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(ニ)



 まさかな、と清和は皮肉に口元を歪める。


 気にするまでもない、仕方のないことだった。沙羅はあまりにも我が強い。あそこまではっきりキッパリと突き放さない限り、あの負けず嫌いは決して引くことをしないだろう。

 狩場で出逢ってから一年……それだけの時間が過ぎ、環境も変わったのに、おそろしいほどに沙羅は変わらない。清和が知る、常識とはかけ離れた姫のままだ。


 懐の深い清成ならば、あのじゃじゃ馬を上手く手懐けられたかもしれないが、俺には———手に余る。


 と、ほんの一瞬想像を巡らせて、人知れず苦笑が漏れた。


 いったい、俺は何を想像しているのか。


 清和としては、沙羅がこのまま大人しく六角定匡の正室に納まってくれことを祈るばかりだ。それが残された沙羅にとって最善の選択……彼女の望む生き方に限りなく沿ったものであると、清和は信じて疑っていなかった。おそらく、定匡は沙羅に好意を抱いている。そう、清成と同じように………。


 ———どくんっ!


 唐突に、心臓が跳ねた。それと同時に全身が鉛のように重くなり、四肢の自由を奪われる。

 清和はじりじりと視線を周囲に這わせた。幾度かの経験から、これらがあることの予兆であると()っている。

 清和以外、誰もいないはずの書庫に、人影がよぎった。それは音もなく清和の前までやってきて、その正面に腰を下ろす。鏡を見ているように、清和の前に、清和と同じ顔、同じ姿勢の男が座していた。


「き……よ、なり………」


 掠れる声で、清和は失われた半身の名を呼んだ。

 清成は柔らかく笑んだ。肉体を失ったはずなのに、その質感をまざまざと再現できるのが不思議だった。


『清和、すまない。いますぐ沙羅姫のところに向かってくれ。姫の命が危うい。市辺城だ……私が案内する』


 清成が口を閉じると同時に、清和の体は自由を取り戻した。だが———


『……清和? なぜ、動こうとしない?』

「逆に問いたい。なぜ、俺がいく必要がある?」


 それ自体が返答であるかのような低く冷たい声で、清和は清成に対峙した。


『約束をした——必ず沙羅姫を守ると。………何があっても、お前の危機には駆けつけると誓ったのと同じように』

「それは清成、お前の交わした約束だ。俺ではない」

『………ふっ、お前らしい言いようだな。だが、魂魄だけの私にそれを言うのは、酷ではないか?』


 ならば、と清和は左手を差し出した。


「俺の身体を貸してやろう。魂魄の器として使えばいい。そして……気に入ったなら、そのままこの身体に留まればいい」


 静寂が辺りを支配した。

 清成は伸ばされた清和の左手を見つめて、微動だにしない。清和もまた、そんな清成を見つめたまま沈黙を守った。

 言葉ではなく思いが、互いの間を行き交う。

 やがて、小さく清成が息を吐いた——ように見えた。


『そうしたいのは山々だが、お前の身体を借りたところで、私の実力では姫の命を助けてやれそうにない』

「やってみなければ、わからない」


 そう(うそぶ)いてなおも動く気配を見せない清和を、清成は強い視線で射すくめた。


『そうやって、お前はいつまで沙羅と向き合うことを避け続けるのだ?』

「……なんだと?」


 両者の間を剥き出しの感情が交錯する。

 生来の清成であったならば、この時点で大人しく身を引いただろう。だが、魂魄だけになった清成は違った。清和と同じ低く怒気を含んだ声で、構わず続けた。


『あの日———お前が立ち去った後、吹雪の中で沙羅が何をしたか……お前は知るまい。西軍に潜んでいた犬飼の手下から情報を得ようと、自らの躰を餌にまでして対峙した……あの自尊心(プライド)の高い彼女がな。のみならず、本懐を遂げようとするお前を守るために、最後はその手を(おびただ)しい量の血で紅く染めた』


「なっ……!」


 絶句する清和を、清成は一転憐れみのこもった瞳で見つめた。

 同じ血肉を分けた半身でありながら、なぜにこの兄は沙羅を理解できないのか。或いは理解することを拒否しようとするのか。


『………お前ももう判っているのではないか? 沙羅はお前のためならば、どんな犠牲でも厭わない——自らの人生も、自らの命さえも惜しむことをしない。あんな残酷な別れを突きつけられた直後でも、それは変わることがなかった。その想いを重すぎると言うか? だとしたら、お前の誠意とは何だ? お前は本当に沙羅の想いと向き合ったことがあったか? 私を言い訳に、避けてきたのではないか!? それは、お前の甘えではないのか……?』


 清成の声は耳朶ではなく、清和の胸の内を(えぐ)るように響いた。


『この先も沙羅は変わらないだろう。——全てか無か。どこまでも苛烈な——それが彼女の愛し方だ。自分の気持ちに正直すぎる不器用な女性(ひと)だ……。どれだけ私が望もうと、私にはそんな沙羅を止めることも、救うこともできない』


 いまや苦悶に満ちた表情で、清成は告げた。


『今宵……沙羅の命を助けられるのはお前だけだ』


 燭台の火が、微かにゆらめいた。

 清和は近くに置いていた黒漆の太刀を手にとる。


「———くそっ!」


 小さく吐き捨てて、そのまま書庫を飛び出した。

 三日月が静かに山の端に姿を隠そうとしていた。



拙い文章をここまで読み進めてくださった方、本当にありがとうございます。

残すところ、本編ニ章と終章になります。

本編最後の二章(出陣編と仇討ち・解決編)は、沙羅が戦場を駆けるそのたった一日の出来事となります。

一気に駆け抜けたいと思いますが、その前に少しおやすみします。

最後までお付き合い頂けると幸いです。

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