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 充剛の本陣は、以前の本陣からやや北西に移動した平城(ひらじろ)——久世城——に移っていた。平城とはいっても、定親殿の先陣のように堅牢な要塞ではない。隣接する極楽寺の境内を拡張し、土塁を設けただけの付け焼き刃の本陣だ。

 無論、そこに集う武士たちの本質もあまり変化はない。相変わらず烏合の衆だ。今日の勝ち戦に気分をよくして、早くも彼方此方で酒宴を上げている様子。

 駆け込んでくる私達七騎を物見高く目で追いはしたが、行手を遮るような真似はしなかった。

 いくら沙羅姫やお付きの斉明がその中にいるからと認識しているにしても、用心が悪すぎるわよね。忠誠心もありそうにない。

 虎口を抜けて馬出しを過ぎ、一の帯曲輪(おびくるわ)の手前で馬を下り、各々の馬をそこにいた充剛軍の足軽に委ねた。そのまま、徒士(かち)で本丸を目指す。


「何事か!」


 とようやく誰何(すいか)されて行手を遮られたのは、一の帯曲輪を通り抜け、二の曲輪に差し掛かったところだった。

 数名の武士が槍を構えて、私たちの前進を阻んだ。


「定匡殿に火急の要件がある。そこを通して」


 私はいつも通りの高飛車な態度で、道を開けろと顎をしゃくってみせた。しかし、そこにいた武士——黄瀬の(せがれ)をはじめとする充剛の家臣は、意外にも私の要求を拒絶した。


「今は重要な軍議中ゆえ、沙羅姫といえども面会はできかねる! 軍議が終わるまでここで待たれるか、出直されるが良かろう」


 けんもほろろな対応だが、充剛の家臣にしては頑張っているじゃないか。

 通常なら「その通りね」と呑んでやるところだが……今日はそうは行かない。


「青砥は? あいつはどこにいるの?」


 問いかける私の表情や、私の背後にずらりと居並ぶ清和や斉明ら六名の武将たちに、充剛の家臣たちは明かに気圧(けお)されていた。


「そ、そのようなことを、何故に姫が気にかけなさる」

「火急の要件といったでしょ。それに関係するからよ」


 顔を見合わせて盛んに目配せをする家臣たちを前に、私は嘆息する。

 ここはもう、強行突破か?


「青砥なら、軍議に参加しておりますよ」


 返答は、予想外にも背後から届いた。

 私たちが振り返った先には、こちらに近づいてくる綱興の常と変わらぬ爽やかな姿があった。


「いったい何事でしょう? 足軽たちが騒いでいたので急ぎ馳せ参じましたが……」


 予告なしの沙羅姫の登場——それも複数の武将を引き連れて——に、皆が好奇と怪訝の目を向け少なからず興奮している、と綱興は控えめにではあるが苦言を呈した。


「先触れもなく訪ねたのは申し訳なく思うわ。けれど、緊急事態なの」

「緊急事態、ですか……?」


 綱興ははてと首を傾げる。

 勝ち戦の今日、どんな緊急事態があるというのか……ピンとこない顔だ。


「綱興が出てきてくれてよかったわ。有り体に言うと……私達は定匡殿の命の危機を危惧しているの」

「なんと……。いやはや、西軍の本陣にあって、それはないでしょう———」


 一笑に付しかけた綱興だが、緊張を解かない私たちにすうっと表情を硬くする。その視線が私の手前に控える斉明に移った。斉明が小さく頷いた。


「まさか……!」

「とにかく! 今すぐ、定匡殿のところに行かせてちょうだい!」

「それは———」


 私の無理難題にいつもなら笑顔で快諾する綱興だが、この日は違った。

 大きく吸った息を、苦渋をにじませ吐き出す。


「———沙羅姫様のご要望ならば、ましてや六角定匡様のお命に関わる事態というならば、この綱興すぐにも聞き入れたいところではございますが……此度はできかねまする。只今の軍議には何人たりとも近づけるなという強いご下知が、殿より下っておりますゆえ」


 左様ぞ!と先程から私達の侵入を阻んでいた黄瀬の倅たちが援護の声を上げる。


「…………」


 私は隣に立つ清和、そしてこちらを振り返った斉明と視線をかわす。

 ここで派手に動いて揺さぶりをかけることもできるが………。

 清和が目線でそれを却下した。唇が微かに「あ、お、と」と動く。

 青砥が中にいるというならば、外で騒いでいる間に何かを仕掛けられてしまう危険性がある。


「姫様、もしやその……青砥が何かしでかしたのでしょうか?」


 清和の口の動きを同じように読んだのか、或いは最初に私が青砥の所在を訊ねていたのを思い出したのか、さっと顔色をなくした綱興が一歩身を乗り出した。

 私は「落ち着いて」と右手をあげて、充剛の忠臣を(なだ)める。


「そういえば、なぜ綱興はここにいるの? 厳しく人払いするような重要な軍議なのに……」

「———私は此度の軍議からは外されております」


 綱興は自嘲気味に続けた。


「先日、せっかく沙羅姫様と六角様に取りなしてもらったというのに、面目次第もございません。箴言のつもりが、またしても殿の不興を買ってしまったようで………。青砥とその配下の者への偏重が過ぎることと、西軍畠山の身内からあがる不満の声を、充剛様にうまく理解していただくことが出来ませんでした。此度の軍議に参加することはもちろん、今日の合戦についても私は待機を命じられました。戦働きなど私には必要ないと———ひとえに私の力不足でありましょう」

「林殿……!」


 その不憫さに感極まったのか、斉明が同情のこもる声を漏らした。


「……そうだったのね。それで、貴方は外にいて、あの青砥は今も充剛の近くに(はべ)っているということね」

「はい。戦時以外は、殿は青砥を側近くから離しませぬゆえ」

「でも、その青砥がもし同盟相手に牙を剥いたら……どうなるかしら?」


 項垂れる綱興だったが、数瞬の後、顔を上げた時には覚悟を決めていた。迷いのない双眼が私をとらえた。


「これまでも殿の御為と不興を承知で箴言してまいりました。今このとき、更なる不興を恐れて事態を見過ごすことになっては、臣下の面目がたちませぬ。殿の陣中にて、六角様の命が危ぶまれるなどということは、絶対にあってはならぬこと。ましてや、我が殿のお命を思うと寒心にたえませぬ……!」


 殿の言いつけを破る責は、全てこの綱興が引き受けます!と宣言して、綱興は私達を二の曲輪に入れる差配をした。

 充剛の下知を守る黄瀬の倅たちが抵抗するかと思ったが、綱興の人柄か人望か……、綱興が二言三言耳打ちすると意外なほどおとなしく彼らは場所を譲った。私たちのやり取りを耳にして、事態の深刻さを推測った者もいよう。

 綱興が私達を先導する形で二の曲輪へと足を踏み入れる。その一瞬、私の背後に従う清和の姿に不審の目をむけたのは、さすが綱興といったところか。


「この者は大丈夫。私が保証するわ」


 私の言葉に、綱興は首肯した。それ以上深く問うことをせず、通路を進む。

 先を急ぎながら、私は前を行く綱興の背に青砥の動向を訊ねた。


「不興を覚悟で箴言するほどに、青砥の動きは尋常ではなかったの?」

「姫様もご存知のように殿の側に侍るようになって以来、目に余る増長ぶりではございましたが、その……殿も些か青砥に甘過ぎるというか———それが端からは尋常な関係には見えぬ有様ではございました」

 殿を軽んじる風潮が生じて、どうしても見るに耐えませなんだ、と小さく肩を震わせながら綱興は続ける。

「おまけに青砥は古参の家臣を遠ざけて、殿をも巻き込んでなにやら数名で(はかりごと)の気配もあり………それゆえ、ひと言申し上げぬわけにはいかぬ状況で。……とはいえ、その謀も戦場での隠密行動かと我らは判じておりました。殿としては、六角の軍師・定親様の策略にただ乗りするのが、よほど気に障っておられたのかと。故に青砥を使って六角軍が驚嘆するような武功をあげさせるおつもりかと。実際、今日も朝一番から青砥は戦場に出ていたはずなのですが………昼頃に急に帰陣したと思ったら、殿が六角様たちを招集して急な軍議にあいなった次第でございます」


 顔だけをこちらに向けて、綱興は話を締めくくった。

 折よく、曲輪を出て、本丸に至る最後の幕前だった。


 さぁ、いよいよだ。


 私の目線に促されるようにして、幕の先へと一歩踏み出した綱興だが、


「……うん?」


 私を庇うように(にわか)に歩みを止めた。

 幕の外にいながら、常の合議ではあり得ない物々しさがすでに漏れ伝わっていた。布一枚隔てた幕の向こうからは味方同士とは思えぬ激しい応酬の気配と殺気が漂っている。

 すでに何事かがおこっている。ただ事ではない!


「行くわよ!」


 綱興を押し退けて、私は前に出た。幕の切間から、槍を手にした警備の足軽侍が驚いた顔で私たち八人を迎える。とっさに年嵩の足軽が動いて、私たちの前に槍を下ろした。


「立ち入りはなりませぬ!」

「問答無用!」


 私は佩刀していた天王丸の鯉口を切る。


「ここはおまかせを!」


 綱興と斉明、さらに六角の家臣が足軽たちを制圧して、私に道を作った。

 私は振り返ることもせず、ただすぐ背後に清和の存在を確信して、幕の内側に飛び込んだ。

 目の前には、遺体とわかる数人の武士が地に横たわっていた。その先には、ぐるりと充剛の家臣に取り囲まれ、中央に追い詰められた形の定匡殿たちの姿があった。


「何事か! 誰も入れるなと———」


 充剛の怒声が止むよりも早く、私と清和は定匡殿たちを取り囲む充剛軍の一角を崩した。その混乱に乗じて、危機的状況だった定匡殿たちも応戦し、包囲は脆くも崩れた。

 わずかな間に、本丸の前庭では定匡殿たちと充剛たちの二つの集団(グループ)に分かれる。


「沙羅姫、ご無事でしたか!」


 飛び込んできたのが私だと分かった瞬間、定匡殿は安堵の悲鳴に似た声を上げた。

 この状況でこちらの身を案じる定匡殿の変わらない紳士ぶりに、私は尊敬の気持ちと申しわけなさでいっぱいになる。


「定匡殿こそ! それに、定親殿も皆も無事でよかったわ!!」


 充剛に切先を向けながら私は早口で応えつつ、当初の疑問をぶつけた。


「それにしても、定匡殿らしくないわ。どうしてこんな状況に?」


 同じく太刀を抜いた状態で、私の右に立つ定匡殿の横顔をちらりと見遣る。視線は充剛たちに向けたまま、定匡殿は小さく顎をひいた。


「もとより今宵、戦を続けるかの話し合いをする予定でしたが、昼過ぎに急な報せを受けたのです。沙羅姫が東軍畠山に捕らえられて、いま充剛殿の本陣に取引の話がきていると」

「……人質交換を? いったい誰と?」



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