表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千振の譜  作者: 双鶴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/7

1話

 飛騨へ向かう道は、子どもには過酷だった。

 和泉屋の荷は馬借に任せていたが、宗旦は父の宗悦に抱かれながら、峠を越えた。まだ七つの年。堺の町と違い、山は黙して語らず、風は冷たく、道は細く、空は近かった。


 「飛騨は辛い。でも、岩鶴丸に会えるなら行く」

 宗旦がそう言ったのは、後年のことだが、初めてその名を聞いたのは、この旅の途中だった。


 「桜洞城の若君は岩鶴丸と申される。殿様の嫡男だ。お前と同じ年だぞ」

 父がそう言った時、宗旦は山の向こうにいるその少年を想像した。武家の子。国司の家柄。だが、宗旦の胸に浮かんだのは、同じ年の子がどんな声で話すのか、どんな目をしているのか、ということだった。


 桜洞城は、飛騨の南に位置する。木々に囲まれた小高い丘に築かれたその城は、堺の町屋とはまるで違った。石垣は低く、屋根は黒く、空気は澄んでいた。


 岩鶴丸は、庭にいた。薬草を摘んでいた。

 「これは、センブリ。苦いけど、熱に効く」

 そう言って宗旦に差し出したその手は、細く、指先に土がついていた。


 「堺から来たのか。遠かったろう」

 岩鶴丸はそう言って笑った。宗旦は、うなずいた。言葉が出なかった。だが、岩鶴丸はそれを責めなかった。


 「父上は、焔硝のことばかりだ。火薬の土をどうするか、誰に売るか。私は、薬の方が好きだ。人を傷つけるより、癒す方がいい」

 その言葉に、宗旦は驚いた。武家の子が、そんなことを言うとは思わなかった。


 その日、二人は焔硝職人の小屋を訪れた。白川郷から来たという老職人が、土を混ぜ、糞を積み、水を撒いていた。

 「火薬は、土から生まれる。だが、火になるまでには、時間がかかる。人も同じだ。急ぐと、爆ぜる」

 岩鶴丸は黙って聞いていた。宗旦も、同じように。


 帰り道、宗旦は父に聞いた。

 「岩鶴丸さまは、殿様になるの?」

 父は少し黙ってから言った。

 「いずれはな。だが、殿様になるには、火薬よりも冷たい心が要る。あの子には、まだそれがない」


 宗旦は、そうは思わなかった。岩鶴丸の目は、冷たくはなかった。だが、深かった。山のように。


 堺に戻った後も、宗旦は岩鶴丸のことを思い出した。薬草の香り。焔硝の土。そして、あの言葉。

 「癒す方がいい」


 それから数年、宗旦は飛騨を何度か訪れた。だが、岩鶴丸とはなかなか会えなかった。戦の気配が濃くなり、道は閉ざされ、商いも難しくなった。


 だが、宗旦は待った。山の向こうにいる、あの少年が、どんな殿様になるのかを。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ