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(一)



 一面に白い世界が広がっていた。雪なのか、霧なのか、それとも煙なのか………。

 判然としないまま、しかし清和は躊躇(ためら)うことなく大きく一歩を踏み出す。

 その勇気を讃えるかのように、白い世界は形を変えた。

 (くう)の一点に凝縮された靄が集まり、ぐっと膨らみを得るや一つの影となる。


 ———人、なのか?


 目を細めて、清和は影を凝視した。

 人というには輪郭があやふやだ。白い闇の中に浮かぶ、人間大のぼんやりとした塊。邪悪な感じはしない。むしろ、(たお)やかで儚げで、淡い光を放つ天女を連想する。

 臆することなく近づくと、輪郭が定まって、煌びやかな十二単を纏った女が——沙羅が立っていた。


 <今かぐや>………か、と清和の顔には微苦笑が浮かんだ。


 沙羅はじっと清和を見つめ、やがて猫のようにきらきらしく輝く黒い瞳から一粒の涙をこぼした。涙は艶やかな肌を滑り落ちて、玻璃(はり)の宝玉よろしく唐衣に着地する。二粒、三粒……清和の見つめる先で、はらはらと止め処もなく沙羅は涙を流し続けた。十二単の唐衣には、みるみる涙の染みが広がっていく。これほど激しく泣いているのに、声は出さない。

 常には絶対に見られぬ沙羅らしからぬ姿に、清和は狼狽(うろた)えた。


 なぜ、そんなに泣く。何がそんなに悲しい。


 ———何がって……俺が拒絶をしたからだろう。あの吹雪の中で。


       *


 はっと目が覚めた。

 あたりは薄暗く、燭台の微かな明かりが壁際に清和自身の大きな影を映していた。


 どれくらい眠っていた?

 そう長くはないはずだ……流石に疲れがたまっていたか。


 もたれかかっていた壁から体を起こし、清和はゆるゆると立ち上がる。南側に小さく穿たれた明かりとりの窓から外を覗くと、西の空に宵の明星をつれた三日月がかろうじて姿を残していた。

 酉の刻を半分過ぎたくらいか。だとしたら、四半刻(三十分)ほど眠っていたことになる。

 清和は普段、夢などみない。ましてや、沙羅の夢など———。


 ……こんなところで微睡(まどろ)んだゆえか?


 凝った首をぐるりと回して、清和は元の文机の前に腰を下ろした。


 ここは東軍畠山の本陣となっている寺田城から南へ二里離れた出城の一つ——田辺城の一室だった。広くはないが特別に誂えられた書庫で、清和は夕刻から調べものをしている(てい)であった。東軍に属する国人衆・田辺氏の居城ではあるが、現在この出城を仕切っているのは畠山頼忠の次男忠憲(ただのり)であり、その忠憲が厚意で用意してくれた空間だった。


 手許の書きかけの覚書を見下ろし、清和は束の間の休息を終えた脳に再びの活動を促す。

 <山名の狂犬>——犬飼重信の正体を突き止めるまで、あと何手必要なのか。

 東軍に残る不審者は、赤目と柳、ほか数名にまで絞り込めた。だが、西軍の不審者はどうしたものか。

 あの吹雪の日に白井の尻尾を掴み損ねたのが痛い、と清和は(ほぞ)を噬む。

 白井はあの社で西軍の何者かと連絡を取ろうとしていた。まさか、そこに沙羅が現れるとは………。


「いったい、あいつは何をしにあそこに現れた?」


 沙羅の行動は常に、清和の想像の斜め上を行くものであった。後から思えば、なるほどと得心のいくこともあったが、事前の想定は出来た試しがない。その点、清成は沙羅の言動を清和よりは理解できているようだった。生前も——その後も。

 沙羅の行動を苦々しく思いながら、清和は現実世界に存在する数少ない味方の顔を思い浮かべた。


 畠山義貴やその配下の鷹丸を通じて、西軍に探りを入れるべきか。


 とはいえ、すでに鷹丸には、戦場を離れ犬飼の過去を洗うよう依頼していた。どの程度使える男なのかわからなかったが、主人の義貴の許可もあり、他に頼れるの者もなかったので急ぎ西国へと送り出した。その際に、和気泰之を供にするように命じたが、果たして上手く繋ぎが取れたのか……報告はまだない。


 ここ数日、清和は焦りを自覚していた。

 六角定匡が出張ってきた以上、この戦はそう長くは続かないだろう。そう思っていた矢先———奇しくもあの吹雪の翌日には、西軍が大きく動いた。


 東軍についていた国人衆が寝返って、この田辺城にも隣接する木津川西岸の城が幾つか西軍に(くだ)った。西軍はそのまま勢いに乗って、時をおかず東軍の本陣である水主城を攻め落とした。結果、畠山頼忠は本陣を北の寺田城にまで退げることになった。

 南に残されたこの田辺城も、いつ何時、敵に落とされるともしれない緊張を強いられている。長い膠着の末の急展開に加え、東軍にとってはあまりにも不利な状況に陥っている。


 西軍の中に<狂犬>が潜んでいるのなら、残された時間はあまりない……。


 清和が見る限り、東軍よりも西軍に本命が潜んでいる可能性が濃厚だった。


 西軍の不審者……もしかしたら、そのうちの一人をあの日、沙羅は追っていたのかもしれない。だとしたら、あの沙羅のことだ……何らかの手はうっているだろう。少なくとも、野放しにはしているまい。


 ———いや、そうとも限らないか。


 もはや、沙羅は清和とは関係ないのだ。あの日、鮮やかに清和が断ち切った。


 俺はそれを気にしているのか……?それで、あんな夢を?



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