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        *


 『叔父』と聞かされていたが、定親(さだちか)殿はその外見を見る限り、甥の定匡殿とそう歳が離れていないようでまず驚いた。雰囲気もよく似ていて、兄弟だといわれても、うっかり信じただろう。あとで、若く見えるが四十代半ばだと聞かされ、二度驚かされたっけ。髷を結わず蓬髪(ほうはつ)にしているせいなのか、十歳は若く見える。

 そんな似て見える二人だったが、決定的に違ったのは声だった。


「六角定親です。このような、むさくるしい先陣へようこそ。一同、歓迎いたします」


 腹の底から響くような、重く朗々とした良い声だった。もちろん定匡殿の声だって、悪くはない。だが印象でいえば、定親殿の声は一度聞いたら忘れられないような凄味を持っている。


「まるで、最近流行の猿楽の演者か、御詠歌を唱えられる僧侶のように良いお声ですのね」


 自己紹介も早々に定親殿のその声をほめると、彼は甥によく似た、人の良い笑顔を微苦笑に変えて応えた。


「鋭いですね。実際、つい最近まで僧籍にありましたから」

「え……?」


 冗談を返されたのかと思わず定匡殿の顔を見ると、定匡殿は「本当のことですよ」と真面目にうなずいてみせた。

 半年前まで、定親殿は比叡山に籍を置く僧だったというのだ。

 どうして、と訊くまでもなく本人が話してくれた。


 先代当主が亡くなって以来、家督を継いだ定匡殿の後見役を務めていた叔父——定親殿の次兄——が亡くなるに際して、後見役兼参謀として六角に戻るように遺言を残され、その遺言に従い還俗(げんぞく)したというのだ。遺言とはいえ、僧籍にあった者をわざわざ還俗させるというのは、聖俗双方にとってそれなりの覚悟がいることだ。


 定匡殿が以前言っていた「血縁」は断てないもの、という言葉は、ここにも隠されていたらしい。

 そうして見れば、定親殿の肩までの蓬髪も納得がいく。個人の流儀(スタイル)なのかと思ったが、半年前まで剃髪していたのなら、なるほど、まだ髷はゆえまい。


「そうだったのですか……何も存じ上げず、失礼いたしました」


 いきなり立ち入ってしまったことを詫びると、


「いや。よい勘をしてらっしゃる。初対面で言い当てられて、私のほうこそ驚いた」


 定親殿は苦笑ではなく、今度は鷹揚に笑ってみせた。

 その穏やかさに、つい調子に乗ったわけではないけれど、この人とはもう少し距離を縮めたいという欲が出て、やや前のめりに私は共通になりそうな話題を探し出していた。


「———比叡山とおっしゃいましたが、でしたら細川宗家のご次男をご存知でしょうか? 七、八年ほど前に出家して、延暦寺に籍をおいている……」


 定親殿は少し首をかしげて、興味深そうに私を眺めた。


「細川……?」

「ええ。音羽丸(おとわまる)と……いえ、いまは名を改めてらっしゃるだろうから……なんて名乗ってらっしゃるのかしら。いやだ私ったら、僧名を存じ上げないんだったわ。でも、年は二十くらいの若い方ですわ」

「細川家の音羽丸殿……」


 記憶をたどるように視線を宙にむけていたが、やがて定親殿は申し訳なさそうに私へと視線を戻した。


「残念ながら、私は存じ上げないようだ。延暦寺は山内に多くの坊をもつ巨大な組織ゆえ、長く籍を置いていたとはいえ、私も総ての僧侶を把握していたわけではないので……」


 総ての僧を把握していない——それは事実なのだろう。だが、音羽丸を知らない。果たして、そんなことがあるのだろうか。


 私は軽い不審を抱く。


 数千人もの僧侶を抱える天台宗総本山とはいえ、音羽丸と定親殿は境遇的には似た人たちだ。上流武家の出身なので、お山での扱いだって接触だって、他よりはありそうなのに……。


 その方が、どうかなさいましたか? と問われて、私は慌てて愛想のよい表情を取り繕った。


「いえ、亡き夫の異母弟にあたる方ですので、ご存知であれば近況など伺えればと。息災であるならよいのですが」

「延暦寺の僧であられるのならば、きっとご息災でしょう。ご案じなさることはない」


 なにせあそこは仏法に守護された聖域ですから———とどこまでも清々しい顔で言われては、そういうものかと割り切らざるを得ない。

 私たちの会話を黙って見守っていた定匡殿が、からかうように囁いた。


「なにやら、今日が初めてではないような仲良しぶりですね」


 そうして私と定親殿を見比べたので、私は澄まして応えてやることにする。


「あら、それはお二人が姿も雰囲気も似てらっしゃるからよ。だから、緊張しなくてすみました」


 二人はこれに破顔して、「似ているかな?」と家臣たちを振り返る。家臣たちは、口々にこことここはそっくり、いやここは似ていない、など和気藹々と二人の主人を評し始めた。

 その様子を見ていて、場所は先陣に変わっても、やはりここは六角なのだと知らされる。

 つまりは、どこにいても平穏で心和む雰囲気だということ。


 私への紹介も兼ねていろいろと提供される話題から、定親殿は誰もが認める人格者で、六角内では定匡殿の補佐(サポート)役に徹していることがうかがい知れた。

 当主である定匡殿に先んじて戦場に陣を張り、状況の報告や戦略はもちろん、実際の戦での陣頭指揮等々を粛々と仕切ってきた人物。この人が充剛とともに現場に出ていてくれたからこそ、六角本体はぎりぎりまで本拠地で様子を見ることができたし、おかげで私も観音寺城で定匡殿に会うことができた。


 正しいと思う意見や提案は上奏するし、家臣が言いにくいようなことも指摘し箴言する。だが決して定匡殿の上には立たない。あくまでも当主の定匡殿を尊重し、その叔父として補佐に徹するという定親殿の姿勢は、知って間もない私ですら好感を抱くものだった。なるほど、遺言までして還俗させたのも頷けた。

 定親殿を含め、もう少しゆっくりとこの先陣の人たちと話などしたいと思っていたが、ここにきて半刻ほどたった頃、私は定匡殿から出城への帰還を命じられた。


「ここは実際の戦場にもなりえる場所です。何があるかわからないから、長居は無用。私は叔父上ともう少し相談がありますので、姫は先に市辺城に戻っていてください」


 今日は顔見世に連れてきてくれたまでのことと私も理解していた。そしてこれから私という異分子を除いた、六角の首脳部での真剣な話し合いがなされることも承知している。

 私は今後もよろしくと挨拶を残して、潔くすみやかに斉明ら数名の家臣とともに先陣を後にした。

 そうして市辺の出城へと帰るその道すがら、改めて定親殿が出家したいきさつや、六角に戻った話を斉明から聞くことができた。


 私の勝手な先入観もあるのだけれど、それにつけても、六角定親殿は想像と実像の(ギャップ)が大きい人だった。総合的には「よい意味で」といえるかしら。


 ———定親殿は先代の当主、つまり定匡殿のお父上の末の弟(四男)で、幼い頃からとかく優秀な人物だったらしい。当然、将来を嘱望されていたのだけれど、ある事件に関わり、世俗を捨てることになった。それは京での大乱——しいては、今日の東西両軍が激しくぶつかる大戦のきっかけとなる事件だった。


「姫様は、その……随分昔の話にはなりますが、一色邸襲撃事件というものをご存知ですかな?」


 斉明にしては珍しく、歯切れが悪い。


「……十二年前の、あの将軍暗殺事件のこと?」


 久しく耳にすることのなかった胡乱な事件の名に、つい声を潜めて私は数歩後ろを行く斉明を振り返った。


「左様でございます。あの事件に、定親様は関わってしまわれて……」

「そうなの……!?」 


 周囲に人目も少なかったこともあり、私は驚きを隠さなかった。

 かつて……細川にて、この東西の大戦についてを回顧した通り、同時代(リアルタイム)で生きていたとはいえ、まだ幼かった私には余り関わりのない出来事だ。

 事件当時、私は僅か五つか六つで、実際に何が起こっているのか知らなかった。少し時間がたって、物の道理がわかるようになった頃に、将軍が暗殺される事件があり、それが今の争いの原因ともなっていると理解した。


 私が聞いた限りでは、そもそもの事の発端は、先代将軍がうかつにも将軍に反感を抱く——今日の西軍に与する一派でもある——一色邸に出かけ、そこを襲撃された挙句、暗殺されたことに始まる。

 その結果、次期将軍の座をめぐり<将軍の嫡男>か<将軍の弟>か……どちらが跡を継ぐかで、幕府を震撼させる争乱が勃発したのは周知の通りだ。京では双方の勢力がぶつかり合い、いっとき騒然となった。

 しかし、この時点では大乱には至らず、将軍暗殺から間を置くことなく<将軍の弟>——足利安義——が、<将軍の嫡男>が元服するまでは、将軍職を預かるという形でいったん決着を見た。が、約束の時が来ても安義が将軍職を渡さないものだから、五年後には元服した<将軍の嫡男>——足利義史——とそれを推す東軍勢力が黙っておらず、東西それぞれに別れて争う大乱へと発展。京は灰燼に帰すことになった。


 以来、西軍山名では都落ちした安義を匿い、東軍細川は将軍・義史を京にて守りつつ、安義を討つために今も戦を続行している。


「………でも、六角は西軍に身を置きはしているけれど、京で繰り広げられた緒戦(しょせん)にも参加してないんじゃないの?」

「よくご存知ですな。そう、それはある意味、不幸中の幸いと申しますか……」


 実はこの襲撃事件の実行犯の一人として、六角家の三男(定親殿の三兄)が関わっていたと、斉明は控えめな声で話した。初めて耳にする話だ。


 六角家の三男は、その事件の際に現場で討ち死にしており、六角家そのものにはそれ以上の責任追及はなされなかった。

 だが、襲撃事件とそれが生み出した将軍の暗殺を、定親殿は自分の責任と強く感じたらしい。というのも、そもそも実行不可能と思えた将軍暗殺の段取りを実際に立案したのは、定親殿その人だったというのだから、私も本当に驚いたわ。


 兄(三兄)に頼まれて、兵法の一計として定親殿は暗殺計画を立案したらしい。まさか、兄が本当に実行するとは思っておらず、また、計画をすべて知っていながら、未然に防ぐことができなかった。その結果、国を二分する大きな戦禍を産むことになり、兄を含めて多くの命が失われることになった。

 それらすべての業は自分にあるのだと、激しく悔やんだ定親殿は、罪を償うためにも世俗を離れることを選んだ。


 斉明は定親殿に同情するように深い溜息をつき、ところが今から半年前……と続けた。


「先代当主が亡くなって以来、定匡様を補佐していた叔父君(定親殿の次兄)が病に倒れられ、もう長くないと察せられたのでしょうなあ……、引導を渡してくれと比叡山から定親様を呼び戻され、枕元で定匡様の後見と参謀役として後を頼むと遺言されましてな。ご存知の通り殿はすでに一人前ですし、おそらく定親様は比叡山を下りられるおつもりはなかったのでしょう。ですが、六角のためにこそ、今一度お前の才覚を役立てよ、そうしてこそ死んだ三兄や他の大勢の者たちの魂も浮かばれる、というようなことを切々と繰り返され、結局、事件の負い目があったのでしょうな……根負けするような形で、還俗されましたわ。世俗を捨て仏に仕えることを誓願しておられたのに、自らその誓いを破り、お家のためとはいえ再び殺生の場に身をおくこととなったことを恥じつつ、しかしそれもまた己の犯した罪業故と耐えてらっしゃるようで……、事情を知る私らとしてはお気の毒でならない。そういったこともあって、差し出がましいようですが……」


 斉明は申し訳なさそうに、比叡山の話を含め、定親殿には昔の話はあまり振らないでいただけたら、と切願してきた。


「なるほど、よく判ったわ。話してくれてありがとう」


 異存なく私は諒解した。そして思う。

 定親殿のためにも、この大戦が早く終わればいい。

 結局のところ、誰にとっても戦などというものは、喜ばしいものではないのだから。


 話をしているうちに、出城の姿も見えてきた。

 こうしてこの日はおとなしく出城に戻ったものの、やっぱりすぐには合戦になる様子もなく、その後たびたび私は出城を抜け出して、定親殿の先陣にまで遊びに行くようになった。




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