四
***
西陽が差す午後。
「おおっ、沙羅姫様! よくぞご無事で!!」
負傷により先に帰陣を命じていた斉明が、本陣の陣幕から飛び出してきた。
「お戻りが遅いので案じておりましたぞ。あと半刻ほどしても戻られぬようなら、再出陣をと準備しておったところで……」
私の帰還にほっとするも束の間、斉明は私に追従する武将が青砥ではないことに気づいて口を閉じた。その視線は兜に縫い付けられている。
青砥ではない見知らぬ武将と一緒の帰還、しかもその兜の前立ては<三日月に日輪>。そりゃ、斉明も言葉を失うわね。
どこまでを説明するべきか……あまり時間を割きたくはない。
「この者は、もしや……」
ややあって口を切った斉明に、私は頷いた。
「私が探していた者よ。ただし、討つ相手ではないの。いずれ定匡殿にはちゃんと説明する。だから斉明も今は何も聞かず行動を共にすることを認めて」
説明不足も甚だしく、強引な要求だった。だが、斉明はそれを受け入れた。
「姫様にそう懇願されては仕方がない。ただ一つだけ、確認を。———この者は、沙羅姫様を害するようなことは決してないのですな?」
「大丈夫よ」
これまでは散々に傷つけられたけど……とは独白にとどめておく。苦い笑みが浮かびそうで、私はキュッと口元を引きむすんだ。
そんな私の心中を読んだわけではないだろうが、意外なことに清和本人が一歩前に出て、きっぱりと斉明の懸念を払拭した。
「命を賭して守ることはすれど、害することだけは絶対にないと誓う」
その断言に、斉明は「ほほぉ」と目を細めて頷く。
斉明は好々爺然としているが、決して鈍くはない。六角の重臣として今なお現役で戦場にも出る男だ。この僅かな遣り取りで察したのだろう。沙羅姫と六角———以前の絆を。
少し寂しそうに斉明が笑った。
「して、この者を連れてどうなさる?」
「定匡殿に一刻も早く会いたいの。あまり猶予がないわ」
すると斉明は、うぅ〜んと唸り腕を組んで天を仰いだ。
「今すぐは少々無理があるかと存じまする」
「……その陣幕の向こうにお見えになるんじゃないの?」
「一刻ほど前に、急に充剛殿からの呼び出しがかかりましてな。私は怪我の手当てをしておるところでしたので詳細は存じませぬが、何やら退っ引きならない事態になったと。まぁ、充剛殿の云う『退っ引きならぬ』が真実どの程度か……とはいえ、無視はできますまい。殿は定親様も含め数名で充剛殿の本陣に向かわれ、いまだ沙汰はござりませぬ」
斉明はさほどの危機感を持っていないが、私は正直なところかなり焦っていた。
この本陣で定匡殿に会えないのもまずいが、それ以上にこの時点で定匡殿が充剛のとろこに出向いているというのは、非常にまずい。
青砥が残した言葉の感じでは、一両日中に事が起こりそうだった。
だが、舞台は戦場ではなさそうだ。
忠憲殿たちが討たれたのをはじめ、多くの東軍兵が敗走したことで、西軍の優勢は確定している。早くも東軍は本陣を引き払い、槙島城まで退却したと鷹丸からも聞いている。今日の合戦自体はもう決着がついたに等しく、戦場でのこれ以上の有事はない。
おそらく、事が起こるとしたら本陣で———。
清和と視線を交わして、私は決断する。
「いますぐ、充剛の本陣に向かうわ!」
「え、いや、沙羅姫様……それは、しばしお待ちを」
私の焦りの理由を知らない斉明ではあるが、万一の場合に———と定親殿から預かっているという文を陣幕の中から持ち出してきた。
定匡殿ではなく、軍師の定親殿がわざわざ残した……しかも私宛の文というのは少々気にかかる。
開いた文は、よほど急いだのか薄墨で記されていた。とはいえ薄くはあってもそのひどく達筆な文字は、定親殿の比叡山の僧であった日々を、束の間私に思い起こさせた。
定親殿は簡潔に要点を記していた。
今回の急な呼び出しは忌避できぬ内容なので、定匡殿ともども充剛の本陣に向かうことにする。
ここしばらく充剛の軍には不穏ともいえる動きもあり、また充剛の精神状態にも波があるようなので、抜かりなく用心はしている。
万一<何か>があったとしても定匡殿は必ず守るので、沙羅姫がこの文を受け取る事があるなら絶対に<追ってきてはいけない>。
定匡殿が戻ってくるまで斉明と大人しく待っているように———と親切に忠告までついていた。
「定親様は何と?」
斉明に訊かれ、
「追ってくるな……って」
文を折り畳みながら、私は正直に答える。
「では、こちらの本陣にて殿のお戻りをお待ちになられるということですな」
幾分ホッとする様子の斉明に、私は首を振る。
「いいえ、追うわ」
「なんと!?」
「お願いよ、斉明。定匡殿のことが心配なら行かせて。というか、斉明も一緒に来て」
詳細を明らかにすることはできないながらも、ここは強引に説き伏せるしかない。
「殿の身に危険が及ぶと申されますのか?」
「わからないわ。でも———」
僅かな逡巡の後、私は告げる。
「今、充剛の陣に<狂犬>がいる。何をするか解らない」
その一言に、斉明は即座に覚悟を決めた。
「承知いたしました。向かう手配をいたしましょう」
返事を耳に、早くも私は鎧の上帯を紐解いていた。陣幕の内にいるので、人の目はごくわずかだ。私は気にせず、鎧をその場で脱ぎ始める。
「ひ、姫様!?」
慌てる斉明を無視して、あっという間に鎧直垂姿になり、腰に天王丸を佩く。
隣で小さく溜息をつく清和にも「そっちも早く身軽になっておいてよ」と目立つ前立て付きの兜も鎧も脱ぐように、手伝うそぶりさえ見せてやった。
「まあ……その方が動きやすいか」
大人しく従う様子の清和に、斉明は少し面食らう。
「私もようよう沙羅姫様には慣れたつもりでおりましたが、其方は随分と姫のことを理解されている様子ですな」
清和はただ苦笑を返した。
平時なら仲良く会話もしてほしい二人だが、今はそんな余裕はない。
「手練れの武将が戻っていたら、数人集めてちょうだい。揃い次第、充剛の本陣に向かうわ」
*
半刻とかからず、斉明を含めた五人の武将と私と清和の計七名で、充剛の本陣を目指すことになった。
七騎のみで足軽はつれては行かない。何事も起こらなければよし、起こったなら迅速に処理できる実力者のみでの構成だ。
充剛の陣までは、さほどの距離はない。道すがら、清和の跨る黒帝と私の白帝を並走させて、ここに至るまでに互いに気になっていたいくつかの点を確認した。
なかでも清和が気にしていたのは、私がどれほど自らの手を血で染めたのかということだった。
何やら清成殿の魂魄から聞き知っていたらしいのだが、改めて私の口から黒田や赤目たちとの応酬、そしてこの戰であげた首級のことを聞かされると、清和は少なからず衝撃を受けたようだ。
「———お前の執念深さと行動力を侮っていた。判っていたのに……自己嫌悪で吐きそうだ」
「それは……なに? 私を褒めているの? それとも貶しているの?」
何気に下げられているようで、納得がいかない。しかし、そんな私の呟きなど耳に届かぬのか、清和は軽く頭を振って隣の馬上から私を見下ろした。
「頼むからもう無茶はするな………と言いたいが———今さら無駄か」
「私が自ら決めたことよ。貴方や清成殿に心を痛めてもらう必要はないわ」
それは偽らぬ本心だ。それよりも、私が気にかかるのは……
「ねえ……、清成殿から私の危機を聞くことができたなら、<狂犬>の正体をあらかじめ訊くことはできなかったの?」
もしかしたら、ここまでの私の苦労を水の泡に変えるかもしれない質問だが、しないわけにはいかなかった。
清和は前を向いて、いつもの皮肉な口調で応じる。
「当然、訊いた———が、討たれる前後のことは思い出せないらしい。複数の敵に囲まれていたことはぼんやりと覚えているが、それぞれの顔貌ははっきりしないそうだ」
わならない? ———あの清成殿にしては、随分と使えない答えじゃない……。
あるいは、清和に仇を討たせたくなくて、あえて覚えていないと言った可能性も?
「………もしかして、清成殿から仇討ちを止められた?」
「ああ。———だが、これは俺のけじめであり、退くつもりがないこともあいつは分かっていた。ただ、そこにお前を巻き込みたくなかったのは、俺も清成も同じだろう」
「ほんと余計な気遣いよ。しつこいようだけど、これは私の闘いでもあるわ。清成殿の仇をとる権利は私にもあるはず」
「だが、清成はそれを望むまい………」
清和の最後の呟きを、私は聞こえないフリをして充剛の本陣に飛び込んだ。




