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「………ふっ」


 瞬間、私は弓を引く手を緩めた。

 矢をつがえたままの弓を下ろし、茂みを分けて悠々と出てくる黒い影を迎える。


 黒く艶やかな馬に跨った貴公子然とした男が、目の前の私を懐かしそうに見つめていた。

 その姿は強い既視感(デジャヴ)を伴い、四年前の早春の狩を鮮やかに脳裏に呼び起こす。

 その記憶があまりに眩しく、目を細めて私もまた目の前の貴公子を見つめた。


 永遠と一瞬、過去と現在………私たちは時間の概念を玉響(たまゆら)離れて、熱く視線を交わした。


 ———が、次の瞬間。

 黒帝の上から<氷の貴公子>よろしく、清和が冷ややかで皮肉な笑みを浮かべた。私の下ろした弓矢をチラリと見て、小さく首を傾げる。


「ほぉ、少しは学習能力があったか………或いは多少は馬鹿が改善されたというべきか」

「自分の学習能力のなさを棚に上げて言ってほしくないわね」

「沙羅姫様、お言葉が………、清和様も、そのもう少し………」


 遭遇したのが熊ではなく清和だったことに安堵したのも束の間、鷹丸は早くも言い争いになりそうな私たち二人にはらはらとする。


「棚に上げてとは何だ?」


 剣呑に目を(すが)めた清和に、私は弓懸に包まれた人差し指を突きつける。


「狩場に入るなら、孫太郎と孫次郎を連れてきてと伝言していたはずよ」


 清和は「ああ、それか」とつぶやき肩をすくめた。


「連れてはきたが、途中で義貴殿と一緒に獲物を追っていってしまった」


 ええっ!と心の底から抗議の声が出た。


 孫太郎と孫次郎というのは、今年の初めに定匡殿から届けられた二匹の猟犬だ。茶色の柴犬で尻尾がぷりぷりと動く大変可愛らしく、かつ優秀な兄弟犬だった。それもそのはず、「孫」とついている名前から分かるように、定匡殿の愛犬・小太郎の孫にあたる猟犬だ。

 せっかくだからお祖父ちゃんの小太郎や親兄弟犬にも再会させてやろうと、今回の六角訪問に同行させることにしていた。ただ、まだ仔犬が抜け切らないところもあり、道中はしゃぎつかれては可哀想だと思って、あえて私には同道させずに後発の清和達に託していた。


 曲がりなりにも清和は幕府の管領職にあるし、兄上も畠山の家とは別に幕府の役職を拝命している。そちらの仕事を片付けしだい孫太郎達を連れて、一足早く京を出た私に追いつく算段だったのだが………。


「どうして兄上と一緒にいかせちゃうのよ! ていうか、兄上もここで狩をしてるってこと!?」

「まぁ……なにせ、お前の兄上だからな。お前に手解(てほど)きする以前に、誰よりも狩好きなようだ」


 (わたし)を探すよりも先に、獲物を追いかけて行ったと!? 

 確かに兄上は狩が好きだし腕もいい。でも、ここは私が先に入った狩場で、今は大猪を狙ってることろなのに……。


「まずいわ……兄上に横取りされちゃう!」

「ああぁぁあ……義貴様まで………!」


 私と鷹丸がそれぞれに頭を抱えるのを尻目に、清和は左手(ゆんで)に抱えた艶やかな黒漆の弓を持ち直した。使うつもりはないようで、持て余し気味だ。


「俺たちが来る以前に、雉や鹿を狩ったと聞いている。もう十分、楽しんだだろう。そろそろ行かないと、迎える用意をしてくださっている六角に礼を失するぞ」


 相変わらずお堅いことを言う清和に、鷹丸が激しく賛同の意を示した。


 ほんと鷹丸よ、お前は誰の家臣なのか……。


 私は緑の木立を見上げて、少し思案する。

 太陽はたしかに傾きかけていた。未の刻をまわる頃合いだろうか。約束は夕刻だが………。


 三年前の弥生廿日(はつか)———あの翌日、六角の陣を去ったのを最後に、定匡殿には会っていない。

 定匡殿のことだから、心尽しのもてなしをきっちりと準備してくれていることだろう。定親殿や斉明も揃っているに違いないし、ご側室や定匡殿のお子達……観音寺城の六角の方々や小太郎を思うと早く会いたい気持ちは一入(ひとしお)だ。

 だが———だからこそ、私も私らしい土産を持参して、彼らを喜ばせたい。時が流れても、変わりなく私たちは存在しているのだという姿を見せたい。


「……お前は気にしないかもしれないが、俺は約束に遅れてせっかくの再会を台無しにしたくはない」


 決断を急かす清和に、私は辟易する。

 どうしてこうも、正論を云うかね。


「定匡殿はお堅いあなたと違って、そんなの気にしないわよ。鷹揚な人だもの」

「ほほう。さすが居候していた者は、定匡殿のことをよくご存じだな」


 皮肉なのか妬いているのか………。

 いずれにしろ棘のある口調に、またもや争いになりそうな空気が私たちの間に漂った。

 その空気を裂くように、突如として義貴兄様の緊迫した声が響き渡る。


「手負いの(しし)を逃がした! 大物で獰猛だ! 気をつけろ!!」


 その警告が終わらぬうちに、下手から猛然と飛び出してくる巨大な猪の姿があった。身の丈が六尺近く、鋭く凶悪な牙をもつ———山の神とも(ぬし)とも謂える圧倒的な獣だ。


 鷹丸がよくわからない悲鳴を上げるのを耳にしながら、私と清和はそれぞれにすでに弓を引いていた。


 大猪は凄まじい速度を維持したまま、牙を剥き出して突っ込んでくるかと思われた。が、形勢不利と本能的に察したのか、勢いはそのままに方向転換しようと素早く身を捩った。その僅かな隙に、私と清和は迷うことなく矢を放っていた。


 身を捩った大猪は、私に心臓を、清和に脳天をほぼ同時に射られて、どうっと派手な音を立てて倒れた。凶暴な獣特有の強い輝きを宿した目が、ゆっくりと光を失っていく。


 興奮を抑えながら、私は弓を下ろすと鷹丸を振り返った。


「心の臓を射抜いた私のほうが早かったわよね?」


 同意を求められた鷹丸は、勢いに飲まれるように頷く。


「ええ、まあ……」


 しかし、黒帝の馬上から清和が冷ややかに異を挟んだ。


「鷹丸、貴様のその目は節穴か!?」


 いつもの傲慢さと尊大さを全開にして、清和は滔々と(のたま)う。


「どう控えめに見ても、俺の一矢が大猪の息の根を止めたようにしか見えぬ。万一狙いも威力も沙羅と同じとみえるなら、真実お前の目は節穴なのだろうよ。……違うか?」


 氷の貴公子に見下ろされ、鷹丸は同じ馬上にいながら気圧されてしまう。


「うん……いや、うぅぅうん………たしかに清和様のほうが、気持ち早かった……ような気も?」


 煮え切らない鷹丸に、私は当然の如く苛ついた。


「おまえ、何言ってんのよ! 清和に忖度する必要なんてないのよ! ちゃんと記憶を再生してみなさいよ、さっき見た決定的瞬間を!」


 出来ないなら力づくで思い出させてやろうか、とギラリと光る(やじり)を突きつけて威嚇する私に、鷹丸は震え上がる。


「やめろ、沙羅! 鷹丸を脅すな。ちゃんと見ていて、本当のことを言っているだけだ」

「こんなときだけ、鷹丸を評価しないで!」

「正当な評価だ。何より、俺のほうが早かった。かつ矢は深く刺さっている」

「いいえ! 清和こそちゃんと見てみなさいよ。私の矢を!」


 加熱する言い争いに、怯えながらも鷹丸が割って入った。


「まぁ、あの……どうでしょう? お二人とも、ご一緒に、協力して、しとめられたということで………」


「鷹丸は黙ってなさいよ!」

「鷹丸は黙っていろ!」


 一喝されて、ひいぃと身を縮ませる鷹丸のところに、ようよう二匹の犬を連れた義貴兄様が現れた。状況を一瞥して、あきれたような、のんびりした声で言う。


「やれやれ……、二人の喧嘩はいつものことではないか。いい加減に慣れたらどうだ、鷹丸」

「義貴様ぁああっ」

「ほれみろ、犬も食わないぞ」


 兄上の連れてきた孫太郎と孫次郎は、私と清和の間を楽しそうに駆け回っていたが、すぐに倒れた大猪のところに行き、くんくんと匂いをかぎはじめる。大猪に興味津々で、もう私たちには見向きもしない。

 その様子を見ているうちに、私と清和は急速に冷静さを取り戻した。

 すんと戦意を喪失した私たち夫婦を傍目に、兄上は下馬して大猪を検分すると、後ろから追いついてきた家臣につるし上げるように指示した。鷹丸はあからさまにホッとした様子で、何やらしきりに額や首筋に浮いた汗を拭っている。


 兄上は獲物が運ばれていくのを見送ると、再び馬にまたがり私達の前までやって来た。

 私と清和を満足そうに見遣り、にこやかに笑いかける。


「さて……いい土産も出来たし、沙羅ももう満足だろう? 清和殿がいくら理解を示してくださるとはいえ、我儘もほどほどにしないとな」


 さ、行こう———と街道に戻るよう促されて、我先にと鷹丸が兄上の後ろを追いかけていく。

 制限時間に近づいていることは承知していた。不本意ながら、私もその後を追う。


 大本命を獲ったのに、なんだかスッキリしない。白黒つかないのは何とも気持ちが悪い。


 口元を歪めたまま、私は憮然と白帝を進ませた。その白帝に追いつくように、清和が黒帝を並べてきた。

 白と黒の兄弟の馬は、狭い山中の獣道を仲良く馬首を揃えて歩く。


「———決着は、また今度だな」


 不意に清和が言った。

 さらりとしたその台詞に、私は気持ちは一瞬でぱっと明るくなる。


「また狩に行くということ?」

「お前が狩でなくてもいいなら………」

「いいえ、狩がいいわ!」


 若干食い気味に声を上げた。

 清和は苦笑を浮かべて私を見下ろす。


「………だろうな」

「約束よ。ちゃんと守りなさいよ」


 意気込む私に、苦笑を消して、清和ははんなりと笑った。


「———沙羅、お前は本当に変わらないな」

「その言葉、そっくりそのままあなたに返すわ」

「お互いどこまでも、意地張りで負けず嫌いということか」


 二人そろって思わず噴出す。

 たしかに、私たちは似たもの同士だった。かつて清成殿が評したように。

 ただ、どれだけ時間が過ぎても、私は清和にどきどきわくわくさせられることに変わりない。

 そしていつも思う———負けられないと。それと同時に、生きている………一緒に生きているのだと実感させられる。


 この春を迎え———『時代』の大船がこのまま穏やかな航行を続けてくれることを願う。だが、時に願いは通じないと云うことも識っている。

 それでも、己がの小舟の行方……舵だけは、いまではしっかりと握っている。荒波に呑まれようとも、大海のただ中でも、清和と二人なら大丈夫———そう断言できる。


 青い春は、終わったのかもしれない。でもこの先、朱い夏、白い秋、そして(くろ)い冬へと人生は続いていく。二人の人生はまだまだこれからだ。

 清和が黒帝の手綱を握り直した。


「行くぞ!」

「ええ!」


 私も手綱を握りなおす。

 駆け出した黒帝を追う白帝。私は、清和の大きな背を———決して見失うことのないその背中を追う。

 春の山の賑やかさが、私たちの人生を祝福しているかのように陽気な午後だ。

 その日差しは春の貴公子の微笑みに似て、どこまでも柔らかく(うらら)かだった。

                                       了



これにて『行方も知らぬ恋の道かな』———沙羅の物語は終了です。

最後まで読んでくださった方、心より御礼申し上げます。

伏線はすべて回収したつもりでおりますが、抜けがありましたらご一報いただけると幸いです。出来うる限り回収したいと思います。


さて、この物語は三部作の一作目として用意しました。

戦国時代を舞台に、恋して戦う女主人公(ヒロイン)であと二作書く予定でおります。

ちなみに戦国三部作の一作目、沙羅の物語は『盲目の初恋』がテーマでした。

二作目は『身分違いの恋』、三作目は『呪いと略奪愛』をテーマに考えております。

次作でまた、お目にかかれると嬉しいです。

よろしくお願いいたします。


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