〜使者〜
「では引き続きあの戦士達を見つけ出して殺してください」
イビデラムは回りに侍った黒マントとアウシャトロスに指示を出した。
それぞれ受諾の意思を示すと散って行った。
「それにしても…」
イビデラムはさっき女を殺るのを邪魔してきた男を思い出して呟いた。
_あの子は我が宿敵に似ています。一度私を殺した男に。
顔だけではなく、魔力の質まで似すぎている。
_しかし…あの子が我が宿敵なら、あそこで吐くことはなかったでしょう。
「どう見たって初めて人を斬ったという感じでしたもんね」
独り言にして呟く。
あの男ならそんなことはあり得ない。自分と同じエーテリーサの近衛兵団長だったあの男が初めて人を斬るなどということはあり得ないのだ。
「でもやはり気になりますね…ヘルノワ、オルネゴス」
「はい、イビデラム様」
「なんでしょう、陛下」
男女が、至近に現れた。二人とも赤銅色の肌に紅い髪。白目まで紺色の目をしている。
アウシャトロスを造っている時にたまたま生まれた、いわばアウシャトロスの亜種達だ。
戦闘能力、知能共にアウシャトロスより高く、それでいて命令に叛くことは全くない。素晴らしい手駒だ。
イビデラムは二人にあの、龍と呼ばれていた戦士を連れて来るように言った。
その際、殺さなければどんな手段を使っても良い、とも。
-☆-☆-☆-
麗音と龍は森の縁を歩いている。なにも無い草原のようなところを通るより安全だろうということになったのだ。
「龍!」
向こうからブラッドフットが駆けてきた。さっきだいたいの場所の連絡を取ったのだ。
「ブラッドフット!」
「麗音も怪我治ったんだね。良かった。」
「ああ。龍の血は美味いぞ」
「飲んだの!?」
「おかげでほら、元気いっぱいだ」
麗音は全快!というジェスチャーをした。
なんか麗音のキャラがだんだん崩れてきてる気がする。見せる面が多くなっただけかもしれないが。
「仁は大丈夫だって。だけど龍、血、吸われて大丈夫なのか?」
「あー。たぶん。今んとこなんともない」
「そうだな。でも少しは変化したと思うぞ。例えば、というかおそらく、もう人斬っても吐いたりはしないだろう」
「それ慣れじゃなくて?」
「龍は斬ってからまだ半日も経ってないだろ?アレにすぐ慣れる奴がいたら、そいつは狂ってるさ」
「確かに。でもなんで麗音に血を飲まれて平気になるの?」
「ヴァンパイアの求血衝動と関わりがあるらしいけど、姉さん達みたいなのに血を飲まれた奴は大抵死ぬからな。確証は無いんだ」
「麗音、怖いよ?話してる内容が」
〈龍〉
ブラッドフットの声が頭の中に響いた。念話だ。
〈ごめん、龍。仁の容体があんまり良く無いんだ。合流するの、もうちょっとかかる〉
_…え?ちょっと待て。
ブラッドフットは今目の前にいる。
〈おい、ブラッドフット〉
〈なに?〉
龍はブラッドフットに訊いた。
〈お前、今どこにいる?〉
〈え?どこって、ダルのところだけど?〉
〈ダルのところか。わかった。ブラッドフット、しばらくそこにいてくれ〉
〈わかったけど、どうしたんだ?〉
〈ちょっと厄介なことになった〉
龍は念話を終らせると目の前のブラッドフットと麗音の間に割って入った。もちろん麗音を背後に庇うように、だ。
「おい、どうした龍?」
「麗音、下がってくれ」
「どうしたんだよ龍?」
ブラッドフットが当惑したように近寄って来る。
「近づくなっ」
瞬時に刀を出し、ブラッドフットに突きつける。
「龍、どうしたんだ?仮にも相棒だぞ」
麗音が後ろから怪訝そうに言ってくる。
「いや、違う。こいつは偽者だっ‼」
龍が怒鳴った途端、ブラッドフットの様子が急変した。牙をむき出し襲いかかって来たのだ。
龍はそれに押し倒された。偽者だとわかっていても、一瞬躊躇したのだ。
麗音が大鎌を振り回し、それを払う。
龍は跳ね起き、刀を構える。
再び飛びかかって来たところを思いきり薙いだ。
ザパンッ
斬った直後、偽ブラッドフットは液体に変化し、龍と麗音に降りかかった。
「へへへ、被ったな?」
どこからともなく声が聞こえてきた。
「誰だっ」
麗音が吼える。
「どこにいるっ!?」
「ここだよ。ここ」
近くの木の枝上に男がしゃがんでいた。
赤い髪、白目の無い紺一色の目。
いやそれよりも、こんなに近くにいたのに気づかなかった…
「お前らさ、本当に鈍いよな」
「うちらの存在に気づかないなんてさ」
背筋をゾクッと震えが奔った。急いで後ろを振り向く。
もう一人、同じような容姿の、こちらは女が木にもたれて立っていた。
こちらにも全く気づかなかった。
「うちらはイビデラム様にお前を連れて来るように言われてんの」
女の方が龍を指差しながら言った。
「だからおとなしくついて来いよ」
「誰が行くかよっ」
龍が言うとほぼ同時に、麗音が地面に膝をついた。
「麗音?」
「効いてきたな」
「どういう…ことだ?」
麗音が訊いた。息切れしている。
「さっきお前らが被ったのは水じゃないてことよ」
「さっきのは触れた者の魔力を放出させるもんさ」
_そういうことか。
龍もさっきから身体がやけに怠かったのだ。
…魔力が吸い取られていたとは。
_やばい。膝、ガクガクしてきてる。
根がはったようにその場から離れられなかった。足が動かないのだ。
イビデラムの寄越した二人組はただこちらを見ているだけだ。
ガシャン
龍の手から刀が滑り落ちた。
「さあ、そろそろ来る気になった?」
「どうせお前は陛下のところへ行くんだ」
「うちらとしちゃあ別にお前が気絶しててもいいけどな」
「親切にも意識がある状態で会わせてやろうってんだぜ」
_そういうことか。
「おい…お前らが用があるのは俺だけだよな?」
龍は前にいる方に問いかけた。
「そうだ」
「じゃあ、こいつに手を出さないでくれるか?」
麗音を差した。
意識が朦朧としているらしく、反応が無い。麗音の方が龍より魔力量が少ないので仕方ない。
「で、お前は来るの?」
「先に約束しろ」
「いいだろう。ただし、お前を陛下のところに連れて行くまでだ」
「その後はしーらない」
…こいつら、俺を連れてった後にまたここに戻って来るつもりか?で、麗音がまだいたら捕らえると?…させるかよ。
「少し待て」
龍は落とした刀で自分の手の親指の付け根に傷をつけた。血が滴る。
「麗音、これを」
麗音の口に近づける。
血の匂いに反応したのか、麗音がそっと口をつける。
麗音の意識がまだあって良かった。
限界だったらしく、身体がゆっくりと傾ぐ。
龍はそれを受け止めると静かに寝かせた。
龍は刀をしまってから立ち上がった。膝が折れそうなのを我慢する。
「連れていけ」
「いい判断だな」
-☆-☆-☆-
麗音は目を開けた。
数秒間、状況が把握できなかった。
口に残った龍の血の味で、なにがあったか思い出す。
魔力を吸い取られたからか、身体が重い。
そして龍の姿がない。本当にあの二人組に連れていかれたのか。正確にはついて行ったか?反抗もせずに?
「…あの馬鹿っ」
_いつかミイラにしてやるっ!
とにかく無性に腹が立つ。
その時、どこかで声がした。龍を呼んでいる。…あの声はブラッドフットだ。
「ブラッドフット!」
麗音は呼んだ。
返事は返って来ないが気配は本物のブラッドフットだ。間違いないはずだ。
「ブラッドフット、どこだ?」
気配がする方へと進む。
途中でよろめき、近くの木に手をついた。
ガサッと音がして、ブラッドフットが現れた。
目があって二人とも数秒固まる。
「麗音、龍は?」
ブラッドフットが訊いてくる。
龍の名を聞いてまたふつふつと怒りが湧きあがってきた。
「龍は…連れていかれたっ」
吐き捨てるように言う。
「えっ?」
「イビデラムの手下についていった」
ブラッドフットのキョトンとした顔に苛立ちが倍増する。
「あいつ、あたしを庇いやがったんだっ」
ダンッと地面を踏みつけた。
ブラッドフットは真顔になるとしばらく黙り込んだ。そして体を横に向けた。
「麗音、乗れ」
一言、言った。
その行動に麗音の怒りは一瞬で消えた。
飛闇狼はパートナー以外の人間は絶対に乗せない。相乗りするのも嫌がるのがいる程だ。
それなのに、ブラッドフットは乗れと言ってきた。しかも龍が敵中に堕ちたというのに全く騒がない。ブラッドフットの性格からいって騒がないことはないはずなのに。泣くかとも思った。……状況が把握できてないのか?
「早く」
ブラッドフットが急かしてくる。
いや、龍を必ず助け出すという決意か。
麗音はその強い意志に惹かれるようにブラッドフットの背に乗った。
ブラッドフットはちらっとこちらを見ると走り出した。
ザパッ!
_っ_‼
突然水の中に入った。
いや違う、影の中だっ!
_ブラッドフット…お前、飛闇に…
ばっと光の中に飛び出しす。闇を抜けたのだ。
ブラッドフットは微かに朱色の魔力を纏っていた。
感情が荒れ狂い逆巻いているのだ。
_………ごめん。ごめん、ブラッドフット。あたしがもっと強ければ仁は怪我を負わなかったし、龍もあいつらについて行かなかったはずだ。
悔しかった。
麗音はブラッドフットの首筋の漆黒の毛に顔をうずめた。
-☆-☆-☆-
ブラッドフットは先ほど龍から連絡があった辺りに着いた。
〈龍っ!どこにいるんだ?〉
………。
返事が返って来ない。
無視されてるとかじゃない。何かに妨害されているような感じだ。
念話が通じない。
「龍ーっ‼」
「ブラッドフット!」
_麗音!
どこかで麗音の声がした。
声がした方へ走る。
「ブラッドフット、どこだ?」
_あれ、通り過ぎた。
すこし戻って見つけた。木の幹に寄りかかるようにして立っている。
麗音だけ。龍はいない。
嫌な予感が湧き上がるには充分だった。
「麗音、龍は?」
恐る恐る訊く。
「龍は…連れていかれたっ」
「えっ?」
「イビデラムの手下についていった」
なにを言われたかすぐには理解できなかった。
「あいつ、あたしを庇いやがった」
麗音の足が縺れ、転びかける。
ブラッドフットは慌ててそれを支えた。
ダリオスのところに連れて行かないと。怪我はしていないようだけど結構弱ってる。
…龍が連れ去られた。
予想した通りの、嘘であって欲しい、だけど本当の事実。
ブラッドフットはそのことを知ったのに、自分が普段よりも落ちついていることに気づいた。
…騒いでも仕方がないとわかっている。
「麗音、乗れ」
ブラッドフットは麗音が乗りやすいように横を向いた。
「早く」
躊躇っている麗音を急かす。
ちゃんと乗ったのを確認してから影に入った。
影の闇を抜けるとブラッドフットは足を速めた。
麗音が首筋に顔をつけているのを感じる。微かに震えている気がした。
_……麗音、まさか泣いて…?
キンクアイルの近くで、カイが無言のまま舞い降りてきて羽を四枚に広げる。
立ち止まらずにキンクアイルに入った。灰色の靄の中を、前を飛ぶオレンジの光について駆け、すぐにG.フィーストにぬける。
近くの影から診療所に飛んだ。
「ダル‥ダルはどこだ?」
近くにいたブロワハイに訊く。
「ブラッドフット!背中のは…麗音か!?ダリオスは_」
「呼んだかしら?」
ベッドの向こうからダリオスが顔を出した。
「あらブラッドフット。どうしたの?」
「麗音だ。仁のところに連れてって」
ダリオスは麗音を抱えるようにしてブラッドフットから降ろした。
「わかったわ。仁もね、意識が戻ったところなのよ」
「そっか…よかった。ダル、アースは指揮所にいる?」
「居ると思うわ」
「ありがと」
ブラッドフットは診療所の出口に向かった。
「ブラッドフット…あなた、麗音を運んできたけど、龍はどうしたの?」
龍の名前に、一瞬足が止まる。
しゃべれなかった。口を開いたら泣き出しそうだ。まだ泣くわけにはいかない。だから右の耳をピクッとだけ動かして外に出た。
そしてダリオスが追いかけてくる前に闇の中に入った。