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「沙羅……!」


 振りほどいた私の腕を逆に捕まえて、そこにはこの吹雪にお似合いの<氷の貴公子>———清和が、私を見下ろしていた。いつもの冷え冷えとした瞳で。

 私はぼんやりと独白する。


 ああ……こんなことが以前にもあった、と。


 既視感(デジャヴ)? いやちがう。これは現実の記憶。甦る記憶。

 あれは春の———嵐の夜。

 吹雪と見まごうばかりに桜が舞い散る中で、私たちは刀越しに見つめあった。

 今ここで、私たちの間を舞い踊る、これは……桜? これは——幻?

 これは、春の夜の夢?


「なぜ、お前がここにいる!?」


 低く叱責する声が、私を我に返らせた。同時に、清和の背後——白い闇の中に浮かぶ不穏な影に気づく。

 後ろに、誰か……。

 私の視線に気づいた清和は素早かった。掴んでいた腕ごと私を突き放して、一瞬身を低くしたかと思うと、すでに抜刀していた左手の太刀を振り向きざまに薙いだ。

 左からの攻撃に明らかに意表をつかれたのだろう。その背後からの襲撃者は、ひうっと息を吸い込む音だけをさせて、声をあげることもなく息絶えた。

 一斬り、一撃で終わらせた。たしかに、それはまごうことなき、清和の実力。でも、あまりにも一方的な殺戮。


「どうして、殺したの……? なにも、殺さなくても……」


 清和の陰になってはっきりと顔を見たわけではなったが、殺されたのは黒田だろう。何のために、こんな遠く離れた神社まで来たのかはついぞ解らないままだったが、私を敵から守るためにしろ、清和を問答無用で殺しにかかるような男ではない……と思う。

 殺す必要はなかった、黒田は人違いで殺されたのだ——と判じた私は、自然ととがめる口調になっていた。

 清和は血振るいして自らの太刀を鞘に収めると、うつぶせに倒れた死体を見下ろす。明らかに苛ついた声が降ってきた。


「殺したくて、殺したわけではない。いや、それよりも生かしたまま訊き出したいことがたくさんあった。そのつもりだったというのに、この吹雪の中、突然現れたお前にこの男も気づいてしまった」


 だから、男よりも先に私を確保した上で、清和は男と対峙するつもりだったという。

 そんな水面下での攻防が展開されているともしらず、私は白く煙る境内にぼんやり立ち尽くしていたらしい。


「言っておくが、背後からの殺気は本物だった。迷いなく、俺もお前も——殺すつもりだったぞ。だから、こちらも本気で斬りかかった」


 清和に足先で転がされた死体は、ごろりと寝返りを打って、雪にまみれながら空を睨んでいた。

 清和の肩越しにその死体を見て、私は小さく息を呑む。


 黒田——では、ない。


 同じような、百姓らしい格好をしているが、その顔は黒田ではない。見たことがない男だ。


 誰!?


 慄く私をよそに、清和は死体の脇にかがみこみ(ふところ)の中などを検め始める。


「この男は、俺と同じ軍——お前の叔父上の軍にいて、以前から怪しいと注視(マーク)していたうちの一人だ。どうも、外部と連絡を取っているような動きがあって、それが狂犬なのかそれ以外の者なのかは判然としないが、いずれにせよ俺が与する軍にとっては看過できないことだ。だから、今日は跡をつけてここまできた。そこにお前が現れて……なにもかも滅茶苦茶だ」


 狂犬の正体に近づけるなら、こんな簡単に殺しなどしなかったものを———と呟く清和の眼はほの昏く、私はどきりとしてしまう。

 仇を討つと言い出した時点で、すべて奇麗事で済むとは思っていない。だけれど、清和には遺恨を残すような残酷なこともしてほしくない。怨嗟の鎖は、連環させるのではなく、断ち切ってほしい。

 密書でもないかと、なおも死体の帯などを検めている清和から視線をあげて、私は周囲をぐるりと見渡した。相変わらず雪の勢いは強く、視界はごくごく狭い範囲に限られている。左右に首をめぐらせると髪についた雪が、ぱさぱさと肩に落ちた。


 小太郎は、私たちから少し離れたところで、おとなしくうずくまっている。不思議なことに、初対面の清和にも吠え掛かったりせず、控えめに従者よろしく様子を伺っている。賢い小太郎に、よしよしと頷きかけながら、私は頭の中を全力(フル)回転させる。


 おそらく、清和は私がつけてきた黒田(とおぼしき男)のことは知らない。でなければ、こんなにのんびりと死体を検めたりしない。そういう男だもの。

 それとなくあたりを警戒したが、おとなしい小太郎が証明するように、視界が利くような範囲に何者かが潜んでいる様子はなかった。

 黒田が<狂犬>がらみの存在かどうかは明白ではない。だが、いずれによせ黒田の気配がまったくないことから、黒田は先程の斬りあいに気づいて、すでに逃げたあとかもしれない。ならば……黒田に関しては、清和の手を汚させず、私が何とかしよう。

 凍える空気を一息吸い込んで、私は口を開いた。


「ねぇ、あとは……清成殿の仇討ちのことは私に任せて。今、私は西軍———六角にいるの。東西どちらの軍にいようとも、必ず<狂犬>は見つけて始末するわ。だから、あんたは細川に帰って」


 いつでも強気なのが私の性分なのに、図らずも懇願というに近い口調になった。


「お前が、西軍畠山と六角についているとは噂に聞いていたが、まさか本当だったとはな……」


 私の真剣さとは裏腹に、立ち上がった清和は呆れ気味だ。頭や肩に積もった雪を払い落としながら、同じく面倒なことを払い落とすように、突き放した声が響いた。


「最初にも訊いたが、なぜお前がここにいる?」


 重ねて問われて、私はとっさに嘘をついた。


「ウサギ狩りに……」


 清和は離れたところに控えて、尻尾を小さく振っている小太郎に目を向けた。


「猟犬はともかく、供もなしに、弓矢も持たずにか?」


 疑いを滲ませる清和に、私は嘘を重ねるしかない。


「気分転換に、こっそり本陣を抜けてきたのよ。なのに急に吹雪いてきて、邪魔になったから弓矢は捨ててきたわ。それで、なんとか雪を避けられそうなところをと思って、この社にたどり着いたの」


 飛び込んでくる雪の欠片に瞳を(しばたた)かせながら、でまかせを並べた。

 清和は納得していないふうだったが、これ以上の詮索は無意味と判断したのか、


「六角でも、相変わらずお前はお前か……」


 と呟いて口を閉じた。それを私は長く身についた習慣のように素通り(スルー)できない。


「……どういう意味?」

「そのままの意味だ。———いい加減大人になったらどうだ。身勝手を通すのも大概にしろ。それとも……」


 清和は例によって、人を小馬鹿にしたように見下ろす。


「俺が東軍畠山にいると知っていて、あえて西軍に身を置いたのは、俺へのあてつけか?」

「どうしてそうなるのよ!あんたが細川に帰らないってわがままを言うから、それを説得するために……あんたに会うためには、こうでもするしかなかったでしょう!?」


 声を張り上げる私に、清和はうんざりとばかりに溜息をついた。


「畠山の別邸で話はついたものと思っていたが……お前は本当に人の話を聞かないな。あの時なら、まだ三好への輿入れの可能性も残っていたというのに……」

「人の話を聞かないのは、そっちでしょう!」

「くどいな。俺は細川には帰らない。そして、沙羅……お前も、もうこの状況では畠山宗家には戻れない。三好への輿入れも同様だ」


 清和は冷ややかな目で私を見つめる。


「お前の望みは『自由に生きる』ということだったな。だったら……いま、お前に示せる最善策は一つだ。———六角定匡の正室におさまれ」

「どういう……意味?」


 先程と同じ台詞なのに、私の声はひどく震えていた。それは寒さからなのか、それとも怒りからなのか……。


「敵陣にいても、六角定匡の評判はすこぶる良い。俺は六角殿とは個人的な面識はほとんどない。人となりも噂で聞く程度だ。だがその人間性や義理堅さは、此度の出陣を見てわかる。畠山充剛の妹を亡くした後も、新たに正室は迎えていないと聞くが……お前を手許に置いたことからして、興味がないわけではないのだろう。人質としてだけならば、側近くにおいておく必要はないからな」


 清和は相変わらずこちらの気持ちなど察する気配もない。巨椋池の別邸でそうだったように、いつも<清和なし>の未来を提案してよこす。


「身分的にも釣り合いが取れるし、こんな戦でやられるような男でもあるまい。お前が望むような一生を託するに申し分のない相手だと、俺は判断するがな」


 何をされたわけでもない。なのに、胸がぎゅうっと締め付けられて、苦しくて仕方なかった。苦しさを緩和させようと、大きく深呼吸をしたら、鼻の奥が冷え切った空気で刺されたように痛くて、涙が出そうになる。


「……それ、本気で、言ってるの?」

「ああ」


 清和はどこまでも澱みない。


 この男は鈍感なのか、それとも……。


 私にはまだ甘い期待があったのだろう。あるいは、淡い希望が。

 いまや隠せないほど震える声で、私は言い募った。


「私はまだ、<細川清和>の妻なのよ」


 清和は少し哀しげに目を伏せた。


「そんな男は、もうこの世には存在しない。俺はすべてを話し、お前を細川から解き放ったつもりだ。そもそも……細川を抜け出すのが、お前の望みだったはず」


 確かに、以前はそうだった。だが、今は———。


「何度でもいうわ。細川に帰って!」

「何度いわれても、答えは——否だ!」

「清和……あなたの都合だけで、私の人生を振り回さないで!」

「だから! お前は自由になれと……」


 ああ、そうじゃない。そんな言葉が聞きたんじゃない!


 逆上した私は、完全に自己統制(セルフコントロール)を失っていた。 

 絶対にこれだけは口にはすまいと思っていた言葉が、胸の内から()り上がり口から飛び出していく。


「私は……私はっ、清和が好きなのよ!!」


 もうどれくらいになるのか………。

 長い長い間、胸に秘めてきた想い。決して伝えることはないと思っていた。なのに———

 ついに告白してしまった。

 <今かぐや>ともてはやされる、当代きっての沙羅姫が……。

 想われることが当たり前のはずの沙羅姫が……。

 自らその想いを告白する日がくるなんて……なんて、滑稽で屈辱的。


 でも、その瞬間、胸を締め付ける苦しさは嘘のようにやんだ。

 いっそ清々しさが湧き上がり、私ははんなりと微笑が浮かぶのを自覚した。

 対する清和は、さすがにその顔に驚きを浮かべていた。



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