MISSIONE 3:さ迷う想いは夢の回廊を廻る
夢の回廊。
人は睡眠中に、得た記憶をさ迷い、思考と感情を振り分けていく。
年ごとに積み重ねられた階層を辿るのは、まるで回廊を廻る様…………
「システムは告げた。
在り得ないシステムの移行が現実に生じたのだと。
まるで夢をマウントするのと同様で、システムは繋がっているはずなのに全貌は見えないまま。
記憶を獲得しようとして、秘成の夢に潜入するなら逆に消滅する“かもしれない”。つまり、この方法で記憶の欠片が無事に手に入る保障は無い。
夢の中で、こんな会話は今までにしたことがないはずだ。記憶に残らない夢だった?それなら、記憶に残った情報には何の意味があるのだろう。
記憶の欠片はアトラクタの箱の中。
『そこは白く、その外は黒くて他者を遮断する』と聞いたけれど、誰が自分の夢に疑問を持ったりするだろう。夢に潜入して『アトラクタの箱』を開ける事はあっても、まして中から見る事など。それは倫理を侵す行為。
鳳城さんの『アトラクタの箱』を破壊した記憶の欠片……その『記憶にある事が身に起きる』。
自分から切り離された記憶の欠片が『アトラクタの箱』を破壊した。たった一欠片で、強力な影響力。
これらは『記憶の獲得には必要不可欠な情報』……そう、記憶は獲得可能。
『人の記憶は五感に左右される。視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚は記憶に残り、記憶を呼び覚ます。感情も同じ。このシステムは第六感に近いのかもしれない。揺さぶる感情に身を委ね、記憶の欠片を手に入れるのも場合によれば…………』」
この情報が自己防衛なのか何なのか、その判別もつかない程に理解を超える。
それを信用して立ち止まるのが賢明なのか、それは…………
システムエンジニアさえ、答えの出せない言葉に戸惑い躊躇する。
重い沈黙の中、口を開いたのは鳳城さんだった。
「サキチ君の夢に潜入して『アトラクタの箱』を開けるとか……駄目かな?
『アトラクタの箱を開ける方法』は、特定の記憶を思い出させる脳の高次領域から、同時に加わるトップダウン信号が『アトラクタの箱を開ける鍵』に具現化するシステム。
脳には、伝達された情報が過去の記憶と結びつく経路が存在する。その通過頻度が多いほど記憶に刻まれるから……記憶の共振、きっかけを与えれば……」
難しい理論を大人たちが組み立てていく。
しかし、正解の解らない答えなど出るはずもなく、行き詰った。
再び生じた無言の時間。
小さな声で暁子さんが呟く。
「『アトラクタの箱』を構成するシステムが自己防衛……中身はサキチ君の記憶の欠片、知られたくない事や隠したい事=“大切な人”と認識された情報……?」
俺の知られたくない事や隠したい事と、母や秘成に対する想いが表裏一体?知識のない俺でも、矛盾があるように感じる。
タケさんはため息の後、真剣な眼を皆に向けた。
「情報を得て話し合っても交錯するだけだ。それなら、この現状は強行突破すべきだと思う。俺は遮断する中と外の両方を一気に攻めることを提案したい。」
どちらかを試して失敗を恐れるより、少しの望みをかけて全てを試す……
中は破壊されるから駄目“かもしれない”。それなら今までと同様、外から開ける方法をシステムが情報に含めなかったのは何故だ?
自己防衛システムではないとすれば、やはり、俺は秘成の記憶を隠したいのか。
『嫌いよ』
その言葉が俺の頭を過った。
“自分から切り離した”情報が『アトラクタの箱』を破壊する……それは当然の事。
忘れたい記憶。消し去りたい思い出。それでいて、とても大切な想い。
俺は、どんな悲しい記憶も受け入れるべきだ。
過去に自分から捨てたのかもしれない。
けれど、目の前に居る秘成を失うなら……さ迷う想いは永遠に夢の回廊を廻らない。
「自分の事だから、決定しても良いよね。……俺は…………」
ミッション開始。
何度聞いても、耳から入る音は不思議で異次元な感じ。
左右のヘッドフォンから出る波長がわずかに異なる音。それが右脳と左脳に脳波を同調させ、『瞑想回廊』を使って脳波を変更。バイノーラルビートという音響技術で、変性意識状態にする原理。
強烈な睡魔に誘われ、暗闇に落ちるように意識は沈む。
ナルは『瞑想回廊』を使用せず、脳波を同調させるだけの簡易な方法で潜入した。それは『瞑想回廊』とは違って危険度が高く、潜入の制限時間も極端に短いと言う。
けれど、俺にマウントされたシステムに影響が出ないよう、秘成の夢に潜入するのは簡易な方を選択した。
危険度が高くても、何度も潜入したナルは無事で居る。
『瞑想回廊』では、まず自分の夢に入らなければ依頼者の夢に潜入することが出来ない。
それに比べて簡易な方法は、事前に潜入する相手の脳波データを用意するので、自分の夢を介さずに潜入できる。
つまり、時間制限が近づいた時に脳波を変えれば……俺は自分の夢に移動。
そして自分の夢にいた秘成は、『瞑想回廊』を使って俺の夢に潜入できる。
鍵の秘成が遅ければ、『アトラクタの箱』は破損……それを回避するため、俺の夢を『瞑想回廊』にマウント。
俺の中に存在する『アトラクタの箱』は、『瞑想回廊』と、システム上は繋がっている。
上手くいけばシステム回復。上手くいけば…………
いつもの感覚とは違うけれど、辿り着いた先は桜が満開の景色。
ここは寮から学校へと向かう道で、男子寮と女子寮から来た生徒が入り交じる場所。
俺の記憶にあるのは中学1年の入学式……これは秘成の入学式の記憶なのか?
俺は2年生以降、どうしていたのかな。記憶に残っていないのか、忘れたのか。
『あの告白は、中学校入学の日だった。桜が満開で、ウキウキするような高揚感だったのを覚えている。鏡に映った私をイメージして、再現をサキチに見せる事が出来ればいいな。』
上から聴こえた声に目を向け、突き抜けるような青空に雲はなく太陽も存在しない。
ここは秘成の夢の中。
物音に目を向け、視線は釘づけになる。
突風になびく髪を手で押さえながら、微笑みを桜の木に向けた少女。
それは桜吹雪に包まれた中学生の秘成。
あの白い世界に居た女の子。
息を呑む。
何かに突き動かされるような衝動。
それを表現したように、俺の横を駆け抜ける人影。
中学の制服を着た男子生徒は秘成に近づき、ひざまずく。
「俺と付き合ってください!」
…………ま、さ、か?こいつ……
『ふふ。情熱的な告白に、罰ゲームなのかと冷たく反応したのが懐かく……切なくて、悲しい。』
言葉の途中で声の変化に感情が表れ、俺の胸を締め付ける。胸元の服を掴み、ギュッと力を入れる。
「無神経な人は『嫌いよ』」
夢の中なのに、突き刺すような痛みを味わう。揺さぶられる感覚。
「友達とか……せめて、名前を教えて欲しい。」
彼は顔を上げ、視線を逸らすことなく言葉を続けているのがうかがえる後ろ姿。
目の当たりにした光景に、俺は彼の表情が気になり、見ようとして回り込む。
きっと今の自分も同じ顔をしているのだろうか。
苦しみと切なさが込み上げた。
必死な眼。手は胸元の服を握り締めて。
秘成は彼を見つめて、表情を和らげた後に苦笑した。
「私は秘成よ。」
名前を教えてくれたことで、どれほどの喜びを見せるのか、彼の瞳は輝きを放つ様に澄んでいる。
マジか。
こんな俺がいたんだ……待て、これは秘成のイメージだよな。……いくらなんでも美化され過ぎだ、ぞ?
「ピナッち!俺の天使、宜しくね。」
ピナッち、だと?
なんてダサいネーミングなんだ、過去の俺に失望した。
そこからは画像が早送りになったように、音も無く、季節と場面が移り変わる。
千弥に秘成を紹介する俺の姿。
「俺の彼女のピナッち。手を出したら、ブッ殺だぜ。」
そんな俺に、千弥は苦笑で秘成に挨拶をした。
「宜しく、ピナッち?」
「うがぁ!彼女をピナッちと呼んでいいのは俺だけだ!」
「ピナちゃん。こんな面倒くせぇ奴、見捨てれば良いよ。」
そんな俺達に、秘成は満面の笑顔を見せる。
笑顔を見た千弥に、記憶を消せと喚く俺。
場面は突飛も無く変化し、何の繋がりか記憶にはないが、オヤジとも同じやり取りを垣間見る。
思い出にもかからない記憶。
多分、本当は……秘成ちゃんとか言いたかったのが『ピナっ……ち』なんだろうな。
周りの奴らの方が、まともに呼んでいるような気がする。
秘成は、こんな俺に愛想も尽かさず……
夢の中は、急に暗闇へと変わる。
何が起きたんだ、一体。俺の記憶が消えた時なのか?
俺の前に表れたのは、秘成を抱き寄せる幼い俺の辛い表情。
『こんな事になるなんて。サキチの14歳の誕生日に、あんな事、言わなければよかった。』
秘成の表情は見えない。
俺の辛い表情が霞んで、モザイクがかかったようになる。顔は原型も分からない歪み。
これは、秘成の涙で歪んだ俺の表情を記憶から再現した結果なのか。
彼女の記憶に残っていないのか、泣き声は聞こえない。
「本当に、『何も分かってない。あなたは何も……』。……お願い、私だけを見て。“約束”よ……私以外の人に触れないで……」
「うん、約束する。ピナッち……君以外の人には触れないと。」
前にナルが俺に突然のキスをした時、秘成は言った。
『“また”油断した』と。
俺は、前にも同じような何かをしたのか。
『サキチ?』
上から呼びかける声に、先ほどまでの弱さを感じない。
漆黒の闇から一面の白い世界、これは……
『“約束”がシステムの要。マウントされた夢に触れ、同じ遺伝子の脳波が同調した』
俺の前に、中学生の姿をした秘成。
「サキチ、無事なの?お願い、答えて!私、間に合わなかったのかな?」
壁など存在しないのに聞こえる声。それは、目の前のピナからではない。
ここは俺の夢、システムにマウントされた自分の夢。「秘成、大丈夫だ!今のところ破損はない。……過去の俺と君との約束が、この世界を解放してくれる。何があったのか、教えて欲しい。」
白い世界、どこに向かって言えば良いのか分からないまま俺は叫んだ。
そして、俺の目の前にいる記憶の欠片に視線を向ける。
「鍵が外に居る。高校生の君だ。今の俺には秘成の夢が知識でしかない。……ここは『瞑想回廊』。俺は夢をコントロールする能力『小片遊戯』で、記憶の復旧を行うピース・ プレイヤー。さぁ記憶の欠片よ、俺に応えて欲しい。」
…………そこは夢の回廊。
人は睡眠中に、得た記憶をさ迷い、思考と感情を振り分けていく。
年ごとに積み重ねられた階層を辿るのは、まるで回廊を廻る様…………
end
エピローグ:追憶
「サキチ、ピナちゃんだぞ?冗談はやめろ……まさか本当に忘れたのか?お前にとって彼女は、とても“大切な人”なんだぞ!」
男の呼びかけに、息子は視線の定まらない眼を向けて微笑んだ。
「『大切な人』?…………そうね、“約束”はしない。だって、守れるか分からないから。だから……ふふ。“約束”しましょう?私が『約束を覚えているか』と尋ねたら、必ず、『覚えていない』と答えて欲しいの。』
END




