ヘミシンク
徐々に開いていく扉から目を逸らし、ピナの様子をうかがう。
目に入ったのはピナの後姿……両手が顔の辺りで頻繁に動き、涙を拭う仕草。
言葉を探すが見つからず、急かす想いで方向を変えるが間に合わない。
吸い込まれる様に自分の夢へと戻って行く。
一面の白い世界。
先ほど俺を嫌いだと言った、中学生のピナが待つ場所。
夢の移動を終え、役目を果たした扉は消えていく。
中学生のピナは俺の前に現れ、何事も無かった様に微笑んだ。
これが記憶だからなのか?それは……いつの事?
「おかえり。お仕事、オツカレサマでした。」
思わず笑みの出るような棒読み。
「うん、ただいま。ピナ、ここは……」
俺の『アトラクタの箱』の中なのか知りたい。
俺の言葉を遮るように、ピナは俺の唇を指で押さえた。
「誰に触れたの?この唇……“また”油断したのね。本当に、『何も分かってない。あなたは何も……』。無神経な人は『嫌いよ』……お願い、私だけを見て。約束よ……」
…………約束?
「“約束”がシステムの要。マウントされた夢に触れ、同じ遺伝子の脳波が同調した。」
これはピナじゃない。
俺の反応に何を感じたのか、彼女は指を俺の唇から退ける。
訊いて、答えてくれるかは分からない。
「君は誰なんだ?」
俺の問いに、不機嫌そうに首を傾げて苦笑。
「『私は秘成。あなたはピナと呼ぶよね?』」
前と同じ答えで、何かが引っかかる言い方。
何か意味がある?秘成・ピナ……どこかで俺は……
俺も夢からの目覚め……視界が薄れていく。
どうして笑顔に出来ないのだろう。
夢の中にいる過去のピナも、今のピナも。どうして……
願いは叶わない。それは“約束”を忘れているからなのか?
俺の母親……
『アトラクタの箱』にも居ない。
まるで塗り消されたように、真っ白な世界……
『まだ……忘れ……“また”私を……』
そうだ。あの時、意識が遠退く前……ピナは泣きながら言っていた。
『う、そ。どう、して?まだ、だよ?いや、だ。忘れたの?消しちゃったの?ね、サキチ……“また”私を……』
そして、俺が呼んだ愛称は…………
目に入るのは無意識に浮かんだ涙で霞む無機質な天井。
起き上がり、涙を拭いながら周囲を見渡したが居ない。
「ピナッち……?」
無意識で出た言葉と同時、耳に入る大量の落下音に驚く。
「サ……サキチ、思い出したのか?」
近くに居たオヤジが手にしていた機材を落としたのか、床一面に散らばる残骸。
「今、俺は何か言った?……記憶にない。」
俺の返事に、オヤジは表情を曇らせる。
悪い事をしたようで、謝りたくなるような状況。
「ピナちゃんは別室に居るよ。それと……鳳城くんが目覚めて、サキチに会いたいと言っている。どちらでも、サキチの選ぶ順に会いに行くといい。」
オヤジは言葉を濁す様に選択肢を俺に委ね、機材を片付け始めた。
『瞑想回廊』のシステムだろうか、タケさんが傍らでPCを操作している。
「タケさん、システムの要は何?」
“約束”?“同じ遺伝子の脳波が同調した”?
……あの白い世界が『アトラクタの箱』であるなら、何故、今の俺に記憶があるのか。
ナルの『倫理を侵せると証明した』という言葉。
それは何を意味するのか。
俺の質問に、タケさんは手を止めずに答えた。
「要……システムに最も大切な物は、『アトラクタの箱』だと思うよ。」
……だと思う?
システムを管理する人が、そんな曖昧な答えなのか。
「……納得がいかないのは俺も一緒だよ。鳳城さんのマウントされた夢は、システムを通じて俺も見ていた。ナルの侵入した方法も検証済み。『倫理を侵せると証明した』とは言い難いな……このシステム『瞑想回廊』には『アトラクタの箱』が存在しない。」
システムに大切なのは『アトラクタの箱』で、それがシステムの『瞑想回廊』には存在しない?
矛盾のような事実……それはエンジニアのタケさんが納得できない事。
では、要は何処に…………まさか、そんな現実離れした事が起き得るのか?
「もともと、このシステム自体がオカルトじみている。ヘミシンク、瞑想など……。」
確かにそうだ。
説明を聞いた時点で、はぁ?何だよソレって、なったもんな。
依頼主に届けられるヘッドフォンには通信機が組み込まれ、『ヘミシンク』効果を応用した特殊な音楽を聴いた該当者の夢が、潜入システム『瞑想回廊』にマウントされるとか。
通信機やシステムは理解が追い付かず、潜入する事で無理やり納得した。
その『ヘミシンク』の説明も、左右の耳から波長がわずかに異なる音を聞くと、右脳と左脳の脳波が同調することとか、 ヘッドフォンから聞こえてくる音と瞑想の指示を使い、脳波を変更することで達成されるとか。
原理はバイノーラルビートという音響技術(うなりの技術)に基づく……
俺もピナの事は言えない丸暗記だった。
右脳と左脳の脳波が同調……更に“同じ遺伝子の脳波が同調”……
システムにマウントされていない俺に存在する『アトラクタの箱』。
同じ遺伝子……オヤジの罰……
システムにマウントをしていたのはオヤジで、俺は潜入したのか?
俺は夢に潜入できるピース・ プレイヤー。
ピスプレ……それは異変のヘミシンク…………




