第1章:目覚めの刃
――静かな朝だった。
高層区第18区、教育アカデミー区リヴェルムブロック。
リヴェルム高等学院の一般科校舎には、朝の光が斜めに差し込み、生徒たちの笑い声が静かに反響していた。始業前の教室には、それぞれの時間が流れている。勉強の復習に勤しむ者、友人とゲームの話で盛り上がる者、ただ眠気と戦う者……。
灰塚レイは、最後のタイプだった。
「……また、夢を見た」
ぼそりと呟いた彼の言葉は、隣の席に座る少女の耳にしっかり届いていた。
「へえ、今度はどんなの? 宇宙に飛ばされるとか、砂漠で野営とか?」
柔らかい桃色の髪が揺れる。遠野ユイ。彼の幼馴染にして、幼稚園からの腐れ縁だ。性格は明るく、気配り上手。本人は「しっかり者を演じてるだけ」と笑うが、クラスでは完全に“まとめ役”として定着していた。
「火に包まれた都市と……剣だ。俺の右手には何か、光ってるものがあった」
「なにそれ……まるでラノベ主人公じゃん」
ユイはおどけて言いながらも、その瞳には一瞬だけ真剣な色が宿った。灰塚レイが時々語る“夢”は、どこか現実離れしていて、それでいて妙に具体的だった。
「それより、レイ。今日こそ提出するって言ってたでしょ、レポート。『近代ニフル法制史とAI統治の変遷』」
「……なにそれ?…呪文?」
「ほら、やっぱり忘れてた!」
ユイが頬を膨らませる。レイは苦笑した。こうして軽口を叩き合える日常は、何よりも貴重で、そして――どこか、はかない。
チャイムが鳴り、教室に担任が入ってくる。朝のホームルームが始まった。今日もまた、普通の一日が始まる――はずだった。
「今日は避難訓練が午後にあります。アカデミー区外からの連絡で、第12区方面にアバラン反応が確認されたとの報告がありましたが、現段階では封鎖区画内に限定されており、我々には影響ありません」
担任の言葉に、一部の生徒がざわめいた。アバラン――都市の外縁部、または制御不能な実験区域から現れる“災厄”。
「ねえ、最近増えてきたよね、アバランの出現」
「スレッジの人たちって本当に戦ってるのかな。あんま見たことないし」
「適性候補者科の奴らが訓練受けてるのって、やっぱ対アバランのためなんでしょ?」
教室のあちこちで不安と憧れが入り混じった会話が飛び交う中、レイの胸の奥がかすかに痛んだ。
“熱”が、そこにある。
胸の中心――心臓の奥、あるいはもっと深い場所から、何かがざわめいている。
「……あの夢、ただの夢じゃない気がする」
レイは小さく呟いた。その瞬間、校舎の天井に設置された警報灯が赤く染まり、警告音が鳴り響いた。
《緊急通達。第12区にてアバラン反応、急激に拡大中。スレッジ部隊展開開始。第18区に影響なし。ただちに通常授業を再開し、混乱を避けるように》
「うわ、ほんとに来たの!?」
「でも18区には来ないってさ。大丈夫だよ」
ざわめく教室の中で、レイだけが立ち上がった。まるで、呼ばれているかのように。
「レイ?どこ行くの?授業始まるよ!」
「……少し、風に当たってくる」
そう言い残し、レイは教室を後にした。
その背中を見送っていた遠野ユイの表情が曇る。彼が時折見せる、この“胸の奥を押さえるような”態度。昔から、何かを抱えているように思えてならなかった。
「……ったく、またそうやって一人で背負おうとする」
教室の扉を見つめたまま、小さく溜め息をつくと、ユイも立ち上がる。
「トオノさーん、どこ行くの?授業始まるよ?」
「保健室。ちょっと気分悪くなっちゃって」
軽くウソをついて、ユイは教室を出た。嘘は苦手だが、今はそんなこと言っていられない。レイの“予感”が現実になることが、なぜか今日に限って強く思えた。
校舎裏。ひっそりと佇む旧校舎は、今では使用されていないが、時折レイが「落ち着く」と言って訪れていた場所だ。
コツ、コツと足音が静寂に響く中、ユイはレイの背中を見つけた。
「やっぱりここにいた……」
振り向くレイ。その表情は、どこか遠くを見ていた。
「……ユイ。どうして来た」
「決まってるじゃない。レイが変な顔して出ていったから、心配になったんだよ」
少し拗ねたように言うユイに、レイは小さく笑った。けれど、それもすぐに消える。
「なあ、ユイ。お前は……何か、覚えてるか? 昔のこと、今とは違う都市の景色とか。何もかも違う世界の記憶、みたいなものを……」
「……え?」
ユイが返答に困っていると、突如、地面が震えた。低く、うねるような振動が足元から伝わる。
「これは――」
旧校舎の裏手、さらにその先にある封鎖エリアのフェンスが、音もなく切り裂かれていた。煙の向こうから姿を現したのは――異形のアバラン。
「逃げるぞユイ!」
レイが声を張り上げた。彼の手がユイの腕を掴み、すぐに駆け出す。
「な、なにアレ!? あんなの、無理に決まって――!」
ユイの視線の先に、アバランがいた。半有機体の身体に鋭い骨のような脚を持ち、無数の赤い目のようなセンサーが蠢く異形。空間が軋むようなノイズを撒き散らしながら、こちらに迫ってくる。
「このままじゃ追いつかれる!」
「っくそ……!」
そのとき、耳障りな電子音と共に、通信機から女の声が割り込んだ。
≪こちらスレッジ第三応援部隊! 模倣型エッジ《リバース=エッジ》で制圧を試みる! 一般人は退避を!≫
レイとユイの前に、三人の武装スレッジ隊員が現れた。全員が腰から光の刀を引き出し、模倣型エッジを構える。
「援護する! 早く下がれ!」
一人が叫ぶと同時に、隊員たちは連携を取りながらアバランへ突撃した。高出力の光刃が閃き、跳躍と共に一撃を放つ。
だが――アバランの尾が唸りを上げ、空気を裂いた。
「避け…!」
叫びも虚しく、一人は腹部を貫かれて吹き飛ばされ、無機質な地面に叩きつけられる。
「くそッ……!」
残る二人が援護に入るが、異形の咆哮が彼らの動きを裂く。アバランの前脚が放たれ、まるで玩具を潰すように、二人の命を踏み砕いた。
「……っ、ウソでしょ……!」
ユイが絶句する。ほんの数秒前まで、自分たちを守ってくれていた人たちが、目の前で無惨に殺された。
残されたのは瀕死の一人のみ。彼は地面を這いながら、レイとユイに向かって微かに呟いた。
「…すま…ない……にげ……」
その声と同時に、アバランの視線が再びレイたちへと向けられた。光学センサーのような目がすべて一点に集中する。
「くる……!」
レイはユイを抱えるようにして後退するが、間に合わない。アバランの脚が地面を砕き、空を裂いて迫る。
「っ……!」
衝撃が走る。アスファルトが爆ぜ、瓦礫が飛び散る。二人は吹き飛ばされ、地面に転がった。
「ユイっ……大丈夫か!」
「っ、痛……平気!でも……!」
再び迫るアバラン。その鋭利な四肢が、処刑人のように振り上げられる。
「だめだ、動けない……!」
レイの腕が震える。痛みと恐怖、そして無力感が脳を焼くように襲ってくる。
どうして動けない。どうしてまた、目の前で誰かが死ぬのを見なきゃならないんだ。
「……くそ、俺は……」
目の奥に、誰かの顔が浮かぶ。笑っていた。消えていった、誰か。
≪共鳴因子、臨界接近≫
≪エンゲージ適合率、上昇中≫
「やめろ……記憶が……また……!」
レイの胸が灼けるように熱くなる。指先が、心の奥にある“それ”に触れる。
ユイが叫ぶ。
「レイっ……!!」
その声に、レイの瞳が揺れる。
だがアバランの脚は、すでに振り下ろされようとしていた。眼前に迫る死の影。
その瞬間
「リリース!!」
雷鳴のような叫びが響いた。
空間が裂け、蒼白い閃光が世界を貫いた。裂け目から現れたのは、一振りの大剣
レイの手に、それは吸い寄せられるように収まった。
「……守る。絶対に」
アバランの脚が振り下ろされる寸前、レイの剣がそれを弾いた。
衝撃が走る。世界が一変する。
剣と脚がぶつかり合った瞬間、爆音が鳴り響いた。アバランの鋼の脚が弾き飛ばされ、周囲の壁にめり込む。
ユイが目を見張る。レイの身体から迸る蒼い光、それは彼が今まで見せたことのない“力”だった。
「これは…………?」
アバランはバランスを取り直し、即座に攻撃態勢に移る。だが、もはやレイの目に恐れはなかった。
「来いよ、怪物。今度は……俺がぶっ壊す番だ」
レイが踏み込む。大剣が風を切り、まるでそれ自体が意思を持つかのように敵を捉える。
アバランの刃が横薙ぎに振るわれるが、レイは紙一重で回避し、肩口から一閃を叩き込んだ。
ガァン! 鉄と剣のぶつかる音が、地面を震わせる。アバランの装甲が裂け、火花が散った。
「っ……! まだ、動くかよ!」
アバランが奇声を上げ、背部のパーツが展開。そこから伸びたコードのような触手が、蛇のように襲い掛かる。
「ユイ、しゃがめ!」
レイが叫ぶと同時に、剣を振る。刃から放たれた衝撃波が触手を斬り裂き、アバランを後方に吹き飛ばす。
だが、その勢いは収まらない。
アバランは倒れながらも、内部フレームを強化し、自らを再構築するように変異を始めた。
「再構成型……!」
レイの額に汗が滲む。
再構成を完了したアバランが突進する。その巨体が地面を砕きながら迫る。
それでも、レイは剣を構え直す。背後にユイがいる限り、退くという選択肢はなかった。
「こいよ、バケモノ。終わらせてやる」
再構築を完了したアバランが突進する。その巨体が地面を砕きながら迫る。
レイは、全身の力を大剣に込めた
剣が、空間ごと切り裂いた。
爆裂する光と衝撃が地面を揺らす。灰色の空気を突き破って、轟音とともにアバランの巨体が弾き飛ばされた。コンクリートの壁を三枚貫き、鉄骨に突き刺さってようやく動きを止める。
それでも、アバランは死なない。装甲の隙間から蠢く何かが溢れ出し、砕けた外殻を繕うように再生を始める。
「再生してやがる……! どこまで不死身なんだよ」
レイは息を切らせながら距離を取る。ユイをかばうようにしながら、《ラグナレイヴ》を両手で構え直した。
ユイはその背にしがみつきながら、震えた声を絞り出す。
「レイ……あれ、本当に倒せるの……?」
「わからねぇ。でも――やるしかないだろ」
アバランが再び立ち上がる。今度は二体に増えていた。倒れた個体の断面から、異形の肉塊が分裂するように這い出し、新たなアバランへと姿を変えていた。
「……分裂タイプかよ」
レイは舌打ちした。模倣型の一部には、倒されることで自己増殖する特性を持つものがあると、以前講義で聞いた記憶があった。しかし、実際に目にするのは初めてだった。
二体のアバランが咆哮を上げながら同時に突撃してくる。
レイはユイを庇いながら、右から迫る個体に向けて地面を滑るように接近し、下段からの斬撃を放つ。《ラグナレイヴ》の刃が敵の装甲を深く切り裂き、紫色の体液を撒き散らす。
しかし、左の個体が背後から迫る。
その瞬間――
「レイ、伏せて!!」
ユイの叫びとともに、アバランの突撃が空を切った。咄嗟に地面に伏せたレイの頭上を、巨大な腕が通り過ぎる。
「……助かった。ありがとな、ユイ」
「当たり前でしょ……!」
レイは立ち上がり、傷だらけの姿のまま、最後の覚悟を込めて大剣を握り直した。
「……行くぞ。」
剣が淡く脈動し、赤い閃光を放つ。共鳴因子が限界を超え、空気が震える。
「《繝ゥ繧ー繝翫Λ繧、繝エ・オーバードライブ》!!」
凄まじい斬撃が大気を裂き、光の柱となってアバラン二体を貫いた。
爆音とともに、異形の身体が完全に崩壊し、跡形もなく蒸発する。
蒸発したアバランの残骸が黒い霧となって消えていく。
そこに、重厚な機械音を響かせながら数機のホバー車両が到着した。機体に「SLEDGE」のマーキングが刻まれた装甲兵員輸送車から、重装備の隊員たちが素早く降り立つ。
「生存者確認。一般学生と思われる者、二名を発見!」
先頭に立つのは、白銀の装甲に身を包んだ一人の女性――スレッジ特務隊長、カシミラ・ラインレイだった。背には模倣型エンゲージブレイド《ブラスト=フレイル》を担ぎ、その視線は冷静に状況を捉えていた。
「……状況確認を。学生証と身元データを照合、急げ」
レイはゆっくりと立ち上がり、ぐったりとしたユイを抱きかかえながら振り返る。
「ああ……もう一歩であの世行きだった」
「助かった……お前ら、遅いんだよ…」
その声に、医療部隊がすぐさま駆け寄り、レイとユイを囲むように応急処置が始まった。
瀕死のスレッジ隊員も発見され、医療班によって慎重に担架へと乗せられる。
カシミラはレイの傍に歩み寄り、彼の全身を一瞥したあと、静かに言った。
「この場に残された痕跡――これは確かに《エンゲージブレイド》によるものだ。ただし、正式登録のない反応体……偶発的なものか、共鳴による一時発現と見るべきか」
レイは問い返す余裕もなく、ゆっくりとその場に腰を落とした。
大剣はすでに光の粒子となってレイの胸元へと吸い込まれていた。誰も、それをはっきりとは見ていない。
「……疲れた」
そう呟いて、レイは地面に身を預ける。彼の隣で、ユイがそっと手を握る。
「ねえ……レイ。もう……死なないでよ」
レイは答えない。ただ、その言葉の温もりだけを心に留めながら、意識を闇に預けた――。
――その後。
戦闘が終結してから、約1時間が経過した頃だった。
空を割くような音とともに、一機の軍用ヘリが着陸した。機体から降り立ったのは、リヴェルム高等学院の生徒会長――東雲アサギ。
風になびく銀白の髪、整えられた制服は、彼女の威厳と責任をそのまま体現していた。
「……すまない。遅くなった」
アサギは簡潔にそう告げると、すぐに現場の状況をカシミラに尋ねた。
「状況は?」
カシミラ・ラインレイは無言でうなずき、携帯端末を操作しながら報告を開始する。
「アバランの排除は確認済み。生存者二名。身元は照合済み。確認されている限り、登録のないエンゲージブレイドの反応痕が一点……」
アサギはその報告に黙って頷くと、ゆっくりと歩を進め、戦闘の中心地へ向かった。
そして、そこに広がっていた光景に、彼女の目がわずかに見開かれる。
地面には、幅およそ三百メートル、深さ数十メートルに及ぶ巨大なクレーター。
荒れ果てた土地に、焦げた残滓と砕けた鉄骨が転がるその場所は、まるで爆心地のようだった。
「これが……“ラグナレイヴ”の痕跡……?」
彼女の呟きは、風にかき消されていく。
灰塚レイの存在が、ゆっくりとこの都市に波紋を広げようとしていた。
第一章 終
毎週更新できればなぁ。