3話
天正四年の春、堺に届いた文に、宗旦は目を見張った。
「岩鶴丸、元服す。信長公より偏諱を賜り、信綱と改名。左衛門尉に任官」
飛騨の国司家が、織田家との結びつきを明示した瞬間だった。宗旦は、文を握りしめたまま、焔硝の壺を見つめた。
元服式には立ち会えなかった。商人が武家の儀式に列することはない。だが、文の筆跡は信綱のものだった。
「父上が京の公家に幾度も文を送り、式部卿家から任官の道を開いてくださった。私は、飛騨の名を背負う者となりました」
後日、桜洞城で信綱がそう語った時、宗旦はその横顔に、少年の面影を探した。
「信」の字は、織田信長からの偏諱である。飛騨の独立を保つため、姉小路家は信長との外交を重ねていた。頼綱は、焔硝と薬草を贈り、朝廷には材木を寄進した。宗旦も堺から京への物流を担った。
「飛騨は、名で守る国です。武力ではなく、格式で」
父・宗悦の言葉が、今も耳に残っていた。だが、その格式は、時代の波に揺れていた。
天正七年、頼綱は松倉城へ移り、桜洞城を信綱に任せた。
「父上は、私に国を任せる気はありません。ただ、城を預けただけです」
信綱はそう言った。だが、城主としての責務は重かった。焔硝職人の管理、税の徴収、民政の監督。信綱はそれらを黙々とこなしていた。
天正十年六月二日。堺に届いた報せは、宗旦の胸を撃った。
「信長公、討たれる」
本能寺の変。織田家の崩壊は、飛騨の外交基盤を揺るがせた。信綱の「信」の字は、主を失った。
宗旦は飛騨への旅を急いだ。だが、美濃の関所は封鎖され、馬借も動けなかった。堺に留まり、情報を集めた。
「姉小路頼綱は、秀吉に従わぬ構えだ。柴田勝家や佐々成政と連携している」
京都の連雀商人がそう囁いた。宗旦は、信綱からの書簡を待った。
数日後、和泉屋に一通の文が届いた。信綱の筆だった。
「父上は、秀吉を信じておられません。飛騨は、誰にも従わぬ道を探しております。ですが、私は思うのです。名を持つ者は、名に責任を持たねばならぬと」
その文には、迷いと覚悟が混じっていた。
「信綱という名は、織田の名です。私は、飛騨の名を持ちたい」
文の末尾に、そう記されていた。宗旦は、信綱が改名を考えていることを悟った。
桜洞城を再訪したのは、秋だった。信綱は、焔硝蔵の前で宗旦を迎えた。
「私は、宣綱と名乗ることにしました。飛騨の宣を継ぐ者として」
その声は、静かだった。だが、確かだった。
宗旦は、焔硝の壺を見つめた。飛騨の産物が、名を変えた。だが、その志は、変わらなかった。




