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 何が、起こっている!?


 混乱する私の目は、その直後、清和の肩越しに飛来する幾本かの矢を捉えた。

 身を盾にして私を庇う清和の鎧兜に矢が突き刺さる。


「顔を上げるな!」


 兜を脱いだままの私の頭を押さえ込んで、くぐもった清和の声が降ってくる。


「どうして……私を助けるの」


 溢れでた呟きに、清和が応えた。


「清成が———」


 と。

 その瞬間、堪えていた感情が爆発した。


 結局———それなのか!


 私を愛していた清成殿のために、清和はいつも私を助けるというのか。

 愛してもいないのに! それがどれほど残酷なことか、知りもせず!!


 一度は晴れたはずの重苦しい気持ちが、ひたひたと忍び寄ってきていた。心が、真っ黒く塗り固められていく。心臓が凍てつき、細かい(ひび)が刻まれていく。

 もう、こんな気持ちを味わいたくなくて、勝負を挑んだ。

 そして、私は勝負に負けた。だから、私は私の始末をつけるために———自らの命で(あがな)うことを選んだ。なのに———


 矢がきれたのか、降り注ぐ雨注が止んだ。代わりに丘陵から(とき)の声が降りてくる。

 清和の身体を突き飛ばすようにして離れ、近くの地面に落ちていた弓と矢筒を取り上げた。丘陵から走ってくる足軽はわずかに三人だ。


 無作為に手にした弓は十郎左のものだったのか、私が引くにはあまりに重い強弓(ごうきゅう)だった。肩が壊れそうだったが、私の中の昏い怒気がそれを補った。続けざまに矢を二本射かける。

 先頭を走っていた一人がどうっと倒れた。次の三本目が引ける限界とさとり、残ったうちの一人に狙いを定めながら、私は吐き捨てる。


「私はいったい何なの!? 何のために、ここにいるの!?」


 びゅっと風切り音をたてて飛ぶ矢が、二人目を捕らえた。矢の勢いに吹き飛ばされるように、のけぞって草むらに沈む。

 仲間の死を横目に、自棄になったのか褒賞に目がくらんでいるのか、最後の足軽が刀を振り上げて突っ込んでこようとしていた。


「私は清成殿のために生かされているの!? たとえ死を望んでも、これまでもこれからも私の意志ではなく、貴方の意志でもなく、ただ清成殿のためだけに助け生かされ続けるの!?」

「沙羅!」


 弓を捨てて、天王丸の柄にかけた私の右手を、清和は上から押さえ込んだ。反対の左手には、すでに抜刀した竜王丸が握られている。その鋭い双眸は、迫ってくる足軽を見据えていた。


「清和———」


 またこうして、この男は清成殿のために私を助けるというのか!

 まるで終わりのない拷問だ。救われると期待して、その度に死ぬよりひどい苦しみを味わう。


「———もう、やめてよ!」


 喉の奥から声を絞り出す。


「私はこんな風に生かされたくはない。私が望んだのは……こんな生じゃない。この世にいない死んでしまった清成殿の為に生きるのではなく、私はまだ生きている清和と一緒に生きていきたいだけ! だって、まだ私も清和も生きている!! それは許されないことなの? 清成殿はそれを許してくれないの!?」


 絶叫に近い私の訴えに、足軽を一撃で斬り倒した清和が振り返る。


「……たしかに、出城が炎上したとき沙羅の居場所を知らせ導いてくれたのは清成だった。今日もまた、ここまでを知らせたのは清成の魂魄だ」


 私の想いをどこまでも否定する、低くよく通る声が耳に響く。

 清成殿の想いは、私なりに理解している。ただそれを清和の口から、もうこれ以上は聞かされたくはない。


「もう、やめ………」

「だが!」


 有無を言わせない強い瞳が、私の言葉を遮った。清和は真正面から私を見つめる。


「———清成のために沙羅を助けたことは、一度だってない。出城が炎上したときも、いまこの時も、お前を死なせたくないと思ったのはこの俺だ!」


 意味を理解するより先に、心臓がドクンっと大きく脈打った。


「出城の炎の中で生を放棄したあのときから、お前の命は俺のものだ! 勝手には死なせんぞ!!」


 高鳴る心臓に喘ぐように、私は息を呑む。


 俺のものって……何を、言っているの?


「………貴方は、私のことなんか………」


 戸惑う私の前で、清和はその端正な顔を歪めた。

 だが、今度は怒りではなかった。泣き笑いのような、どこか切ない表情———炎上する出城で見た清成殿………否、清和の顔がそこにあった。


「こんなじゃじゃ馬のうえ執念深く、意地張りで負けず嫌いな女を好きになるなんて、俺はどうかしている。だが、気づいてしまった。……炎の中で最期だと微笑んだお前を見て、どうしても失いたくないと。俺もまた———お前を、愛していると」


 自らを嘆くような清和の告白に、私は思い知る。

 すべてを捨てても、命を懸けても欲しいと望んだ———けれど、決して手に入らないと絶望したものが、いま手をのばせば届くところにある。


 重苦しく暗かった胸の裡が、ゆっくりと軽く明るくなっていく。体中に熱い血がみなぎる。今すぐ駆け出して、声のかぎり叫びたい!


 私の想いは、叶ったのだ!!

 何度も諦めようとして、諦められなかった恋が、

 この身を滅ぼすとされた盲目の恋が、

 行方の知れなかった私の恋が、

 いまここで成就したのだ!


「…………!」


 これまでの人生で味わったことのない興奮の波に打ち震えていると、ちょっとは落ち着いたらどうだいと云うように白帝と黒帝が駆けてきた。

 そして、私は……私たちは急速に現実へと引き戻された。


 青砥が姿を消した前方……木津川の方向から、複数の足軽が近づきつつあった。

 東軍? 西軍?

 いずれにしても、ここにいる私と清和の組み合わせを説明するのは難しい。戦わずして済ませるのが一番だが………。

 私は素早く白帝の手綱をとった。清和はすでに黒帝に跨っている。

 馬上で改めて、天王丸を佩刀する。

 不思議なことに、それだけでいつもの私に戻った気がした。


 足軽たちは見たところ七人。

 当初は戦う気配を見せていなかったが、馬に跨った私たちの姿に褒賞の夢を見たのか、俄に殺気を漂わせ始めていた。二手に分かれて、ゆっくりと距離を詰めはじめている。

 お互いに背中を預けながら、私は早口に問う。


「つまり……清和、あなたは私と一緒に生きるということね?」

「———そうだ」

「片桐何某ではなく、細川清和として?」

「そうでなければ、お前は納得しないし暴走もやめないだろう。やむをえん」


 その一言に、完全なる勝利を確信する。

 いつかの嵐の夜と同じように、私の口元には不敵な笑みが浮かんだ。


「言質をとったわよ」

「承知した」


 低く響く清和の声に、不敵な笑みとは別に、こみ上げてくる熱いものがあった。不覚にも今にも涙腺が開きそうだ。

 背中ごしにそれを察した清和が、冷ややかな調子になって鋭く釘を刺してきた。


「本当に馬鹿なのか? 戦場にいるのを忘れるな。まだまだ問題は山積だぞ!」


 その言葉は真実だ。でも私は、それすらも嬉しかった。

 生きている、生きていてよかった———と実感させてくれる。私の知っている、細川清和の言葉だったから。


       ***


 近づいてきた足軽は、どうやら西軍・充剛軍の者たちだった。

 槍を構えた年嵩の男が、私の正体に気づいていち早く叫声を上げた。


「ありゃ、沙羅姫様じゃっ! 殿様のお従兄妹の姫様じゃ!」


「………見事に有名人だな」


 背後から清和お得意の皮肉が届いたが、ここは黙殺する。

 白帝の手綱を引いたまま、まだ距離のある足軽たちに声をかけた。


「充剛のところの足軽ね? 大将はどうしたの?」


 直接声をかけられたことに驚いた様子で足軽たちは互いに顔を見合わせていたが、やがて先ほど声を上げた男が代表で答えた。


「……へぇ、遊佐の若様について戦っておりましたが、木津川西岸で東軍を分断した際にわしらはぐれてしまって………出くわした東軍とやり合いながら、なんとかここまで引き揚げてきた次第ですわい」


 なるほど。充剛の本陣に引き上げるところというわけか。


「わかったわ。私はまだここで為すべきことがあるから、お前たちはそのまま引き揚げなさい」


 清和側に展開している足軽たちにも聴こえるように、大きな声で言った。

 この沙羅姫を守って、一緒に戦え!と命じられると思っていたのか、半分くらいの足軽たちはポカンとしている。

 いかに充剛のところの足軽といえども、無駄に死なせたくはない。何より、私はここに至るまでに私についてきた三人の足軽のうち二人を死なせている。これ以上は、犠牲を出したくなかった。

 そして、ここには清和もいる。

 チラリと背後に目をやると、清和と目があった。小さく頷いて返してくる。


「はぁ……。では、そういたします」


 頷いた年嵩の男に続いて、ぞろぞろと足軽が動き出したかに見えたが———。


「ひっ、姫様! あのっそのっ、おそれながら……そちらに見える武将は、西軍の武将にあられましょうか?」


 清和の側にいた若い足軽が、ひどく裏返った声を上げた。私は馬首を巡らせて清和の隣に並び、少し先に突っ立っている男を見下ろす。声の印象とは違い、堂々とした体躯を持つ精悍な顔つきの若者だった。

 慌てたように年嵩の男たちが合流して、若い足軽を小突き回した。


「おまっ何を、姫様に口利いてるんじゃ!」

「姫様守っとる武将が、西軍じゃのうたらなんじゃいうんか」

「ここ、この者のご無礼をお許しくだされ!」


 頭を押さえられた若い足軽は、しかし、仲間やこの<沙羅姫>をものともせず、ついと立てた人差し指で清和を———正確には、清和が(いただ)く兜を指した。


「おれぁ、六角の兵達が話しとるのを聞いた! この戦場で、三日月に日輪の前立ての兜をかぶった東軍の武将を見つけたら凄い褒賞が出るってよぅ」



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