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「相手に不服はございませぬ」


 久しぶりに聞く従兄弟の声は、すっかり低く大人のそれに変わっていた。


「沙羅姫様の剣の腕前は義貴殿から聞き及んでおります。わたし一人なら、名誉のためにも戦いましょう。でも、私は家臣を盾に一人生き延びのとうはないのです!」


 人としては立派で天晴れな言い草だが、主従の関係をこの少年は正しく理解していない。見た目ほどに、大人にはなれていないのか。

 言葉もなく呆れて首を振る私に、忠憲殿は落とした太刀を拾うどころか、両膝をついて宣言した。


「忠憲は、降参いたします!」


 降参ですって!?


「ちょっ……忠憲殿…!?」

「今より、わたしを捕虜として捕らえてください。そして、あの十郎左も生きたまま、捕虜として……!」


 そういうことか、と漸く私も悟る。

 十郎左は討ち死にを覚悟していた。忠憲殿を逃すためならば、その命を惜しむことはしない忠義の家臣だ。あの男を生かすには——生き恥云々ではなく理由をもって生かすには——主人と一緒に捕えるのは有効だ。


「青砥! 十郎左! そこまでよ!!」


 すぐさま、組み合う二人に勝負はついたと告げる。

 二人の武者は馬を寄せ太刀を交えたまま、視線だけをこちらに鋭く投げた。私は白帝の上から、地に膝をつく忠憲殿の首筋に太刀の切っ先を突きつけてみせる。


「……若っ!」


 驚愕とも恐怖とも取れる叫びを上げて、十郎左は大太刀を振るった。大太刀に弾かれるように青砥は後退し、そのまま青眼に構えた太刀越しに私達を静観する。


「……十郎左、大太刀を下ろして。忠憲殿を殺したくないなら、貴方も一緒に捕虜になりなさい。———従兄弟として、出来うる限り丁重にもてなすよう六角に掛け合うわ」


 保障が信用できるものか否かを量るように十郎左はじっと私を見つめ、それから膝をついている若い主人へと問うような眼差しを向けた。忠憲殿は何も言わず、ただ小さく頷いてみせる。

 忠憲殿の顔色から読みとれることがどれほどあったのか……主従にしかわからない無言のやりとりを経て、十郎左は大太刀を背中の鞘に収めた。


「———沙羅姫様の勧言、お()けいたしましょう」


 馬から降りると鞘ごと大太刀を外して、腰刀と一緒に差し出す。目の前の青砥にそれを取るよう眼で示した。


「………本気かよ」


 訝りつつも、青砥も馬を降りて東軍の捕虜に対処すべく行動をとった。

 忠憲殿は安堵の息をついて、私を見上げた。ふわりと微笑したその顔はあどけなく、幼い日の弟分に戻って見えた。

 私も引き結んでいた口元を少しだけ緩めて、高まっていた緊張をほぐす。


 もともと東軍畠山の、それも仲の悪くはなかった従兄弟だ。討つには忍びないと思っていた。私にとって、これは悪くない結果だ。

 それに私の目的は、西軍として戦に勝利することではない。この戦場に出してくれた定匡殿のためにも私に出来る戦働きはするつもりだが、私の真の目的はただひとつ———清和と対決することだけ。

 清和以外は、全ておまけのようなものだ。無駄に血を流す必要はない。


 武装解除され兜を脱いだ忠憲殿と十郎左を青砥が縄で縛り上げるのを待って、私は白帝から降りた。

 遠く兵たちが争う音が風に乗って聞こえてはくるが、周辺には敵の気配も味方の気配もない。今暫くは、会話をするくらいの猶予がありそうだ。

 私は十郎左の(かたわら)に立って訊ねた。


「ときに、其方(そなた)らと同じ東軍畠山に片桐高遠なる武将がいると聞いたが」


 今日、どの戦場に出ているか知っているか?と問う私に、十郎左は怪訝な表情を浮かべたものの、


「片桐殿ならば分断された後方の軍にいたはずでござる」


 と応じた。


「我らをはやく西軍の陣地に移動させねば、あの御仁が忠憲様を救うべく兵を立て直して攻めてきましょうぞ」

「ずいぶん、片桐という男を買っているのね。新参者と聞いたけれど」


 十郎左は小さく笑い


「まれにみる、一本筋の通った気持ちのいい男です。姫様も一度(まみ)えることがあれば、きっと惚れ惚れなさいましょう」


 でしょうね……と独白して、ちりりと胸が痛む。

 清和の所在がおぼろにでも知れたなら十分だ。それ以上訊いて、関係を勘繰られても面倒だ。

 短い会話を打ち切り十郎左の傍を離れたところで、それまで黙ってやりとりを睥睨していた青砥が「やれやれ」と大層なつぶやきを漏らした。


「こんなお荷物を、どうやって本陣まで引いていくってのか……」


 そんなの決まってる。そのうちに味方の足軽なり僧兵なりが通りかかるのを待てばいいだけのこと。

 黙殺を決め込んだ私を前に、青砥は「ほぉぉおん」とあからさまに呆れた声をあげた。やがて、ご勝手にとでも云うように肩をすくめると、足元に置いていた十郎左の得物である大太刀を取り上げた。

 検分するつもりかぶんと鞘ごと振るってみせる。その拍子に塵が眼に入ったらしい。咄嗟に瞼を閉じて天を仰いだ。


「!」


 一瞬だった。

 だが、その一瞬に意外なものを青砥の相貌に見つけて私は驚いていた。

 閉じた左目に<眼>があったのだ。——いや、そうじゃない。左の瞼に、まるで黒目のような黒子(ほくろ)……というよりも(あざ)があるのだ。

 珍しい痣だ。面白いというか、私の知る青砥という人格(キャラクター)を別のモノにしかねない破壊力を持っている。

 子供の時に充剛の両の瞼に目玉を描いて「起きたまま寝てるー」と囃し立て笑い倒した記憶が蘇る。


「なるほど……」


 やたらと眼をぎらつかせてるし、極端に(まばた)きの少ない男だと思っていたけれど、それはこの痣を見せないためか。


「珍しい痣を持ってるのね」


 青砥ははっとして首を起こすと、いつものぎょろ目で私を睨んだ。だが、異物は未だ左眼の内にあるのか、すぐさま瞼を閉じる。何度か瞬いて、ようやく異物が取れたらしい。

 青砥は涙目でにやりと笑った。


「見られてしもうたか。(それがし)の貴重な<心眼>を」


 <心眼>とはよく言ったものだ。


「大層に隠されてたから、今日まで気づかなかったわ。宴で披露すれば、もっと人気者になれるんじゃなくて?」


 軽口を叩くと、青砥は「そんなに安くはねぇものよ」と嘯いた。


「だが———せっかくだ。この心眼で姫様の未来を見てやるか」


 ぎょろりとした目が隠れて、左瞼の上の<眼>が私を捉えた。おふざけに過ぎないのに、私は軽く身構える。


「ふぅうん……執着が多いねえ。片桐とやらにも執着してるが……あんたじゃ勝てないよ、姫様」

「へえ………」


 くだらぬ座興に怯えるなど、私らしくない。

 不敵に笑ってやると、青砥は面白くなさそうに左眼を開けた。


「信じてねぇようだな。……まぁいいさ。だが、それよりも先に、ここで人質を囲って味方を待つのは悪手中の悪手と出てるぜ。全員、只では済まない」

「だったら、二人を解放するわ」

「はぁー……姫様は甘いですなぁ。やはり、身内を殺すには忍びないですかな」


 いつの間にか青砥は鞘から大太刀の刀身を引き抜いていた。

 本能的にひどく嫌な感じがして私は顎でしまえと命じた。大人しく身を屈めて、地面に落としていた鞘を拾う青砥を見守りながら、奴の問いにそっけなく応える。


「無駄に血が流れるのが嫌なだけよ。降参している相手を殺す必要はないわ」

「それが甘いと、いっている……!」


 出し抜けに青砥が大太刀の切っ先を突き出した。


 だめ———! 


 絶叫したときには遅かった。

 大太刀は狙いを逸れることなく、無防備な忠憲の喉を貫く。吹き出す血飛沫の中で、十郎左が声をあげるより速く膝をたてた。

 だがその十郎左の首にも、青砥は容赦ない一撃を見舞った。あたりが鮮血で真っ赤に染まる。


 一瞬の殺戮。

 目の前で、捕虜にしたはずの二人の命が奪われた。

 私はこめかみから血が引いていくのを自覚した。そして同時に確信していた。

 きっと、清成殿のときもこんな感じだったのだ。(とりこ)となり無抵抗な清成殿は何の前触れもなく殺された……。


 それならば、やはりこの青砥こそが———<狂犬>!?


 青褪めている場合ではない。

 糸巻きの太刀の柄に手を掛けたまま、私はじわじわと体を沈ませた。

 いつでも抜刀できる体勢の私をまるで歯牙にもかけない様子で、青砥は二人の死体の縄を切り離し足蹴にする。(あまつさ)え十郎左の大太刀をぶぅんと一振りして死体の側に投げ捨てた。


「こんな重い獲物を振り回すなんざ、ある意味化け物だなこの男。まともに相手をしなくて助かったよ、沙羅姫様」


 あんたのおかげだ、と卑しく笑う青砥。


「……何を考えてるのかと訊いたら、素直に応えてくれるのかしら?」

「こいつらをやったこと? そうさな、生きているより死んでこそ役に立つ駒もあるということだ。この戦はまだまだ終わらせねえ」

「二人の骸を餌に、東軍をおびきよせるとでも?」

「……顔に似合わず恐ろしいことを云う女だ。どう役に立つか———そいつはまあ、見てな。あとのお楽しみだ。……おっと、姫様に後があればの話になるか。あんたが甘いということには、なんら変わりないからな」


 にやについた笑いを口元に残したまま、青砥は自身の太刀の柄にぽんと手を乗せた。

 私は体勢を維持しながら、青砥との距離を測る。抜刀と同時に一歩踏み出せば、確実に奴の胴には届く。だが、青砥とてそれを承知の上で悠然と構えているのだから、(かわ)せるだけの技量があるということか。

 睨みつけたまま、青砥に問うた。


「………あんたが、狂犬———犬飼なの?」



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