表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/97

<登場人物>

沙羅姫…主人公。畠山宗家の姫君。細川家に嫁ぐが未亡人となる。現在は六角に身を寄せる。

細川清和…細川京兆家の若君。弟の敵討ちのため片桐高遠と名乗り、南山城の東軍畠山に潜入中。

細川清成…清和の双子の弟。丹波合戦で細川清和として討死。


六角定匡…六角家の当主。亡き妻の遺言で西軍に与する。

六角定親…定匡の叔父。定匡の後見役兼参謀。

山内斉明…六角家の重臣。沙羅のお目付役。


畠山充剛…沙羅の従兄弟。南山城の西軍畠山を率いる。

林綱興…充剛の家臣。

青砥…充剛の家臣。


霞…沙羅の乳姉妹。姫付きの侍女。現在、山科に身を隠す。

和気泰之…細川家の家臣。清和の側近。清成の乳兄弟。

畠山義貴…沙羅の兄。叔父とともに南山城の東軍畠山を率いる。




 日が落ちた館の庭先には、(きざはし)を挟んで一対の篝火が置かれていた。忍び寄る寒さとともに深くなる闇を、そこだけ鮮やかに切り取っている。

 そして、闇と同じように私をぐるりと取り囲み、一定の距離と緊張を保つ男たちは、さすが六角家の郎党というところか。いつでも異物の排除ができるよう、その警戒態勢には余念がない。

 目深に被ったままの笠の下で、周囲に展開する六角家の侍たちの数を確認する。左右に二人ずつ、背後におそらく三人……合わせて七人。庭に通された時から多少の入れ替わりはあったが、その人数に変化はない。


 いくら得体の知れない闖入者とはいえ、女一人に七人もの侍をつけてくれるとはね。まあ、帯刀を咎められなかったのだから、これくらいの仕打ちは仕方ないか。


 左の腰に佩刀したままの太刀——天王丸にちらりと視線を落として、その柄に施された日輪の意匠を左の親指でそっとなでる。この太刀と身一つで、ようやくここまでたどり着いたのだ。変に誤解されるような行動をとって、今日これまでの行程を台無しにするわけにはいかない。


 そう、ここは西軍六角氏の本拠地である近江の国。

 

 琵琶湖の南、(きぬがさ)山に建つ六角氏の館——観音寺城だ。時刻はもう酉の刻半(午後七時)になるだろうか。空には月が煌々と冷たく輝いている。

 八幡(はちまん)の浦から最後の一駆け……とばかりに、観音寺城まで駆け上がった白帝から降りて、かれこれ一刻になる。温まっていた体がじわじわと末端から冷えだして、油断すると小刻みに震えそうだ。

 平素の私だったらすごく苛々している状況だ。だが、六角の侍に囲まれているという緊張と、それとは裏腹な風流な笛の音が私を不思議と落ち着かせていた。


 笛は館の奥の方からだろうか、気づいたときには聞こえていた。時折、遠く人のざわめくような気配も伝わってくることから、宴でも催しているのだろう。

 東西に分かれ、どこもかしこも殺伐とした時代に、六角は優雅なものだ……なんて、皮肉に思ってしまうのは、私に余裕がないからかしら。


 それにしても———と私は小さく溜息をこぼす。


 いったい、いつまで待たされるのだろう。


 一刻もの間、私が辛抱強く面会を待っている相手は、六角家の当主———六角定匡(ろっかくさだまさ)その人だ。

 何の面識も前触れもなく突然押しかけて、畠山家の沙羅姫だと名乗ったところで、この薄汚れた(おのこ)のような身形(みなり)に供の一人もなし、とくれば……そりゃあ、すんなりと信用されないことはわかっていたけれどさ。庭先でこれほどの間、待たされるとはね………。


 白い息が闇に拡散していくのを目で追いながら、覚悟はしていたはずなのに、厳しい現実をまざまざと突きつけられたと実感する。

 でも、今の私にはこれ以上の選択肢は——次善策はなかった。霞と今回の作戦行動に移る前に出した結論だ。


 清和を追いかけて馬鹿正直に頼忠叔父の軍に行ったとしても、きっと清和は細川に帰ることを潔しとはしないだろうし、それよりも私が同じ叔父上の軍にいること自体を迷惑がるだろう。私としても、清和の本懐を知っているだけに、正体を隠して潜り込んでいるあいつの足を引っ張るような真似はしたくない。


 というか、それ以前にそもそも私には頼忠叔父の軍には居られない理由がある。だって叔父上もともに陣を敷いている義貴兄様も、つまるところは父上の配下だ。私が叔父上の軍に姿を見せれば、当然のことながら彼らは私がそこに留まることを許してはくれず、強制的に父上のところに送還されてしまうのが落ちだ。

 だからといってどこかに潜伏して、きっと清和は仇を討って細川に帰ってくる!……なーんて保証もないことを、ただただ希望的に待つなんて、そんな芸当は、無理。物理的にも精神的にも私には絶対、無理!


 そもそも、清和は「仇を討っても細川清和に戻るつもりはない」とあれほどきっぱりと言い切った。仇討ちは黙認するにしても、そこからして説得をしなければならない。それは、困るのだと。


 最初から選択肢は限られていた。私が身をおける場所は、清和と物理的に接する機会(チャンス)のあるところ、かつ実家の手が及ばないところ……。そこで浮上したのが実家(東軍畠山家)と敵対している、山城の西軍———すなわち、私の従兄弟にあたる畠山充剛(はたけやまみつまさ)と六角の連合軍だ。「敵の敵は味方」とはよく言ったものだ。彼らのところならば、実家に送還される危険(リスク)は少ない。おまけに、戦場では敵同士ではあっても、清和とまみえる可能性がある。


 ………では、血の繋がりを優先して、すぐさま充剛の軍へ連絡を取ったかというと、私は最初から充剛という選択肢を除外していた。充剛は従兄弟なれど、さして親しくもないし、親しくもないのに個人的に『嫌い』といえる人物だったのだ。結果、消去法的に六角が亡命先としてはもっとも妥当という結論にいたった。


 六角に亡命する利点は三つあった。

 一つは敵方(西軍)ゆえに、東軍の同盟強化のための「沙羅姫の三好への輿入れ」は六角も阻みたいはず——と見込んで、戦略的に私の保護を希望できること。二つ目は、敵同士という立場であっても戦場で清和と接し、説得する機会が得られるかもしれないこと。そして、もし、その機会が得られなかったとしても、三つ目として——あわよくば清和よりも先に<狂犬>を見つけ、私のこの手で清成殿の仇を討つことができるかもしれないこと。南山城の戦場に潜り込むことになるのだから、可能性は清和にも私にも等しくあるはずだ。


 昨日、清和が去った後、霞と膝を突合せて話し合い、そして霞には石清水八幡への代参などと理由をつけて、一足早く別邸を脱出させた。今までずっと私の側に仕えてきた霞だが、この計画ではこの先もともに行動することは難しかった。しかし、私は主として霞の処遇に責任をもちたい。そこで、清和の乳母であり山科に隠居したという小備前のところに、霞がしばらく身を寄せることを許してくれるよう、一筆書いて持たせたのだ。そして霞がひそかに山科に向かったのち、私もまた兄上や峰の制止を振り切り、夕闇のなか巨椋池の別邸を飛び出したのだった。


 夜の中、白帝を走らせて街道を北上するのはそう難しいことではなかった。しかし、案の定というか羅城門をはじめとする京の入口はいずれも実家の息のかかった検非違使や警護の者たちで固められていた。ここは強行突破して足跡を残すよりも、面倒でも遠回りしたほうが賢明と見て、山裾を縫うようにぐるりと京を迂回し、明け方近くになってようやく白川の白毫院にたどり着いたのだった。


 一時避難の場所として他に頼れるあてがなく伯母上の寺を選んだが、伯母上にはこれ以上の迷惑は掛けたくなかった。それに万が一にも父上の手が回っているかもしれなかったので、私はまるで夜盗のように寺の敷地に忍び込み、裏門から白帝を入れると一緒に厩に身を隠した。誰にも見られなかったからよかったようなものの、夜盗だと誰何されれば言い訳はできない無様で形振り構わない姿だった。


 きっと私自身、想像していたよりもはるかに疲れていたのだろう。厩では珍しく横になってくれた白帝にもたれるようにして暖を取りつつ、霞は無事に小備前の元に辿り着けただろうか……などと案じているうちに、いつしか眠りに落ちていた。


 翌日——つまり今日の昼前頃、厩の世話に来た寺の下男に見つかって飛び起きた私だが、夏の三月にもおよぶ滞在が功を奏したというか、下男は私の顔も身分もそして姫にはあらざるような振る舞いもよく承知の上で、まったく騒ぎにならなかった。それどころか、こっそり食糧まで融通してくれた。

 これからどこへ行くとは訊いてこなかったし、私も言わなかったが、下男はそれとなく察したらしい。白帝はとんでもなく良い馬だが、白すぎて目立つのが唯一の欠点だから、嫌がるだろうがこの厩の泥や炭で全体の毛を汚してから出立したほうがいいと、白帝の保護色化(カムフラージュ)にまで助言かつ協力してくれた。地獄で仏じゃないけれど、こんな状況にあって少し救われた気分になれた。


 人生、捨てたものではないのかもしれない。四面楚歌でどうにも追い詰められたと思うときに、霞だったりこの下男だったり、予想もしない味方が現れてくれることに勇気づけられる。

 親切にしてくれた下男に心の底から感謝を伝え、このまま会わずに行く伯母上——顕璋院さまへのこれまでの非礼に対する詫びと別れを下男に伝言して、太陽が天中に差し掛かる頃、私は白毫寺を後にした。


 目指すは六角の本拠地、観音寺城。琵琶湖沿いに東山道を行けば数刻で辿り着ける場所のはずだった。人に尋ねながらも、白川から粟田口を抜けるまでは順調だった。が、東山道にさしかかる手前の逢坂の関で、私は白帝を止めた。念のため関を通過し終えた西に向かう旅人を捕まえて様子を聞いてみたのだ。案の定、よくわからないが東へ行く者には検問を実施しているようだったとの情報を得た。穏便に済ませたい私には最短距離での移動は無理だと判明した。しかし、ぐずぐず迷っている暇はない。街道を諦めた私は、すぐさま進路を北にとった。

 

 琵琶湖の西岸に出ると、湖沿いに北上し、堅田の港まで白帝を走らせた。そして港では休憩もかねてたっぷり一刻以上、船の出入りを観察し、ついでに市に立つ人々の話なんかも耳に入れた後、信頼できると判断した船主に、対岸にある沖の島の近くまで馬ごと渡してくれるように頼んだ。

 笠を目深に被り、覆面よろしく眼より下を布で覆い隠していたが、声や体格から女であることは隠しようがない。しかもみるからにイイ感じの馬がいるのにわざわざ船で渡せ、という明らかに怪しすぎる要求だ。

 最初は渋っていた船主だったが、私がくぐもった声で「ここだけの話、私は六角の縁者で火急の用件で隠密裡に観音寺城までいかねばならない」という方便と、金に糸目はつけない旨を囁いたところ、そういうことならと意外とあっさり折り合いがついて、なんとか労せずに対岸にいたる目処がついた。


 船の中では、私を六角の縁者だと信じた船頭たちが、六角定匡氏のことを随分持ち上げていたっけ。どうやら堅田の港やその近辺の衆たちは六角の支配下にあるらしい。それを不服に思っている様子はなく、むしろ歓迎している口ぶりから、現在の六角氏の領地経営の順風ぶりが知れて悪くはない船旅だった。

 ただ八幡の浦につく頃には、陽は大いに傾き、そこからまた白帝を走らせ、一気に乗り付けたとはいっても、六角の門を叩いたのは夕暮れが迫る頃合になっていた。


 もとより面識のない六角氏を訪ねるのだ。本来であれば、先触れを出すなり、少なくとも時節を弁えた格好に着替えるなりして、門を叩くべきだった。

 だが、私には供人の一人もおらず、身につけているものも事前に霞が用意してくれていた男物の直垂や袴、道中目深にかぶっていた笠のみで、持ち物といえば残り僅かな金と天王丸だけだ。かつては必ず側に置いておきたいと思っていた母の形見の琵琶すらも今回は置いてきた。本当に身一つで、姫らしさは欠片もないと自分でも苦笑するほどだ。それ故に、これから六角の当主と面会を果たす際、畠山の沙羅だと名乗ることに常とは違う緊張を強いられそうだった。


 ああ、私は本当にすべてを捨ててきたのか……どうなるかもわからない恋のために———。


 改めてそう思うと、切ないような苦しいような笑みが口の端に浮かんだ。


 そして———


 現実の冷たい闇の中に戻ると、風流に響いていたあの笛の音がいつしか止んでいた。耳を澄ませていると、床を踏む複数の足音が次第に近づいてきて、館の奥の方に通じるらしい渡殿から数人の男が姿を見せた。それに合わせて、私の周囲を取り囲む男たちがすばやく膝を折った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ