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 輿入れとは、結婚のことだ。

 つまり、彼らはここで、当事者の私をのけ者にして、私の結婚の話をしているのだ。


「母上があの子を可愛がっておいでなのは、分かっております。私達にとっても可愛い妹ですし、容易に会えなくなるのは辛いことです。しかし、あれほどの器量を持っていながら輿入れの時期を逃して、行かず後家にさせたりするのはもっと辛いでしょう」


 今まで縁談は多々あったが、こんな風に真剣に話を進めたことなんてなかったじゃない!

 いったい、何が起こっているというのだ。

 しかも先ほどの父上の話じゃ、すでに相手も合意しているとか。

 今までのように私の意志を聞くことすらせず、返事をしたというのだろうか?


 それじゃあ、まるで……。


 そこまで考えて、あやうく眩暈を起こしそうだった。

 父上と兄上の言葉が、脳裏をよぎっていく。

『今が、大切な時なのだ』『向うもすでに同意なさっている』『これ以上良い条件は、あの子にとってもこの国にとってもないはずです』……。


 —————こ……れは……。


「政略……」


 呟いて、はっ、しまった! と思った途端、


「誰だっ!」


 目の前の引き戸が大きく弾かれた。

 そして蒼白の私をとらえた一同は、あっ、と小さな声を上げてその場に静止したのだった。


「……………」


 それは、奇妙な構図だった。

 血の気の失せた娘と、それを取り囲む家族。

 まるで、娘を生贄に出すようじゃないか。——だが、皮肉なことに全くの間違いではない。


「……沙羅」


 僅かな沈黙の後、最初に我に返ったのは父上だった。


「おまえ……この輿入れの話を、そこで聞いたのだな?」


 言葉は出なかった。ただかろうじて頷くと、


「では、隠しても仕方あるまい。こちらに入れてやれ、義貴」


 命じられた兄上は、腰を抜かしたように床に座りこんでいる私を立ち上がらせ、部屋の中へと引き入れた。

 入ってしまうと、逃げ道を塞ぐように、背後の戸はぴたりと閉じられた。

 私は頼義兄様と義教兄様の間にぺたんと座り込み、正面の父上と、その隣で心配そうに成り行きを見ている義母上を見つめた。

 父上は私の後ろに義貴兄様が腰を下すのを待って、再び口を開いた。


「おまえのことだから、回りくどい言い方はせん。はっきり言おう——おまえには、東軍総領・細川京兆家(宗家)のご嫡男、細川清和(ほそかわきよかず)殿のところへ輿入れしてもらう。無論、正妻としてだ」


「細川へ……?」


 東軍を指揮する細川宗家は、現在の武家社会においては、おそらく最高の嫁ぎ先だろう。

 身分的には足利将軍家という更に上位の家があるが、あそこへは代々日野家が正妻を出している。

 実質的に考えて、細川家はこれ以上ない素晴らしい相手だ。


 しかし……。


 私は愕然としたまま、まだこれが何かの冗談ではないかと疑っていた。

 これまで、輿入れを本気で考えたことはなかったし、考えようともしなかった。


 そもそも、<姫君>であっても、父上と義母上はとにかく私を可愛がり愛してくれていた。

 縁談の話も包み隠さず出してくれたし、最終決定は私自身に託されていた。

 どんなに良い条件でもあって、私が否といえばそれで話はお終い。

 いかに畠山にとって美味しい縁談相手でも、父上たちが無理強いすることは、これまでは決してなかった。

 だから———私は高を括っていた。


 私は特別なのだと。


 もはや父上と義母上は、私を他家に嫁がせるはずがない。

 況んや、こんな私の意志を無視したかたちでなどありえない……と。


「突然で戸惑うのも道理だ。だが、これも細川との事情でな。戦がある以上、細川宗家を絶対的に味方につけねばならぬし、向うもこの畠山との結束を強く望んでおられるのだ。それにな」


 父上はニコニコと、私の機嫌をとるように言った。


「お相手の清和殿は、お前より二つ年上。うかがうところでは、眉目秀麗な好青年で、文武にも長けてらっしゃるそうだ。お前のご贔屓のこの兄上たちにも、勝るとも劣らない方ではないか」


 私はピクピクと引き攣りそうになる目元を指でおさえた。

 うかがうところ?つまりは実物を見てもないくせに、よくそんなに持ち上げられるものだ。

 よしんば本当に兄上たちに劣らない男だとして、そんな優良物件ならばとっくに妻の一人二人は娶っているだろう。抜け目のない者達が、娘を続々と送り込んでいるに違いないのだから。

 いくら『正妻』とはいえ、そんなところに嫁がせて、私が幸せになれるとでも思っているのだろうか。

 それに……。


「どうして、私なのよ。ただ父上は、細川と血縁関係を持ちたいだけなんでしょう? それなら、兄上達が細川から姫をもらうって手もあるじゃない」


 政略結婚は一方通行ではない。向うからこっちに来るという手段だってある。

 ところが父上は大袈裟に頭を振ると、手にしていた扇を広げて、それをはたはたやり始めた。


「残念ながら、いまの細川には未婚の姫はいらっしゃらない。元々二人いらっしゃったが、年嵩の姫君は早くにさる宮家に嫁ぎ、残るもう一人の姫も昨年、赤松へと嫁がれた。赤松へ参られたのはご側室腹の姫だそうだが、お前より五つも年下で、輿入れ当時は十二になったばかりだったとか。それに比べておまえは十八。よもや、この父を困らせるようなことはすまい」


 むっ。


「その姫は幼すぎて、自分の意志なんてもってやしなかったのよ」


 至極まっとうな理屈をぶつけて、父上を睨みつけてやる。


「それじゃあ、沙羅。もう一つ方法があるから、そちらにするか?」


 父上は扇をパチンと音を立てて閉じると、手首を返して私へと振り向けた。


「細川右京大夫(清元)殿には清和殿よりだいぶ年の離れた弟君もいらっしゃる。今年……はて、十二だったか、十三だったか……」


「わかった! その子供(ガキ)を、この畠山に連れてくるのね!」


 元服(成人)もまだの子供なら、私の言いなりにもなるだろう。

 いいようにあしらって、一人前になる頃にはさっさと離縁してしまえばいい。

 その頃には流石にこの戦も終わっているだろう。


「なにをニヤついているのだ」


 俄然乗り気になった私に、父上はひどく冷淡な眼差しを向けた。


「婿取りなら無理だぞ。うちには立派な男子が三人もいるのだからな。——わしはおまえが、その<子供(ガキ)>のところに輿入れするのなら、そっちでもよいと言っておるのだ。細川宗家との縁組には違いないからな」


 父上は、ここにきてとうとう本音を、はっきりと口に出した。


 これまでの縁談とは違う、特別な縁談。

 それは一人娘が極上の幸福を手に入れる——畠山にいるのと遜色ない幸福を手に入れる——為の縁談では、ない。

 そう、父上に必要なのは和睦の道具としての娘か。


 ——ならば、こちらにも考えがある。



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