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 間もなく、清元氏は弾正を伴い部屋に姿を見せた。


「戻られたばかりのところを、邪魔して申し訳ない」


 挨拶もそこそこに、清元氏は軽く人払いをすると、


「竜安寺では挨拶だけに留めたが、この屋敷にお戻りとのことだったので、少し話ができればと伺った。お体の具合はいかがだろうか? 芳しくないようであれば、また日を改めるが……」


 優しい声で、まるで本当の肉親のように私の身を案じてくれた。

 不意に、泣きそうになった。慌ててそれを誤魔化すように、私は笑顔を作った。


「ご心配痛み入ります。ですが、いま薬湯も口にいたしましたので……ご案じ召されますな」


 そうか、と小さく頷いて、それから清元氏は姿勢を正すと、唐突に私に頭を下げた。


「母上——曼殊院さまがずいぶん心無い物言いで、沙羅姫を傷つけたときいた。曼殊院さまに代わり私が謝ろう。まことに申し訳ない。どうかあの方を許してやってほしい」

「ち、義父上さま、お顔をお上げください」


 落ち着いていた体調がそれこそ変調しそうなほど、私は焦った。曼殊院のことで、清元氏が謝りに来るとはさすがに予想していなかったのだ。それも、つい半刻くらい前のことでだ。

 表に聞こえるほど大声での応酬ではなかったろうから、いったい誰から……と思ってすぐ、私は本当に血の巡りが悪くなっているわ、と自嘲する。目の前に、弾正がいるではないか。

 清元氏は、どうやら弾正に事のあらましを聞いたらしい。そして、己の母の大人気ない振る舞いをわざわざ謝りにみえた——と。

 深々と頭をたれる清元氏に困った様子の私を見かねたのか、そばにいた弾正が「殿……」と控えめに声をかけてくれた。そして、私へと小さく頷いてみせる。


 ———うまく収めなさい、ということか。


「義父上さま、もうよいのです。わたくしとて、曼殊院さまのお気持ちがわからないではありません。むしろ、わたくしの方が礼を欠いた暴言の数々を曼殊院さまに浴びせてしまいました。お詫びしなければならないのは、わたくしの方でしょう」

「沙羅姫……そう言うてくださるか」


 申し訳ない、と繰り返しながら顔を上げると、清元氏はしみじみと語った。


「母上(曼殊院)はあのご気性ゆえにな、自分の内側に強い感情を押しとどめることができぬ。かといって、実家の山名に怒鳴りこむことも、他の者にむやみやたらに当たることもできまい。やり場のない怒りを沙羅姫にぶつけて、清和のことを忘れようとしておられるのだと思う………」


 やり場のない怒り———だけならば、私も堪えようが、あのババアに関してはそれだけではないだろう。生来の根性の悪さゆえ私に難癖をつけている、というほうがしっくりくる。けれど、ここは清元氏の言葉におとなしく頷いておくことにする。

 清元氏はふっと遠い目をして、半年か……と、まるで独白するように続けた。


「清和の元に、姫が輿入れしてきてわずか半年……いや、実際には三月ばかりであったか——二人が一緒に過ごされたのは。………まさか、このようなことになるとは私も思いもしなかった。故に、急がせるつもりもなかったが、いまとなってはそれが仇となったか………沙羅姫に子がないのが残念でならぬ。もし清和との子があったなら、その子に跡を継がせることも考えたが———今の状況では、年若いが清国を跡継ぎにすることになりそうだよ………」


 清国殿は腹違いの兄のことを言っていたが、清元氏が口の端にも上らせないところを見ると、やはりもはや資格を持たぬ身なのだろう。


「それがよろしいかと、わたくしも思います」


 清元氏の判断に理解を示した上で、私は自分の身の振り方について申し出た。


「わたくしは、落飾してこの細川で清和殿の菩提を弔いたいのですが、お許しいただけないでしょうか」


 その願い出に、清元氏は小さく息を呑んだ。そして、ちらりと脇に控える弾正に視線を投げた。


「この者から、曼殊院さまとの口論で姫がそのようなことを申されたと聞いてはいましたが………」

「売り言葉に買い言葉……本気ではないだろう、と思ったと?」


 苦笑交じりに弾正を見つめると、彼女は畏まってかすかにあごを引いた。


「よく存じ上げぬ身でありながら、推測で物を申してしまいました。お許しくださいませ」

「そう思っても仕方ないわ」


 流す私に、弾正は少し寂しそうな表情を浮かべた。

 清和をよく知る弾正から見て、私と清和は、落飾して菩提を弔うほどに仲睦まじい夫婦ではなかった……ということなのだろう。あるいは、清和が話していたのかもしれない。戦が終われば、私と清和は真剣勝負をして、それに勝てば私は細川を出て行くつもりだと。


「この戦の間、そしてそれが終わってからの今日まで、わたくしなりに様々なことを考え、辿り着いた結論にございます。———どうか、落飾させてくださいませ」


 私は改めて、清元氏とそして弾正に向かい、本気であることを告げた。


「———『二夫(じふ)(まみ)えず』と云う、沙羅姫のお覚悟は分かり申した。しかし、ご実家のお考えはどうなのでしょう」


 清元氏はあくまでも慎重なかまえだ。もっとも、それは私を煙たく思って、というわけではないことはちゃんと伝わってくる。


「私個人としては、沙羅姫を実の娘のように思っている。このまま姫が細川に居たいと申されるなら、むしろそうして頂きたい気持ちだ。だが、畠山が正式に沙羅姫の帰還を要請したならば、私のほうでは無理にとどめることは出来ないだろう。それに……」


 少し言いよどむようにして、清元氏は続く言葉を出した。


「尼にといってくださるのは清和にとっては嬉しくもあり、だが残念でもあるだろう。沙羅姫はまだ若く、あまりにも美しい………清和の人生は幕を閉じたが、沙羅姫の人生まで、ここで終わらせる必要はないのですよ」


 よくよく考えるように言って、清元氏は弾正とともに部屋を辞していった。

 私は清和の太刀を見つめて、問いかける。

 どうすればいいのだろう、と。


「………清和様の菩提を弔うことは、妻としては、とても正しいことだとは思います」


 二人を見送った霞は、ひっそりと私のそばに戻ってくると、私の手元の太刀に同じように視線を落とした。


「でも、なんだか姫様らしくありません。その———お気持ちの変化は、わかります。清和様を亡くされて、初めて清和様の大切さを思い知られたのであれば、なおのこと………けれど、私が知っている沙羅姫さまならば、落飾よりむしろ、刀を持って敵討ちに向かわれるか、或いはすっぱりと細川のことを割り切られて、新天地に向かわれるか————」


 あまりに現実的な霞の言葉に、私も思わず苦笑を漏らした。


「そうね……かつての私なら、それくらいのことをしたかもね」


 こんな想いを知らない私であったならば———。

 しかし、時は戻らない。それと同時に、過ぎた日の清和との記憶も薄らぐことはない。

 私は今も亡き人に———囚われている。

 だって、私の想いはこんなに強い……まだ今でも信じたくないと思っている。

 畠山に帰るのはそれを——清和の死と、この<想い>の死までを——認めてしまう事になる。


 せめて、現実から逃げるのはやめようと、私は白毫院に戻るのを取りやめた。伯母上……顕璋院様へのこれまでの厚意に厚く礼を述べて、これ以降は細川邸の自室で過ごすことを選んだ。

 そして五日が過ぎたころ、実家から文が届いた。———決定的な文が。


     *


「姫様、畠山のご実家から文が届いております」


 霞がもってきた文に一瞥をくれて、私はそのままそれを文箱に入れるよう命じた。読まずとも内容は想像がつく。どうせ、いつもの説教がましい文に違いない。早く細川を出ろ、死んだ者は還ってこない———。

 文を無視して、書きかけだった経文の続きに戻ろうとした私に、


「いいえ、姫様! これは読まなければなりませぬ」


 いつになく硬い表情で、霞はずいと文を差し出した。

 仕方なく筆をおき、文を受け取る。黒々とした墨で父上の闊達な文字がつづられていた。そのどこか威圧的な文字を読み進めるうちに、私はわなわなと自分の手が震えるのを感じた。


 なんだ、これは………?


 畠山からの文には、予期せぬ展開が告げられていた。それは、つまり、私の今再びの輿入れ話———三好への輿入れ話だった。


 最後まで読み通すことことなく、霞が見ている前で私は荒々しく手紙を引き裂いた。小さく裂けた紙をぐしゃぐしゃに丸めて部屋の隅に投げつける。もちろん、それだけでは気が治まらず、私は奇声を上げながら、その辺りにあった調度類を投げたり蹴ったりして、部屋の中を破壊しつくした。


 なんなの!なんなのよ‼︎ あのくそ親父は、いったい私のことなんだと思っているの⁉︎


「ひ、ひ、姫様、お鎮まりあそばして・・・・・・」


 読まねばならぬと言ったくらいだから、霞は事前に内容を知っていたのだろう。知っていて———清和への私の想いの深さも知っていて、この文を渡してくるとは………。


「霞! おまえも父上と同じなの⁉︎」

「姫様………」


 私のあまりの剣幕に怯えた霞は、倒れかけた几帳のうしろに逃げ込むように移動した。


「冗談じゃないわよ! 一度ならず二度までも、和睦の道具として私を使おうっていうの⁉︎」


 まだ、清和の喪も明けていないというのに………それを、知っているはずなのに……!


 ———よかろう。


 いつの間にか右手に握り締めていた清和の太刀を見下ろして、私は低くつぶやく。 


「………父上がその気なら、私だってやってやるわ。この場で落飾してやる!」


 太刀を左手に持ち直し、鞘から刀身を抜こうとする私に、几帳の影から飛び出してきた霞がものすごい勢いで体当たりを食らわせてきた。不意をつかれて、太刀を抜けぬままに私は床に倒れこんだ。


「お願いでございます、姫様! 短慮はおやめくださりませ!」


 一瞬緩んだ左手から凶器を取り上げるように、あろうことか霞は清和の太刀を足蹴にした。ガガガッと床を削る音を立てて、太刀が部屋の端へと追いやられる。


「———か、すみぃいいい!!」


 自分でも信じられないような低く怒気に彩られた声をあげて、私は霞を睨みつけた。霞は一瞬ひるんだが、逃げなかった。


「沙羅姫様が今ここで髪を下ろされたとて、清和様はもうお戻りになられませぬ」

「そんなこと、おまえに言われなくたって分かってるわよ! でもだからって、ほかの奴のところへ嫁に行けって………まだ喪も明けてないのよ‼︎」

「独り身になられた以上、おそれながら、それが武家の姫君としての勤めでございましょう。それに、実際にお輿入れをする時期はまだ先のお話」

「私は傀儡(くぐつ)じゃないのよ! ちゃんと生きてるし、感情も意志も持っているの‼︎ たとえ和睦の為の道具だとしても、育ててもらった恩は忘れていないし、義理だって感じているわ。でも、それと私の人生はまったく別物よ! 一度目の輿入れは父上の思惑通りに進んだじゃない。もう、それで勤めは十分に果たしたでしょう⁉︎ おまえだって分かってるでしょ。私がどんな思いでこの半年を過ごしてきたか! これまでのことをどれだけ悔やんで、苦しんで、自分をっ………憎、んで………っ」


 感情が高ぶりすぎて、気づけば呼吸をうまくできなくなっていた。

 過呼吸におちいり口を開けたままあえぐ私に、霞はなんの躊躇いもなくあわてて自分の(ひとえ)の袖を引きちぎった。その辺に飛び散っていた調度の中から水入れを探しだし、袖を水で浸すと簡易袋を作ってくれた。くらくらする状態で、それを口元に当てながら、幾度か深い呼吸を繰り返す。


 先刻からの破壊音や大声での応酬に、さすがに何事かと侍女たちが様子を伺いに戸口に現れたが、中の様子を知られる前に霞が素早く追い払った。そんな霞を視界の端にとらえているうちに、次第に意識も鮮明になり、同時に多少の落ち着きも取り戻した。

 戸口に目隠しになるように几帳をたて、床に倒れた文机や散乱した写経の道具を拾い集めながら、霞は自分に言い聞かせるような呟きにも似た声で言う。


「姫様のお気持ちは、一番近くで見てまいりましたわたくしが、一番に理解しているつもりでございます。この度の畠山のお館様の申し入れが姫様にとってどれほど酷なものかも………」


 清和の太刀をそっと両手で持ち上げて、霞は恭しく私の前へと下ろした。


「お怒りになるのもごもっとも。ですが、どうか今は落ち着いて、落飾はもう少しお考えくださいませ。先のことは、先のこと。まだ、決まったわけではございませぬ。何よりも姫様はまだこうして細川においでなのですから………」


 やんわりと説きふせられて、私もそれ以上争う気がうせた。そもそも、霞に怒りをぶつけること自体が大人気なく、意味がないことだった。

 清和の太刀に視線を落とし黙り込んでいる私に、


「とりあえず薬湯を用意してまいりますね。まだ万全の体調ではないんですから、ご自愛いただかないと………」


 霞はそういいながら、いったん部屋を出て行った。そうしてすぐに、湯気の立つ器を持って戻ってきた。大方、侍女を追い払ったときに、薬湯の用意も命じておいたのだろう。いつの間にか如才のない立派な侍女になったものだ。


 私はぼんやりと霞を眺めながら、手渡される器を口元に運んだ。ここ半年の間、気持ちの落ち込みと体力の低下が激しいときに飲んでいる、おなじみの漢方薬だった。相変わらずひどい匂いと苦味で、舌が軽く拒絶を示すが、この時期に体までいうことをきかなくなっては困ると、我慢して一息に飲み干した。

 その様子を、すぐ隣でじっとりと霞が見つめていることに私は気づかなかった。


 おとなしく薬を飲んだ私の気持ちは、ひどく乱れながらも、それでも前向きだった。父上がなにを言ってこようと、また曼殊院がどれだけ意地悪をしようと、ともかくも今まだ私は細川にいて、名目の上では細川清和の妻なのだ。落飾するかは分からないが、私が細川に残るつもりであることに変わりはない。


 しかし———。

 愚かにも、私はまた引っかかってしまったのだ。父上たちの陰湿な罠に。


 空の器を受け取った霞の顔は、何故かひどく歪んで泣きそうだった。


 おまえ、どうしたのよ………?


 不思議に思って、そう聞いたつもりだった。だが現実には、口を動かすよりも前に私は意識を失っていた。


 ああ、そういうことか———。


 瞼が落ちる瞬間に理解する。そうして、願っていた。

 できることならば、このままもう二度と目が覚めなければいいのに………と。

 清和のいないこの世界に未練はない。

 ましてや、清和ではない者の妻になるくらいなら———もう目が覚める必要はなかった。



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