白い世界に君が独り
次々と語られるシステムの概要……
自分の理解を超えて機能する思考。それに加えて不可解な、置いてきぼり感。
「サキチ、大丈夫?」
ずっと黙っていたピナが俺に呼びかけた。
タケさんの説明など遮るのを躊躇することなく、無視したように。不安な表情で俺に質問を繰り返す。
「気分が悪い?どこか痛むの?……苦しい?」
「ピナ、大丈夫だ。混乱していないと言えば嘘になるけど、自分でも不思議なほど……受け入れているんだ。この状況を。」
今回ほど難しくはないが、システムの概要を以前にも聞いた……はず。
いつ?記憶が…………
「サキチ!サキ……」
遠退くピナの声。
意識を失いかけているのか、漂うような感覚。この耳に響く音は……
駄目だ、繰り返しては答えが見つけられない。先には進めないだろう。
意識を集中し、体に力を入れる。
目を必死で開け、自分にすがって大量の涙を流すピナが視界に入った。
泣くな、頼む……前にも言ったよな、俺は「笑った方が好き……って、ピナッち?」
笑っていて、俺の隣で。ずっと一緒に居たいから、俺が笑顔にする。
「サキチ?今、何て……言ったの?」
何か?声に出していたのか?
「……ふっ。泣くなって、俺は大丈夫だ。本当に助けが必要なのは、オオトリさんだから。“まだ”……俺は。」
揺らいだ自分を支えているのがオヤジなのだと気付き、押し退けた。
システムの概要を知れば知るほど、矛盾は増えていく。
触れてはならない倫理。
「システムを壊すのが倫理だと、俺は思う。」
オヤジの方に体を向け、視線を真っ直ぐに向けて答えを待つ。
オヤジは同様に俺を見つめて答えた。
「……壊せない理由がある。そうだ、俺の願いなど叶えずに壊すべきだった。俺は倫理を侵しても取り戻さなければならない……。そのためなら何度でも罪を負う。……すまない。」
壊せない理由?
「サキチくん、その話は今回のミッションが終ってからにしよう……時間を置いた方が良い。君は気付いているはずだ……自分の異変に。」
タケさんの言葉で、一気に感情が冷めていく。体も冷たくなるような恐怖がジワジワと膨らんで、不安に押しつぶされそうになった。
「逃げたい……だけど、俺は行くよ。」
俺の決意に、オヤジとタケさんは潜入システムの調整に入ると言う。
俺とピナは、地下の施設にある休憩室へと移動した。準備が整うまで、そこで待機するためだ。
部屋の中まで進んで椅子に座り、部屋を見渡して茫然としてしまう。
小さな部屋に明るい光源。まるで、昼間のような暖かさを感じるほどの設備。
倫理と罪か……
俺とは違い、ピナは細々と動いている。
見つけた紙コップに保温になったコーヒーを入れ、分包されたミルクと砂糖を持って来た。
小さな机にコップを置いて、それらを放り込む。
「何を見ているの。砂糖は2袋いるでしょう?」
俺に尋ねる事もなく、当然のように答えたピナ。
砂糖2袋って、どうして知っているんだ?
俺は訊こうとして止まる。
自分を理解できない恐怖に導く何か……記憶…………
「ほら、温かいのを飲んで。少しは落ち着くから。ね?」
「ピナも飲めよ。ソワソワして、落ち着きがないぞ。」
ピナの手を引いて、座るように促した。
ピナは苦笑の後、何かを思い出す様に、ふっと笑う。
「何かおかしいか?」
ピナは微笑んだだけ。
その仕草が何故か嬉しくて、満ちるような気持ちに幸せを感じたんだ。
壊したくなくて、沈黙でコーヒーを口に含む。
砂糖の甘さで、苦みも打ち消されたようなコーヒーは懐かしいような気がした。
普段は飲まないはずだ。飲んだ記憶など……ない。
消えた……
『消しちゃったの?』
それは『また』起こり得る事。
壊せない理由。
「ピナ。」
呼ばれたピナは、俺に首を傾げた。
俺は何を告げようと思ってピナに呼びかけたのかな。
そんな疑問を打ち消すような放送が流れる。
『……ッ。システムの準備が整った。ミッションを始める。部屋はC-1。各自ヘッドフォンを着用の事。』
アナウンスは途切れるような短文で告げられた。
今から1時間半の潜入。
「行こうか。」
先に立ち、ピナに手を差し伸べた。
「うん。ね、サキチ……このミッションが終ったら、私の話を先に聞いて欲しいの。お願い……」
俺の手を握り、立ち上がるピナは視線を逸らすことなく見つめる。
心音が跳ねるように感じ、期待と不安が複雑に混ざる。
覚悟が必要だろうか。
「……あぁ、分かった。約束する。」
その言葉の後は、二人とも口を開くことなく部屋を移動した。
今から潜入するのは、記憶を改変されたオオトリさんの夢の中。
『アトラクタの箱』は、忘れてしまったり隠したりしたい記憶の具現。
開ける鍵は、特定の記憶を思い出させる脳の高次領域から同時に加わるトップダウン信号が具現化される『アトラクタ状態』だ。
『アトラクタの箱』の中には、パズルのピースとして具現化された『記憶の断片』。
その使い方によって記憶を覗いたり書き換えたりすることができる。
だが今回は、普段の潜入とは違う。
マウントされるのは、依頼されるような、探して欲しい記憶ではない。
オオトリさんの忘れた記憶や知られたくない事が、すべて出現する。
その記憶の海原から、改変された『記憶の断片』を探さないといけない。
海に紛れた砂粒……
それは、オオトリさんの忘れた事なのか、それとも、誰にも知られたくない事かもしれない。
それを、制限時間内に見つける事など出来るだろうか。まして、それを復元するなど…………
「ミッション開始!」
自分の夢で待つのは……
中学生のピナ。
「あらぁ~?いつになくサキチが真剣な表情で、私、クラクラしちゃう。」
唇に人差し指を当て、流し目で髪を揺らす。
「君は誰?」
「私は秘成。あなたはピナと呼ぶよね?」
このまま質問をすれば、真実は分かるのだろうか。
ここは俺の夢、俺の記憶……この真っ白な世界に居るのは中学生の秘成だけ。
それが事実。
「サキチ。オオトリさんの夢に行くのに、私の助けは要らない?」
この自分の夢でなければ、アイテムの具現化は出来ない。
未知の領域に何を持って行けばいいのか、推理しても無駄だろう。
それに……
「いや、今回の潜入には“君”が居るから。ね、ピナ……君は俺の事が好き?」
卑怯な俺。
「嫌いよ。」
彼女は無表情で答えた。
俺の時間が止まり、出現したオオトリさんの夢への扉が開いて、吸い込まれる様に移動。
『嫌いよ。』
前にも聞いたような気がする。
それは、俺の記憶?俺と秘成の過去?
彼女は未練なのか?
俺の近くに秘成が居るのは、記憶を失くした俺への憐れみ?
白い俺の世界に残された彼女は……ただ独り…………




