MISSIONE 1:お気に入りのおもちゃ
13時……
依頼者が、通信機の組み込まれたヘッドフォンで『ヘミシンク』効果を応用した特殊な音楽を聴くと、該当者の夢が『潜入システム』にマウントされる。
事務所に鍵を掛け、電話線のコードを抜いた。準備を確認し、緊張が走る。
静かな事務所でオオトリさんと俺は、それぞれ長椅子に横になりヘッドフォンを装着した。
オオトリさんには、自分の夢に出現するドアを開けて中に入り、5分ほど待機して欲しいと伝えている。
耳から入る音は何度聞いても、不思議で異次元な感じ……それ以外に言い表せないのは、語彙の所為ではないだろう。
右脳と左脳に異なった音が、バイノーラルビートという音響(うなり現象)で、変性意識状態にする原理。
強烈な睡魔に誘われ、暗闇に落ちるように意識は沈む。
まず自分の夢に入らなければ、依頼者の夢に潜入することが出来ない。
そして、具現化は自分の夢でしか行うことができないといわれている。なので、具現化した物体を相手の夢に持ち込むためには、事前に依頼内容から慎重に推理する必要がある。
『アトラクタの箱』を開けるには鍵が不可欠。
90分の制限内に、1年を境に階層化されて古い記憶ほど深くなっていく夢の回廊を探さなくてはいけない。
今回の依頼は最近の事。探す範囲が狭くて助かる。
今回、俺の選んだアイテムは『コードレスの呼び出しチャイム』
多分、来客時に『おもちゃ』を、どこかへ置いたのだろう。
『アトラクタの箱を開ける方法』は、特定の記憶を思い出させる脳の高次領域から同時に加わるトップダウン信号が具現化され『アトラクタの箱』を開ける鍵となる。
人間はシナプスの働きで情報が伝達されると、過去の記憶と結びつくらしい。神経科学とか、俺にはムリな世界。
結論は、箱の中身と共振する記憶ピースを探す事!
潜入捜査で自分の夢に入る度に、疑問に思う。
何故か、中等部のセーラー服姿のピナが必ずいるのだ。
「ひ、さ、し、ぶ、り。だね、サキチ?」
夢ピナは軽やかに何度か跳ねて、ピースを俺に向け、満面の笑顔で首を傾げた。
3年前でさえ、こんなテンションを見たことがないぞ?夢心地で手を出したのとは違ったドキドキの誘惑。
俺の作り出したピナなのか、システムのオヤジの操作なのかは分からない。
「俺は、お前の助けなしではアイテムを作れないのか?」
夢を、夢と自覚することで自由に物体を出現させる。そう、この夢ピナが俺の具現化を補佐するのだ。
現実世界で固定化された潜在意識が妨げとなり、明確なイメージが構造の難易度に左右される。
ピナの独創的な発想力が、俺の夢の中でも色濃く、鮮やかに照らしだす道筋。
「うん?ふふっ。くすくすくす……私が必要ないの?寂しいことを言うのね。ね、サキチ……さぁ、両手を出して。私の手に重ねて、息遣いを頂戴。」
夢ピナに促されるまま、彼女を受け入れて具現化に集中する。呼吸を合わせ、甘い一体感を味わう。
「サキチ、イメージして。何が見える?」
夢の中だから、目を閉じるわけではない。手の平の上にあるのだと仮定するところから形成していく。
「形はファミレスでよく見るワイヤレスチャイム。構造が分からない。100均で売っていた簡易のドアチャイムのように、押せばなるのだとイメージすれば具現化できると思うんだ。」
ピナはクスリと笑う。
「で?私の助けは必要かしら。」
悔しいが、これが夢だと分かっていても、構造の理解できない物を具現化する抵抗は拭えない。
「……秘成……君の、独創的な世界を見せて欲しい。」
俺の願いに、頬を染めて微笑む。それは、昔から今も変わらない俺だけに向ける笑顔。
【ドクンッ】大きく脈打ち、心惹かれる。
「サキチ、これは夢なのよ。ほら、ね?」
ピナは軽々と、背伸びして俺の唇にキスをした。
そうだ、夢でないと……ピナとキスなどしない。
触れた柔らかさも感じない夢……愛しさと胸を締め付けるような切なさ。
「うん、夢……自分の思い通り。構造は、昔に学んだ理科の実験の応用で十分。豆電球に光が灯るのと同様……音が」
手には、光を帯びて小さな形状の『コードレスの呼び出しチャイム』が出現した。
「ピンポーン」
押すと単純な音が響いて具現化に成功したのと同時、ピナの姿はなく……依頼主の夢に繋がるドアが目の前に現れた。
その中に入ると、待っていたオオトリさんが俺を見つけて、不安そうな表情から一変させて笑顔を見せる。
だよな。
依頼主の夢はシステムの瞑想回廊にマウントされ、俺達の潜入は90分の時間制限。
「オオトリさん、夢に入る時……何をイメージしました?」
俺の質問に、首を傾げて不思議そうな顔。必要最低限の情報では、こんなものか。
「すみません、説明不足でした。依頼内容を覚えていますか?」
今度は俺の質問に即答する。
「玩具探し。」
「それは、どこで失くすと思いますか?」
「家の中だろうね。」
そう、そこに潜入出来れば時間の短縮が出来たのに。
「ここは、どこでしょうね。」
「商店街かな?」
依頼主の夢だから、歩けばいつかは家に辿り着く。それが回廊の良い所。
だけど、依頼主の記憶量が多くて鮮明で、好奇心旺盛な人であれば1年の階層も広くて遠い。
「走りましょうか、真っ直ぐ……依頼主の心を占めているのが、赤ちゃんのおもちゃであるなら家に辿り着けます。」
俺は、障害物も気にせずに真っ直ぐ走る。
これは夢
……記憶の回廊……
正面に『アトラクタの箱』が見え、足を止めた。
後ろから目を閉じた状態で、走って来たオオトリさんが『アトラクタの箱』に衝突して停止。
痛みはないし、死なないから大丈夫だろう。
「痛い……。」
打たれ弱いのか、想像力が豊かなのか笑えないな。
「オオトリさん、着きましたよ。ここが依頼主の家です。」
オオトリさんは周りを見渡して、遠慮気味に訊いた。
「人はいないんだね。」
「夢は人によって、違う。大切に思う物が……見方や感じ方の相違です。」
俺は彼を見る。
オオトリさんは、『アトラクタの箱』を見下ろし、視線は冷たく……無言。
「時間がありません、情報を集めましょう。『赤ちゃんのおもちゃ』は、この2LDKのどこかにあります。」
話しかける俺に視線を向けてから、周りを見渡すオオトリさん。
「この箱、ぶつかっても全く動かなかった。何で開くの?」
洞察力が優れている。
「『赤ちゃんのおもちゃ』の所在を思い出せる記憶が鍵になります。失った記憶にも、失くすまでの時間的な繋がりがあるはずですよね。」
「あぁ、なるほど。“きっかけ”を探すんだ。記憶の糸口……匂いや味で、記憶が甦ることもある。」
この人は、ピース・プレイヤーに相応しいと思うのに……何かが欠けているように感じる。
「お母さんなら、家事の流れに、“きっかけ”があると思う。さ、何からすればいい?俺、独り暮らし歴が長いから役に立てるよ。」
一瞬の違和感を吹き飛ばすような純粋な笑み。
「……では、掃除をするなら何を優先させますか?」
オオトリさんは、台所に向かう。
「ん~、赤ちゃんがいるなら衛生面は大事だよね。」
水回りを確認。
「何これ、指輪がジグソーパズルみたいな形に囲まれている。キラッとリアルに光るのに、絵?」
記憶の欠片。
「オオトリさん。俺達の仕事は、こんなピースを探す事です。ピースの中心は、あの箱に入っているので……この大きさだと3つ。角の部分があるくらいですね。」
オオトリさんは好奇心なのか、目を輝かせる。
「この依頼主、どこへ行ったか分からなくて、探す物が多いんだろうね。同じ系統が“きっかけ”なのか、任せろ。俺、自慢じゃないけど同じ事をするぜ。」
……俺は大抵、置く場所を決めているから滅多に探さない。必要な物以外は増やさないし、置かないからな。
冷めた俺を置いて、次々にピースを見つけていく年上の男性。
手元には、指輪・眼鏡・印鑑・カギのピース。
ピースは揃ったが、『アトラクタの箱』を開けるには、鍵として力不足。
大きなピースの場合、不規則なパターンで、別の共鳴を必要とすることがある。
単なる“きっかけ”では、記憶の復旧に不可欠な要素が足りない。
要になる記憶のピースは、今回のアイテムに共鳴するだろうか?
『アトラクタの箱』の上に、ピースを並べ、ポケットに入れていた『ワイヤレスチャイム』を押した。
「ピンポーン」
聞き覚えのある、何とも違和感のある音。
『アトラクタの箱』は光を放ち、中からピースが飛び出す。それは洗濯機の絵が書いてあるピース。
ジグソーパズルは完成。
他人が見れば不揃いな絵柄だが、依頼完了だ。
「え、どういうこと?」
不思議そうなオオトリさんと俺の前に、それぞれ、自分の夢に通じるドアが現れた。
「来客があって、『赤ちゃんのおもちゃ』を洗濯機の上に無意識で置いたんでしょう。フタを開けた時に、隙間にでも落ちたのか、依頼主には分かる情報ですよ。オオトリさん、お疲れ様!」
俺は、自分の夢のドアを開けた。
オオトリさんもドアを開けて入り、振り返る。
「あぁ、起きたら君の本当の名前を教えてくれ。俺の本当の名前…………」
ゆっくりと閉まるドアの隙間から、オオトリさんの夢にいる女の子が目に入る。
俺の高校と同じ女子の制服……オオトリさんに近づく彼女の横顔は、校内で有名な美少女、特進科のナルに似ていると思った。
この依頼が罠だと、倫理を語る大人たちが知っていたなんて……俺は…………