇人ではない。
俺の日常は充実しているのだ!
「おっはよう! 西沢君」
その可憐で快活とした声はクラスメイトの北島だ。後ろから駆け寄ってきて隣に並んで歩いた。涼しげな夏服は彼女にとても似合っている。小柄ながらいつも元気で全身からエネルギーを溢れさせている。北島と話していると誰もが笑顔になる。俺の片思いしている女の子だ。
「おはよう北島。何だかテンションが高いな。何か良い事でもあった?」
北島は微笑みながら腕を組み、こちらに流し目を送る。
「勘が鋭いねー西沢君。何を隠そう私は明日から夏休みなのだよ!」
「奇遇だな。実は俺もそうだ。ついでにいえば同じ学校だから終業式も同じ日だ」
忘れるわけがない。夏休みには俺にとって一大イベントがあるのだから。
「ほほう。君もかい。気が合うねー」
「というか夏休みに遊ぶ約束しただろう」
しかも二度も! 海に行き! 山にも行く! 一大イベントというか二大イベントだ。
「え? そうだっけ?」
「いや頼むよ。海行くんだろ? 山行くんだろ?」
「ああ、はいはいはい。あれね。男子も何人かいるんだったっけ? 楽しみだね。私はビーチバレーがしたいよ」
北島は通学路でサーブの練習を始める。中々様になっていた。
「ビーチバレーできる所だったかな。俺は何だろう。海といえば西瓜割りってイメージだ」
「えええ? 西瓜割りは川原でしょ。山だよ山」
「そうかー? 西瓜割りといえば砂浜だろう?」
「ノンノン。だって西瓜といえば川の流れで冷やすものだよ。西沢君は海で西瓜を冷やすのかい?」
「そう言われれば、そうかもしれない」
得意げな顔の北島も可愛い。日差しも暑さも吹き飛んでしまう。
「それで西沢君。海には何人で行くの?」
「七人。女子三人、男子四人だな」
「奇数じゃないか。駄目だよそれは西沢君」
え? え? それはカップル的なあれなのか? 北島もそういう事を考えているのか?
「バレーボールのチーム分けはどうするのさ」
「バレーボールは六対六だし、ビーチバレーは二対二だ」
「そうだった。それにしたって収まりが悪いってものだよ」
「もう一人女子を誘ったって特に問題はないと思う。行きも帰りも電車だから人数制限はないしな」
「なるほど。ちょっと誘ってくる。おーい南方さーん」
前方、湧き立つ陽炎の向こうに同じくクラスメイトの南方がいた。学校に行くのに日傘を差すのは南方くらいだ。その背中に向かって手を振りながら北島が駆け寄っていく。
南方は北島と比べるまでもなく女子の中では背が高い。バスケ部の北島と違って髪も長い。並んで歩く様は親子か姉妹のようだ。性格はよく分からない。出来るだけ色々な人と話してその人となりを見極めるように努める俺だけど、南方との交流は上手くいっていない。クラス内において未知の領域だ。知っているのは読書が好きなのだろうという事くらいだ。何せ登校中も歩きながら読書している。片手に日傘、片手に文庫本、背中にリュックサック。二宮金次郎が勉強好きなのと同じくらい読書が好きに決まっている。
まあ、さすがに話しかけられた時はページの間に栞を挟み、話を聞く体勢にはなってくれる。
しばらく話した後、北島は立ち止まり、南方はそのまま歩き去った。北島に追いついた俺は言う。
「どうやら駄目だったようだな」
その北島の表情にありありと戦績が表示されていた。
「うん」
「何て言ってた?」
「特に何かってことはないよ。ただ断られただけ」
南方はまた本を開き、続きを読み始めた。その時車道をトラックが走り去り、強い風が巻き起こったのは偶然の事だ。風は南方の栞を巻き上げ、後方に、つまり俺や北島のいる方向に運んでいった。俺が栞に手を伸ばしたのは純粋に反射的なもので、何か思惑や打算があったわけではない。だって南方の、ただの栞だ。それも文庫本に初めから挟んであるような広告付の紙の栞だ。
そんなものをキャッチして何が得られるだろう。反して失うものは多々ある。例えばバランスを崩して車道に飛び出し、自転車にひかれ、足を骨折するとか。夏休みの全ての予定を失うだとか。
何であの時、栞に手を伸ばしたりしたのだろう。あの時の自分をぶん殴って病院送りにしてやりたい。
結局、夏休み前半に予定していた海は行かないことにした。友達や北島と一緒なら行くだけでも楽しいだろうとは思ったが、気を使わせたくはなかった。自虐をぐっと飲み込み、土産と写メだけ頼んだ。俺の分まで、そして俺の為に全力で楽しんできてくれ、という訳だ。
自転車の人には慰謝料と治療費を貰った。正直自分の方が罪悪感を感じていたが法律とはそういうものなのだそうだ。両親も謝りつつ受け取っていた。
そして夏休みを失った俺はただひたすら家でずーっとぼーっとしていた。テレビを見たりテレビを見たり、あとテレビを見た。時々テレビも見た。宿題の一つもすればいいのだろうけど、そんな気分にはなれなかった。骨折よりも、夏休みの予定を失った事のダメージの方がはるかに大きい。充実していたスケジュールは弾け飛び、今は空虚な三十日を無為に過ごしているだけだ。
数日後、北島からのメールが届いて俺は小躍りした。お土産は夏休み明けに山土産と一緒に持ってきてくれるとの事だった。多分悪気はないと思う。北島には多少天然なところがある。
だが約束通り北島は写メを送ってきてくれたのだった。北島の渾身の写メは映りもよく、夏の日差しや砂の暑さ、海にはしゃぐ皆の楽しさ、爽やかな水しぶきに、海の家のカレーの辛さやカキ氷の冷たさまで伝わってくれるようだった。家にいながら海の波の音まで聞こえるようだった。
ただし北島は一つも写っていなかった。北島の水着姿は一つも写っていなかった。多分悪気はないと思う。北島には多少天然なところがある。
やっぱり無理してでも行くべきだっただろうか。後悔してももう遅いが。
テレビにも慣れてきた頃、誰もいない家の中にチャイムが鳴り響いた。一度、二度、三度、まるで出る気はせず、居留守を決め込む。しかし、そのインターホンチャイムは明らかに俺の存在を知っている音だった。出てくるまで鳴らし続けるという確固とした決意のようなものを感じた。
俺は不承不承立ち上がり、松葉杖をつきながら、相手が諦めて帰ってしまっても構わないと思いつつインターホンに向かった。かくしてインターホンが鳴り止む事はなく、俺はその呼び出しに応じたのだった。
その小さな画面に映っていたのは南方だった。アップの南方がこちらを睨み付けている。
「はい」とだけ俺は言った。
「南方です」
「ああ、南方。どうかした?」
「謝罪に来たの」
「謝罪?」
「西沢が怪我をしたのは私にも一因があると思ったから」
さすがに南方のせいだなんて考えていなかったけど、一因といえば一因なのかもしれない。
「今玄関を開けるからちょっと待っててくれ」
玄関の扉を開けるとすぐ目の前に南方がいて少し驚いた。南方の視線は松葉杖とギプスを付けた俺の右足を行ったり来たりしている。
「こんにちは。西沢」
「ああ。こんにちは。それで、うん、別に謝る事ないぞ。南方の栞が風に飛ばされたってだけなんだから」
「そうかもしれないわね。だけどね。私としても罪悪感を感じているから解消させて欲しいの」
「解消させて欲しいって、むしろお願いに来たのかよ。別に良いけど謝罪じゃ不十分ってことか?」
謝罪される側が言うセリフではないな。
「ええ、そういう事ね。何かできる事はない?」
「って言われてもなー」
「何か買い物とか掃除とか出来そうな事ない?」
「間に合ってるな。風邪の時とかと同じで家族皆妙に優しいよ」
「何かあるでしょ?」
ずずいと南方が一歩踏み込んできて俺は少し仰け反った。
「別に何もないよ。強いて言うなら何もない事に困ってるくらいだ。ただただ暇だ」
「私のせいで予定が潰れちゃったのね」
「いやだから南方のせいじゃないって」
「それで具体的にどういう予定が潰れたの?」
「え、いや、海とか山とか、色々と」
「ではとりあえず海ね。分かったわ。よかったら明日私の家に来てちょうだい。後は任せて」
何を任せろというのだろう。
そのまま去ろうとする南方を引き止めて住所を聞き、要領を得ないので連絡先を聞いた。南方はそのまま帰っていった。
色々と思うところはあったけど、何もする事ないよりはマシだな、と思う事にした。
翌日、松葉杖を突きつつ、炎天下で油蝉の鳴き声を聞く。結局何が何だかよく分からないままに南方の家へやってきた。
南方の家は長い塀に囲まれた古びた屋敷だった。門の表札も趣があり、浮かし彫りの南方は凄みを放っている。どうやら相当の名家だったらしい。一体ここで何をどうするというのだろう。
俺は額の汗を拭い、インターホンを押す。呼び出し音は聞こえなかった。もう一度ボタンを押そうと指を伸ばした時、南方の声が返ってきた。
「開いているから入って。玄関から上がらずに庭を回りこんで来て」
俺は潜り戸を通り抜けて庭に入った。やはりとても大きな屋敷だ。庭はまるで植物園のような様子で様々な植物が大量に、それでいてきっちり計算されて植えられているようだ。不意に家人に出会ったりする事を警戒しつつ植物園を抜けるとそこに南方がいた。まるでリゾート地にでも来たかのような出で立ちだ。
ビーチテーブルにチェアー、パラソルまで用意して、南方はビニールプールに水死体のように浸かりながら本を読んでいる。長い髪がスイミングキャップに収まりきっていない。
「こんにちは、西沢」
固い笑みで南方はそう言ったので、固い笑みで俺は同じように返す。
「こんにちは、南方」
「そういえば水着を持ってくるように言うのを忘れてたわね」
「言われたとしても持ってこねえよ」
スクール水着に身を包んだ南方を横目に通り過ぎ、俺は縁側に座り込んだ。
ああ、暑い。容赦のない日光が俺の肌を灼いている。
南方は文庫本を脇のビーチテーブルにおいて、くるりと回転してこちらを向いた。
「まあでも少しは涼を感じてもらえたんじゃないかしら」
「そうだな。クーラーの利いた部屋から出てきたかいがあったってもんだ」
「何よ。だって水着を見たかったのよね?」
「断じて違う」
そのような邪な気持ちで海に行こうとしていたわけではない! いや多少そういう気持ちがなかったわけでもないが、純粋にかけがえのないひと夏の思い出を友人たちと共に作ろう、と。まあ、今となってはどっちでもいいか。
「そうだったの。まあまあ。そこに座ってるだけだと暑いでしょう。こっちに来て足だけでも浸かっていきなさいな。足湯ならぬ。足水よ」
「何だか嫌な水だな。というか骨折してるんだけど」
「じゃあ手水」
「寺社には程遠いけどな」
ぶつくさ言いながらも俺は立ち上がり、ビーチチェアーに腰掛けた。南方が開けたスペースにい片腕を突っ込む。ぬるい。
「他には何をするの?」
「海に行った時か? そうだな。砂浜でビーチバレーとか?」
「砂浜もボールもないわね」
「だろうな。後は西瓜割りとか」
「南瓜しかないわ」
「じゃあ南瓜割りでもするか」
「冷蔵庫か、その近くの段ボール箱に入ってるから持ってきてくれる?」
「マジでするの?」
マジですることになった。現在この家には南方と俺しかいない。ビニールプールのぬるま湯に浸かった南方を尻目に、俺は彼女の家と裏庭に合った倉庫を漁る事になった。
かくして南瓜割りの準備は整った。折り畳まれたブルーシートの上に南瓜は鎮座され、十メートル離れた地点で俺は金属バットを握っている。
「はい。目隠しなさい」
南方は後ろから指示を出す役だ。まあ二人しかいないのだから仕方ないだろう。
真っ暗闇、という事もない。目隠しをきつく縛った所で光は透けているし、鼻で出来た隙間から足元は確認される。
「オーケー」
「じゃあまずは回転するのよ。あ、平衡感覚を失ったな、と思ったらスタートよ」
「君は俺の今の足の状況が分かってるのかな?」
「でもルールはルールよ。ゆっくりでいいから」
「こんなシビアなゲームだったっけ?」
とりあえず十ほど回転して、止まる。あ、平衡感覚失ったな、とは思わなかった。とてもゆっくりだったからだ。
しかし西瓜(南瓜)割りなど久しぶりだ。視界が不十分な状態だけでも妙にアンバランスな感じがするという事を忘れていた。
「とりあえず後ろを向いて。私の頭が叩き割られてしまうわ」
「オーケーオーケー」
目算で百八十度回転し、金属バットを上段に構える。
「いいわよ。そのまま真っ直ぐ進むのよ。真っ直ぐって言ってるでしょ。聞こえないの」
「もうちょっと優しく言ってくれ」
俺は見えない南瓜に向かって恐る恐る足を進めていく。松葉杖を突きながらバットを構えながら歩くのは大変に困難だった。
「もうちょっと左。あ、右よ。右。お箸を持つ方よ。西沢は左利きなの!? そっちじゃないってば」
もう返事もままならない。
「距離は完璧。でも少し右。違う! 私から見て右よ!」
二人とも同じ方向から見てるはずだろ!
「ここか?」
南方の返事はない。
「ここでいいのか? 叩くぞ」
南方の返事を待たずにバットを振り下ろした。バットから伝わる感触は中々小気味よいものだった。目隠しを外すと、そこには砕けた南瓜が黄色の中身を散乱させていた。
南方が何も言わないのでビニールプールの方を見ると、彼女は縁に寄りかかってぐったりとしていた。俺はバットを放り出すが駆け寄れない。足を引きずって近づく。
「おい、どうした。足攣ったのか? 折ったのか?」
「気持ち悪いよ。目が見えないよ」
「熱中症か。とりあえず家の中に運ぶぞ」
ビニールプールから南方を抱えあげる。松葉杖を突きながら、人一人抱えて歩くのは何よりも困難だった。
色素の薄い手足が日焼けで少し赤くなっている。とりあえず涼しい廊下に寝かせ、冷蔵庫にさっき見かけたスポーツ飲料を取りに行く。あとは足を高くするのだったか。特に丁度良い高さのものがないので足首を支えてあげる事にした。なんとも人には見せられない光景になってしまった。今、家人が帰ってきたら御用になりそうだ。
結局南方は数分で回復した。大事にならず一安心だ。縁側に座って二人でラムネを飲んだ。庭の向こうに広がる青空に入道雲が聳え立っている。
「また助けられてしまったわね」
相当落ち込んでいる事は声音を聞いただけでも分かった。
「栞を数に数えるなってば」
「不甲斐ないわ。予定を潰したばかりか。その穴埋めもまともに出来ないなんて」
穴埋めをしているつもりだったのか、と言うのはさすがに酷いと思ったので心にしまった。
「おいおい。諦めないでくれ。俺は山に行く予定もあったんだ。釣りにバーベキューに、肝試しして、花火をして、星を見て、代替案を考えてくれよ。あと西瓜割り」
「いいの?」
いつの間にかラムネを飲み終えた南方は取り出したビー玉を弄んでいる。
「暇よりはマシだ。まあ昼間にアウトドアな遊びは避けた方が良さそうだけど」
「ごめんなさい。普段あまり外に出ないから」
「そうじゃないかと思った。家の中でできる事で良いよ」
「でもさすがに室内で水着は無理よ」
「断じて違う」
結局その日はビニールプールとか南瓜とかの後片付けをして帰った。
数日振りに南方の家の潜り戸を抜けるとそこに、ジャック・オー・ランタンが立ちはだかっていた黒いマントに南瓜の被り物だ。オレンジの南瓜ではないからか、中の人の雰囲気がにじみ出ているのか、どうも陰気だ。俺が松葉杖を構えると、ジャック・オー・ランタンもファイティングポーズをとった。
「一月以上先だぞ」
「何の事かしら?」
「夏休みの予定にハロウィンを入れた覚えはないって事だ」
「肝試しよ!」
「どちらにしろ昼間にやる事じゃない」
南瓜を脱ぐと汗だくの南方が出てきた。前回の反省はしていないようだ。
「冗談よ。とりあえずお昼にしましょう? 食べてきてないでしょうね?」
「言われたとおりにした」
食事、という事はバーベキューの穴埋めという事だろうか。こんな豪邸に住む人たちのバーベキューとなると俄然興味がある。
黒マントを羽織った南方についていき、しんとした家に上がる。今日も他には誰もいないらしい。通された畳の部屋は前回の庭に面していた。待ち受けていたのは冷やし中華だった。
「冷やし中華始めました」
いつの間にかマントを脱いだ南方は固い表情を少しばかり和らげて楽しそうな声で言った。
「もう始まってたのか。少し早くないか?」
「西沢がぼさっとしている間に冷やし中華の季節は過ぎ去っていくのよ。食べたいと思った時には既に秋刀魚の塩焼き季節になっているの」
「確かにその通りだ。夏の季節にあったものを食べるべきだな」
バーベキューなんて季節とか関係ないじゃないか。夏はバーベキューより冷やし中華だ。肉より胡瓜だ。冷たい麺に酸味が心地よい。
「美味しい?」と、南方が不安そうに言った。
「うん。夏の味って感じだよな」
「良かったわ」
「ところで南方」
「何? 水着なら着ないけど」
「今日は何をするんだ?」
「西沢の予定の穴埋め、暇潰しだけど? ただし水着にはならないわ」
「そうは言っても山登りなんてどうにもならないだろ。俺は歩けないし、南方は日光を浴びると死ぬし」
「誰がスク水吸血鬼よ。もちろん代わりを用意したわ。ちょっと待ってなさい」
急いで食べ終えた南方は咽つつも、隣の部屋からテレビゲーム機を運び込んできた。
「大体予想はつくけど、それでどうするんだ?」
「これで釣りと肝試しはカバーできるわ。あとソフトによっては星空も」
「なるほど。もう面倒くさくなったのかな?」
「ゲームやった事ないの? 面白いわよ」
「いやゲームくらい持ってるけどさ。それが代替案になるなら漫画でも映画でも何でもよくないか?」
「何を言っているの西沢。ゲームと今挙げたようなメディアには双方向性という決定的な違いがあるわ。つまりただ受容するだけの小説や漫画と違ってゲームというのはこちらからメディアに干渉する事が出来るの。つまりそれが受容者に鑑賞ではなく、体験を生み……」
「分かったよ」
所詮暇潰しだ。贅沢言うまい。
とりあえず始めたレースゲームは二人で盛り上がれた。南方は異常に上手く、結局一度も勝つ事ができなかった。逆に格闘ゲームは本当に下手だった。接待しようかとも思ったが、ムキになりそうな気がしたのでやめておいた。
また別の日、ホラーゲームは後ろで見ているだけの南方が喧しくて恐怖を感じる事はなかった。自分より怖がっている人がいると逆に冷静になるというやつだ。しかし余りに恐ろしかったのか途中で退室してしまい、そこからは俺もゲームにのめりこんでしまった。
何時間くらいやっていたのだろう。まだ明るいが午後六時を回っていた。恋人でもない異性の家で一人でゲームをしているというのはかなり異常なシチュエーションだ。我に返った俺は南方を探しに行く事にした。何も客を一人残す事もないだろうに。
南方の屋敷はやはりしんとしていた。そもそも何人家族なのだろう。誰一人帰ってきた様子はない。部屋を出て広い廊下を眺めるが、カーテンが閉まっているせいで薄暗い。外の明かりが漏れているが、どこにも明かりはついていない。
「みなみかたー」
返事はない。仕方がないので廊下を突き進む。ふと物音の聞こえる部屋があった。恐る恐る近づいて中を覗きこむ。
そこには料理をしている南方の姿があった。とても甘い匂いが広がっている。そういえば冷やし中華も自分で作ったのだろうか。意外な一面だ。
「あら、ゲームは飽きたの?」
「ああ。何で返事しなかったんだよ」
「何か言ってたの? 集中してただけよ。もうすぐ出来るから部屋で待ってて」
「うん」
大人しく元の部屋で待っている事にした。他にも面白いソフトは無いかと漁りつつ、だ。しばらくすると南方がオレンジ色のお菓子を沢山持ってきてくれた。
「この前の南瓜で作ったお菓子よ」
「え?」
夏場に数日間保存されていた南瓜……。
「冗談よ。西沢が粉砕した南瓜はその日のうちにいただいたわ。どうぞ召し上がれ」
南瓜のクッキーにケーキ、プリンまである。二人でお菓子を楽しむ。仄かな上品な甘みをしっかりと感じる。
「しかしお菓子作りといい、豪邸といい、南方の意外な一面を見れたな」
「意外な一面以前にどういう面を知ってたっていうのよ」
「日傘と読書だな。いつも日陰にいるようなイメージ」
「まあ間違ってないわね」
「いつも何を読んでるんだ?」
「何でも読むわよ。若い内は乱読多読。料理本から官能小説まで」
「偏ってるような気がする。アウトドアな事はしないのか? さっき体験って言ってたけど、それなら実際に体験する事のほうが重要だろう?」
「一人でするのはどうもね。西沢が立ててた予定だって一人では出来ないんでしょ?」
「それは、まあそうだな」
一人バーベキュー、一人西瓜割り。世の中にはそれらを一人でする人もいるのかもしれないが、俺はしたくない。
「それってさ、何をするかより、誰とするかを重きに置いているって事でしょ? 実際にどちらに価値があるかは置いといて」
「そうだろうな。それそのものに価値を感じている人は一人でカラオケに行ったり、遊園地に行ったりするんだろうけど」
「体験している人達のうち、どれだけが体験そのものに価値を見出しているのかしら。実際の所ファミレスでの雑談とキャンプファイヤーでの雑談にそれ程の差があるものなのかしら」
「でも差がないって事はないはずだ。いつもと違う環境に身をおいているんだからな」
「私と過ごした日に何か得るものはあった?」
「あったんだと思う。自分でもよく分からないけど。こうして緩く過ごすのも悪くない」
「そうね。同感。ところで西沢は宿題の進捗具合はどう?」
「聞いてくれるな。南方」
「そうじゃないかと思ったわ。全くもって緩んでる場合じゃないわ。夏休みもあと一週間ほどだし、そろそろ手をつけないとまずい」
南方の眼差しは真剣そのものだった。
「南方、お前もか」
「私は明日から家族旅行に行くから、もうラスト二日しか空いてないわ」
「残念ながら俺は暇だ」
唐突に携帯電話の着信音が鳴り響いた。俺の携帯電話だ。反射的に通話ボタンを押す。
「もしもし」
「あ、もしもしー。西沢君?」
その声を聞いて初めて北島だと分かった。
「北島? どうかした?」
南方はお菓子の無くなった皿を片付け始めた。
「朗報だよ朗報! 何だと思うね? 西沢君」
「何だろう。宿題終わったとか?」
「そんなの三日で終わらせたよ! 違くてなんと西沢君もキャンプ行けるよ!」
「え? え? どういうこと? 俺まだ骨折中よ?」
「コッセチュツウなのは分かってるよー。ではなくて、なんと東元君のお兄さんが車を出してくれる事になったのです。西沢君、荷物持てないからって遠慮してたでしょう? もうそんな心配皆無なのですわ。もちろん行くでしょ?」
「そりゃ……えっといつだっけ?」
「夏休み最後の二日間だよ。もしかして何か用事入れちゃった?」
「いや……ううん」
南方は洗物をキッチンに持って行ってしまった。遠くから水の流れる音が聞こえる。
昨日はとても充実した一日だった。東元の兄の車でキャンプ場まで一直線。途中、バーベキューの材料を買いそろえた。その買い物も楽しかった。山に着けばテントを作る。お互いに分からない部分を助け合う。全力で川遊びをしてびしょ濡れになった。残念ながら誰も水着を着てはいなかったけれど。釣りをして、バーベキューをした。安い肉と野菜だけどとても美味しかった。日が暮れて辺りがどっぷりと闇に沈むと肝試しをした。強がる北島はとても可愛い。持ち込んだ花火をし、妙にテンションが上がった。火を焚いて語らった話は思い返すと恥ずかしいけれど、その全てが輝かしい。自分の片足が折れている事なんて忘れてしまうほど浮かれていた。ふと夜空を見上げると、今にも迫り来るような満天の星空が広がっていた。だけど……。
朝日を浴びながら歯磨きをする。目覚めだした虫の鳴き声は耳を塞ぐほどの大音声だ。
「西沢君。楽しかった?」
北島も寝ぼけ眼で歯を磨きいている。
「うん。あっという間だったな」
「心配してたんだよ。海に行けなくてふて腐れてんじゃねーのってね」
北島は真っ白な歯を見せて笑った。
「失敬だな。まあ、海にいけなかったのは残念だったけど」
「何より西瓜割りが出来なかったもんね。まあ西瓜割りは山でやるものだけど、ね」
北島の肘が俺のわき腹をつつく。
「まだ言うか。……そうだな。西瓜割りか。そういやまだやってないな」
「お昼にでもしようね」
「西瓜持ってきてたのか?」
「そだよー。山といえば西瓜だからね。まあさっきまで忘れてたんだけど」
「そうだったのか。でも、そうか」
「どうかした?」
「いや、東元の兄貴ってさ」
「うん?」
「何時ごろに迎えに来てくれるんだっけ?」
「うーんと、十七時頃だね。帰る頃にはもう遅いなー」
「勝手だけどさ」
「なになに?」
「もう俺帰るわ」
北島が変な声を出して驚く。
「なんで? 何か急ぎの用事?」
「うん。今の今まで忘れてた」
「だけど、そんなに高くないけど、ここ山だよ? 骨折してるのに」
「大丈夫だって。近くの駅までだし、いざとなればヒッチハイクでもすればいい。誰も松葉杖で山を降りる男子高生を見捨てやしないさ」
北島はその大きな目でじっと俺の目を見つめる。俺もそらさずに見つめ返す。
「うん。分かったよ。でもせめて西瓜割りくらいしていけば?」
「いいんだ。皆の楽しみを奪うわけにはいかないしな」
松葉杖を突きながら西瓜を運ぶというのは思った以上に苦行だった。山を降りる事に比べれば何てことは無いが。
十九時を回ったが辺りはまだ明るい。南方のインターホンを押す。出てきたのはいつも通り南方だ。
「何で?」
俺が何かを言う前にそう言って、それ以上何も言わなかった。すぐに潜り戸が開かれる。南方は呆れた顔をしている。
「西瓜割りする約束だったからな」
掲げた西瓜を南方は両手で抱きかかえるように受け取った。西瓜と俺の顔を交互に見る。
「西沢がそこまで西瓜割りしたかったなんて」
「いや、そこまでと言われると、別にそこまででもない気がするけど。まあいいだろ?」
「とりあえず準備してくるわ。縁側に座ってて」
そう言って潜り戸の向こうに走り去った。俺も続いて潜り戸を抜け、庭を回りこんだ。既に準備が出来ていた。南方が目隠しとバットを持って待っている。
「今度は南方がやればいいよ」
「西瓜割り少年西沢のセリフとは思えないわね」
「俺が割ったのは南瓜だけどな」
「でも私西瓜割りなんてしたこと無いのよ」
「俺だって南瓜割りなんてしたこと無かったよ」
南方は目隠しをぎゅっと結んだ。本当に素直に結んで、何も見えなくなったようだ。そうして金属バットを構える。
「まずは回転だぞ。ルールには従えよな」
「分かってるわよ」
南方が十ほど回転する。足元がふらふらだ。もうリタイヤしてしまいそうな勢いでふらふらだ。
「おいおい、大丈夫か?」
「いいから早く誘導して」
「よし、真っ直ぐ進め。ずれてるぞ。右に修正。違う。お茶碗を持つ方だ」
「左利きだったの?」
「いいから右、もっと右。そうだ。真っ直ぐ進め。違う、俺から見て真っ直ぐ」
「ふざけてないでちゃんと誘導して!」
「悪い悪い。ストップ! そこ! そこがベターだ」
「ベストまで誘導しなさいよ!」
「じゃああと半歩前だ。そこだ。いけ!」
南方が振りかぶった金属バットを親の敵でも討つように叩きおろした。俺の買ってきた西瓜は悲惨なほどに飛散した。西瓜の欠片達はブルーシートの外まで弾け飛び、食べれる所がほとんど残っていない。
それでも南方は大喜びだったのでよしとする事にした。
「それじゃあ西瓜を食べましょうか」
「その西瓜を? 悪い事は言わない。蟻さんにくれてやれ」
「まあまあ、部屋に上がってちょうだい。片付けたら行くから」
俺はしぶしぶ立ち上がり、正面の畳の部屋の座布団に座った。南方はブルーシートごとキッチンに行ってしまう。しばらくして戻ってきた南方は綺麗なまん丸の西瓜を携えていた。
「南方も買ってたのか」
「まあね。というかこっちが西沢の西瓜だけど」
「えええ!?」
それはつまり南方が叩き割ったほうが高価な西瓜だという事では? 俺が買ってきたのは近所のスーパーの何の変哲も無い西瓜だ。
南方が西瓜を綺麗に切り分ける。
「さあ、食べましょう」
「いただきます」
俺も南方も西瓜にかぶりつく。
「美味いか?」
俺は不安になって思わず聞いた。
「ええ。夏の味って感じよね」
「そりゃ良かった」
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ご意見ご感想ご質問お待ちしております。
セオリーにしたがって書くと長くなる。