株式会社 復屋(フクヤ)
いつもと同様、休みの日に外出届を提出。
しかし今回は月曜が祝日なので、外泊二日を申し出た。
土曜の夕方、授業が終った後にピナと待ち合わせ。もちろん、集合は学校から離れた場所だ。
新しい転居に向かうのだけれど、この前は龍二さんの車で行ったのとは別の所なのか、ピナと一緒に電車移動。
買った切符を見て疑問。
「ピナ。これって、オヤジの研究所に近い所だよな。」
本当に幾つ事務所があるんだよ、オヤジ。小遣いの値上げ交渉を本気で考えた方が良いのかもしれない。
「そなの?じゃ、ご挨拶に寄った方が良いのかな。」
……挨拶?オヤジに?
「どうしたの?せっかく会えるんだから、久々に親孝行した方が良いよ。」
あぁ、そっちね。
もしかすると、オヤジも新しい事務所に来るのだろうか?
「ピナ、龍二さんとの約束した時間とかないのか?」
「あ、行きに寄れば完全な遅刻だ。ひゃぁ~龍二さんが恐ろしい形相になっちゃうよ!……多分、晩御飯の都合もあるよね。」
ピナは残念そうに、電車の窓から外を眺める。
会話を続けようとするが、適当って難しい。
『この間は悪かったな。』『俺が倒れる前、変な事をしなかった?』
『休みの日に、俺なんかと一緒で良いのか?』『俺に気にせず彼氏でも……』
『どうして誰とも付き合わない?』『俺の事、どう思う?』
グルグルと回る思考を、踏み止めるように邪魔する何か。
「また体調が悪いの?」
ピナの心配そうな表情に、俺の心は揺れる。
「……ピナ。俺は倒れる直前、潜入する時のような感覚だった。そこで起きている様子を概観する自分がいて、自分の意志と反するもう一人の俺。……記憶なのか夢なのか、それが現実なら……」
ピナは、俺を受け入れてくれた?
いや違う。ピナの望むのは俺じゃないかもしれない。
「サキチは倒れて、私に寄り掛かっただけ。」
「そっか、迷惑かけたな。」
ピナの不自然な答えに、俺は納得してしまったんだ。それ以上を知るのが怖くて。
電車は一方方向に進み、窓の外の景色を田舎の風景へと変えていく。
人里離れた場所にオヤジは研究所を立てた。
そして潜入捜査の為の新しい事務所も、人目を避けるように……そうだよな、悪用すれば倫理に反する。
知らなくていい事だ。誰かの記憶や思考を改ざんするなど、有ってはならない。
そう、そこにも矛盾は生じるんだ。
では何故、依頼を受けるのか。
人の思い出したい記憶を、人助けの為に……時間制限の中、自分の命が危険な目に遭うかもしれない。
システムの開発時には、どれ程の実験を重ね、どれ程の安全性を実証した?
オヤジは何故……ん?
左肩に重みを感じて視線を向けると、ウトウトするピナが寄り掛かっている。
起きていたいのかな?
はっと目を覚ましては体勢を直すが……それを何度も繰り返す。
思わず笑みがもれてしまった。
「使ってもいいぞ?」
自分の左肩をポンと叩き、来いよと合図。
それに応えて、無防備に身を委ねるピナの笑顔。
漂う甘い香りと温もりに、フワフワと宙を浮くような夢心地を味わう……
「サキチ、着いたよ。見て、七刀さんが迎えに来てくれてる!」
ピナの声に自分も寝ていたのだと気付く。
口元には冷たいヨダレ……慌てて口元を拭い、両手を掲げて元気よく振っている大人の七刀さんを見て何故かホッとした。
恥ずかしい仲間が居たと。
七刀さんの車なのか、長年の愛用が目に見えるような古い普通車。
いつ壊れてもおかしくないだろうな……。
そんな俺達の視線を七刀さんは明るく笑い飛ばし、荷物を積んでくれる。
車に乗ると、外とは似つかない新品感。
「ふっふっふっ。どうだね、驚いただろう?クスクスクス……これだから、この車がやめられないんだよ。」
大人げないと言うか、いつまでも子供の様な純真さを持っていると言えば聞こえが良いのだろか。
ま、このまま年をとっても憎めない人だよね、七刀さんは。
「さて、一応……俺の話せることだけを伝えておこうかな。」
運転席に座り、エンジンを掛けながら呟いた一言。
彼も大人で、龍二さんの側近なのだと認識を新たにする。
「サキチ、前に行った事務所……『株式会社ヘミシンク』は、あの一度限りの依頼の為のダミーだ。」
え?じゃ、オオトリさんは……
『起きたら君の本当の名前を教えてくれ。俺の本当の名前……』
そんな、まさか!
「詳しくは、到着した場所でサキチのオヤジさんが教えてくれる。心構えは必要だろ?」
嘘だ、それこそ倫理は……
「今から行くのが前から存在する本拠地。いつも二人が居た事務所の移転ではなく、ダミーでもない。潜入システムを管理し、表向きはデータ復旧会社を生業としている。株式会社 復屋だ。」
オオトリさんを雇った会社の情報と同じ……そもそも、これほど手の込んだダミーが必要なのか?
龍二さん達の風貌も……
車の辿り着いた先は、小さな会社。普通の中小企業にしか見えない。
正門は開け放たれた状態で、危機感などない高年者の警備員が見張りに立ち、田舎に馴染んでいる。
外観のボロい車も素通りで、敷地の奥へと簡単に侵入できた。
本当に、ここが?
車を降り、荷物を持ちながら周りを観察するが、別に変わったところなどない。
会社の中に入り、受け付けもいない状態で、呼び鈴の設置があるだけ。
一応、監視カメラはあるみたいだけど、警備の手薄さが素人にも分かる。
七刀さんの車と同じで、中身は違うのかと思ったんだけどな。
七刀さんの進む後を歩きながら、俺の観察する様子を見守るピナ。俺に話しかけようとはしなかった。
いつもと違う状況。
車の中での会話を聞いたからなのか?きっとピナは、俺の知らない何かを知っていたのだろう。
隠された情報、心構え、大人が常に語ってきた倫理……
エレベーターに3人が乗り、ドアが閉まると閉塞感。
七刀さんは1階と2階のボタンを同時に押し、屋上のボタンを押した。するとエレベーターは、表示のない下へと移動する。
……隠された階。
下りる時間は長く感じた。
到着して開いた扉の向こうは、最初に想像していたような警備が厳重で、機械的な部屋。
張り巡らされた鉄の壁と天井。無機質な音が響く床。
「俺は、この先に行けない。『真っ直ぐ進むように』と告げれば役目終了。サキチ、頑張れよ。」
七刀さんは方向転換して、来た道を戻って行く。
俺はピナの様子を確認した。
「サキチ……」
不安そうなピナに、俺は苦笑をしたような気がする。
「ピナ、ここで止まっていてもしょうがない。先に進もう。」
俺は荷物を抱え直し、ピナの前を歩く。
狭くて長い通路には、幾つもの部屋のドアが等間隔に設置されていた。
突き当りはドアなどない行き止まり。
「ようこそ、復屋へ。」
声と同時、ドアのない壁に薄い線が生じて、徐々にドアを成形していく。
合成のような光景。
緊張が包み、喉の渇きに唾を呑み込んだ。
ぎこちない足取りを自覚しながら、歩を進めていく。
暗い闇を通り抜け、明るみに安堵と恐怖を同時に覚えるなんて。
慣れない目を閉じ、足を止める。
背に当たるピナとの衝突。謝る余裕もない。
「サキチ、心配はいらない。早く来なさい。」
聞き慣れた声はオヤジだった。
目を開け、その姿を確認して落ち着きを取り戻す。
その隣には、先ほどの声の主だろうか。30代くらいの男性がPCの並ぶ機材を触っている手を止め、振り返る。
オオトリさんよりは年上だろう。
オヤジとの距離を縮め、怒りが生じて殴りつけた。
今までにしたことのない暴力的な衝動に、混乱と動揺。
そんな俺をオヤジは抱き寄せ、殴ったことなど当然のような受け入れた表情を見せる。
何故……!
悔しさと自分の中の理解できない複雑な想いに涙が零れた。
「お前を護ろうとする度、傷つけてしまう。それが私への罰なのか……すまない。許してくれなど言える筈もない。」
……罰?
それが何の罪に対するもので、俺も関係していることなのだろうか。
この年になり、抱きしめるオヤジは小さく感じ、震えているのが何なのか、ただ……流れた涙の渇きに通る風が、地下だからなのか冷たく思えた。
「統さん、俺は後で話しましょうか?」
気を遣いながら小さな声で呼びかける。
この人……
オヤジは俺からそっと離れ、曇った表情を見せた。そして視線を俺から男性に移す。
「いや、システムの鍵の説明は、君が相応しいだろう。」
オヤジに促され、複雑そうに口を開いた。
「はじめまして、俺は潜入システムエンジニアのタケ。君達の潜入時に、システムの監視をしたり回廊の仕組みを分析したりするんだ。宜しく。」
俺の知らない遠く離れたところで、そんなことが行われていたのか。
彼に手を差し伸べられ、ぎこちなく握手を交わした。
「人間は、シナプスの働きで情報が伝達されると過去の記憶と結びつく。そもそも、脳細胞の活動によって発生する電位変化は脳電図で測定でき……その記録があれば、システムが無くても潜入は可能。」
システムが無くても人の夢に潜入できる?そんな事が……
「それを実証したのが、彼……君の知っているオオトリさんだ。事務所のダミーを作成し、罠と知った依頼に応じた結果……我々のシステムを熟知した人間が、実験と称して潜入。不可抗力……とは言い難い。結果がすべて。彼は、何らかの記憶操作の影響か、目覚めない。」
情報量と感情の処理に頭がついていかない。
オオトリさんは、あれから目覚めていないのか?
「待ってくれ。その、俺……自分の夢に戻る途中で、見たんだ。オオトリさんの夢に居る奴。同じ高校の女子生徒。制服は間違いない。見覚えのある生徒に似ていた……多分、ナルだ。確証はないけれど。」
彼女は潜入から現実に戻っていた。
オオトリさんに何をしたんだ?
夢をコントロールする能力『小片遊戯』で、記憶の復旧を行うピース・ プレイヤー。
……この潜入ゲームは倫理を侵す……この復屋のように。
俺は、この能力を封じるべきなのか?
俺は目覚めないオオトリさんを救出できるだろうか……