六
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山城国上三郡——綴喜、久世、相楽の各郡——を南北に流れる木津川。その河畔に沿うように、東西の各陣営は展開されていた。特に前線となる陣営は三郡の中でも北に位置する久世郡の河畔域に集中しており、定匡殿の叔父上の軍や充剛の軍もそのあたりに布陣していた。
定匡殿の本陣はそれより東へと後退した、先陣を見下ろせる丘陵地帯の、街道沿いの要所でもある市辺城に設けられていた。
私たちがその城に入った、翌日。まだ、この出城での生活や周囲の様子もよくわからず、戦の準備にもいま少し時間がかかろうかという、なにかと立て込んでいる時分に、意気揚々とやってくる迷惑な客があった。
畠山充剛——私の従兄妹にして、六角定匡殿の義理の兄。西軍畠山軍の一翼を担う大将。そして、私が生理的に嫌いな男。
充剛は同盟相手である定匡殿への挨拶もそこそこに、
「おお、沙羅。久しいなあ!」
陣中に入ってきたときから私の存在を気にする様子で、必要以上になれなれしい声をかけてきた。
充剛は、父上の兄・頼長伯父の次男であり、私よりも一回り年上の従兄妹だ。顔をあわせるのは、もう六、七年ぶりになるだろうか。
頼長伯父は生まれた時期としては父上よりも二年ほど早かったが、母君が正室ではなく、つまりは側室腹であったために、家督はあきらめなければならなかった。かねてより正室腹の弟である私の父上が家督を継ぐのを、不愉快に思っていたのだろう。御祖父様が亡くなり、京での騒乱が激しくなるのに呼応するように、やはり側室腹で末弟にあたる頼亨叔父と組んで、畠山家を二分する争いを始めた。
結果、今日まで父上と同腹の頼忠叔父を含めた東軍畠山と頼長伯父・頼亨叔父の西軍畠山との争いが大和、河内、そしてこの南山城の地で繰り広げられている。
内紛が始まって以来、敵方にあたる充剛とは当然、顔を合わせる機会はなかった。それ以前にも、そんなに……というか、そもそも歳も離れているし、私の中では正直なところ生涯顔を合わさなくてもなんら支障ないと思える相手でもあった。何をそこまで嫌うのか、特別な理由があるのか? と問われると、答えに窮する。
小さい頃、京では従兄妹として度々顔を合わせた。たいてい義貴兄様や義教兄様と一緒のときで、兄上たちと充剛は年が近い従兄弟同士、書を学んだり、剣の稽古をしたりしているのを、私は御簾越しだったり、庭を挟んだ部屋越しだったりで見てたんだっけ。
客観的に見て、充剛は平均的な武家の男子よりも、少し上を行くような男の子だった。家柄も、見た目も。ただ、性格はというと、閉口する。
充剛は、私の上の兄二人には随分、腰が引けていたように思う。けれど、義貴兄様には時折えらく横柄に振舞うことがあり、その理由が兄上が側室腹だからということだと知って、子供心に唖然としたものだ。器が———小さい。側室腹であることを憎んだ、己が父の思いとも裏腹に。
そのくせ、義貴兄様と同腹にあたる私には変に下手に出てくるのも気に食わなかった。成長するにつれて、自分より年下の義貴兄様のほうが文武ともに充剛に優るようになると、もはや充剛は兄上たちと同じ土俵には上がらないようになった。そうして虚勢を張る様は、ある意味、滑稽でもあり哀れでもあった。
宗家の子供たちと接し、比べられることがなければ、充剛の器はもう少し大きいものになったかもしれないと、いつか頼義兄様が評していたことがあったが、私はそうは思わない。残念ながら、あれは生まれ持ってのものだ。
ともかく、充剛に関してはそういう印象もあり、畠山の内紛が終わるまで、そしてそれが終わったとしてもその時点で充剛が生き残っていない限り、再会はありえないという相手であり、よもや、こんな状況で再会するとは想像だにしていなかった。
久しぶりに見る充剛は、以前よりもややふっくらとして、歳相応の貫禄をつけていたが、細くつりあがった目と薄い唇が、相変わらず、どこか狡猾な狐を思わせる男だった。
「……御無沙汰しております、充剛殿」
口を利くのもわずらわしかったが、子供染みた真似をして定匡殿にまで迷惑をかけたくなかったので、ここは大人の対応をしておく。
愛想で浮かべた笑みをどうとったのか、充剛は一瞬まぶしそうに目を眇めて、それから定匡殿へとちらりと視線を向けながら早口でのたまった。
「いやいや、戦が始まって以来、もう二度とお前とは顔を合わせることもできぬかと思っていたぞ。細川へ嫁いだと聞いていたからな。それが、まさかまさか、同じ西軍の陣中で再会できるとはなぁ。これも宿命というやつか」
「………」
どんな宿命を思い描いているのか……想像するのも寒々しく、また阿呆らしい。
「東軍三好への輿入れを拒んでの此度の出奔ときいたが、お前も東軍にはもう見切りがついたということだろう? 世の流れは我ら、西軍へと変わっておる。この際、西軍に嫁いで勝ち馬に乗るのはどうだ?」
面白いことを言ったつもりか、わははと豪快に笑って、これ見よがしに私へと親しげな視線を送ってくる。
私が無視していると、反応のなさが面白くなかったのか、
「しかし、こうして久しぶりにその姿を見て、驚いたぞ」
充剛は私との親しさをことさらに訴えるように、定匡殿を含めた周囲の人々に私との思い出話を披露し始めた。
「幼少の頃からかわいらしい姫ではあったが、こうも美しくたおやかな姫に成長するとはなぁ」
「………」
「今でこそ、こうして取り澄ましておりますが、小さい頃はよく兄たちについて回る、そりゃお転婆な姫だった」
充剛は私が六角でも外面よろく<今かぐや>らしい顔をしていると思っているらしい。実情を知っている、斉明や数人がとっさに俯いた。肩が微妙に震えているのは、笑いをかみ殺しているからだろう。
相変わらず黙ったままの私を横目に、定匡殿が相槌を打ってやった。
「ほう、そのような姫君でございましたか」
「そうよ。帯解の儀の前までは、書の練習を怠けて、互いの顔に『へのへのもへじ』など一緒に書いて笑った仲だからなあ!」
これには本当に驚いたのか、一瞬ではあるが、定匡殿が顔ごと私を見た。
いやいや。違いますから。
そんなこと、昔過ぎてすっかり忘れていたが、それは充剛が思っているような仲良しの証ではなく、十以上も年上なのに私に擦り寄ってくる充剛を、本当に馬鹿にしてやったことだ。
まさか、仲良く遊んでいたと思っていたなんて、想像以上にお目出度い奴だわ、この従兄妹は。
気を抜くと絶望的な溜息がもれ出そうで、私はすっと背筋を伸ばした。
そんな私と定匡殿を交互に見やりながら、充剛は最初から訊きたかったであろうことをようやく訊ねてきた。
「まあ、沙羅にも色々思うところはあったのだろうが、実家を出てくるなら、何故わしのところではなく六角殿に?」
これには、用意してきた答えがあった。
「いまは我が父上や兄上と戦っておられるとはいえ、充剛殿ももとは同じ畠山一族。私ごときの存在で、戦がし辛くなっては申し訳ないと思いまして」
「なにを言うか、よく知った仲ではないか。むしろお前が西軍の側に立つというのであれば、わしも父上も歓迎するぞ。そうだ、こんな血なまぐさいところではなく、大和のわしの屋敷か、いっそ我が父上の館に移ってはどうだ?」
「充剛殿のお気遣いはありがたいのですが、ご迷惑はおかけしたくないのです」
「いやいや、気兼ねは必要ない。見知った者もなく、環境も違う六角殿のもとでは、気苦労も多かろう。ましてお前は女の身。所詮、血のつながらぬ他所は他所でしかないぞ」
「遠くの親戚より、近くの他人とも、申しますわ」
「いやはや、これだから。もとより苦労しらずの姫育ち、今は良くともこの先も……とは行くかどうか。うちならば、実家と同じように寛ぐこともできる。よいか、ものめずらしさも最初のうちだけ、いずれは腫れ物に触るような扱いになるやもしれん。お前は、畠山の血を引いた、畠山の者。その血は、どれだけ尽くそうとも、どうあっても変えられん……。いかに六角が評判の良いところとはいえ、それはあくまでも他所から見た表層じゃ。実情は、中にいる者にしかわからん。わしの妹も、いつもやたらと気遣って過ごしておった。その挙句が……」
最後まで、言わせるつもりはなかった。
この愚かな男に、自分の妹や、その妹の遺言で兵を出すことをした定匡殿——六角を語る資格はない。
「黙れ、充剛!」
私はすくっと立ち上がって、口をあけたままこちらを見つめる充剛に、初めて感情のこもった声をむけた。
「あいかわらず、自分に都合の良いようにしか物事を見られない、薄っぺらい男ね」
「さ、沙羅?」
「気安く私の名前を呼ばないで。大人になったら、少しはその自尊心の高さに、中身が追いつくかと思っていたけど、あなた、全然駄目ね」
あたりの空気が凍りつくような、冷ややかな沈黙が舞い降りた後、逆上する充剛の唸りが響いた。
「な……んだと、沙羅ぁぁあ!! 血の繋がった従兄妹だと思って、こちらが下手に出ておれば……!お前ごとき、この場で叩き斬ってくれるっ!!」
言いざまに、太刀の柄に手をかけたのを、すぐ背後から慌てて止めに入る男がいた。
「殿、どうかお待ちください」
「放せ、綱興! 放さぬと、お前ごと斬りつけてやるぞ!!」
「いいえ、放しませぬ!」
男は柄にかかった充剛の右手をしっかりと押さえ込んでいた。充剛がなんと言おうと容易には太刀が抜ける状態にないのが明らかだった。
激昂する充剛とほぼ同時に、私を庇うように前に出た定匡殿も、その様子を見てそろりと体を引いた。
私はもとより充剛ごときに斬られるつもりもなく、かといって返り討ちにするのは定匡殿たちの立場もあり、まあ無難に何手か避けて、周りの者が止めに入るのを待つつもりだったが……。
充剛を制止する男は、私の読みよりもかなり早く動いた。充剛より小柄で、年もそう変わらないように見えたが、直感的にかなり出来る男だと思った。
その男は、控えめな声で充剛に訴えかける。
「殿、落ち着いてください。殿は誤解されておりますぞ」
充剛だけでなく、私までもが「ん?」と首をかしげるようなことを言って、男は充剛の気を引いた。
「誤解、だと……?」
「左様でございます。お気づきになりませんか? 久方ぶりに再会した殿を前に、姫様は強がっておられるのですよ。幼少の砌より良くご存知の殿に、このような境遇になった今のお姿を見せることを、とても恥ずかしく思っていらっしゃるのです。姫様にこれ以上、恥をかかせてはなりません」
おいおい、ちょっと待て!
そのよく回る口に太刀を鞘ごと捩じ込んで、歯の二、三本もへし折ってやろうか!?
私の中の凶暴さを目覚めさせるようなことをつらつらと並べて、男は充剛に訳知り顔で何度も頷きかけた。
「そもそも殿は、女子に人気がございますゆえなぁ……これまで女心を読むような面倒なことをする必要もなかったのでございましょう。しかし、世の女子、特にこちらにおられるような姫様は、自尊心も高く、それゆえ心に思っていることとは反対のことを、言動に出してしまわれることもあるのでございますよ」
「………そうか? そういうものか?」
「そういうものでございます。殿がおっしゃるように、何よりも強いのは血の繋がり。本来であれば、姫様は誰よりも先に殿におすがりしたかったはず。ですが、それ以上に、殿には……殿にだけは、今の恥ずかしい姿を見せたくない、と思われるあまり、素直に助けを求めることも出来ず、その結果、他人である六角様に匿われること選ばざるを得なかったのですよ。その身の上を、女心を、殿はもう少しご理解して差し上げなければ……姫様がお可哀想でございますよ」
「……うむ……」
「ここは、殿が姫様のお気持ちを汲んで——なにとぞ、この場はお静まりを」
そうして男は止めとばかりに、
「姫様の花の顔をご覧ください。恥ずかしさから朱に染まっておいでではないですか、お可哀想に……」
と聞こえぬくらいの囁きをもって、充剛をねじ伏せた。




