(一)
『報告
具合はどうだ? 熱は下がっただろうか。こちらは昨夜のうちに陣中に加わり軍議にも滞りなく参加した。いつも通り問題はない。和気の父子をこちらにつかせてしまって、お前がほぼ単身に近い、その点が心配なくらいだ。食欲が戻り、体調が落ち着いていることを願う。他の失病の疑いがないのならばよいが……少しでも具合が悪いのであれば正直に申告してほしい。
お前はいつも大した事はないと云うが、その挙句、真実「よくない」といい出す時分にはもう手遅れになっていることが多い。弱さを曝け出したくないのは重々承知しているが、強がりもほどほどにしておくように。お前も誰かさんのことをどうこう云える立場ではないぞ。私や弾正の気を揉ませないでくれ。とにかく、これくれらいの急場はよくある事だから気にせず、自分の体調のことを第一に考えてほしい。お前ほどではなくとも大将らしい働きはしておくので、そこは案ずるな。この戦は今日明日では終わりそうにないので、この先のことも考えてここはしっかり養生しておくように。
報告といえば、出陣以来お互いに直に話をすることが難しい状況ゆえに、時折、泰之を介して知らせていたが、いい機会なのでこの文に沙羅姫のことも記しておくことにする。
出陣してすぐに、霞の案じた通り曼殊院様の呼び出しが再開したそうだ。それを見越して、かねてより泰之から弾正宛てにこちらの近況を知らせる文を送っていたので、弾正には折を見て文を持って参上するよう言いふくめておいた。結果として、曼殊院様には戦場の様子もわかり不安が解消される分、苛々と姫にきつく当たることも減り……ありていにいえば、嫁いじめも中断したようだ。姫にとっては戦況などどうでもよいことかも知れないが、曼殊院様との闘いが避けられるなら悪くはない報せだろう。曼殊院様が初陣の清国のことをひどく案じておいでなのは事実だし、私たちのことや戦況が知れて安心し、ついでに嫁いじめも止むのなら、我ながら一石二鳥で丁度いい具合だと思っている。
とはいえ、毎日文を届けさせるわけにもいかぬので、弾正には文のない日常においても、できうる限り姫を気にかけるよう頼んでおいた。お前が姫に留守を乗り切るための「勝負」を約束したのは、彼女の負けず嫌いを上手く利用した策だとは思うが、それだけではやはり心配なのでな……私にできる事は何でもしておくつもりだ。
お前は沙羅姫の事はそんなに気にしなくても大丈夫だと云うが———、お前と沙羅姫は本当によく似ているからな。負けず嫌いで、驚くほど意地っ張りだ。窮地にあっても助けを求めようとせず、何でも一人で片付けようとする。お前のそういうところが心配でもあったし、寂しくもあった。だから、よく似た沙羅姫のことが気になって仕方ないのかもしれない。
こちらからの連絡も減ったので、その後どうしているのか気になり、所用もあり数日前に半日ほど京に戻った。その際に、こっそり白川の尼寺にいるという沙羅姫をみてきた。
尼寺では驚くほどに元気そうだった。おおよそ姫君とは思えない格好で、庭で木刀を振り回していたぞ。顔色も良く、動きも堂にいっていて、以前お前から聞いた狩場での沙羅姫の姿をまざまざと想像できた。自由に動き回れる環境で、ようやく本来の溌剌さを取り戻しているのかもしれないな。
曼殊院様からも上手く離れて、案ずるほどのことはなかった。お前が云う「意外と要領がよいし図々しく過ごせる性格」というのは、成程こういうことかと納得もいった。尼君たちがえらく怯えながらも、剣の稽古をする沙羅姫を見ている様子も面白かったぞ。なにせ<畠山の今かぐや>だからな。しかも、尼寺の庵主とは伯母と姪の間柄——伯母君の姿を見かける事はなかったが——噂に聴こえた畠山の姫君とかけ離れ過ぎていて、尼君たちは目を離せなくなっていたのかもな。あまりにも落差があると、人は何が真実か自分の目で確かめたくなるものなんだろう。
ちなみに、剣の腕前はお前が思う以上に達者だと私は判ずる。かなり離れたところから四半刻ばかり見ていたに過ぎないが、少なくとも私やその辺にいる武人、公達を気取った連中よりも強い。何年も真剣に鍛練を積んだ本物の域だ。容易に近づけば、こちらの気配を悟られそうだった。
お前が負けるとは想像できないが、万一ということもあるし———かねてからの懸案だった沙羅姫の扱いをどうするかを、本気で考えたい。
まず、順当にお前が勝ったなら、沙羅姫を細川の正室として扱いつづけることになる。勝負に負けた以上は、あの姫のことだから潔くそれを飲み込むだろう。そうなれば、これまでは先延ばしにしていた夫婦の関係ももたざるをえなくなるだろう。そして、以前お前から打診があった通り、お前がそれを是とするのならば———夫婦としての相手は私が務めたい。
思えば、婚礼の日に沙羅姫を見たあの瞬間から、私は心を奪われた。あの後すぐにお前の報告を聞いたが、<今かぐや>でも<じゃじゃ馬>でも、どんな沙羅姫であっても私には愛おしく思える。お前が姫に興味を持てないと云うのは、きっとお前にはあって、私には無いものを姫が持っているからではないか?私の助けなどなくても、お前も姫も大抵のことは乗り越えていけてしまうのだろうが、私はそんなお前や姫が気にかかって仕方がない。強がりがすぎるところも、つまらない意地を張るところも、可愛いとすら思えてしまう。
無論、あの姫のことだ、守られるつもりはないだろう。何事も対等が好きなようだし、武術の腕前でいけば彼女のほうが上だ。ただ、私は何があっても姫を守りたいと思ってしまった。姫を取り囲む全ての困難から彼女を解放して、守ってやりたいと。ましてや、「源氏」の葵の上のように、悪意あるものに奪われるなど絶対に許したくない。こんなに切実に思ったのは、生まれて初めてだ。
まずは彼女のとの関係を円滑に進めることから始めないとだな。そして、いずれ私たちの秘密を話す時がきたら、すべてを打ち明けて、沙羅姫と本物の夫婦になりたい。沙羅姫がそれを受け入れてくれるよう、努力を惜しむつもりはない。
そして———もう一つの場合、万一お前が負けた場合だ。
ありえないことのように思えるが、人生には何があるかわからないからな。そもそも、高野山の麓で狩りをしている姫に出会したことも、そういう例のひとつだ。




