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         ***

  

 前方から弧を描き飛来する矢を薙刀で払い落とし、目の前の逃げを決めた武将を猛追する。

 逃しはしない———。


 作戦開始の合図からほどなく、囮の充剛軍を追う形で東軍の勢力がわっと眼前に姿を見せた。その数二、三千になろうか。展開されていた鶴翼の陣に怯む気配もなく突っ込んでくる。

 墨染めの僧兵たちは、さあ出番だと言わんばかりに法螺貝の音を猛々しく鳴らし、意外にも統制の効いた動きで、突っ込んでくる足軽たちを打ち払い、馬上の武将を取り囲んでは地に引き摺り落とした。

 悲鳴と怒声とが入り混じり、白刃煌めく凶器が視界を行き来し、斬り飛ばされた身体の一部や血潮が宙を舞う、混沌とした光景が目の前に広がっていた。


 これが、戦というものか……!


 戦場は私が予想していたよりも遥かに広域に展開しており、そのあちらこちらで殺戮が繰り広げられる。まさしく四方八方……全方位において、自身の命をかけた遣り取りが行われていた。

 私が目にしているだけの空間で、今この時にも一体どれだけの命が削り取られようとしているのか。その命は、こんな戦で損なわれてよいものなのか……。

 薙刀の柄を握る手が、ぎゅっと萎縮した。

 反射的に、飛び込んできた足軽に向けて刃先を突きつける。足軽はアッと声を上げてたたらを踏み、こちらを見上げたまま後退した。馬上の鎧武者が、普通ではないと気づいたらしい。私もあえて追うことはしない。


 戦が始まった途端、その異様な空気に飲まれそうになったが、余計なことを考えることが一番危険だ、とすぐさま本能が教えてくれた。

 一瞬先のことはわからない。油断をしては、やられる。

 そして、私には目的が……この戦場で必ず対峙しなければならない相手がいる。その男と合間見えるまでは、決してやられるわけにはいかない。そのためには———目の前の敵を倒す。


「斉明、行くわよ!」

「御意!」


 そうして戦が始まって一刻あまり、私は多くの敵と対峙し、すでに二人の武将を葬った。

 東軍は本来、私の実家の軍にあたる。極力殺したくはなかったので、敵が『畠山の沙羅姫』と知り戦いを避けるもの、逃げるものは追わなかったが、それでも褒賞に目がくらみ戦いを挑まんとする者には相手をせざるを得なかった。

 方々に散りつつはあるが、墨染めの軍の中で色鮮やかな鎧姿の私はやはり目立つ。まさに、定親殿の狙い通りだった。

 私の実力に最初は懐疑的であった配下の足軽たちも、向かい来る敵を撃破する姿に感服し、いっそ共に戦う勢いを得ていた。


 そして、今———目の前には、逃げを決めた叔父の軍の古参の武将がいる。

 頼忠叔父の家臣で、倉田何某(なにがし)と名乗ったか。私が『畠山の沙羅姫』だと気づくや口汚く罵りあげ、配下をけしかけた。だが、その配下を瞬殺した途端、それまでの威勢はどこへ、背を向けて脱兎のごとく逃げ出した。

 口だけ威勢良くて配下を見殺しにして逃げるなんて、卑怯にもほどがある。将たる者の資格はない。そんな武将を逃して味方を傷つけられるのを許すほど、私も優しくはない。


 斉明が連携で行く手を塞いだ。逃げ場を失った倉田は馬の手綱を引きざまに、斉明に向かい槍を突き出した。

 穂先が、斉明の右腕の内側をかすったように見えた。しかし、斉明は動じることなく、その場にとどまり倉田を逃がす機会を与えはしなかった。


「さて、其方が罵る程に私が卑怯かどうかは、ここで勝負してみればわかること」


 正々堂々とやり合おうではないかという私の低い声に、倉田はようやく向き合う覚悟を見せた。

 とはいえ、この男の目には最初からおびえが見え隠れしている。それなりの場数は踏んでいるだろうに、常には無い女武者に恐れをなしてしまったのか。

 冷静さを欠いた軌道で槍が繰り出される。それらを受け止めること三度。私から仕掛ける様子がないと判断したのか、四度目に交えたところで少し冷静さを取り戻し、「所詮は女!」とそのまま力でねじ伏せる構えをみせた。


「立派な兜を載せたその頭は、何のためについているの?」


 つい皮肉が口をついて出た。

 倉田が右眼を眇めて、槍を握る両手に力を込める。それに合わせて、私は白帝ごとついと後退し、槍を払い退けた。奴が槍を返す前に、がら空きとなった脇腹に一撃をお見舞いする。鎧が邪魔して致命傷にはならないが、均衡を崩す程度には衝撃があった。

 私はすぐ隣で槍を構えたまま固まっていた足軽の伊助に、「馬を!」と短く命じる。瞬時に汲み取って、伊助は下から馬の首元めがけ槍を突きあげた。馬は驚いて身を捩り、その拍子に倉田はゆっくりと落馬した。


 どさりと地に落ちて転げた後、倉田はなんと向き直ることもせず背中を見せたまま逃げようとした。まだ、腰に太刀を佩している癖に。

 白帝の手綱を引き、前脚を踊らせた。その脚が地に降りる勢いに乗せて逆手に持ちかえた右手の薙刀を、わずか五尺ほど前にいた倉田の背中に突き立てた。

 鎧を貫いて、刃が肉を刺す感触を伝える。脇を締めて刃先を捩じると、悲鳴とも肺から空気が抜けるともつかぬ音が聞こえて、やがて倉田は動かなくなった。


 近くでその様を見ていた僧兵が、短く念仏を唱えてくれた。

 若い足軽二人が、次の敵が現れる前にと倉田の首を落とす。


 私は馬上からそれを見下ろしながら、戦というものは本当に虚しいものだと今更ながらに実感する。

 頼忠叔父に仕える倉田というこの家臣、こんな出会い方をしなければ、ただの人当たりのいい男だったのかもしれない。戦で命を落とすこともなく、妻や子と共に老いていけるはずだったのかも。

 こんな戦をはじめた将軍家とそれぞれに与する父上や清元殿が恨めしい。そして、こんな風に失われた魂の多さに息が詰まりそうだ。


 思えば、清成殿の魂も……。


 一瞬、物思いにふけりかけたが、すぐに頭を振って臨戦態勢にもどった。

 ここは戦場。そして、私はまだ清成殿のところには行けない。

 びゅっと得物を一薙ぎして血と脂を落とすと、負傷した斉明のそば近くに白帝を寄せた。


「具合はどう?」

「なに、かすり傷にございます」


 そのいつもの好々爺とした返事に騙されてはいけない。

 右腕の傷口はもちろん、籠手の布地にも血の滲みが広がりつつあった。

 傷口自体は大したことないのかもしれないが、大きな血管が傷ついている可能性がある。


「本陣に戻って、一度止血したほうがいいわ」

「この程度の出血、すぐに(おさま)りますゆえ」


 斉明は大丈夫だと鷹揚に笑うが、負傷したのは利き腕でもある。

 ちや太と喜八が倉田の首を包んでいる間に、伊助が倉田の乗っていた馬を捕まえて戻ってきた。

 足軽三人に、私は尋ねる。


「この中で馬に乗れる者はいるかしら?」


 顔を見合わせていた三人のうち、喜八がおずおずと手を挙げた。


「おれぁ、なんとか走らせるくらいならできます」


 他の二人は、引く事はあっても乗る事はないという。


「では喜八、お前はその馬に乗って斉明について本陣に戻りなさい。いざという時は馬を降りて、斉明を援護するのよ」

「姫様!」


 間髪おかず、斉明が抗議の声を上げた。


「これしきの傷で帰陣するなど以ての外!何より、拙者の役目は沙羅姫様の護衛でございますぞ。おそばを離れるわけにはまいりませぬ!!」


 それに、と斉明は周囲に視線を走らせながら、早口で言った。


「まだ、片桐とかいう東軍の武将には行き合わぬままなれば……姫様お一人を、かの武将に対峙させるわけにはいきませぬ」


 痛いところをついてくる。

 しかし、斉明はあくまでも定匡殿の家臣である。

 私の個人的な闘争に巻き込んで何かあっては、私の方が申し訳ない。


「本陣へ戻れとの姫様のご指示だとて、姫様を残しては到底呑めませんぞ。姫様と一緒でなければ承伏しかねます」


 斉明の言い分はごもっともで、無言で睨み合うこと数秒。

 足軽たちが、はらはらと事の成り行きを見守る中、急速に事態は動いた。

 激しい掛け声の応酬とともに、視界の端に数人が打ち合う乱戦が飛び込んできた。僧兵たちは勢いに乗ってすでに前方へと移動していて、この辺りには残っていない。すわ、東軍の新手か!と私も斉明も身構えた。


 乱戦の真ん中には一際、目立つ男がいた。陽炎立つような狂気……或いは死の匂いを纏う男で、見ている先で、鮮やかに自身を取り囲む数人を斬り倒した。

 血にまみれたその男は、私も知る男———充剛軍の青砥だった。


 呼吸を整える間も無く、少し離れたところにいる私たちに青砥は太刀を構えかけたが、そこにいるのが西軍の仲間であると気づいて、刃を下ろして近づいてくる。鎧を身につけているせいか、左右に揺れる肩がいつもよりも奴を大きく見せていた。

 足軽の三人が怯えながらも、近づいてくる青砥に槍を構えようとするのを、私は大丈夫だと押しとどめた。


「あの男は、同じ西軍……充剛軍の武将よ。敵ではないわ」


 青砥は地面に転がる死体と白帝に括りつけられた首三つを一瞥し、


「ふぅん……誇張ではないということか。姫様にしてはやるそうだな、戦場でもう評判になっているぞ」


 と(うそぶ)いた。


「………」


 こちらの無言の応酬に堪える様子もなく、青砥はぎょろりと見開いた大きな眼を素早く動かす。その眼が伊助の引く馬で止まった。


「悪くない馬じゃねえか。さっきの奴らに、(それがし)の馬はやられてしまって難儀しておったところだ。こいつをもらっていいか?」


 馬の尻をぽんぽんと叩きながら、訊いてくる。

 私は正直なところ、この青砥の存在を図りかねていた。

 なんの繋がりも確証もないが、気持ち的には限りなく<狂犬>に近く、危険な存在だ。だが、この戦場おいては少なくとも同じ味方の西軍。

 危険な男だと思いつつも、私はチラリと斉明を見て交換条件を出した。


「馬をやるかわりに、この先の戦場で私の護衛を務めてもらえる?」


 喉の奥で、斉明が小さく唸った。だが、負傷した斉明を帰陣させるには、こうするしか手がない。そういう意味で、渡りに船(タイムリー)ともいえる絶妙な登場だった。

 意外そうな顔をしたものの、青砥はすんなりとその条件を受け入れた。


「沙羅姫様の御下命とあらば、この青砥十兵衛、命を賭して誠心誠意務めましょうぞ」


 まるで綱興が言いそうな台詞を、心のこもらぬ上滑りな調子で投じてくる。


「……というわけよ、斉明。青砥がいるから、私はこの先も大丈夫よ。あなたは一旦その傷の手当をして……少なくとも止血は済ませて、なお余力があるなら再び戻ってきて合流してちょうだい」

「むぅぅうう」


 なかなか承服しない斉明だったが、西軍の中では<沙羅姫>という人間を最もよく知る人物だ。


「……やむを得ませんな。わたしのような老兵の命など、そう案じて下さらなくても構わぬものを」

「何を言ってるんだか。定匡殿のご自慢の家臣として、一日でも長く仕えてもらわなくては私もみんなも困るわ」


 それは偽らざる本音だ。

 不承不承ではあったが、斉明は私の提案を呑んだ。

 青砥の危険性を斉明も理解していないはずはないが、やはりここが戦場であり同じ西軍の武将であるという事実に、<味方>という先入観(バイアス)が働いてしまったのかもしれない。

 斉明は足軽の一人、喜八を連れいったん戦場を離れることになった。途中でうまく馬を見繕えたら、喜八にはそのまま馬で供をできるよう考えての人選だ。

 二人を見送った後、残された足軽二人のうち伊助に私の薙刀を預けて、私は改めて青砥と向き合った。



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