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<登場人物>

沙羅姫…主人公。畠山宗家の姫君。細川家に嫁ぐが未亡人となる。現在は六角に身を寄せる。

細川清和…細川京兆家の若君。弟の敵討ちのため片桐高遠と名乗り、南山城の東軍畠山に潜入中。

細川清成…清和の双子の弟。丹波合戦で細川清和として討死。


六角定匡…六角家の当主。亡き妻の遺言で西軍に与する。

六角定親…定匡の叔父。定匡の後見役兼参謀。

山内斉明…六角家の重臣。沙羅のお目付役。


畠山充剛…沙羅の従兄弟。南山城の西軍畠山を率いる。

林綱興…充剛の家臣。

青砥十兵衛…充剛の家臣。

遊佐、黄瀬…西軍畠山の古参の家臣。


畠山義貴…沙羅の兄。南山城の東軍畠山を率いる。

齋藤鷹丸…沙羅の乳姉弟。義貴の家臣。

畠山頼忠…沙羅の叔父。南山城の東軍畠山を率いる。

畠山忠憲…頼忠の次男。沙羅の従兄弟。討死。


細川清元… 清和の父。東軍総領・細川家の当主。

音羽丸…清和の異母弟。比叡山にて出家。




 それまで手にしていた糸巻きの太刀を鞘に納めて大地に置いた。そして、この戦場に出ても抜くことのなかった黒漆の太刀の柄に手をかける。

 手に馴染む感触に、私は安堵を覚える。

 清和は黒帝の背から降りて、そんな私の一連の行動を冷ややかに見ていた。


「さあ、始めましょう!」


 白銀に輝く刀身を抜いて構える。清和は無言で、やはり黒漆の太刀を抜いた。


 直後。


 右肩目がけ繰り出される剣戟を右に払い、間をおかず振り下ろされた白刃を上段で受け止める。ギヤンっと云う重い金属音が、両腕を通して体に響く。腰を入れて全身で押し返すが、上背のある清和はそれを容易には許さない。

 ギギギっと刀身を鍔元まで滑らせたところで、ほんの須臾(しゅゆ)、身を引いた。そのまま刀を返して、清和の太刀を上方から抑え込む。

 鎧越しに肩と肩をぶつけて、おしもどされまいと懸命に太刀を食い止めた。肩先から、一瞬ふっと笑うような気配がした。視線を走らせて、清和のそれとぶつかる。涼しく冷ややかな瞳が、どこか愉快そうに輝いていた。余裕を見せつけられて、その瞬間気が散じる。

 力技で太刀を弾き返され、そのまま間合いをとるため私は背後に飛び退さった。だが、足元が不安定だったのと、常とは異なる鎧の重さを読み違えていて、思ったほどに距離を稼げない。


 まずいっ!


 息を呑んだ、その眼前を凶光が薙いで行く。白刃は首筋を通りすぎ、束ねていた髪がいく筋かはらりと宙に舞った。清和の左手に握られた太刀は、際どいところで私の身には届かなかった。

 だが、息をついている間はない。

 次の一太刀を受け止めて、さらに体重を掛ける清和をくぐるように、清和の足を払い地を転がる。すぐさま立ち上がり、互いに体勢を立て直す。

 左腕にかすかな違和感を感じて目を落とすと、籠手と大袖の隙間に覗く小袖に血が滲んでいた。転がる際に、清和の太刀が(かす)ったか。たいした傷ではない。が、今日この時までこの戦場で命のやりとりをしてきて、初めての負傷だった。他者の血が流れることはあっても自分の血が流れることはなかった。———こうして、清和とやりあうまでは。


 そうだ。私はここで清和と決着をつけようとしている。命を懸けて。


 (おもて)を上げて、私は清和を正面から捉えた。互いに引くことも、逃げる必要もない。

 ただ、自分の持てる実力(ちから)のかぎりを尽くして、剣技をぶつかり合わせればいい。

 口の端がキュッと持ち上がった。


「いくわ!」


 乱撃というに相応しい、激しい突きの連打。だが、出す切っ先をことごとく受け止め、避けられる。はじき返された剣と一緒に右に身を一転して、清和の胴を左から横に払う。清和はそれを受け止め、逆に打ち返す。


 いつかのように全く余裕がないのに、ぞくぞくして楽しいとすら思う私がいた。

 上がる息も、流れ落ちる汗も不快なはずなのに気にならない。

 いっそ、このままの時間が続けばいいと思える。体は限界で、悲鳴を上げている。けれど心は満たされて、幸せな気分でいっぱいだった。そこに苦しみはない。


 清和を失う苦しみ、それ以上に清和に拒絶される苦しみ。———もう二度とあの苦しみを味わいたくない。だから、それを断つためにここにやってきた。

 いま、その苦しみを忘却して、こうして幸せな殺し合いをしているこのときに、私は清和に殺されることを望んでいる。だから………どうかこのまま、もう、このまま私を消してほしい。


 額から流れる汗が、右目に入った。太刀越しに清和を睨む眼から、熱い涙がこぼれ落ちた。汗が滲みたせいなのか、それともこうして清和と再び太刀を交えているこの瞬間を迎えたことへの喜びと悲しみなのか。

 清和の鋭い瞳がすがめられて、一瞬、押し戻す力が弱まった気がした。その機会を逃すまいと太刀を弾いて、身体を沈ませるや逆袈裟に清和の胴を斬りあげる。鎧が邪魔して、身体に届かないのは分かっていた。刃先が鎧を舐める感触を、ゆっくりと感じる。そのまま踏み込んで、血肉まで到達させれば———


 ガギンっと重い衝撃と同時に、私の両手は空を掴んでいた。視界の左端を黒漆の太刀が()ぎる。同時に、眼前には清和の太刀が———(きら)めく凶刃が迫っていた。

 私は最期の瞬間を悟る。


 ———ああ。悔しいけれど、やっぱり清和には勝てなかった………。


 その刹那、これまでの人生の記憶が鮮やかに脳裏を駆け抜けた。

 懐かしい人々が行き過ぎて色彩を失って行く中で、その人だけはどこまでも鮮やかな色を(まと)っていた。私が見たかった記憶は……景色は、色褪せない目の前の男に重なる。

 行方の知れなかった恋は———ここで終わる。


 しかし。


 首筋を襲うであろう衝撃はいつまでもなく、私は最期の瞬間まで焼き付けるつもりの男の顔から視線を下ろす。下ろした先には、ゆっくりと肌から離れていく白刃が映った。


 清和は低く息を吐きながら、太刀を下ろした。その姿は嫌になる程冷静で、予想通りこの常識的な貴公子は、私を一思いには殺してはくれない。


 そう———それも解っていたこと。


 仕方ないか、と私は自分に言い聞かせる。

 もとより、苦しみを他力で除くことなど、私らしくない選択であった。

 深呼吸をして、強張っていた全身の筋肉を弛緩させる。それから、飛ばされて地に落ちた黒漆の太刀を拾い上げ、ひゅっと一振りののち鞘に納めた。太刀緒を解いて鞘ごと身体からはなす。


 今一度、鞘に傷を持つその太刀———竜王丸を眺める。


 私たちの、勝負の始まりの太刀でもあった。あの夜、清和が握っていた太刀を、この勝負でまさか私が握ることになるとは思ってもいなかった。

 鞘の傷跡を左の親指でひとなでして、別れの挨拶にかえる。

 やがて私は踵を返して、忠憲殿の骸の側にたたずむ清和に近づいた。顔を上げた清和に、竜王丸を差し出す。


「貴方の太刀でしょ」


 清和は微苦笑を浮かべて、竜王丸を見下ろした。


「気づいていたのか」

「まぁね。私は清成殿の太刀——天王丸——のほうが使い慣れているの。だから、返して」

「……わかった」


 まるで今までの斬りあいなどなかったかのように、私と清和は淡々と太刀を交換した。

 受け取った天王丸は、竜王丸よりなおしっくりと手になじみ、心地よい重さを有していた。つい先刻まで私の命を削ろうとしていた得物にはそぐわない唯美さを湛えている。

 常識的で正論を振りかざす清和だが、それ以前に、この清成殿の天王丸で私を斬ることなど出来るはずもなかったのだ。


 結局、私は清成殿に守られていた。いつかの———言葉の通りに。


 湧き上がる愛しさに、清成殿の太刀をそっと抱いた。

 だが、いつまでも感傷に浸っている猶予はない。

 太刀を左手に握り、私は清和をまっすぐ見つめる。


「このまま忠憲殿たちを討ち捨てにしておくのは忍びないから、あとのことは貴方にまかせるわ」


 竜王丸を佩刀して、清和はその足元の忠憲殿と十郎左の骸に再び視線をおとす。


「……それで、いいのか?」

「もとより、討つつもりではなかったから………」

「どういうことだ?」


 問いかける清和にかまわず、私は自分の問いを重ねた。


「山名の<狂犬>のことは、わかったの?」

「——いま、出自を追っている」


 低く応じる清和に、そう……と気のない返事をして、私は少し離れた場所で草を食む白と黒の二頭の馬を確認する。


「……じゃあ、気をつけてね。<狂犬>はなにやら『面白いこと』をいますぐにでもやらかす心づもりみたいよ」

「なんだと……!?」


 気色ばんで詰め寄ろうとする清和を右手で制して、こちらの握る情報を伝えることにした。かいつまんで、青砥との遣り取りを教える。


「———青砥がそうであるのか、ないのか、結局わからなかった。<狂犬>その者には私も辿り着けなかったということね。が、その近くまでは寄ったように思うわ。……ただ、残念だけど私はここまでよ。<狂犬>のことも含め、後のことは宜しく」

「お前は、どうするつもりだ?」


 真剣な眼差しで対峙する清和に、私はやんわりと微笑んだ。———微笑めて、いるだろうか……?と内心は落ち着かない。

 だって、最後くらいは畠山の沙羅姫らしくありたいじゃない。まだ、それくらいの矜持(プライド)はある。

 それでも微笑が泣き顔になりそうで、私は慌てて背を向けた。

 戦場の血の匂いをはらんだ風が頬をなでる。


「最初から、わかっていたわ————こうなることは。大丈夫、自分の起こしたことの始末はつけられるから」


 そう言い残して、白帝へと足を向けた。


 始末はつけられる。でもそれは、清和の目の届かないところで。


「待て、沙羅!」


 去ろうとする私を清和が呼び止めた。だが、私は待つつもりも振り返るつもりもない。

 微かに舌打ちが聞こえて、追いかけてきた清和の左手が私の肩を掴んだ。


「まだ話が……」


 なおも振り切ろうとする私の視線の先で、二頭の馬が同時に頭を上げた。私たちがいる背後の丘陵を注視している。


「———!」


 振り返る間もなく肩ごと引き寄せられた。そのまま抱きしめられるように、清和の腕の中に引き込まれる。




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