三
それはまだ私も在京で、今より世の中全体がほんの少し落ち着いていたとも云える時代だった。その落ち着きを定着させたかったのか、混乱により度々中断していた宮中行事のいくつかを、主上が積極的に再開させた時分でもあった。豊明節会もその一つで、そのときの『五節の舞姫』の一人として選ばれたのが、当時十歳になったばかりの私だった。
ちなみに、五節舞とは豊明節会の際に催される古式ゆかしい舞で、五穀豊穣と平安を祈り四人の舞姫が主上の御前で舞を披露する。その舞姫は公卿や国司の家から出すのが慣わしだが、古代より貴族の姫君は人前には顔を晒さないのが現実かつお約束だ。だから名代として、格下の家柄の姫が舞台に立つのが常識で、母上の実家と縁戚であった九条家からの依頼を受け、私は九条家の名代の姫として、豊明節会の篝火の焚かれた御所で華々しく舞うことになった。
あの頃はまだ女子力の向上を目指していた時分だったし、裳着もまだの子供だったから、こういう経験もありかーと納得はしていたけれど、それでもたった一度の舞のために猛烈に練習させられて、辟易したことを今でも覚えている。
そんな賑々しい五節舞だったが、復活を果たしたのも束の間で、時代は再び戦乱の中に呑み込まれて、結局、今はまた中断中のはず。懐かしいような阿呆らしいような気持ちで、私は過去を振り返ったが、定匡殿は同じ過去でも思い入れが少し違ったらしい。
「当時の私は元服をおえたといっても、周囲からはまだまだ若輩扱いされるような身ではあったのですが、あの年の五節舞には宮中警護として参加する僥倖を得ていたんですよ。『五節の舞姫』を見るのも初めてで、お役目につきながらも、少なからず興奮していたのを覚えています。もちろん新人で警護職ですから、舞台からは遠く離れていた。四人の舞姫のうち、誰がどの姫かなんてわからない。それでも……沙羅姫、あなただけは特別だった。遠目に見ても、宵闇の中に浮かび上がる月のように、ずば抜けて美しい姫君でしたよ」
臆面もなくいわれると、さすがの私も気恥ずかしくなる。
曖昧に微笑んで周囲を見やると、いならぶ家臣たちは主人の昔話に興味を持ったようで、無言で話の先を促す雰囲気になってしまっていた。
「……そんな沙羅姫の美しい姿は、むろん噂好きの都人の評判になった。そして、時をおかず帝からじきじきに入内の話が出たそうだ。当然といえば当然のことだったのでしょうね………あの五節舞を一番近くで御覧になっておられたといってもいいお方だ。みんなこの入内話には、納得せざるを得なかったでしょう。ところが、畠山頼政殿———沙羅姫のお父上は、入内をあっさりとお断りになった」
瞬間、家臣がどよめいた。だが、そんな彼らよりも一番驚いていたのは、なにを隠そうこの私だ。
なによ、それ! 入内云々なんて話、父上から一度たりとも聞いたことないわよ!!
当時から都人の口に膾炙されていることや、舞い込む縁談が後を絶たなかったことは私も知っている。ただし、それらについてはちゃんと「これこれこういう話があるけれど、今回は断るがいいな?」という確認つきだった。
———何でも私本人に知らされている、一人前扱いされてる……なんて思っていたのは私だけという皮肉な顛末は、細川への輿入れの一件で思い知らされたが、それ以前にもあったとはね。
人生を左右するような最も重大な話は、結局、私に選択権はなく、耳にすら届いていなかったということか。入内にしても、清和との婚姻にしても。
これだから大人の世界……いやむしろ、男の世界っていうのはむかつくのよ。女の人生をなんだと思っているの? 本人の意志とかまったくお構いなし。いや、入内の話を知ってたら受けていたとか、そんなことはもちろんありえないんだけど——なんだか、どこまで離れてもムカっ腹の立つ父上だわ。
そんな私の心中も知らず、定匡殿は昔話を締めくくる。
「沙羅姫はご自身のことゆえ無論ご存知でしょうが、姫のことを人々が<今かぐや>とあだ名するようになったのは、実はこれがきっかけだったそうだ。あっさりと帝を袖にしたことから、さぞや一流の男を夫君にすることだろうと、実は私も羨ましくも思っていたものですが………今年の春、細川清和殿に嫁がれたと聞いて納得いたしました。だが、戦の世というのは先が読めぬもの———遅くなりましたが、お悔やみ申し上げる」
思いもかけないところで『亡き夫』の話が出てきて、私は現実に引き戻される。
そう、———だから私は今、ここにいる。
「先のことが読めないのは、みな同じ。お気遣いいたみいります」
深く頭を下げたあと、まっすぐに定匡殿を見つめ、私は心を決めた。
込み入った事情……身の上を語るべき時は今なのだろう。
「本来であれば、このような話は身内のことゆえ、人前でお話すべきことではなく、心苦しく恥ずかしくもあるのですが———先の戦で夫を失い、私は生まれてはじめて人の世の儚さというものを知りました。私たちの間にはまだ嫡子もなく、実家は戻ってくるよう催促してきましたが、私は夫の菩提を弔って余生を送るつもりでおりました。細川の義父上もそれを承知してくれました。ですが……夫の喪も明けぬうちに、実家から三好への輿入れ話を強引に進められたのです。私は断固として、実家には反抗するつもりでおりました。死をも覚悟して……実家の支配から逃れようと足掻きました。そして、同時に気づいたのです。実家も婚家をも敵に回し、居場所を失い、この先の未来に暗雲しかたちこめていないのなら、———私には命を賭してでも果たしたい目的が……大願があることに。ただ、輿入れを拒むだけが目的でしたら、私もここまでの思い切った行動にはでなかったでしょう。———私には、どうしても戦場で………南山城の戦場で捜し出したい者がいるのです」
「ほう………」
黙って話を聞いていた定匡殿の瞳が、一瞬険しく光ったようにみえた。
戦場で捜し出したい者———それは清和に他ならないのだけれど、<死んだ夫>のことは話せない。だから、私はもう一つの目的を口にする。
「夫の仇———山名の<狂犬>こと犬飼重信という男です」
「仇、と申されましたか」
「……はい。すでに噂で聞き及んでおられるかもしれませんが、私の夫はとても卑劣な手段により命を落としました。正々堂々の討ち死にならば仕方がありません。ですが……狂犬のやり方は卑劣であり、到底許せるものではない。それは山名も承知しているところです。ですから、おそらく軍法にかける用意があった。——なのに、その前に狂犬は山名を離れた。そののち、どこに潜んでいたのか正確な居所はわかりませんが、名前を変え、いまは南山城の戦場に紛れ込んでいるという情報を得ました。———私自らの手で仇を討つために、六角殿にそれまでの保護を願い出たのが真実でございます」
重苦しい静寂が広間を覆った。六角の家臣も、まさか想像していなかった話の展開に、定匡殿がどのような裁可を下すのか見守る構えのようだ。いっさい口を挟んでこない。
幾許かの沈黙の後、定匡殿はふうっと息をついて、変わらぬ穏やかな様子で応じた。
「なるほど………なさねばならぬ大願とやらは、まぁ、わかりました。姫がいかほどのお覚悟でこの六角を選び、逃げ延びてこられたのかも。ですが………先ほど家臣も気にしておりましたとおり、なぜお従兄弟の充剛殿ではなく、我が六角を? 条件的には、面識もある充剛殿のほうが容易く済むように思われるのですが」
いずれ訊かれると分かっていた問いだ。
私は肩をすくめて、こればっかりは嘘偽りなく正直に答えることにした。
「従兄弟とはいえ、嫌いなんです。生理的に」
笑顔で放った一言に、その場の全員が凍りついたように固まった。直後に、定匡殿と数人の家臣が微苦笑を浮かべる。充剛を多少なりとも知っているが故の反応だろう。
「もちろん、それだけが理由ではありません。六角の皆様がどれくらい充剛のことを理解していらっしゃるかはわかりませんが、充剛や頼長伯父の性格的に、私を容易に切り捨て取引の材料に使いそうな気がするのも、あちらを選ばなかった一因です。わがままと判断されても致しかたのないことでしょうが……私は充剛よりも、お会いしたことのない六角殿のほうが信頼できると思ったんです」
率直な台詞に、定匡殿は苦笑とは異なる笑みを浮かべて、家臣へと顔をめぐらせた。
「血のつながった従兄弟殿よりも、他人の我等をこうも信頼してくださるとは……何とも奇特な御仁ではないか。もとより、身一つで頼ってこられたか弱い姫君を、むげに追い出すこともできまい。ご本人の要望通り戦場に出すかどうかはともかくとして、戦略的に考えるなら、『畠山家の沙羅姫』という使える手駒は引き受ける価値があると私は思うが………」
その場で、結論を出すつもりはないのだろう。家臣の反応を待たずに、定匡殿はすぐに私へと向き直り、またしても紳士的な気遣いを見せてくださった。
「家臣と協議をするので、姫は夕餉を召されて、今宵はまずはゆるりとお休みなさい」
温情ある言葉と手ごたえに、私はとりあえずほっと胸をなでおろした。
この後の話し合いで、どんな結論が出るのかはわからない。私が厄介な客であることは、どんなにぼんやりした家臣にだってわかっていることだ。だが、それでもなんとか、門扉に手を掛けられた。今日はもう、それだけでいい。
長い一日だった。そして、これはまだ長い長い戦いの初日に過ぎなかった。
*
六角氏は鎌倉の時代より続く名門であり、時代によって多少増減はあるが、代々主に近江の国の南半分を支配する守護大名の家柄だ。平素は我が畠山家や細川家などと同じように、京の御所近くに居を構えていたはずだが、都での戦が始まって以来、所領である南近江へと一族でひきあげたらしい。
美濃から京へと抜ける東山道にも近く、琵琶湖を望む繖山に、観音寺城と称する堅牢な山城を築き本拠地としている。山一帯が城郭になっているらしく、本丸は山頂にあるが、定匡殿やその家族などが普段生活し、政の場となっているのは、どちらかというと山麓に位置する館の方だ。私が最初に通され定匡殿と面会を果たし、それ以来、現在に至るまで世話になっている居室があるのもこの館だ。
この六角の本拠地は商人たちも行きかう交通の要所にあり、城下には定期的に市などもたっているらしい。戦乱の中にあっては、紀伊の国と同じく、戦疲れをしていない、穏やかな地所に思える。
あの日———定匡殿と家臣とのあいだでどのような話し合いがなされたのか、詳しくは知らされていない。ただ結果として、私は六角氏に「保護」されることになった。
そして迎えた六角での生活に慣れるのには、そうかからなかった。なぜなら、その地所同様に穏やか或いはのんびり過ぎるとも思える人たちに囲まれ、最上級のお客様あつかいを受けていたからだ。
自分でいうのもなんだが、普通は私のような女が来たとあっては、思惑はどうであれ定匡殿周辺の女性たちには敬遠されるものだ。曼殊院のような女性が仕切っていたなら、あからさまな嫌がらせもあっただろう。しかし、六角は本当に人が良いというか、平和なところなのだ。あるいは、定匡殿の女性に対する選定眼と教育が行き届いているから?
御正室は、残念なことに一昨年病気で身罷られたらしい。ここに来るまで私も知らなかったのだが、亡くなられた御正室は私の従姉妹———充剛の妹にあたる姫だそうだ。充剛の妹姫なんて会ったこともなくて、従姉妹といわれても正直、実感がないんだけど………。お二人の間には、姫が一人いて今はご側室が養育をしてらっしゃるらしい。
そのご側室方——二人いらっしゃるんだけど——といえば、これまた良い方たちで、四人のお子達ともども私を大歓迎してくださって、私は本当に戸惑ったものだ。ちなみにご側室の一人は、さきごろご懐妊がしれて、私が到着したあの夜は、その内祝いの宴だったらしい。戦をするつもりがあるのかどうか、怪しいくらいの平穏さだ。
とはいえ、女子供に私の見張り役をさせるほど愚かでもなく、そこはそれ、定匡殿は腹心の山内斉明という人物を私のもとに遣していた。
斉明はちょうど父上と同じくらいの年齢だけど、父上のように威圧的ではなく、定匡殿の家臣らしくというか、とにかく人のいいおじさんだった。目付け役兼案内役———と紹介されたが、最初から案内役という印象のほうが強い。初めて目にする異国……この右も左もわからない六角の風土や習慣、それから館内の人物関係までも、丁寧に教え、また案内してくれた。
それが根っからの親切心からなのか、それとも計算された老獪さからなのかは読めなかったが、この人物——しいては定匡殿の信頼を勝ち取ることが大切と早い段階で考えていた私は、六角に落ち着いて一月ほど経ったころに届いた霞からの文にも開けっ広げに対処することにした。
まあ、六角が本当に平和ボケした愚者の楽園でなければ、当然、文の内容は使いの者から私の手元に届く前に確認されているだろうしね。




