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「畠山忠憲殿を充剛軍が捕らえているので、姫と忠憲殿との交換をと。東軍大将の子息と東軍を裏切った宗家の姫ゆえ、外聞もある、隠密裏に取引したいという旨を聞いて……」

「まさか、それを信じて?」

「叔父上(定親殿)は最初から、これはおそらく罠だと見ていたが、私には確信がなかった」


 なるほど……定親殿が私宛に文を残したのは、そういう流れからか。罠を疑った上でいくのだから、その現場に私が登場すれば混乱するし、私を近づけたくはなかったと。


 定匡殿の肩の向こうに見えた定親殿は、微苦笑を浮かべていた。甥を庇うように、朗々とした低音で短く状況を説明する。


「まさに斉明が負傷して戻ってきたところで、後を頼んだのが青砥殿だときいていた。その青砥殿から『野太刀の十郎左』にやられた、との報告と聞いたので信憑性がありすぎたきらいはある。定匡の判断は間違ってはいない。私が穿ち過ぎているなら、それでよかったのだが……」


 充剛の隣にひょうひょうと佇む青砥を見つめて、定親殿は口を引き結んだ。

 一呼吸の間があって、定匡殿の自嘲的な声が降りてきた。


「どうやら、私としたことが弱点をつくってしまったようです。うまく乗せられてしまった」

「……誰かと違って、定匡殿が義理に厚い人柄だからよ」


 そんな私たちのやりとりが聞こえていたのか、青砥がにやりと笑った。


「やれやれ……。六角を滅ぼす『傾国の美姫』という新しい伝説になりそこねたな、沙羅姫」


 戦場で垣間見せた姿とは違い、青砥はいつもの下卑た男に戻っていた。


「それにしても、よく生きてまた現れたものだ。あのまま東軍の武将たちに、御曹司の仇として討たれているものとばかり思ったぞ」

「ふんっ。貴様がもっと嗜虐趣味で、目の前で私の息の根を止めていればこうはならなかったわね」


 青砥への挨拶はそこそこに、私はその隣で憤怒の形相で立ち尽くす充剛に、あらためて声をかけた。


「いい加減しつこいようだけど———本当にたいした家臣を飼ってくれてるじゃない、充剛」


 明かな挑発に、充剛は即座に反応する。


「黙れ、沙羅!」

「あんた、いま何をやってるかわかってるの!? どうして同盟を組んでる定匡殿を信用しないの?」


 充剛はぎりぎりと今にも噛みつかんばかりの表情で叫んだ。


「六角との同盟などもとより信用しておらぬわ!」


「それは、心外ですな」


 定匡殿の穏やかな声が、対照的に響く。


「充剛殿の要請に応じて、そもそも腰を上げた戦であるのに、それを信用してもらえないとは何のための同盟であり戦か」


 もっとも過ぎて、うなずくより他ない。

 だが、どうしても充剛は定匡殿よりも青砥のいうことを信じたいようだ。癇癪を起こす子供のように、つらつらと信用できない理由を捲し立てた。


「では何故、勝てる戦況にありながら今日までのらりくらりと前進しなんだのか! こそこそと義貴の家臣と連絡をとっていたのを、こちらが知らいでか! 何よりその沙羅を側近くに置き続けたのは? つまるところ、我ら西軍を裏切り東軍と手を結び、東軍とともに一気に我ら南山城の西軍を攻め滅ぼすつもりだったのだろう! そして、まんまと六角の領地を広げるつもりだったのだろうが!」


 相変わらず短絡的で、私と清和はほぼ同時に深い息を吐いた。

 六角が今日まで大合戦に持ち込まなかったのは、定親殿が僧兵勢力を味方に入れる時間が必要だったからだし、義貴兄様の家臣——おそらく今朝見かけた新右衛門——との遣り取りならば、私が討ってほしいと要請していた片桐高遠のことで情報を確認していたのだろう。そして、私を側に置いたのは、本当にこの人たち六角の善意と定匡殿の私的な欲望からだ。西軍を裏切ることなど、六角定匡という人に限ってはあり得ない。


「———殿……なんと愚かなことを!」


 足軽たちを捻じ伏せた綱興が入ってきて、太刀を抜いて相対峙する充剛と六角勢を見つめ愕然と漏らす。


「まさか……まさか、本当にそのようにお考えになって、六角様を? あなた様の耳には青砥の言葉しか入らないのですか!?」

「何を……」


 綱興の叱責に、ひどく狼狽する充剛。

 同じく遅れて入ってきた斉明に、私は目配せで次なる行動を指示した。斉明は左手にしていた強弓を速やかに引いた。いつの間に矢をつがえたのか分からぬ程の速さだった。

 さすが斉明! と心の中で喝采して、私は再び充剛に声を向ける。


「ここまでよ、充剛。いい加減目を覚ましたらどう?」


 充剛がギリっと奥歯を軋ませながら、それでもなお(はか)るかのように青砥を仰ぎかけたので、私は素早く警告を発す。


「充剛も青砥も、動くと射抜くわよ!」


 だが、一瞬早く青砥が充剛の背後に回った。腕をねじり上げて、あろうことか充剛を盾とする。


「充剛様っ!」


 綱興の悲鳴が上がった。その綱興にむかい、憐れむように青砥が笑いかけた。


「ここに至るまでも随分と邪険にされていたのに、そんなにこの馬鹿殿が大切なのか、林殿。ならば、交換といこうじゃないか」

「交換? 何とだ…… 殿と私とか?」

「はっ! てめぇなんかと交換して何になる。もちろん、そこのお姫様とだよ」


 なるほど。

 青砥は人質として適さない充剛よりも、私の方が逃げ切るための人質として適当と考えたか。


「交換に応じろ、綱興! 主命じゃ!」


 充剛は卑怯にも、綱興にそれを受け入れろと恥も外聞もなくわめいた。本当に駄目なやつ過ぎて、もはや充剛を評する言葉が見つからない。

 冷静な綱興だったが、迷うように視線を左右に揺らせた。私には———いや、私たちには綱興の選択は知れていた。


「沙羅姫様、御免」


 口惜しげにつぶやき、綱興は私に抜刀した太刀を向けた。定匡殿たちがそれを許すまいと動きかけたが、それよりも先に私が動いた。


「大丈夫よ。こうなるんじゃないかと思っていたから」


 私は鞘に収めた黒漆の太刀——天王丸を清和に渡して、小さく頷く。

 そのまま綱興の要求に従い、ともに充剛や青砥の陣地へとじりじりと距離を詰めていく。

 私の腕をとり、喉元へと(やいば)を向けながら、綱興はひどく硬い声で詫びた。


「沙羅姫様……誠に、誠に申し訳ございませぬ」

「………何をそんなに申し訳ないと思っているの? 青砥のこと? 充剛のこと?」


 無念そうにぐっと何かを飲み込むそぶりを見せる綱興に、私は言を継ぐ。


「それとも———私の大事な人を、殺したこと?」


 言いざまに綱興の肺腑めがけ肘鉄をくらわせた。

 予想もしていなかったのか、綱興はぐふっと呻きを上げて体を捩った。

 肘鉄を繰り出すのと同時に、清和が足元に滑らせるよう放った天王丸を足で受けとめ、身を沈めて抜刀するや綱興の太刀を弾き飛ばした。

 そのまま天王丸の切っ先を綱興の喉元に突きつける。



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