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<登場人物>

沙羅姫…主人公。畠山宗家の姫君。細川家に嫁ぐが未亡人となる。現在は六角に身を寄せる。

細川清和…細川京兆家の若君。弟の敵討ちのため片桐高遠と名乗り、南山城の東軍畠山に潜入中。

細川清成…清和の双子の弟。丹波合戦で細川清和として討死。


六角定匡…六角家の当主。亡き妻の遺言で西軍に与する。

六角定親…定匡の叔父。定匡の後見役兼参謀。

山内斉明…六角家の重臣。沙羅のお目付役。


畠山充剛…沙羅の従兄弟。南山城の西軍畠山を率いる。

青砥十兵衛…充剛の家臣。


畠山義貴…沙羅の兄。叔父頼忠とともに南山城の東軍畠山を率いる。

畠山頼忠…沙羅の叔父。南山城の東軍畠山を率いる。

畠山忠憲…頼忠の次男。沙羅の従兄弟。



 弥生の廿日(はつか)——山桜が山裾を所々薄紅に染めて、まぎれもない春を演出している。

 そんな春の最中、南山城の戦はいよいよ大詰めを迎えようとしていた。

 大勢(たいせい)が決するに違いない今日この日を、どれほどの西軍猛者たちが待ちわびていたことか。待ちわびすぎて、忍耐の緒がブチ切れ寸前だった者も少なくない。斯く云う私もその一人だ。


 というのも、黒田による情報漏洩が明らかになった直後の凄まじき調略と進軍により、西軍の優勢は明らかだった。私のいた旧本陣が炎上しても、その趨勢は変わることはなかった。むしろ、一気呵成に東軍攻めに転じるのではと読んだ者も多かったくらいだ。

 にも関わらず、どうしたことかこの半月、六角は完全に沈黙した。みなが想像したように、戦局が再び大きく動くことがなかった。


 兄上たちの東軍畠山がにわかに強靭な防衛線を築いた? ……まさか、そんな余力はない。

 では、西軍に脱落者が出て結束が弱まった? ……充剛の軍ならいざ知らず、六角では全くもって心配する必要のないこと。

 天候はと言えば、春らしい気まぐれを見せはするが、合戦を左右する程に崩れることもなかった。


 いつでも好きな頃合(タイミング)で一気に大手攻めをすることが容易であったのに、我らが大将・定匡殿は様子見をするかのごとく、ただただこの半月を無為に過ごした。した事といえば、悪口(あっこう)を許したくらいか。それも、小童の口喧嘩程度の小競り合いに徹した。

 我慢の苦手な充剛などは、何故この好機に一気に攻め落としてしまわないのだ!と癇癪を起こして定匡殿の本陣に詰め寄ること三日に一度。しかし、のらりくらりと定匡殿は充剛をかわし、尚且つ勝手に(はや)ることがないよう重々に言い含めていた。


 ここまでするからには定匡殿なりの戦略があってのことだろう———と、私も逸る自分を押さえ込み、黙って様子を見守りはしたが、そのうちあの充剛が不信を抱きそこから良からぬ行動に出始めるのでは……と少しばかり心配にもなった一昨々日(さきおととい)、ついに事態が動いた。


 南都(興福寺)の僧兵勢力が、定親殿の求めに応じて挙兵したのだ。

 どこで? ———無論、大和で。


 どうやら叔父上と兄上の軍は、畠山本家からの援軍を待ち総攻撃をかけるつもりでいたらしい。それを察していた六角の軍師・定親殿はかつての僧侶人脈を介した調略にでた。畠山本家から軍を動かせないように、父上たちと大和で争う頼長伯父の軍に南都の僧兵を加勢させたのだ。

 自力で戦禍を防げるだけの兵力を持つ南都の僧兵だ。それが中立ではなく敵に回るとなると、父上たちも無視はできない。思わぬ伏兵の出現により、定親殿の思惑通り、父上は援軍を出す時期と余裕を失った。

 さらに、定親殿は一同を唖然とさせる魔術の如き調略を展開する。本来、延暦寺出身の定親殿とは敵対(ライバル)関係にあるはずの園城寺の勢力をも口説き落とし、六角の兵として味方につけることに成功したのだ。墨染の衣に鎧を纏った園城寺の僧兵勢力三千が昨夜のうちに六角の陣に集結した。


 敵の援軍を断ち、逆に味方に増援を差し向ける……しっかりと搦手をおさえ、その上で大手攻めをする。定石過ぎるほどの策だった。

 だが、そのお陰でかねてより出陣を宣言していた私も、いよいよ鎧兜を身につけて戦場に出られる運びとなった。ここまでの盤石な差配においてならば、私——沙羅姫の身もさほどの案じることなく守られるのではないかと。定匡殿も不承不承ではあるが出陣を許可してくれたというわけだ。


         * 


 夜明け前に起床し身支度を整えた私は、愛用の太刀——清和の竜王丸を手に、すでに陣中の定匡殿に挨拶に向かった。

 黎明の冷ややかな空気とは別に、湿り気を帯びた重い空気が身にまとわりつく。どうやら、朝霧が出ているらしい。あたりに薄く紗がかかる程度だが……。


「戦さ場では、どうなのかしらね」

「えっ?」


 私の呟きに、先導していた定匡殿の小姓・小藤丸(こふじまる)が振り返った。

 なんでもないわ、と首を振って見せると、小藤丸はどこかほっとしたように小さく頷いて再び前を行く。

 観音寺城の館に居ついて以来よく顔を見る小姓の一人ではあるが、定匡殿に急接近し、ついには戦場にまで付いてきた私に、普通の女にはない執念——道成寺の清姫の如きものを見ているのか。いまだに私に対して、怯えにも似た変な緊張感を持っているらしい。

 ややして、本陣に続く陣幕の手前の見張りが私たちに気づき、さっと手にした槍を動かした。こちらに向かい止まるように指示する。基本的に行き来自由な立場にある私だったので、小藤丸が「どういうことでしょうか」と、小走りに見張りの兵へと駆け寄った。


 見張りの兵と小藤丸が遣り取りするその背後……僅かにできた幕の切れ間を横切る二、三の人影があった。

 本陣には定匡殿はもちろん、重臣など複数の武士たちが詰めている。だが、ほんの一瞬よぎった人影に、私は眉を潜めた。その人影の中に、どうしても一人、この場にはいるはずのない者の姿を見た気がして。


 見間違いかもしれない。でも、私だからこそ見間違えるはずがないとも断言できる。ちらりと見えた横顔と風情は、愛すべき乳母の夫であり、乳姉弟である霞や鷹丸たちの父、私にとっても育ての親のような存在である——斎藤新右衛門(さいとうしんえもん)にひどく似ていた。

 今では義貴兄様の腹心でもあり、この南山城の戦場にも従軍していることは間違いない。しかし、戦場で(まみ)えることはあっても、六角の陣中で行き合うはずの無い存在だ。

 陣中に入って確かめるか? と見張りの兵とまだやり取りしている小藤丸を見ながら、足を出そうとしたところ、


「姫様、どちらかと思うておりましたらこちらへおいででしたか」


 背後から響いた、いつもの嗜めるような声に止められた。

 振り返ると、斉明が大股で迫ってくる。すでに鎧を身にまとい、いつもより倍くらいの迫力がある。


「朝一番に定匡殿に挨拶をして、それから定親殿の先陣に向かおうと思って」

「ははあ、気が急いておられますな? しかし、合戦の日は何かと立て込みますからな……」


 言いながら斉明の目が陣幕へと注がれた。

 皺一つほどの微かな変化を私は見逃さない。彼は見えない陣幕の中に、確かな人物を見ている。

 老武士の穏やかな笑みで、斉明は「出直しましょう」と提案した。

 それを後押しするように、小藤丸が戻ってきて、急な合議があり今は誰も中には入れない事実を告げた。


「合議……ねえ。こんな早朝に? 急な報せか密かな来客でもあったのかしら?」

「はてさて、私めも聞いてはおりませぬが……」


 斉明は本日の合戦についての最後の詰めにございましょうと笑い、提案を補強する。


「もう少し後で改めてご挨拶に参られませば、殿のこと、合議の内容も教えてくださいましょう」


 定匡殿の腹心という経験から、彼は聞かずとも知っているのだろう。委細はともかく、この陣中のなかに、今は私には会わせたくない客がいるという事を。


 これ以上の追求は、無意味ね。


 見間違いではなく、新右衛門がわざわざ東軍から、尚且つ人目の薄いこんな早朝に訪ねてきたのだとしたら、それはおそらく兄上からの遣い。しかも、かなり私的な。


「………」


 数秒の沈思の末、私はくるりと踵を返した。どこかほっとしたように、斉明の肩が上下するのが視界の端に映った。申し訳なさ半分、余裕のなさ半分で、私はこの後の予定を告げる。


「定匡殿には挨拶せずに出陣する事にするわ」

「……はっ!? え、いや、それはしばし、お考え直しを」


 焦る声が追いかけてくるが、歩みを止めることはしなかった。


「早めに定親殿の軍に合流しておかないと、出遅れては元も子もないわ。その上で目的をさっさと果たして、晴れやかな凱旋の挨拶をする方がずっといいでしょ」


 実際に出陣の挨拶もせずに出て行くなんて、礼を失すること甚しかろう。それでも、それを是とする理由は二つ。


 一つは、本当に時間がないということ。号令がかかるまでという物理的な意味ではない。心理的に私を追い詰める時間のことだ。

 定匡殿が片桐(清和)のことで情報収集なり交換条件なりで、あえて敵でありながら私の身内であるという理由で義貴兄様に手を打っているなら……その結果として新右衛門が秘密裡に訪ねてきているのだとしたら、いよいよ時間がないと判断せざるを得ない。

 あの清和が、復讐という目的も達しないうちに、大人しく取引に応じて首を晒すとは思えないし、そうでない騙し討ちのようなものであるなら、なおのこと兄上たちに禍根を残すのは嫌だ。

 新右衛門が来ているということは、おそらくはまだ決定打は打たれていない。その最終的な話し合いに来たのだと思う。


 もう一つの理由は、その話し合いの結果、私の出陣が物理的に引き止められるような事になっては、目も当てられないってこと。これまでの決意や苦労が水の泡だ。

 今なら、まだ間に合うのだ。清和が拘束されていない今なら、運さえよければ、きっと戦場で会い見えることができる。


 本陣を後にする足が、知らず早足になる。どこまでも自分本位で我儘な姫に見えることだろう。

 それでも斉明は、小姓に二言三言残して、私を追いかけてきてくれるのだった。



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