第1章
順子、元気かい?もうすぐ、あの日に戻るよ。待ってて欲しい。
僕は、もうSPもつかない自由な身だ。
これから、この5年間の総括を、自分なりに本にまとめるつもりだ。
それが終わったら、南米大陸をもう一度、青春時代の軌跡を辿りながら歩いてみたい。
勿論、君と一緒に・・・。
世間には、僕が独身だったから、支持率調査の鍵を握るオバサン受けがよかったんだと揶揄する人もいたが、秘められた僕らの恋愛劇場の存在を知ったら、何と言うだろうか?
変人なんかに愛された君は、好奇の視線に晒されて、つらい思いをするかもしれないな。
人は、死という時限爆弾を体内に宿して生まれてきて、100年を待たずして、確実に逝く定めだ。
僕の残された時間も、1桁台に突入したかもしれない。
だから、どうしても最終章への道程は、君と歩きたい。
航空券を同封した。
3月17日、僕らが32年前に別れたあの場所で、あの時間に待っている。
きっと、必ず来てくれると信じている。
洋次郎さん、やっと終わったのね。
いろんな中傷や批判の中で、あなたは決して揺るがなかった。
自分の信じたロマンを、ひるまず貫き通したわ。
「死んでもいい」・・って言い放った渾身の舞台、ずっとハラハラしながら見守ってた。
そして、私は、洋次郎さんのためなら「死んでもいい」と思ってた。
残りの人生は「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」なのでしょう?
許されるのならば、お供したいと思います。
僕は、大学を出て、少し会社勤めをした後、ボストンの大学に留学した。
政治学の勉強とは名ばかりで、実際は、それ以前の語学留学、いや遊学といったところだった。
だから、毎日よく遊んだ。
ある朝、二日酔いで、目覚ましにコ−ヒ−が飲みたくなって、カフェに入った。
だけど、エスプレッソを注文したのにカフェ・オレが出てきたんだ。
「It is not my order」と言うと、ウェイトレスは「二日酔いには、こっちのほうがいいわ」と平然と日本語で言った。
「何言ってんだ!。自分の間違いを棚に上げて居直るなよ!」と声を荒げると、相手は謝るどころか、「私は生活費と本代を稼ぐのに精一杯の苦学生なの。朝からお酒の匂いをプンプンさせてるお金持ちの留学生と違って、清く正しく、ついでに貧しく生きてるの。お金持ちは慈善が好きで、貧乏人に寛大なんでしょ。私が、このミスオ−ダ−が原因でクビになったら、あなた、心が痛まない?」
大きな黒目がちの目が、僕を見据えて言った。
そして、呆然と何も言葉が出ないでいる僕を残して、行ってしまった。
君との出会いは、こうして君が圧倒的に主導権を握るかたちで、始まったのだった。
それから、理由はよくわからないまま、僕は毎日、朝食をとりにその店に通った。
いつも君が注文をとりに来て、エスプレッソを頼むと、ニンマリと笑って、カフェ・オレを運んできた。
10日通いつめたところで、ついに敗北を認めて、カフェ・オレを注文すると、なんと、念願のエスプレッソがやっと出てきたんだ!。
そして、君が得意そうに「やっと降参?」と、初めて白い歯をみせて微笑んだ。
そして、なんと説明すればいいのだろう?・・。この瞬間、僕は崖から突き落とされてしまったんだ。
僕は、見事に、あっけなく、恋の樹海をさまよう流浪の民となってしまった。
君は、これまでの僕の周囲にいた女たちとは、全く違っていた。
負けず嫌いで、ストイックなくらいの努力家で、強い意志を持った女性だった。
でも、その反面、ちょっとしたことで涙したり、有頂天になったり・・・。
繊細で、ほとばしるような感性の持ち主だった。
頑固で、時々、憎たらしい君と、可愛くて抱きしめたい君が混在していた。そして、君は、とても綺麗だった。