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明かりのない夜と蝸牛

百個の話を書ければいいのですが・・・無理ですね


 雨が降っているわけでもなく。

 かといって晴れているわけでもない、そんな夜。

 特に月もかけている新月(しんげつ)の夜は、なにか雰囲気が悪くなるものだ。

 さらに明かりの少ない道となれば、何が出てもおかしくない。





越田(こしだ)武雄(たけお)―33歳


 帰り道、たいてい人間は疲れ切っている。それは俺も同じこと。

 電車に乗っているときはまだ気は張って、空元気のようなものは出てくるものの、駅から離れて家まで歩くときは精神も緩んで限界となる。

 まあ、それはいつものことだった。

 駅から家までは三十五分、その間には何か所か街灯が壊れている個所がある。

 近所では危ないといわれているらしいが、かといって誰かが犯罪に巻き込まれたわけではなく、警察も自治体も手を打っていないのが現状だ。

 実際自分もこんなところに税金を使うなと思っていた。

 繁華街(はんかがい)から遠いこともあり、うちの近所は当たりと比べると治安が良い。

 犯罪件数も少なく、それが理由で引っ越してくる人もいるとか。

 まあ、そんな場所だから、それゆえに自分はあまり警戒(けいかい)をしていなかった。

 時々人とはすれ違うものの、声をかけることなく通り過ぎるだけの毎日で、危機感(ききかん)を持つ所以などどこにもなかった。

 もっとも、警戒をしていたからどうにかなったものではないこともある。

 俺が巻き込まれたのもまさにそれだった。




 初めは、ただ何かあるなという感じだった。

 物陰に隠れるわけでもなく、道路の真ん中にそれはいた。

 見た目、形容しがたい様相だったが、俺はゴミかと思って通り過ぎた。

 実際、後で思い出してもそれはゴミにしか見えなかった。

 缶。空き缶が自動車にひかれたもの。ぺったんこにつぶれたそれである。

 くすんだ色の混ざった平べったいものが、そこにあった。

 大きさは……やはり空き缶ほどだった。

 通り過ぎて、歩き去って、しばらくしてそのゴミの形が気になった。

 色、形が似ていても、どこか違うのは本能的に分かったのか。俺は好奇心に駆られて振り返った。



 やはりそこにはつぶれた缶のようなものがあった。それだけだった。





 翌朝、いつもの早朝出勤。

 住んでいるマンションは都心から離れているゆえに広く、安い。それはありがたいのだがとにかく会社から遠いのだけは勘弁してもらいたくなる。

 まあ選んだのは自分なわけで、文句を言う筋合いはないことも理解していた。

 口に出さず自分の安い月給と交通の不便さを嘆きながら通勤した。

 特に意識はしなかったが、昨日の缶はどこにもなかった。

 まあ、そんなことは気にしなかった。たかがゴミだ。カラスでも持っていたのだろう。そう思って、駅へと向かった。


 その夜は、何もなかった。

 いや、実際には何かが起こっていたのかもしれないが、気付かなかった。

 その日は会社の飲み会があり、タクシーで帰宅するという、それも前後不覚の状態で帰宅するという結果となった。

 それゆえ、帰り道の地面に気を配ることなどはしなかったし、起きてさえいなかった。

 ベットに寝転んで、そのまま眠ったことだけは覚えている。


 そして翌日の夜。

 その日はあいにくの雨だった。

 ただでさえ暗い道は、電灯が照らしていないこともあって、真っ暗だった。

 もっとも、普段歩いている道ゆえに、おれは壁にぶつかったりすることはなく、頭の中に浮かべた地図に沿って道の真ん中を歩いて行った。

 時々ある街灯と、近くの民家から漏れ出てくる光を頼りに家を目指した。

 水たまりを踏むたびに、キュッと靴が鳴る。

 その状態が十分は続いただろうか。

「ギャッ」

 突然何かが足元で悲鳴を上げた。

 直後に、足に直接ぬるっとした感触が伝わってくる。

 やっちまった。(かえる)を踏んだな。

 ちょうど真っ暗なこの場所はすぐ近くに田んぼがあるはずだった。

 そこから出てきた蛙を踏んだ。

 家に帰って靴を洗うのが億劫だ。

 俺はそう思った。

「イタイイタイイィ」

 また、足元の何かが鳴いた。

「イ゜イ゜イ゜」

 まだ生きていたのか。いやな気持ちになって通り過ぎようと足を速める。

 十歩ほど歩いてから、先ほどの鳴き声が蛙のものとかけ離れていたことに気付いた。

「ギギキキキィ」

 後ろでは何かがまだ叫び続けていた。

 遠くからゆっくりと光が近付いてくる。

 トラックだ。

 パッとあたりがヘッドライトによって照らされた。

 俺は好奇心に駆られて、後ろを振り返った。


 一瞬見えたのは蝸牛(かたつむり)だった。

 しかし、そんなものではないことはすぐに分かった。

 まず大きい。

 人の頭の大きさはある。

 そしてドロドロのスライムに、牛の頭を生やした化け物の様相。

「イヒッヒィ」

 笑うそいつには気づかずに、トラックは通り過ぎた。

 サッとあたりに暗闇が戻る。

「ギギキィ」

 あたりに人はいない。

 俺は目の前の化け物と二人でいることに気付き、また、さっき見たそのおぞましさに鳥肌が立ったのを感じた。

「ヒィヒィ」

 さっきと比べて、叫び声の出所はこちらに近づいてきていた。

 同時にずるずると何かが引きずられるような音が聞こえる。

 こっちにやってくる。化け物が。

 逃げようと思うのに足は動かなかった。

 誰か来てほしいと思った。

 非力な女でもいい。

 だれか、自分を救ってくれと思った。


ずるずる


ずるずる


ペトッ


「あ…あああ」


 そいつはとうとう俺のところまでやってきた。

 ねっとりとした、冷たいものが足元を包み込んだ。

 終わった。もう逃げられない。そう思うと逆に緊張感が抜け、自然と足が動くようになった。

 とはいえ、ねっとりとした物体に絡まれ、歩くこともままならない状態である。

「ヒャヒャヒャハハハッ」

 近く、というより耳のすぐそばで、吐息と奇声があげられた。

 何かが近くにいるのに、怖くてたまらないのに、俺は逃げるという選択肢を失っていた。


ブゥーーーン


 地響きがする、頭が働かない。何の音だ?


ブゥーーーン


 く・る・ま。そう、車だ。

 先ほどと同じトラックだ。

 ひざ丈まで上ってきた何かが、身じろぎした。

 いけるかもしれない。

「キキキッ」

 泣き叫ぶ化け物の殻の部分をつかむ。

 つかんだそこは蝸牛のそれとは違い、柔らかく、ぬめっていた。

「グアァァ!!」

「うわあぁぁぁ!!」

 爪を立て、手に伝わる不快感を無視して握りしめた。

 そのまま、体から引きはがす。

 思ったよりも粘着力はなかったようで、あっさりとそいつは俺の体から離れた。


ブゥーーーン


()かれろ!!」

 そのままそいつをトラックへと放り投げる。

 先ほどと同じく、そいつはトラックの運転手には見えなかったらしい。

 回避行動もブレーキも掛けず、トラックは化け物に突っ込んでいった。

 

グチャッ

「……!!」


 俺には確かに、何か大きいものが引かれた音と、無言の悲鳴が聞こえた。

 トラックは何にも気づかず過ぎていく。

 ヘッドライトが遠ざかることで、またあたりが暗闇に包まれ始めた。

 真っ暗闇。

 俺はそのまま逃げだした。

 化け物の生死を確認しなかったことは今でも悔いている。

 だが、そのときはそんな余裕はなかった。

 俺はそのまま逃げ出して、走り続け、翌日の出勤まで寝ずに過ごした。

 翌朝、恐怖に駆られながらも、太陽の光に支えられて例の道を歩いた。

 そこには何もなかった。

 実際、俺には昨日何かが起きた証拠はどこにもなかった。

 家に帰って、ズボンが少し濡れていたことぐらい、それもすぐに洗濯してしまっている。

 夢だと思った。

 実際、非現実を現実と考えるのには、それもたった一度の体験で考えを変えるのには無理があった。


「あのー、すいません」

「え、はい」 

 そんな最中、誰かが後ろから声をかけてきた。

 振り向いた俺は、緊張で引きつった。

 誰だって警察官に呼び止められたら緊張ぐらいするだろう。

 俺も例外ではない。

「あのーおとといの夜、ここを歩かれましたか?」

「おとといの夜ですか?」

 夜、という言葉に反応しかけたが、おとといの夜はのんきに酒を飲み、タクシーで帰っている。

 その(むね)を報告すると、警官は、そうですか、とだけつぶやき、質問の対象をとの通行人へと変えた。

 何かあったのだろうか?

 そう思いながらも俺はそれよりも重大な問題、今夜帰りにここを通らなければいけないことに考えを向けた。

 向けたのだったが……

「昨日ここで水死体が見つかりましてね。ええ、近所の方ですが、田んぼに死体が埋まっていて見つからなかったのですよ。こんなところで水死体でしょ、事件性があるってことになってね……」

 後ろから聞こえた話に、思考が停止した。

 夜、水死、近所、もしかしたら、あいつの仕業か……

 あのまま昨日の化け物に身を任せていたらどうなっていたのかを聞かされているようで、寒気がした。

 足が止まった。

 夢じゃない、昨日のあれは夢じゃない。


 

 その夜から俺は会社に泊まり込み、夜中に帰宅することをあきらめた。

 その生活は会社近くの駅前にある、小汚いアパートに引っ越しするまで続いた。

 新しい部屋は駅前の喧騒(けんそう)が飛び込んできて騒がしい。

 しかし、決して帰宅中に一人ぼっちとなることはない。

 確かに、あの化け物はトラックにひかれたかもしれない。

 しかし、まだ生きている。

 俺はそう確信していた。

 だからこその防衛策。



 あの事件から二年、田んぼで起きた水死事件の犯人は捕まっていないらしい。








「終わりだ」

 越田は静かに言った。

 あたりはまだ明るい。

 だが、その声はかすかに震えていた。

 それだけ怖い体験だったのだろう。

「お疲れ様です」

「ああ、いや、ずっと誰かに聞いてもらいたかった。少し楽になったよ」

 私が珈琲(コーヒー)を差し出すと、彼の震えは収まった。

 静かな部屋の中で、彼は少し躊躇(とまど)ったのち、口を開いた。

「君はあいつが生きていると思うか?」

「あいつ、蝸牛の化け物ですか?たぶん生きているでしょうね」

「やっぱりな」

 やっぱりといいながら、その顔が少し恐怖に引きつったのが私にはわかった。

 きっと、彼は今日までずっとあの化け物におびえ続けてきたのだろう。

 このままでは少しかわいそうだ。

「でも、越田さまのところにはもう出ません」

「なぜ?」

 その問いには、勝手なことを言うな、という怒りも込められていた。

 それを理解したうえで、続ける。

「一度痛い目に合っているのですよ。また寄ってくるわけがないじゃないですか」

「復讐されるかもしれない」

「そんな知性があるように見えましたか?」

「……」

 彼も、もうわかってはいるはずだ。

 またあれに会う確率がどんなに少ないことかは理解しているはずだ。

 でも、怖い。

「もう夜ですが、もう少し残られますか?」

「いや、明日は仕事でね。もう帰ろう」

 私と話したことで、少しは気分が楽になっていればよいのだが……


がちゃん


 私の後ろで扉が閉まった。

「これで一話目ですか。百個集まるにはどれだけかかることやら」

 先ほどの語り手と違い、私には愚痴(ぐち)る相手は存在しない。

 狭い部屋に、珈琲の香りだけがほのかに漂っている。 





 



越田武雄 サラリーマン 二年前に化け物と遭遇、それ以来おびえて暮らしている。



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