第3章
それぞれの持ち場へ帰る日は、思ったより早くやってきたわ。
私の家の生計は、父が毎日、夜遅くまで生地を裁断して、手縫いで背広を仕立てることで成り立っていたの。
母は病弱で寝たり起きたりだったし、弟は、まだ高校生だった。
私は、奨学金でT女子大の英文科に進学し、幸運にも学内選抜で、ボストンのR女子大に交換留学できた。
たとえ生活は火の車でも、将来の希望とあなたの存在が、そんな私を支えてくれていた。
でも、突然、父が脳梗塞で倒れて半身不随になり、私が母や弟の面倒を見なくちゃいけなくなった時、私は決心したの。
あなたとの恋を諦めようって。
だから、アメリカを発つ時、あなたに嘘の電話番号を言った。
帰れば、生活に追われる日々が待っている私と、お父様の跡を継いで、政治家としての栄光の階段を昇っていくだろうあなたとでは、やはり住む世界が違いすぎたわ。
あなたも、電話番号が嘘だとわかった時点で、その意味を汲んで、私を忘れてくれるだろうと思ってた。
でも、あの日、家の前で、こぶしを握り締めて、寒さに震えながら待っていてくれたあなたを見て、胸が張り裂けそうだった。
探し出してくれて、そして、本当に大事に思っててくれてありがとう。死ぬまで、この感謝の気持ちだけをたよりに生きていける・・・そう思ったの。
やっと、あなたへの想いを、生きる力に転化する元気が湧いてきたわ。
ずっと遠くから、相手を大切に想い続ける愛があってもいい・・・そう確信できたのよ。
それからの私は、寝る時間も惜しんで勉強して、空いた時間は、貿易会社のアルバイトをして頑張ったわ。そして、卒業すると同時に、アルバイト先の社長に求婚されて・・。
彼は、20歳も年上だったけど、温かい人柄で、母や弟に本当によくしてくれたの。
彼の経済力と理解のおかげで、私は勉強が続けられ、大学院で英文学の博士号も取得できた。
彼は、8年前に亡くなったけれど、私は、彼との結婚を後悔したことは一度もなかったわ。




