獲得
白い世界。
そこに居るのは中学生のピナ。
「サキチ、失った記憶を獲得するには注意が必要だよ。」
記憶の獲得……それは。
「君は失った記憶の欠片……それともシステムの一部なの?」
俺の知っている高校生のピナとは違う雰囲気に違和感がある。
システムに関する知識で、しかもそれは重要なピナの知り得ない情報。
彼女は更に雰囲気が変化して、俺の知らない秘成の表情。
「正解など、誰に分かるだろうか。ワタシは『瞑想回廊』の要。『アトラクタの箱』を構成するシステム。名など無い。更新プログラムは7年。つまり、この姿を保っていられる年数は……」
何を言っているんだ、これは。
俺の反応に説明は止まって、首を傾げる素振り。
面影、小さな癖など再現され、確かに過去の秘成なのだと分かる。
俺の失った記憶の欠片なのに、システムの要?俺の夢、記憶に『アトラクタの箱』を構成するシステムだと?
「何に困惑している。記憶の獲得には必要不可欠な情報。在り得ないシステムの移行か……夢をマウントするのも同様だと、タケは言った。」
「タケさんが俺の夢に潜入したのか?」
そんな事、一言も……
「ワタシはシステムで繋がっている。サキチ、記憶を獲得しようとして彼女の夢に潜入するなら……ワタシは消滅するだろう。しかし、それで記憶の欠片が無事に手に入るかは保障できない。」
ピナの夢に潜入して、記憶を取り戻すどころか永遠に失う?
今まで、こんな会話など一度もしたことがない。
ピナが不安に感じていた事なのか。
更新プログラムで、この記憶の欠片も消える……なら、以前に消えたのは……母さんの記憶なのか。
嘘だろ。
「サキチが失った記憶、記憶の欠片は『アトラクタの箱』の中。ここは白く、この外は黒くて他者を遮断する。」
俺は、自分が夢を見ないのだと思っていた。
だから、自分の夢が常に同じ景色で、単調なのだと。
気付かなかった。
夢に潜入して、『アトラクタの箱』を開ける事はあっても、中を見る事などない。
ナルが鳳城さんの夢に現れた時、『アトラクタの箱』を破壊した……あれは。
「記憶にある事が身に起きる。」
落ち着け、冷静になるんだ!つまり、あの時の状況を整理すれば……
「あの時、ナルは記憶の欠片を持っていた。それは、鳳城さんが自分から切り離して渡した物。ナルの潜入方法は分からないけれど、『アトラクタの箱』の中に現れた結果、その中には存在しない記憶の欠片が投入され……破壊…………。」
そうだ。あの一欠片で、全ての『アトラクタの箱』が開くほど。
そんな記憶の与える影響を目の当たりにした。
もし、このシステムの言う様に、失った記憶をピナの記憶を借りて投入するなら……どんな影響が出るだろう。
俺は、記憶を失ったまま……更に、数年後には更新プログラムで忘れる。
次ここに入るのは、今の……。
「時間がない。ワタシが告げるのは、記憶の獲得には必要不可欠な情報だと言った。」
記憶は獲得できる。
それは……
「人の記憶は五感に左右される。視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚は記憶に残り、記憶を呼び覚ます。感情も同じ。このシステムは第六感……知覚に近いのかもしれないとタケは言った。」
感情が記憶を揺らす。
「……時間切れだ、サキチ。揺さぶる感情に身を委ね、記憶の欠片を手に入れるのも場合によれば…………」
白い世界。
中学生の姿のピナが霞んでいく。
それは夢からの目覚め。
寝ている俺を見下ろす高校生の秘成から、大粒の涙が降ってきた。
手を伸ばし、頬を伝う涙を拭う。
「泣かないで、笑っていて欲しいんだ。」
この愛しさも機械的に削除されるなど……それが実際、過去にあった。
どれほどの痛みと悲しみを与えたのか。
「ごめん。そうだ、分かっていない……俺は、何も分かっていなかった。」
起き上がり、秘成を抱き寄せる。
「……っ。ぅっ……うっく。……ふっ……」
声を殺して泣きながら、震える小さな身体。
この貴い記憶さえ……
胸元で泣き続ける秘成の頭を撫で、髪をすいた。
サラサラで冷たく、指をすり抜けて落ちながら甘い香りを発する。
生れる感情は言い表せない。
息も詰まるような痛みを与えるのに、甘くて幸福感に包まれる。
「秘成、好きだ。過去の俺は、そんな感情を素直に伝えていただろうか……今のこの記憶さえ忘れてしまえば、君は……」
俺から去ってしまうだろうか。
今ある記憶をも失う事を恐れ、取り戻せるかもしれない記憶の欠片も諦めるなど……
可能性の見えないシステムに人生を左右される。
オヤジの言っていた罰なのか。
過去に何があったのかも、俺には知る勇気がない。
怖い……恐ろしくて、自分を見失いそうだ。
今の俺、過去の俺は……。
ベッドの周りをぼんやり照らす程度の照明が、徐々に明るくなっていく。
秘成の部屋で意識を失ったから、そのままの場所だと思っていた。
しかし、それが別室なのだと分かると、思わず周りを見渡す。
俺、素で何をしたんだ。
部屋は機材が並んでいて、潜入できる環境なのだと理解できる。
人気は無いがタケさんの管理部屋。
タイミングよくタケさんが、音も無く開くドアから入って来た。
その後ろからは鳳城さんが、必死の表情で何かを伝えている。
秘成を、ベッドの端に座らせ少し距離を置いた。
秘成は涙を自分で拭って、微笑む。
俺は、その表情にドキッとして、くすぐったいような照れが生じた。
「気が付いたんだね、サキチ君!心配したよ。」
俺に近づいた二人は、互いに顔を合わせ、言いにくそうな表情。
「何か、あったんですか?」
タケさんは、鳳城さんに先に述べるように促した。
「……どう言えば良いのかな。夢で、俺……ナルちゃんに助けを求められたんだ。」
ナルが鳳城さんの夢に、また潜入したのか。
それも、助けを求めるって……
「それ、罠とかじゃ?」
「俺も、そう思ったんだけどね。短時間に、情報だけを述べて消えたんだ。」
危機迫る状況でのナルが救助を求め、選んだのが潜入?
それは余裕があるように感じるのは、潜入方法を知らないからだろうか。
今度は、タケさんが口を開く。
「それに、その……」
視線を向けた俺の眼を避け、タケさんは言葉を詰まらせた。
緊迫感。
「実は、博士……サキチ君のお父さんが……行方不明なんだ。」
行方不明って……頭が真っ白になる。
「な、何が……」
言葉が続かない。
「鳳城くんの夢へのミッション終了後、ナルの潜入に関して、博士は何かを思い出したみたいなんだ。目立つからと、護衛も付けずに『神経科学研究所』に行くと。今、龍二さん達が捜索中だ。」
龍二さん達が捜索?
「タケさん、警察には連絡をしていないんですか?」
俺の問いに、視線をゆっくり向けて強張る表情を見せた。
「……『神経科学研究所』が爆破されたんだ。その所有者の博士が、何故か犯人として指名手配されている。」
…………言葉を失い、理解不能。
分かるのは警察に、助けを求める事など出来ない事。
茫然とする俺の前で、タケさんは誰かに電話をかけた。
声が耳に入らない。
その電話の相手が龍二さんだったのか、鳳城さんが電話を代わって、情報を伝えている。
「……駅の近くのビルとしか、ただ、そこで……」
駅の近くのビル。
その情報だけが耳に残り、記憶が過る。
「俺、その駅が分かるかもしれない。同行します!」
俺の言葉に、静まる部屋。
タケさんは鳳城さんに、状況を説明してから電話を切るように指示した。
「サキチ君、それは駄目だ。許可できない。サキチ君の中には、システムの要が存在するんだ。ナルは、それを狙う組織に利用されていたんだろう。本当の狙いは君なんだよ。」
俺は、どこまでシステムに邪魔されて生きるんだ。
俺は携帯で龍二さんに連絡する。
繋がったと同時で、間髪入れずに言い捨てた。
「龍二さん、俺を連れて行って。オヤジを守れなかった人が、俺も守れなかったなんて言えないよね。俺は、オヤジの居場所が分かる。」
電話の向こうで、大きなため息。
「分かった。迎えに行くから準備しろ。」
不機嫌な返事をした途端に通話終了。
俺の行動に、戸惑うタケさん。
ごめん、こうでもしないと……俺は自分と闘えない。
記憶の獲得には障害は付き物。
失う事への恐れと、得る事への希望を胸に。
何も知らずに終わりたくない。
必ず得てみせる……
システムからの解放と、秘成との過去の記憶を。
記憶の欠片を手に入れたい……記憶の獲得…………




