やあね、お父様とお母様は愛し合ってなんかいないわよ?
この名付けのパターンもそろそろ限界か……?
【短編の後書きとか解説とか】に公開してる人物紹介にヒロインである夫人の名前がない事に気が付きました!ヒーローの伯爵の名前があるのにヒロインの名前がないなんてダメですよねぇ。追加、修正しました。
【皆様のおかげで達成出来ました!】
2025/11/10(月)
[日間]ヒューマンドラマ〔文芸〕短編 1位
[日間]総合 短編 5位
「やあね、お父様とお母様は愛し合ってなんかいないわよ」
美しい調度品に囲まれた伯爵家の談話室。可愛らしい三姉妹に母である伯爵夫人が放った言葉は、夫人の温かな春の木漏れ日のような笑顔とは対照的に娘達を凍り付かせた。
しかし、彼女達よりも巨大な衝撃を受けたのは、夫人の夫である伯爵だ。妻とは結婚して20年。政略結婚ではあったが、互いに支え合い、信頼を深め、愛し合っていたはずだ。だが妻はこんなタチの悪い冗談など言う女性ではない事は、夫である伯爵が一番分かっている。
「お父様とお母様は社交界でも仲睦まじい夫婦として有名ではありませんか」
そう言ったのは、この家の後継のチョジョレナだ。既に次期当主として執務に励んでおり、優秀な婿も迎えていた。伯爵家は安泰だと、親戚からも評判だ。
「あら、愛し合っていないからと言っていがみ合う必要もないでしょう。ねぇ、旦那様」
いえ、自分は愛してますが。
優しげに微笑みながら妻は一体何を考えているのだ。
「でも、信じられませんわ。お母様はお父様にこんなにも尽くしていらっしゃいますのに」
「夫や婚家に尽くすことは貴族女性にとって義務の一つよ」
次女のジジョリーの言葉への答えは、さらに伯爵に打撃を与えた。
妻は結婚して以来、自分を公私に渡って支えてくれていた。晩年、体調を崩していた母に対しても、あれこれと世話をやき、母が亡くなり気落ちした父にも気を配り、妻のお陰で父は母の死から立ち直れたのだ。あんなにも献身的に尽くしてくれていたのは、ただの義務だったのか?
「本当に、これっぽっちも、お母様はお父様を愛していらっしゃらないのですか?」
真っ青な顔をして聞くのは末っ子のサンジョリンだ。この末娘が「お父様とお母様みたいに深く愛し合う夫婦になりたいわ」と言い出し、なんて可愛らしい事を言うのだと伯爵が幸せを噛み締めていたところに、妻の「愛し合ってない」発言が飛び出したのだ。
「ええ、砂粒ほどだって愛してないわ」
「そ、そんな、何故です」
「何故?だって、お父様が結婚した際に仰ったのだもの。“お前を愛するつもりはない”とね」
ニコニコ話す妻を見ていた三姉妹達は一斉に父に振り返った。同時に伯爵は思い出した。遥か彼方、記憶の隅に追いやっていた記憶。
それはまだ、伯爵令息であった頃、自分は父によって決められた結婚が不満であった。相手は格上の侯爵令嬢。誰が見ても美人の部類に入るが、派手な容姿がどうにも苦手であった。夜会では煌びやかなドレスを纏い、宝石を身に付け、常に令嬢達に囲まれて、チヤホヤとされている様子は少々鼻につく。友人達からは羨ましがられたが、結婚後はさぞや振り回されるに違いない。
だから、言ってしまったのだ。
「お前を愛するつもりはない」と。
自分の平穏を脅かされないように。
我儘は受け入れない。
伯爵家はお前の好き勝手にはさせないぞ。
そんな気持ちを込めて。
喚き散らすかと思ったが、令嬢の反応は違った。ニコリと微笑むと「分かりました」とだけ。理解していないのかと不安になり「愛情を押し付けられても応えられない」とも言った。
「ええ、私は旦那様の愛を求める事もございませんし、私も旦那様に愛を押し付ける事も致しませんわ」
その言葉は決して嫌味でも強がりでもないように感じ、ほんの少し後悔が湧き上がってくる。おまけに、初夜であるのに部屋を出て行こうとさえするのだ。
「では、おやすみなさいませ」
「どこへ行く!?」
「私の寝室でございますよ」
「今、どんな状況だが分かっているのか?」
「夜でございますよ」
「ただの夜ではない」
「どんな夜も睡眠は取らねばなりませんわ」
「それは、そうだが、今夜は、その、アレだ。アレなのだぞ」
「あの、お話長くなりそうなら、明日でもよろしいでしょうか?私、結婚式で疲れてしまって……」
「そ、そうか……悪かった。ゆっくりやすみなさい」
部屋を後にした若奥様を見て、侍女達は驚いたが「旦那様が疲れているのなら、ゆっくり休みなさいと仰って下さったの」という言葉を聞き「あら、案外、ウチの坊ちゃんも気が利くのね。もっと、がっつくかと思ったわ」などと良いように解釈され、初夜を過ごしていなくとも、新妻がぞんざいに扱われる事はなかった。
しかし、そのせいで再び初夜を迎えるタイミングを完全に逃し、半年が経過した。この頃になると、派手で我儘そうに思えた妻の本当の姿が見えてきた。
まず、派手な装いは夜会限定であった。邸で過ごす際は、上質ながらもシンプルで品の良いドレスを着用し、遊び歩く事も少なく、読書や刺繍を楽しんだり、庭のバラの世話をしたりするなど落ち着いたものだった。
散財する事もなく、必要以上に買物はしないようで、むしろ、夜会用のドレスや宝石であっても、個人資産から購入しようとするくらいであった。それは、きちんと伯爵家からの予算を使ってくれと、こちらから頼むくらいだ。
それに夜会で、彼女を取り囲んでいた令嬢達は、妻の、落ち着いていて聞き上手、かつ穏やかな気性に惹かれ、本当に慕って集まってきている事が分かった。
もう、その頃には、結婚前にあった不信感など、とうに消えており、正しく夫婦にならねばという気持ちでいっぱいであった。しかし、どうやって?
朴念仁な若き令息は悩んだ。
悩みに悩んだ結果。
「曲がりなりにも、我々は夫婦なのだ」
「さようですね」
「だから、その。義務がある」
「義母様に伯爵家の家政については学ばせてもらってますよ?」
「いや、その義務ではなくてだな」
「はて?」
「……伯爵家には後継者が必要だ」
「なるほど」
ムニャムニャとした言い訳であったが、結果、天使のような娘達が3人も誕生した。妻はなんやかんやと自分に尽くしてくれるし、父や母にも気に入られ、順風満帆な夫婦生活は続いた。
そう思っていた。
そう思っていたのに。
「お母様は、そのような冷酷な言葉を浴びせかけられてお辛くはなかったのですか?」
チョジョレナはギロリと父である自分を睨み付けながら妻に問いかけると、妻はコロコロと品の良い笑い声をあげる。こんな時でさえ、何年たっても可愛らし笑い声だと感じてしまう。
「実を言うと、ホッとしたの。母様は男女の愛を持てる自信がなかったのよ」
妻は言う、家族への愛情や、友人に対しての友情はかけがえの無い、大切なものであるが、こと恋愛に対しては、これっぽっちも興味が持てなかったと言う。むしろ、周囲の者達が、恋だ、愛だと大騒ぎをしている姿を見て、何がそんなに重要なのか理解できなかった。結婚前は令息達からアプローチを受ける事も多かったが、ただただ、厄介で面倒なだけであった。
「だから、母様にとってお父様は最高の旦那様なの」
結婚したからと言って愛を押し付けられる訳でもなく、愛を求められる事もない。かと言って、夫は愛人をつくったり、妻を蔑ろにする事もない。
「でも、その、愛情のない状態で夜を過ごすのはお辛くはなかったのですか?」
まだ15歳のジジョリーは「初夜」という言葉を使う事は憚られたが、いずれは自分も同じように他家に嫁ぐのだ。不安が口に出てしまう。
妻は少し考えると言った。
「そうねぇ。天井の壁紙をねボーッと見てると、壁の模様が浮き上がってくるのよ。それが面白くて、ずっとやっていたわね」
「それは、何ですか?魔術ですか?」
「サンジョリン、ほら、壁を向いてご覧なさい。焦点をずらすように、見てると……」
「本当だわ、模様が浮いてるように見えます!」
「ね、楽しいでしょう。これで時間を潰せば良いわ」
伯爵は壁紙に敗北していた……
負けた事にさえ気が付いていなかった……
めくるめく愛を確かめ合った時間は幻であった。言葉にはしなかったが、気持ちが伝わるよう、接していたはずなのに。
信じていた大切な物が音を立てて崩れ去っていく。今にもぶっ倒れそうな父をチョジョレナは談話室から連れ出した。
執務室に入って早々に長女は父を真っ向から見据えると宣言する。
「私の目の黒いうちは、ジジョリーもサンジョリンも、貴方の好きにはさせませんわ!」
「と、突然何を言うのだ!」
「優しい顔して、妹達をろくでもない男に嫁がせるのでしょう!」
「父様はお前達を愛しているのだぞ!」
「初夜に“お前を愛するつもりはない”なんて言って円満夫婦のふりをさせる方の言う事など信用できません!」
「ふりなんかさせておらん!」
邸に親子喧嘩の声が響きわたる中、騒ぎを聞きつけたチョジョレナの婿のムコットが駆け付けた。
「義父上もチョジョレナも落ち着いて下さい。何があったのですか?」
「ムコット、聞いてちょうだい!お父様が残虐非道な冷血漢だったのよ!」
「誤解だ!」
頭に血が上りきっていた長女も、冷静な第三者が入った事により、割と冷静な話し合いが行われた。しかしながら、それにより若き日の父のやらかしを知ってしまう。
「呆れた。やはり、お父様がいけないのではありませんか」
「い、いやでもな……」
「義父上、確認しますが、義母上は周囲の感情を読み取るなどの精神系魔術は使えるのでしょうか?」
「それはない」
「では義母上が義父上の心変わりを知る事は難しいでしょう」
「酷い事を仰った自覚はありませんの?それをなかった事にして、愛して欲しいなどと自分勝手ではありませんか」
「だ、だが、ずっと支え合ってきたのだぞ」
「それは義母上の気性によるものでしょう」
伯爵夫人は慈悲深く気配り上手だと社交界では評判だ。それは愛情からくるものではなく、単なる親切心だったという事だ。
「チョジョレナや娘達には家族愛が、ご友人達には友情が深いようですが、それ以外の人物への優しさは義母上が持つ親切心でしかないと言う事ですね。懐の深い方だ、結婚した初日に夫婦関係の破綻を宣言されて、これほどまで夫と婚家へ尽くしてきたとは……」
「でも、お母様は男女間の愛情を育む自信がなかったと仰ってたの」
なるほどとムコットは考える。自分の友人にも恋愛に興味はなく、同じく仕事人間であった女性と、職務上、既婚者であった方が都合が良いと、意気投合して結婚した男がいた。その後、2人は戦友のような間柄になり夫婦円満だ。
「では、幸運にも義母上にとって、義父上は都合の良い夫であったと言う事ですね」
「あら、そうね。結果的には、それで良かったということよね」
非道な父親かと思ったが、よく話を聞けば自分達娘も妻も大切に思っているようだし、何の問題もないではないか。男女関係においては、かなり残念ではあるが。
「ムコットがいなかったら家族崩壊の危機だったわ。ありがとう、貴方は最高の夫よ」
「大した事はしていないさ。真っ直ぐで家族思いな君も最高の妻だよ」
伯爵夫婦と違い、本当に夫婦円満のチョジョレナとムコットは抱きしめ合うと「では、おやすみなさい」などと言って立ち去ろうとする。
「ま、待ってくれ。こちらの問題は何も解決してないぞ!」
仲良し若夫婦は振り返ると言った。
「お父様が一人で相思相愛と勘違いなさってたというだけでしょう。お母様は気にしていないようですし誰も困りませんわ」
「父様は困るぞ!とてつもなく困っているぞ!」
「ですが、こう言った男女関係に部外者が安易に踏み込むのは悪手です」
下手をしたらこじれるかもしれないと言われて伯爵も黙る他なかった。
「お母様にとって“愛を押し付けない、愛を求めない”お父様は最高の旦那様だと仰ってたじゃないですか。ある意味では夫婦円満ですわ」
そう、伯爵は愛を求めないからこそ、恋愛に興味のない妻にとって良き夫なのだ。尽くしてもらってはいる、支えてもらってはいる、微笑みを向けてもらってはいる。
だが、そこに「愛」はない。
呆然と佇む父を残して若夫婦は部屋を後にし、チョジョレナは妹達に父との話を伝えた。もちろん、母には内緒だ。
妹達も父の行為に呆れ果て、姉妹の共通認識として父の母への片思いは放っておこうということになった。
翌朝。王宮にて文官として働く伯爵は城へ出向くため、玄関ホールへと足を運ぶ。毎日見送りをしてくれている妻の姿があったが、それは、ただの義務なのだと思うと切なさで若き日の自分をぶん殴りたくなる。
ああ、愛しき妻よ。
君は何を思うのだ。
己の失態、不甲斐なさを知られたはずだが、可愛い娘達も見送りに来ていてくれた。本当に心の優しい娘達だ。このように育ったのも妻の教育のおかげだろう。
「では、行ってくる」
そういうと、妻は手にしていた扇子をさっと開いた。
「え?」
一同の視線はその扇子に釘付けなる。扇子には刺繍が施されており、こう書かれていた。
小花散る華やかな文字で「手でハートつくって」と。
「お、お母様、その扇子は……」
ジジョリーは知っている。何故なら、友人も似たものを持っていた。しかし、それは、好きな役者や歌手などに向けるものであったはず。
「うふふ、お茶会で教えて頂いたのよ。今、こうしてお気に入りの方を応援するのが流行っているのですって。推し活と言うらしいわ」
流行はおさえねばね、と伯爵夫人は言う。
「旦那様、お気を付けて」
「あ、ああ」
そして、伯爵は動揺しつつも「う、うむ。ではな」とか言って、おもむろに手でハートをつくると、背後で使用人達が扉を開けた。
三姉妹は中年に差し掛かった父がハートの作り方を知っていることの方が驚きであった。実は三姉妹と夫人の背後で、フォローの達人ムコットがこっそり「こうですよ」と、やって見せている。
その後。三姉妹は改めて母に聞いた。
「お父様ってば、私の言動にいちいち右往左往している姿が面白くて、気が付いたら病み付きになってしまったわ。一見、真面目が服を着てるような方なのに、素直で分かりやすいのよね、可愛らしいでしょう」
そう、気遣いの人と呼ばれる夫人は、しっかり伯爵の気持ちに気が付いていた。
「でもね、あの話は、お父様とお母様が初めて交わした約束だから、お父様が約束を守り続けている限り、私も破る事はないわ」
クスクスと笑う母を見て、三姉妹は「なんだ、両思いですね」と思って、呆れるやら、ほっとするやら。
「でも、お母様がああ仰っていたって事は」
「そうね、お父様ってば“愛してる”って言った事ないのね」
「やっぱり、お父様が悪いわ」
そんな話し合いがなされ、引き続き三姉妹に放置された伯爵は、己を推す妻の姿にホクホクしながらも「愛はないのか」と複雑な心境を抱えている。
「いや、もう“愛してる”と伝えてしまった方が丸く収まりますよ」
「き、嫌われたらどうするんだ!」
見かねたムコットがアドバイスをしたが、伯爵は孫ができてもヘタレを発動していた。
「おじいさま、おばあさまに、すきって、いえないの?はずかしいの?ぼくがいってあげようか?」
「いや、ありがとう、マグォリス。大丈夫だ、本来なら自分で言うべき言葉だ。お前は、この爺のようになるでないぞ」
「はーい」
そんなある日、伯爵は病に倒れた。
療養しながら考えた。このままでは死んでも死に切れないと、とうとう告白した。
「すまない、ずっと君を愛していた」
「あら、嬉しい。私も愛してますよ」
伯爵は医者も驚くようなスピードで回復し、晩年は晴れて両思いとなったとさ。
【立体視について】
作者は子供の頃、家の壁紙の模様で立体視して暇潰してました。その後、マジカ◯アイが出版されてビックリしたのは良い思い出です。
【その後 〜孫の代〜】
マグォリス「こうした理由から我が伯爵家では“愛は伝えるべし”が祖父の代からの家訓なのです。また、浮気などの試し行動も推奨しません。仮に祖父が愛人などこさえていたら祖母は新婚時の言葉通り祖父を愛する事はなかったでしょう」
王子「……分かった、他の令嬢と親しいふりはやめる」
マグォリス「ご英断です」
王子「では告白の演出だが。突然、周囲が踊り出し、最後に私がカッコ良く愛を伝えるのはどうだろうか。隣国で流行っているらしい」
マグォリス「……好き嫌いが分かれますので、一概には言えません。まずは婚約者殿の趣味趣向をリサーチするべきかと」
王子「うむ」
11月9日【短編の後書きとか解説とか】にて、この話の人物紹介を公開します。




