九
再会までの空白の時間がそれなりに埋められて、私はほんの少しほっとする。
だが、そんな心の安らぎは長くは続かない。
「沙羅———、俺もお前に訊きたいことがある」
それまで質問攻めだった私に対して、初めて清和から向けられた問いだった。
「お前は間もなく三好に輿入れすると聞いていたが………何故、あんな山中に現れた?」
「それは………」
清和のことが忘れられずに輿入れを拒み続けた結果だ———なんて、本当のこと、面と向かって言えるわけがない。
「もしかして、清成……いや、俺の姿をした霊が現れたのか?」
「は?」
いきなり頓珍漢なことを言い出した清和に、やはりまだ毒が抜けていないのではとオロオロしてしまう。そんな私に、不貞腐れた眼差しで清和は「もうういい」と閉口した。
「もういいって何よ。あんたが霊がとか変なこというからでしょう? ていうか、もうしかして、あんたのところには清成殿の霊があらわれたとでもいうの?」
微妙に長い沈黙の後、清和は頷いた。
「———そうだ。必ず、助けを呼ぶと言って清成は姿を消した。意識が遠のいて、次に気づいた時にはお前がいた。だから、なぜあんな山中にお前が現れたのかと訊いている」
「……清成殿のせいじゃ、ないわ」
真実を言いよどみ、またそれを悟られるのも怖くて、喧嘩腰の早口で答えた。
「和睦の道具にされるのが嫌で脱走してきたのよ。あんたなら、分かるでしょ!」
さらに清和が口を挟む前に続ける。
「あのままだったら、またしても騙し討ちで三好に輿入れさせられるとこだったけど、清和が生きているなら話は別だわ。『細川清和』が生きているなら、細川と畠山の同盟は存続でしょ? 再婚なんてありえないじゃない。もうしばらくの間、私は持ちこたえるから、あんた、敵を討ったら一刻も早く細川に戻りなさいよ!」
詰め寄る私に、清和は「戻るつもりはない」と重ねて否定して、本当に出し抜けに告げた。
「清成は———お前のことが好きだった」
………は?
清成殿が、私を……好き、だった?
突然すぎる告白に——それも、つい先刻までその存在すら明確に認識していなかった人の、想いなど……急に告げられても………。
茫然とする私に、清和はあるかなしかの微かな笑みを浮かべた。
それはまるで、あの清成殿が———穏やかで、決して喧嘩になどなり得ない、あの優しく相手を包みこむ<春の貴公子>が見せる微笑で、私は心臓をえぐられるような衝撃を受ける。
「———そんなこと、言われても……」
かろうじて口から漏れた言葉が宙を漂う間に、清和は気持ち上体を起こして、私の手元の太刀を指し示した。
「それは、清成の太刀だ」
そして、これが俺の太刀だ———と清和は自分の枕元にすえられた太刀に気づいて、それに手を伸ばした。
私は慌てて、部屋の隅に控えていた霞に目配せをする。
それまで私たちの邪魔にならないよう、気配を殺してひっそり控えていた霞だが、出番と判じて速やかに清和の背後に回った。清和が身を起こすのをそっと助け、さらに夜具から出たその肩に袿を羽織らせた。
清和は目線で霞に礼を言って、右手にした自身の太刀を私の前に置いた。
私は丹波の戦場から持ち帰って以来、どんなときも傍に持ち続けた太刀を、そろりと清和の太刀の隣に並べる。
黒漆の二振りの太刀は、まるで鏡に映った一振りの太刀のように、大きさも色も、鞘や鍔の形状も、柄の意匠までそっくりだった。そう、まるで双子のように。
「見てわかるように、この二振りの太刀は外見上はまったく同じだ。俺と清成のために、母上が備前長船に作らせた太刀だ」
そういえば、先ほど清和が語った昔語りに、兄弟の絆として北山殿が二人に持たせたと云っていた太刀———そうか。それが、これだったのか。
「本来は外見だけでは容易に見分けはつかないが、ここに………お前につけられた太刀傷があって、俺の太刀はすぐに分かるようになってしまったがな」
自嘲的に言って、清和は自身の太刀の鞘の鍔近い部分をさした。そこには、あの嵐の夜に私がつけた刀傷が、今なお深く刻まれていた。
「修理したわけじゃ、なかったんだ………」
出陣の前に、清和に———いや、清成殿に会ったあの時に、跡形なく綺麗な状態の鞘を眼にした私に「直しに出したまでのこと」と言われて、納得したが………。
「傷以外にも、よくよく見れば微細な差はある」
言いながら、清和は太刀を反転させた。そして、柄の部分に施された螺鈿細工をよく見てみるよう言われて、私はやや身を乗り出してそれぞれの太刀の柄の意匠を確認する。
どちらの太刀の柄にも反転させる前には松笠菱紋(細川京兆家の家紋)が細工されているが、反対側は微妙に意匠が異なっていた。私の手元の太刀には日輪の意匠が、そして清和の太刀には新月に近いような細い細い三日月の意匠が施されていた。
こんな違いがあったなんて………。
「表には見えないが、なかごには長船の銘とともに、それぞれ天王丸、竜王丸と刀名も彫られてる」
それは刀名であると同時に、二人の幼名でもあるらしい。清和の幼名——天王丸——を刻んだ刀を清成殿が、その逆に清成殿の幼名——竜王丸——を刻んだ刀を清和が持ち、お互いが半身である事を忘れぬよう、絆となるように母君が特注したものだった。
出陣の前に、約束云々と言って太刀を抜いた私にあわてたのは、清和ではなく清成殿だったのだ。そして、帰ってから勝負をすると誓った………その誓いの太刀を、清成殿は私に残した。
しかし、私は<清成>殿という認識すらなかった。清和のらしくない面だと思い続けていた。今日この時まで。
黙りこんだままの私に、清和はとても穏やかな声で続けた。
「清成がいれば、もしかしたら、お前は細川にいても幸せな生活を送れたのかも知れん。だが、もはや清成はいない。この太刀だけをお前に残して、逝ってしまった。今のお前にとっては、三好に嫁ぐのが最善だろう」
その言葉に、私は先ほどとはまた違う胸の痛みを覚える。
「だけど、私は……」といいかけて際どいところで、あふれそうになった言葉と想いを飲み込んだ。
ぎゅっと唇を噛む。
言えるわけがないじゃない。今更、こんな状況で———清和が好きだ、なんて。
結局、私は同じ言い訳を繰り返すしかなかった。
「和睦の道具にされるのは我慢ならないのよ。それに、勝負もしていないのに、細川を出るつもりはないから!」
清和は、清和らしく皮肉に笑った。
「はっ……どこまで負けず嫌いなんだ。———勝負のことは、不戦勝でお前の勝ちだ。もう自由だ。大手を振って細川から出て行け」
「何あんたの都合で、決めてるのよ! 話にならないわ!!」
ぶち切れそうになるのを何とかこらえて、私は唾を飛ばしながら「冷静に」とまくし立てる。
「とにかく、今ならまだ何とか間に合うのよ! 冷静になって考えて! 行方不明でしたでも、記憶喪失でしたでも、とにかくあんたが生きていることが細川に伝われば、話は元に収まるんだから。その上で、復讐でも何でもすればいいのよ。なんなら私も手伝うから。とにかく、もう少し冷静に考えて」
「お前の口から冷静などという言葉が出ようとはな………生憎こちらは十分冷静だ」
いつもの調子で応える清和に、私の苛立ちとも恐怖ともいえるような複雑な感情が臨界に達する。
「ならばここで、勝負をつけましょう!」
言いざまに、私は目の前の太刀に手をかけた。
清和は微動だにせず、ただ人を小馬鹿にしたような冷ややかな眼で私を見据える。
例によって霞だけが泡を食って慌てたそのとき、計ったように——実際に出る時節を計っていたのだろう——私たちの背後から人の気配が伝わってきた。
陰から話を聞いていたらしい義貴兄様が風のように室内に入ってきて、有無を言わさず私から太刀を取り上げた。それをそのまま、儀礼ばって清和の正面に置く。
「清和殿、沙羅の無礼な振る舞い、まことに申し訳ない。兄の私が代わって詫びよう。このように育ててしまった責は、かなりのところ私にもある」
妹の非礼を詫び、かつ話を聞いてしまったことを詫びつつ、兄上は清成殿の太刀を清和が収めるよう勧めた。
「この太刀は、半身である弟君の形見の品でもあるのでしょう。沙羅などが、やたらに振り回してよいものではない」
対する清和は、鷹揚に笑った。
「たしかに、清成の形見であり半身でもあるものです」
その太刀を左手でそっとなでる清和には、これまで見たことのない親密さとも愛情とも取れる、柔らかな表情が浮かんでいて、私は三度、胸を締めつけられる。
「事情は色々あるだろうが、清和殿はまだ傷が癒えていないし、疲れている」
だから、今は休ませてやれ、と諭す兄上に、私は逆らう気分にはならなかった。何より、私自身も猛烈に疲れている。
兄上はさらに清和に「差し出たまねかもしれないが」と断って事後報告をした。
「叔父上の陣中には、私の私用で片桐高遠殿を借り出している旨の文を出しておいた」
いい仕事してるじゃない、兄上。
「お心遣い、感謝申し上げる」
清和はしおらしく頭を下げて、武将の表情に戻った。
それを見届け、兄上に引っ張られるようにして私は部屋を後にする。
清和が生きていたことを確認し、安心したこともあったのだろう。
離れた対屋に用意された部屋に移り、そこでしつこく説明を求める兄上を追い払い、私はその直後、コトンと深い眠りに落ちてしまっていた。それが、私の甘さでもあり、限界でもあったのだ。
翌朝、私が目覚めたときには、清和は姿を消していた。
清成殿の太刀と一通の書状を残して。
***
翌朝、霞にたたき起こされて、清和が去ったことを告げられたときには、
「しまったぁああ!」
と絶叫し、地をのたうつようなひどい精神的打撃を受けたのだが、よくよく考えてみればそんなにうろたえる必要はないのだと気づいた。
だって、行く先はもう分かっているんだもの。
清和は片桐高遠と名を変えて、兄上と同じ東軍・畠山頼忠叔父の軍にいる。あいつの性格からして、それを私たちに明かしたからといって、今さら叔父上の軍を離れ他の軍に潜りこみなおすような面倒な手間はとるまい。
清和が休んでいた部屋には、ただぽつんと清成殿の太刀——天王丸——と、傍に小さく折りたたまれた一通の書状だけが残されていた。
書状は清和が書き残したものかと思いきや、清成殿が清和に宛てたものだった。ここに残してあるということは、私に読めという事なのだろう。
小刻みに震える手でそっと書状を開いた。文面を追って、私は在りし日の清成殿の姿をそこに照合させる。
そう、確かに清成殿はいたのだ。———いつもそばに。
「………っ、………うぅ……」
気づけば私は咽び泣いていた。呼吸がままならないほどに、涙を流していた。
これは、清和が死んだと思った時の涙とは違う。ただ、真実、清成殿を想い溢れる涙だ。
ひとしきり泣いて、泣いて、泣いて———やがて私は書状を丁寧に畳んで、胸元にしまった。
そして、残されたもう一つの形見——天王丸へと視線を落とす。
天王丸———丹波の本陣で受け取って以来、常に私の手元にあった太刀。
でもそれが、清成殿の形見であるのなら、清和の半身であるというのなら、手放しても仕方ないと昨夜は覚悟した。しかし、清和は自分の太刀だけを持って、去っていった。
私は当たり前のように残された天王丸を見つめて、思う。
清和がその気なら、こちらにも考えがある。
生きていると分かった以上、私は断固として清和を諦めない。諦められない。
覚悟は出来ている。畠山や細川を捨てても、この恋をこの想いを———貫いてみせる。
私はまだ、細川清和の妻なのだ。少なくとも肩書きがある限り、私の主張は正当性をもつ。
私はついと手を伸ばして、冷たく重い天王丸を取り上げた。強く両手で握り締め、この太刀に、己自身に誓う。
必ず、清和を<細川清和>に戻してみせる。




