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「———必死に手綱を引き暴走を止めようとするも、馬はその背に跨った俺のことなど忘れたようだった。まさに狂気の形相で山王丸たちに突っ込もうとしていた。俺は、逃げろ!と叫びながらも、もう振り落とされまいとするのが精一杯で、とても馬の進路を変えることはできない。子馬は近づく狂気に怯えて素早く逃げたが、山王丸は恐ろしさのあまりすでに動けなくなっていた。このままでは山王丸が蹴り殺されると思い、俺は咄嗟に馬の眼を潰すか喉を掻き斬るしかないと腰刀に手を伸ばした。その時、馬が高く高く前脚を上げて、空を蹴った。俺は……振り落とされ、落下していく中で見た———母上が山王丸の前に己が身を乗り出してかばうのを。その綺麗な額に、華奢な胸に、馬の前脚の蹄がめりこみ沈むのを………」


 清和はそこで、低く長い息をつき、両眼を閉じた。


 隠された瞳にどんな色が浮かんでいるのか、私は知っている気がした。なぜなら、かつて同じものを見たのだから。ただ、その色も微妙に違うだろう。あのときよりも、おそらく、もっともっと深い色だ。

 悲しみの深さを確かめるような、そんな無粋なことは私の趣味ではないし、したいとも思わない。

 私は清和の沈黙につきあって、しばらく黙っていた。

 しかし、清和が再び語りだす気配がなく、いやむしろ、きっかけを私に要求している気がして、結局、私から先に口を開いた。


「その話は、以前に聞いたことがあるの」


 ほう、というように清和の瞼が持ち上がり、興味深げに私を見た。

 私は小さく笑って、続ける。


「だけど、不思議なことに、その話をしてくれた清和は、その母君の最期の場にはいなかったようなの」


 信じられないことだったが、今こうして清和を前にして、同じ話を同じ口から聞いて、冷静に分析してみると、ある結論に達する。

 あの日、あの時、あの話をして、最後に『私は、その場にいたわけではないから』と、どこか落ち着きどころのない哀しい瞳をしていた清和は、清和ではなかったのだ。


 あの日、私に話をしたのは———清成殿………。


「——そうだ」


 息を吹き返すように、清和は首肯した。


「清成は、その当時はまだ備前の国にいて、事故のことは知らなかった。詳しいことを聞いたのも、ずっと後になってから………俺の口から聞いてからだ」


 清和は、再び語りだす。


 事故の後のことを、正直なところ清和はよく覚えていないのだと。ただ、清和は年甲斐もなく取り乱し、狂人に近い精神状態になったらしい。たしかに、自分の目の前で、自分の母親が馬に蹴り殺されるのを目撃したのだ。それも、直前まで自分が乗っていた馬——それはある意味、凶器を自らが用意した……或いは、もっと否定的(ネガティブ)に考えるなら、自分が殺したも同然で、後悔や自責、様々な思いが清和を苦しめただろうことは想像に難くない。


 折りしも、そのころ細川京兆家では、側室腹で一つ年下の次男(実際には三男に当たるわけだけど)——音羽丸(異母弟)——と清和の間で、水面下の家督争いが繰り広げられている真っ只中でもあったらしい。このときの清和の精神状態では家督争いに敗れる可能性もあり、それどころか北山殿がこれまで隠し通してきた清成殿の存在を、いつ何時口走らないとも限らない………と案じた大乳母の備前は、清成殿を都に呼び戻し一時的に清和として屋敷に戻す一計をたてた。清和が正気に戻るまでの影武者として。

 それを聞いた私は、とっさに反論していた。


「双子だとしても、それはいくらなんでも、無理よ」

「そう、普通の状況ならば無理だっただろう」


 清和は私の反論を否定することなく、受け流す。


 普通の何事もない状態での入れ替わりは不可能だった。だが、そのときは<普通>ではなかった。そのときの清和は常軌を逸しており、記憶にも混乱を生じさせていたという。それゆえ、入れ替わった清成殿が多少不審な言動をしたとしても、怪しまれなかった。清和本人よりは遥かにマシだったというのが、清和自身の思いでもあり、世話をしていた備前たちの感想でもあるという。


 私はただ、唖然とするばかりだ。

 そんなことが、本当に可能だったのだろうか………?

 だが、そんな私の疑問に十分な答えを与える間もなく、清和の話は続く。


「備前と小備前(清和の乳母)の行動は素早かった」


 備前はまず、北山殿が亡くなった直後、清和と清成殿を入れ替えるために、京の郊外の山科に清成殿の乳母を勤めていた小備前の妹——弾正——を呼び寄せた。そして、清成殿と清和の入れ替わりが秘密裏におこなわれ、以降、細川邸では備前と小備前が清成殿の世話を、山科では弾正が清和の世話を引き受けて、二人が再び本来の場所に戻れる日までを、粛々と過ごさせた。


 また、備前は清成殿を清和の替え玉に立てると同時に、清元氏を急き立てて事故の原因を調査させた。結果、馬の突然の暴走は、次男・音羽丸を当主に推す一派による、清和暗殺のための謀略だったと判明した。もとより、北山殿が自分や清和に不測の事態があるときは、次男の周辺に気をつけるよう備前に言い含めていたのだが、その危惧が現実になってしまったのだ。当初の暗殺計画では、馬に毒入りの針を刺し、清和本人を落馬に見せかけて殺す計画であったのだが、清和本人は落馬したものの致命にはいたらず、亡くなったのはその母だった。音羽丸一派にしてみれば、大きな誤算だったろう。


 とはいえ、清和も<心>が死にかけていたのだから、致命傷に近い(ダメージ)は十二分に与えられたのかもしれない。だが、それは彼らの知るところではなかった。

 暗殺計画を露見させた備前は、清元氏に正当な代償を要求した。すなわち、次男・音羽丸の細川追放だ。こうして、音羽丸は比叡山に送られ、そこでの出家と相成った。 


 実際のところ、十二歳にも満たない子供が、兄弟殺しを画策するわけもなく、陰謀の首班はその背後に存在する、私利私欲が混じった醜い大人たちなのだ———ということは私にも容易に理解できる。しかし、争いの根がその音羽丸に流れる血にある以上、彼に罪がなくとも、断罪されなければならないのだということも、残念ながら理解できてしまった。そういったことを恐れて、清和の母君が……北山殿が双子の存在を隠したことも………。


 音羽丸の叡山入りと腹心数名の処断がなされたあと、音羽丸を推す派閥は消滅し、清和が——その時点で屋敷にいたのは清成殿になるのだけれど——正式な跡取りとして認められた。それから二年後の元服の頃には、清和の精神状態もすっかり安定し、備前が出家して屋敷勤めから引退するのにあわせるように、清和と清成殿の兄弟は再び入れ替わり、もとの立場に戻った。そして備前はそのまま故郷である備前の国(おかやま)の実家に帰参したが、山科の屋敷には依然、清成殿と弾正が残っていた。不測の事態に備えてのことだった。


 どこか懐かしむような声音で、そこまでを語り終えた清和に、


「———で? どんな、不測の事態が起こったというの?」


 私は先をせかした。だって、私が輿入れした時点で、二人は入れ替わっていた。


「不測の事態………?」


 横たわったまま、不思議そうに首をかしげて私を見上げた清和は、次にあっさりと


「そんなものはない」


 と否定した。


「以来、何事もなく平穏に日々は過ぎ………俺は時折、山科の弟に会いに行ったり、その折に剣や馬や琵琶の稽古を一緒にしたり」

「えっ……じゃあ、なんで? どうして、私はあの時、あんたじゃなく、清成殿からお母上の話を聞くことになったのかしら⁉︎」

「何事もなかったから………だからこそ、俺たちは綿密に調整をした上で、時折、屋敷の中でも入れ替わることをした」

「はぁああっ!?」


 尻あがりな声をあげる私を、清和はさも煩そうに片目を眇めて見やる。

 そのまま、面倒くさそうに続きを語った。


 無事にもとの立場に戻ったというのに、二人は人目を隠れて、頻繁に入れ替わることを繰り返した。おもに清和が清成殿に請うてのことだったという。やがて、持病の腰痛を患っていた小備前が宿下がり(いんたい)を願い出るにあたり、備前の推挙と清元氏の根回しで、弾正の夫(和気兼之(わけのかねゆき))が弾正台小疏(だんじょうだいしょうさかん)に任官されて、備前の国より上洛。あわせて弾正も清和の世話役として公に屋敷に仕えることになった。「弾正」という宮仕えの呼び名もこの時からのことらしい。ついでに、弾正の息子で清成殿の乳兄弟に当たる和気泰之(わけのやすゆき)が、清和付きの用人として雇い入れられ、清和の最も側近くに控える家臣となった。そして山科の屋敷には、引退した姉の小備前が入り、山科では小備前が、細川邸では弾正とその息子が、清和と清成殿の入れ替わりを助ける(サポートする)役目に徹したらしい。


 一通りの話を聞いて、私は唸る。かなり、胡乱な眼つきになっていたかもしれない。


「あなた、本当に全快しているの? 言い方が悪いかもしれないけれど、脳のどこかがイカレたままなんじゃないの?」


 危機を脱してなお、そんな危険な入れ替わりを繰り返したなんて、私には理解できない。母君が必死で隠してきたことが、いつ露見するとも限らないじゃない。

 だが、私が起こした非難の嵐も、清和にとってはどこ吹く風だ。


「自分たちでいうのもなんだが、入れ替わりは完璧だった。屋敷の者は父上や曼殊院さまを含め、俺が二人いるなどとは想像もつかなかったはず。そもそも、幼少より細川宗家の嫡男として育てられた俺にとって、屋敷の中の窮屈な生活よりも、外の世界で自由に駆け回る生活のほうが、刺激的で自分の性分にもあっていた。一方、清成には、在野の自由気ままな生活よりも、京での貴族めいた生活や政治的駆け引きの方が、本人に向いていたのだから仕方ない」

「仕方ないって……」

「少なくともお前に、俺の性分をどうこう言う資格はないはずだ………狩場で出逢った、あの時からな」


 やっぱり、そうだったのか………と、私は改めて納得する。


「今にして思えば、細川家の嫡男が供も連れずあんなところをふらふらしているなんて、おかしすぎたのよね。あんた、まさか……私のことを偵察に来ていたんじゃ………」

「お前だと気づいていたら、輿入れの話を断っていたと以前言わなかったか? あの時は、高野詣でに参じていた小備前の供を買ってでてやったまでのこと。婚儀の後はしばらく狩にも出れないと踏んで、羽を広げていたに過ぎん」


 確かにあの狩場は金剛峰寺にも近いので、そう言われればそうか。


 ———いやまて! いま、婚儀のあとは云々といっていたけれど………。


 私はもう焼き切れてしまうんじゃないかという脳の回路を全開(フル)稼働させて、清和の言葉と過去の記憶とを甦らせる。これまで疑問に思いながら、確認できないでいたことを確かめるのは、今しかないだろう。

 唇を湿らせて、言葉を選びながら、私はひとつひとつを連ねた。


「あの狩場で出逢ったのは、あんた……清和ね。そして、婚礼の儀式のあと、部屋に戻ったところでお互いの正体をばらしあった、あの時の清和もあんた。それから、私が細川を逃げ出そうとした夜、都大路で行き合い剣を交えたのも、あんただわ。それに対して———婚礼の儀式のとき、盃をかわしたあの時、目の前にいたのは……清成殿? 度重なる曼殊院の嫌がらせに歯止めをかけるように、曼殊院のところに乗り込んできて、その後、琵琶の合奏をして母君の話をしたのも、清成殿……。出陣の前日に私と言葉を交わしたあの時も———もしかして、清成殿………?」


 毎日の生活の中で、目の前にいたのがどちらだったのかと問われると答えようがない。けれど、明らかに違和感を覚えた瞬間は幾度もあった。そのつど、らしくない清和を、表裏のある二重人格者のように捉えて、自分を納得させてきた。けれど………。


 二重人格なんかじゃなく、清和は二人———性格の異なる二人が、現実に存在していたのだ。




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