一
<登場人物>
沙羅姫…主人公。畠山宗家の姫君。
齋藤鷹丸・霞…沙羅の乳姉弟。側近。
畠山頼政…沙羅の父。東軍・畠山宗家の当主。
畠山頼義…沙羅の異母兄。長男。
畠山義教…沙羅の異母兄。次男。
畠山義貴…沙羅の同母の兄。三男。
北の方…沙羅の義理の母。頼政の正妻。
太陽が西へと大きく傾き、辺りがうっすらと茜色に染まり始める頃、私と鷹丸は国境の出城である旧千早城屋敷へと帰りついた。
高台に建つ館からは、眼下に千早川の深い谷と、そのはるか先には金剛峯寺を擁する高野山の峰々を遠望できた。
「………?」
館に着いた当初から、微かな違和感を感じていた。
ひっそりとしているはずの館が、どこかソワソワしているというか落ち着かない。
私の留守中に、急な客人でもあった?
馬を降りてそれとなく耳を澄ませてみたが、異音は拾えない。
気のせい? 私の気が立ってるだけかしら……。
それを証明するように、隣に立つ鷹丸はぼんやりとして常と変わらない。
いやむしろ鷹丸は、いつもより緩慢な動作で厩番を呼びだしている。
うーん。それも致し方ないか。
本来ならもっと日の高いうちに帰還していたはずなのだが、途中、鷹丸が怒り狂う私に恐れをなして幾度か道を外れた。結果として、こんな時間に帰り着く羽目になってしまったのだ。
おかげで疲れも加わって、屋敷に着く頃には私も押し黙り、それなりに反省の色を見せたりもした。
そのせいあってか、あるいはこれ以上の不興を買わないようにか、鷹丸も普段なら嫌味の応酬というところが、今日は黙って私の後にしたがっていた。
「あーあ。大きな獲物もしとめられなかったし、さんざんな日だったわ」
「わたくしにとっては、寿命の縮まる一日でしたよ。姫様がもう少し穏やかでいらっしゃると、わたくしも長生きできそうなんですがね」
本日の締めくくりらしい不平をもらして、鷹丸が自分の馬と私の馬の手綱を厩番に任せたところで、私は館の方から急いでやってくる足音に気づいた。
私たちの帰還を聞きつけて、さっそく義母上が派遣してきた侍女か侍だろう。
そう思って振り返った私は、そこにあまりにも懐かしい人の姿を捉えて、一瞬幻かと思う。
「あ……兄上だわ」
鷹丸も「えっ」と小さな声を上げてそちらに振り返った。
やって来るのは間違いなく、私の同母の兄、義貴兄様……それと私の乳姉妹の霞だった。
霞は鷹丸の姉で、私達より二つ年上だ。
弟がそうであるように、私付きの侍女として彼女もまた私の側近くに仕えている。
だからその姿に今更驚くこともないのだが、義貴兄様の方は違った。
「なぜ、兄上がここにいるのかしら?」
「さあ。こちらにお見えになるとは、わたくしも存じておりませんでしたが……」
異母同母を含めた私の三人の兄は、それぞれ立派に成人していて、紀伊と河内国内の主要な城館に散っている。
同じ国の同じ一族の中でも東西の戦いがおこっているのだから、そう簡単に自分の持ち場を離れることはできない———と言って彼らは滅多に紀伊の本邸である広の高城館にも戻ってこない。
ましてや、本拠地でもない山中のこの出城にわざわざ足を運ぶ謂れなどないはず。
それでもあえてここを訪れる必要があるのなら、それはおそらく……。
「戦か……」
独白して、私はちょいちょいと鷹丸の袖を引っ張った。
「……わかってるでしょうけど、今日のあの似非貴公子との一件は、兄上たりとも漏らしちゃダメよ」
承知してますよぅ……と諦めたように頷いて、鷹丸は駆けて来る二人へと目を戻した。
「沙羅!」
兄上は相変わらずの引き締まったいい男ぶりで、息も乱さず私の前までやってきた。
二十代も半ばになる体では、恰幅ばかりが良くなるのではと密かに案じていたが、そんな心配は無用だったらしい。
「おまえ、一体どこまで行ってたんだ?」
兄上はいつもの心配そうな目で、私を見下ろした。何食わぬ顔で私は応える。
「金剛峯寺の麓辺までよ。残念ながら獲物はこれだけ」
冷たくなった兎と山鳥を持ち上げて見せると、兄上は露骨にイヤな顔をした。
「……私は今更ながらに、おまえに狩りや武術を教えたことを悔やんでいるよ。兄上たちも先ほど同じことを申されていた」
先ほど……? ということは、
「頼義兄様と、義教兄様も来てるのね。そんな話、少しも聞いてなかったわ」
直後、兄上の目が「しまった!」と呟いたのがわかった。
「……なによ、秘密だったの? どうせまた、戦を始めるんでしょう? それとも信心深く、高野詣で?」
私の気のせいではなく、やはり来客——それも、兄上達がきているのだ。
「いや、まぁその……いろいろとな」
狼狽気味に言葉を濁した兄上は、すすーっと視線を泳がせて、私の後方に沈んでいく夕陽へと目をやった。
何を誤魔化してるんだか。まあ、いいや。兄上達に会えるなら何だって。
朱金の輝きが、兄上の細められた瞳に宿る。
そんな夕陽に映える我が兄をうっとり眺めていると、それまでゼイゼイと呼吸をととのえていた霞が、やっと一息ついたらしい。顔を起こして口を開いた。
「姫様!とにかくお話なら後ほどにしてくださいまし。北の方様が姫様の外出に気づかれて、もしや、この時期に狩りに行ったのでは、とたいそう心配なさってらっしゃるんですよ」
やっぱり、ばれてたか。
「で、正直に『その通りです』なんて、言ってないでしょうね」
気持ち声を落とす私に、あたりまえです!と弟と同様どこか幼さの残る顔で、霞は大きく頷いてみせた。
「一応、遠乗りに出られたと申し上げておきました。それでも姫様のことだから、獣の出そうな山の中に入ってるんじゃないかと心配なされて……」
さすが義母上と言うべきか、よく私をわかってらっしゃる。
「……いま、兄上達がおまえのことから気をおそらせしようと、相手をされておるよ」
平素に戻った兄上の声が幾分刺々しく響いた。
「別に、頼んだ覚えはなくてよ」
思わず口応えするような口調になったが、兄上は特に怒りも諌めもしなかった。
「おまえに狩りを教えた、自業自得と思っていらっしゃるのさ」
ポンと私の頭に手を置いて、それから兄上は鷹丸に笑顔を向けた。
「いつも迷惑をかけるな。大変だろう」
「そりゃあもう。いつも命懸けというか、ええもう本当に大変でして! あ……でも、もう慣れましたから」
鷹丸はここぞとばかりに胸を張り、ほんの一瞬ちらりと私を見た。
ふん。分かってるわよ。感謝してますとも。
「では、姫様。お部屋に戻ってお召し替えを。その狩装束のままでは、私達の苦労が水の泡ですわ」
お役目に忠実な霞は兄上に一礼すると、さあさあと私を急かせた。
「じゃあ、また後でね」
「ああ」
微かに笑みを浮かべた兄上と、やれやれと肩をすくめる鷹丸、そして山際に迫った太陽に見送られて、私は館へと向かった。




