六
「さぁて………」
青砥は顔色を変えることなく、肯定も否定もしない。
「清な……いや、清和のときも、こんな風にして虜になってるのを殺したのね? 何のために!」
不覚にも声が震えた。
青砥はそんな私を憐れむように見下ろして、おもむろに応えた。
「海の向こうの唐土には一千年以上も前に、こんなことを云った農民がいたとか……『王侯将相いずくんぞ種あらんや』とな」
『史記』の一節を、こんな下賤の男が誦じたことに軽い衝撃を受ける。
「……ただ名門に生まれただけの清和が、東軍を率いる大将だというのが気に食わなかったとでも?」
「いや、そうじゃないな。むしろ、某個人としては結構気に入ってたぜ、あの若君の度胸や計算高さには惚れ惚れするところがあった。まさに、あんたが舞った蘭陵王の如しだ。あんたが執着するのも、まぁ分からなくはない」
「——貴様っ………」
知った風な口をきく青砥に、沸々と憎しみが湧き上がる。
あの日、狂犬たちが命を奪った清成殿が真実何者であったのかも知らないくせに!
強い憎悪を募らせる私とは真逆に、青砥はこれまで見せたこともない冷静さを保っていた。その言動には余裕すら感じる。
「なんだかなぁ……元夫君を褒めてるのに、その顔はないんじゃねえか。これまでもこっちのことを随分と毛嫌いしてくれてるが……こう見えても某ぁ姫様のことは嫌いじゃないぜ」
「へぇぇえ……意外ね」
そう言う私の顔には「虫唾が走る!」とはっきり出ていたのだろう。
そう、私は清和のように腹芸は得意ではない。根が正直者だもの。
青砥は苦笑を浮かべた。
「信じてないか。まぁ、そういう疑り深いところもいい……というのもな、某はあんたによく似たお姫様を知っているのさ。なに、見た目の話じゃない。その我の強さがな……よく似ている。どこまでも己の意志を通そうとする———」
その顔から歪んだ笑みが消えて、僅かに目元にだけ微笑が残った。いつものぎらついた粗野で下品な目つきではなく、壮年の武士らしい穏やかな眼だった。
私の向こうに、ここにはいない誰かを……そのよく似ているという姫を見ているの?
初めて見る青砥の真摯な姿に、私は内心驚きを隠せない。
青砥とは、こんな表情ができる男だったのか……?
でも———どんな男であったとしても、清成殿を殺したことに変わりはない。
「そんなに似ていると云うのなら、分かるでしょ? あるいは、ご自慢の<心眼>で見えてるんじゃないかしら? 私がいま、なにを知りたがっているのか」
「そうさな。だが、某の知る姫様はあんたよりも随分と忍耐強い。目的のためなら、どれだけでも耐え忍ぶ強さを持っている。そして、利用できるものは何でも利用する。あんたにはそれが少し足りない。もう少し待ってりゃ、こんな風に己の命を危機に晒さなくとも、あんたの知りたいことを……いや、望むものを持ってきてくれる相手がそこ此処にいるってのに。なんだって、自分が出てきちまうかねぇ」
「貴様に云われずとも、分かってるわ。私は堪え性がないの。そのうえ諦めも悪いわ。何事も自分の目と耳で確認しないと気が済まないのよ!」
糸巻きの太刀を抜きざまに、一歩ではなく二歩踏み出した。兜と喉輪の空隙を狙うが、青砥はすでに私の攻撃を見切っていた。大きく上体を逸らして太刀を躱すと同時に、地面に打ち捨てられたままであった忠憲殿の兜を拾いあげ、私に向かい投擲した。
引き戻した太刀で、咄嗟にそれを打ち落とす。派手な音を立てて、兜が転がった。その先には距離を稼いだ青砥が、逃げもせず悠然と立っていた。未だ腰の太刀を抜く気配はない。
そのまま私と青砥は睨み合った。
「……なぜ、太刀を抜かないの? 私を馬鹿にしているの?」
「馬鹿正直だとは思うが……云ったろう、嫌いじゃないって」
「だったら、はぐらかさずに私の質問に答えなさいよ!」
太刀を構えたまま、言葉だけを青砥にぶつける。青砥はかすかに息を吐いた。
「なぜ、細川清和を殺したか……? それは、今の世の中の在り方が気に入らねえからだ」
本物の馬鹿は、どうやら目の前の男の方らしい。
つまるところ、陳勝と同じく下剋上を狙う野心家だったに過ぎないのか。
「…………」
「おいおい、そんな顔をするもんじゃねぇ。生憎、夢想家でもねぇ。……今の世の中が気に入らないながらも、だからって某には……というか誰にもどうする事もできまいと思っていたよ。世の中そういうものだろうと。だがな、たった一人でそれを変えようという人がいてな———それもひどく現実的な方法でな。いきなり世の中まるっとは無理がある。だが、ごく限られた範囲でなら変えることも不可能ではない。その人は己が目指す世を実現する段取りを綿密にたてる周到さを持っていて、それが面白えから———某は付いていこうと思ったのよ。そして、その目指す先に細川の若君は立ちはだかってしまっただけのこと」
「———面白ければ、それでいいと?」
気色ばむ私に、青砥はふっと浅く笑った。
「そりゃ面白い方がいいに決まってるだろうが………ま、こんな某にも譲れぬものはあるってことだ。そのためなら邪魔なものは排除し、使えるものはとことん使う。某の知る姫様のようにな。それだけだ」
清成殿が犬飼の野望の邪魔だから、殺したということ? 捕虜になっているのに?
「———わからないわ。どうして、きよ……かずが、邪魔になるの? 捕虜になっていて人質交換を待つだけの高貴なお荷物に過ぎなかったでしょ。清和を殺すことで、犬飼がその後釜に座れるとでも妄想していたの?『いずくんぞ種あらんや』を取り違えてるんじゃないでしょうね」
「やれやれ、充剛公と一緒にしてもらっちゃあ困るぜ」
現在仕える主君を軽く侮辱して、青砥はしゃあしゃあとしている。この男に悲愴なまでの信頼を寄せている充剛が、どうにも哀れに思えて仕方ない。
「さっき言ったろう……細川清和は度胸も計算高さも惚れ惚れすると」
充剛を評するのとは打って変わり、青砥の声音は真面目なそれになっていた。
「細川清和がその弟(清国)に代わって捕虜になったのは、育ちの良さからくる甘さゆえだろうと最初は思った。でなけりゃ、どうして嫡男が末っ子の身代わりになどなる?こんな御曹司が跡継ぎでは細川も終わったな、と一同忍び笑いを漏らしたほどだ。だが……実際は違った。細川清和の行動は、すべて計算ずくだった。細川の御曹司が捕虜となれば、人質交換の前に必ず山名の上層部と顔を合わせる。その際に、あの御曹司は直接対話をするつもりだった。それも、五年以上も続くこの大戦を終わらせるためのな」
まさか………。
声にならない呻きが漏れそうになって、私はきつく唇を引き結ぶ。
驍将である清和と智将である清成殿———その二人の違いを思い出して、胸が熱くなった。
かつて、清和に宛てた文にも、清成殿のその考えは綴られていた。やはり、清成殿は自らの策略に勝機があると思ったからこそ、犬飼たちに囚われたのか。
青砥は苦虫を噛み潰すように口の端を歪めた後、締めくくった。
「この戦乱の世が終わってしまっては、せっかくの面白い企みもパァだ。こちらは戦の終結……それを阻止したまでのこと。細川清和には死んで役に立つ駒になってもらった」
清成殿が山名豊然の説得を実行していたなら、丹波合戦をもってこの大戦は収束していたのかもしれない。だが、犬飼はそれをさせなかった。自らの頼む戦乱の世を続けるために———。
「貴様が……犬飼なの? それとも、貴様の云う世の中を変える面白い人というのが、犬飼?」
重ねた問いに、青砥はこれまでの饒舌が嘘だったように、沈黙に徹した。
最初から、一度もこの問いにはだけは応じない。そこだけは決して崩さない。
「………いいわ」
いずれにせよ、この男は無関係ではない。ここで<狂犬>のことを吐き出させるか、あるいは殺すしかない———この手で。
もとより、この男に手加減も情けも必要ではない。そして、この男は腕の立つ男ではあるが、十郎左のような別格な使い手ではない。
「話す気がないなら、話したくなるようにするまで」
再び殺気が満ちていく中、青砥もようやく私に対峙する気になったらしい。だらりと下ろしていた右腕が、ピクピクと小刻みに震えている。
奴のその右手が太刀の柄にかかる前に、私が必ず先手を取り一瞬で片付けてやる!
糸巻きの太刀を正眼に構えて、青砥の一切の動きを封じる。
私と奴の間には幾重にも緊張の糸が張り巡らされる。そのどれか一本を断ち切るのは、私か青砥か。
だが———
「忠憲殿ーっ! 忠憲殿はいずこか!」
緊張の糸を断ったのは、遠くから響いた敵将の声だった。
低いがよく通る声。
それは激しい雷鳴のように轟いた。
その刹那、私は目の前の青砥を失念していた。雷に打たれたように、全身を硬直させる。
視界の端……丘陵の頂に騎馬の影があった。漆黒の馬に跨った武者が駆けてこようとしている。
はっとした次の瞬間には、青砥はすばやく手綱を取って馬上の人となっていた。
「あんたのことは嫌いじゃないが、少々喋りすぎた。ここで殺すのもやむなしかと思案していたが……その役目はあんたの身内に譲ってやろう。この状況だ、東軍の餌食となるのは必定。楽な死に方は出来んぞ。あんたのような強気で生意気な姫が、絶望し泣き喚きながら死んでいくのを見るのも一興だが……まぁいい。いまはそれよりも面白いものが待っているゆえ。ははは!」
高笑いしてくるりと背を向けた青砥を、白帝に跨り追うことも出来た。だが、私はその場にとどまった。
丘陵を下りてくる一騎から視線をそらすことなく、今まで重荷でしかなかった兜の紐を解く。
脱いだ兜をごとりと地に落とすと、今までの不安や憂鬱で沈痛な思いも一緒に落ちた気がした。不意に身軽になり笑い出したいような浮かれた気分になった。
———運命は私に味方をした!
***
相手がどの時点で、私——沙羅姫であると気づいたのかは定かではない。
ただ黒帝に跨った清和は速度を落とすこなく、また躊躇もなく私の前までやってきて、しばし無言でその周囲を見やった。私の足元には足軽にまじって忠憲殿と十郎左の未だ血の乾かぬ死体が横たわっている。
清和は青砥が駆けていったほうに一度だけ視線を送り、そこにもはや何の影も認められないのを確認すると、再び私に視線を戻して訊いた。
「………お前が、やったのか?」
「だとしたら何?」
「わかっていてやったのか!? お前の従兄弟だぞ!」
「親兄弟でも従兄弟でも、ここでは敵だもの。当然、討つわよ」
状況から見て、清和は二人を弑したのが私だと確信している。そしてまた、私もその誤解をあえて解くつもりはなかった。
清和の端正な顔が歪んでいた。これまで見たことのない憤怒の形相をしている。
「俺は、忠憲殿のことを弟のように思っていた。その危機には駆けつけるし、守るつもりだった」
それはかつて、本当の弟を……清成殿を守りきれなかったから?
と声には出さずに、心の内で尋ねる。
「———野太刀の十郎左殿と腹心がついていて、西軍の陣地を突破できないはずがないと踏んでいた。ましてや、お前がいるなら……」
「間に合わなくて残念ね。でも、私はここで彼らにあえてよかったわ。おかげで、目的のあなたに会えたんだもの」
清和の怒りがさらに増すとわかっていて、私は不敵に笑んだ。
もはや、清和にどう思われようと———どれほど嫌われようとも憎まれようとも構わない。
「勝負を………決着をつけましょう。剣と剣で。あの嵐の夜の約束どおり、私を解き放ってもらうわ」
清和の喉がごくりと鳴る。
「………ここは戦場だ。ここでの勝負には、生か死しかない」
「もちろんよ。そのつもりで挑んでいるの」
「………」
清和らしくない、逡巡するようなわずかな沈黙があった。
だが、それも束の間。
私の覚悟に、清和の冷ややかな瞳が応えた。
「———よかろう」
こうして私の目論見どおり、私と清和はついに一対一の勝負を迎えることになった。
長く保留になっていたあの日の決着が、今まさに着こうとしている。




