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 定匡殿と斉明や綱興がそれとなく充剛と私の間に入り、緩衝材になってくれているのが救いだ。

 目的のためなら……と威勢のいいことを言いながらも、結局、私は彼らに守られ助けられているのだと、ここにきて情けなくも実感させられる。


 宴も中盤に差し掛かったころ、誰かが今様(いまよう)などを謡いだし、充剛の家臣たちがまるで熱に浮かされるように次々と、面白おかしく踊りだした。あのおとなしく目立たない印象の黒田なども、一緒になって手を叩い謡っている。

 今様とはいっても、京風の……たとえば『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』にあるような上品なものではない。男女の仲をあけすけに歌ったような、どちらかというと下品な土着の歌らしく、私は少々面食らった。

 戦場では、こういうのが当たり前なのだろうか。そりゃあ、明日命を落とすかもしれない生活では、こんな風に表裏なく、生きているということを謳歌するのは大切かもしれないが……。


「沙羅! なにを白けておる。お前もぉ、一指し舞って見せろ」


 ややろれつの回らない調子の充剛が顎でやれというのを、私は冷え冷えとした視線で受け流した。


「聞こえにゃいのか? お前は同じ西軍の一員としてぇ、ここに陣中見舞いに来たんだろぅが! 舞は得意だろう、みなに披露してみせろ!!」 


 充剛の声が大きくなり、その場にいた家臣たちも、酔いに任せてやんやと囃し立て始めた。

 忍耐の緒が伸びに伸びて、それに比例するようにじわじわと湧き上がってくる怒りの臨界を感じていた私は、この場の平和の為にも、あくまで無視を決め込むつもりだった。だが、定匡殿や綱興が間髪いれず、


「充剛殿、少々飲みすぎではございませんか……?」

「殿、いくらお従兄妹であられても、斯様な場では……」


 それぞれ助け舟(フォロー)を出そうとするのを察して、その気持ちが申し訳なく、充剛ではなく彼らに応えるつもりで、私はすくりと立ち上がった。おおぅ、と広間がどよめく。


「姫……?」


 定匡殿と斉明が心配そうに私を見上げたが、私は笑顔で「大丈夫」と頷いた。

 もちろん、大丈夫なわけはない。内心、煮えたぎるくらいに腹が立っている。

 でも、ここで怒りに任せて充剛を罵倒してこの場を退席しては、狂犬につながる手がかりも得られぬどころか、定匡殿の立場まで悪くしてしまう。自分で思っている以上に、私は理性の手綱をしっかりと握っていた。 


 衆目が集まる中、私はほんの一瞬、逡巡した。 

 白拍子のように今様に合わせて舞うこともできないではないが、そこは姫たる私の矜持(プライド)が許さないし、何よりもそういうのを求めているらしいこの場の雰囲気に飲まれるのが厭だ。

 そう……戦場に出たことは無いが、戦前の景気づけとはいえ、あまりにも浮かれ騒ぐこの様子は、どこか歓楽的とか享楽的に見えて、気に入らない。


 戦の前とは……私が思い描いていたものは、もっと粛々とした雰囲気———。

 私は広間の真ん中で両目を閉じて、意識を集中する。みんなが浮かれ歌う今様が耳朶から遠ざかり、代わりにとても静かな拍子がひたひたと近づいてくる。


 とん……と、とん。とん……と、とん。


 (ばち)のかわりに閉じた扇を右手に握り、そのまま腰に添える。


 とん……と、とん。


 拍子に合わせて一歩、反閇(へんばい)を踏んだ。具足こそつけていないが、男と同じような直垂姿なのも、ちょうど良かった。体を傾けて、反対にもう一歩、踏む。


 かつて……私が五節舞を舞うよりも少し前、義貴兄様が神楽——蘭陵王(らんりょうおう)——を舞う機会があった。竜面をつけて舞うその姿は、恐ろしくもあったけれど、それ以上に美しく上品だった。兄上の稽古をしつこく見続けた私は、神楽の舞台に上がることはなかったけれど、結果として兄上と同じくらいには舞えるようになっていた。ごくごく身内……家族の前でしか披露することはなかったし、童舞や女舞では面を用いないので、兄上のような迫力は無かったけれど、古代中国の勇猛な武将の舞は末永く、五節舞などよりもよっぽど私のお気に入りとなった。


 戦の前に神々への奉納もこめて舞うのなら、この蘭陵王がいい———と、私は独断で雅楽も無いなか、粛々と舞い続けた。理解されるとは、端から思っていない。ただ私は神々に披露するつもりで、天に向け右手の桴——扇を振り上げ、左手で剣印をきる。

 いつしか盛大に謡われていた今様が消えて、広間が静まり返っていた。

 反閇を踏む音と、衣擦れの音だけが寒々しく響く。


 体を反転させながら、私は流し目で充剛やその家臣たちのぽかんとした顔を確認した。

 わかってはいたけれど、やっぱり充剛たちには理解不能だったか……。だが、<畠山の今かぐや>は、断じて、下品な今様などに合わせて舞ったりはしない。『仲がいい従兄妹』ならば、よくよく承知のことだろうに。


 場を白けさせた原因は、私に舞うことを強要した充剛におしつけるとして、さてこの空気をどうしよう……。このまま退出するべきか、場の仕切りなおしは大変不本意ではあるが、白拍子的な舞をひとつ舞っておくか——。

 正面に体を戻して拳を腰においたまま、空白の間が一拍、生じた。

 だが、自ら決断する前に、予想もしていなかった第三の選択が飛び込んできた。


 僅かに生じた空隙を縫うように、いやむしろ裂くように、突如として響いたのは澄んだ笛の音だった。

 耳になじむ、蘭陵王の旋律———体が自然と、続きを舞い始めていた。

 動きに合わせて、音源へと首をめぐらせる。

 いつの間に用意したのか、定匡殿が竜笛(横笛)を吹いていた。高く低く、ゆるやかに旋律を奏でる姿はごく自然で、この舞台がまるで用意されていたかのような錯覚を覚えさせる。


 打ち合わせなどしていない。勿論これは、定匡殿の機転(アドリブ)だ。


 左足を一歩引いたのち大きく前進して、腰を落とし一拍おき、さらに前進して、右へそして左へと扇と剣印をきる。最後にもう一度右へ、扇を大きく振り上げ、ぴしりと充剛の正面に打ち付けるように下ろした。我に返ったように、びくりと充剛の肩が揺れた。

 笛の音に乗ったまま、再び左へ右へと反閇を踏み、左手の剣印を構えたまま、くるりと回転して体の正面を入れ替える。


 舞いながら、ああそうだったのかと今更ながらに思い至ることがあった。

 六角に乗り込んだあの夜、奥では宴の最中だった。あの夜、響いていた雅な笛は、定匡殿が吹いていたのか。

 状況をいち早く察し、打つべき手を打ってくれる人。大人で、何でもできる人。定匡殿のそういう面が、ちょっと清成殿に重なる。清成殿があのまま歳をとっていったら、定匡殿のような人になったのだろうか……。

 そんなことをぼんやりと思っているうちに、きりよいところまで舞い終えて、笛の音がやむと同時に私は蘭陵王から沙羅姫へと戻った。


 本堂は幾人かの感嘆の吐息と、そのあと「うおぉぉおおお」というどこか獣じみた歓声と拍手に包まれた。呆けていたような充剛も、周囲を見て乗り遅れまいと手を叩いた。

 どうやら、座興は成功したらしい。

 私は充剛に形ばかり頭を下げ、定匡殿には深く一礼して、元の坐に戻った。


 そして、宴は戦の前らしく、打倒東軍を旨にさらに盛り上がりを見せた。が、以降は下品なことにあえて私を引き出すまいという暗黙の了解ができたようで、充剛も無理なことは言ってこなかったし、また側にいる綱興をはじめとする家臣たちが、そうならないように気を配ってくれた。ある意味、最初よりも私の居心地はいいくらいだ。

 みなが雲上の人を見るように、遠く私を眺める。

 そんな中で、ひとつだけ気になる視線があった。


 私からは遠く離れた、本堂の入り口近くに座っているにもかかわらず、ひどく下卑た眼差しを送ってくる男だ。気持ち悪いので、視線を感じながらもそちらを見ないようにしていたが、何かの拍子に視線が合うと、これ見よがしに舌なめずりして見せた。

 直感的に<狂犬>はあんな奴だと思った。そう思うと、確認せずにはいられなくなって、私は目立たないように綱興を呼んだ。


「あの入り口近くにいる、いかつい感じの壮年の男は誰?」


 最初の家臣紹介には入っていなかった者だ。

 綱興はさりげなくそちらを見やり、すぐに私の指す者を察したらしい。


「あの者は……確か青砥(あおと)という者です」

「末席にいるくらいだから、旧くからの家臣……じゃ、なさそうよね」

「ええ、そうです。私も詳しくは存ぜぬのですが……もとは浪人者で、いくつもの戦場を渡ってきた(つわもの)らしく、腕だけはやたらと立って恐ろしく強いと評判の男です。そこを買われて、召抱えになったと聞きました」

「いつごろからいるの?」

「さて……」


 綱興は記憶を辿るように、その左手を顎に添えた。


「この南山城に充剛様が陣をはって三月ほど経った頃……ですので半年くらい前からでしょうか」

「出身は?」

「北国……いや、西国の方だったような……」


 綱興の声を聞きながら、私は半ば確信していた。

 あたらずとも、遠からず。時期的にも、<狂犬>犬飼が山名を出奔した時期と一致する。

 側でやりとりを窺っていた斉明も、神妙な面持ちで小さく頷いて見せた。


 この短時間で怪しい存在を見分けるのは、所詮無理なことだ。そもそも充剛の軍ではなく、兄上や叔父上の軍に<狂犬>が潜んでいる可能性も高い。

 だがその上で、あの青砥とかいう男は、見過せない。狂犬ではないにしても、引っかかりを覚える存在なのだ。様子を見たうえで、何者でも無かったならよし、でも万一そうでなかったら……。

 あの男は、注視(マーク)すべき存在だ。 


「あの、姫様……」


 突然、自身もよく知らぬ家臣のことをしつこく訊ねられた綱興としては、不安に思ったのだろう。いっそう声を潜めて、やや早口に訊いてきた。


「あの者が、何かご無礼をはたらきましたか?」


 綱興には悪いけれど、本当のことを言うわけにはいかない。


「そうではないけれど……眼で汚された気がするわ。いくら充剛の軍の猛者でも、ああ舐めるように見られては気持ち悪い」

「これは大変な御無礼を……!」


 慌てる綱興を制して、ちょうどこれがよい引き際だと思った。


「いいのよ、綱興。みんなお酒が入ってることもわかっているし、浪人あがりの新参者なら多少の無礼も仕方ないわ。でも、私はこれで引き上げさせてもらうわ。充剛もあんなに酔っているし」


 後の処理を綱興に頼み、定匡殿が充剛の相手をしてくれているうちに、私と斉明は一足先に酒宴から抜け出した。

 熱した宴の空気を脱ぎ捨て、凍える冬の外気を纏う。


「姫様の望まれるような収穫はありまかしたかな?」


 白い息を吐きながら、斉明が私を先導する。 


「さあ、どうかしらね。……ああ、でもひとつあったかな」


 ほう、と興味深そうな声をあげて斉明が振り返った。


「定匡殿が笛の名手だってこと。知らなかったわ」

「ははは。ここぞというときしか、披露してくださいませんからな」

「それも蘭陵王を演奏してくださるなんて……」

「殿は多才なお方ゆえ……などと、姫様の前で申しては、殿にしかられますかな。我らのほうこそ、沙羅姫様には驚かされてばかりですわい。見事な蘭陵王でございましたな」

「あら、驚くのはまだまだこれからかもよ」


 私は笑いながら空を見上げた。

 西の空には上弦の月が浮かんでいた。その煌々とした細い光は、今宵私が踏み出した一歩を、あざ笑っているようにも見えた。



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