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       *** 


 東軍細川対西軍山名の()月にも及ぶ丹波での合戦は、文月(しちがつ)の半ばを過ぎてようやく決着がつこうとしていた。

 山名の総大将である山名豊全がかねてより患っていた持病を悪化させたことや、農作物の刈入れの時期が近づいており、戦に借り出されている国人や農民たちの帰還が迫ったことも一因であるが、最大の要因は、東軍の同盟軍である京極軍が、領地での戦を制し細川の加勢に入ったことだった。正面に加え脇を攻撃された山名・大内軍は、退却を余儀なくされた。


 山名・大内軍の上洛を阻むのが第一の目的でもあるこの戦は、こうして東軍・細川の勝ち戦となった。

 ある者は、物理的な強さと同時に、清元氏の武将としての芯の強さこそが西軍を引き退がらせたのだ、と云う。私もそれを認めないわけにはいかない。

 清和を失っても折れることなく、己のなすべきことを粛々と全うした、清元氏の精神(メンタル)の強さを、私は羨ましくも恨めしくも思った。


 そして、清和が死から一月後——戦が始まって三月後の文月下旬——。細川軍の京への凱旋は、勝ち戦でありながら、どこかしらに暗い影を落としていた。


       *


 葉月(はちがつ)の蝉時雨の中———清和の太刀を胸に抱き、私は戸口にもたれかかったまま、ぼんやりと白毫院の庭を眺めていた。

 青々しく茂った庭の木々は生命にあふれ、来るべき秋に向けて子孫を残そうとしていた。そして、この夏を命の限り生きた蝉たちは、地上での短い生を終え骸となって大地に還りつつある。

 毎年見てきたはずの季節の移ろいを、こんな風に生と死の烈しい対比として意識したのは初めてでもあった。


 いつもと変わらない、夏の終わりのはずだったのに………。


 清和が死んで四十九日もすぎ、一月前に都に戻った東軍細川の面々も少しずつ日常を取り戻していた。


 ———ただ私だけが、日常を取り戻せずいた。


 来る日も庭を見つめながら、ただただその日をその時を無為に過ごしていた。

 清和の訃報を細川邸に持ち帰ったその後……まだ、勝敗の行方も知れない状況でありながら、私は現実の世界から逃げるように、白川のこの寺に籠もるようになった。

 現世が厭になったとか、世を儚んだわけではない。ただ、清和との思い出の残るあの屋敷にいるのがつらかったのだ。

 何もいわずとも霞は察してくれたのか、黙って私の身の回りの世話と、細川邸との連絡係を勤めてくれた。


 戦のあと屋敷に帰還した清元氏も、あの曼殊院すらも、そんな私の行動について何も言わなかった。気を遣ってくれているのか、それとも他人のことにまで気が回らないのか………いずれにせよ、私はそうして放っておいてもらえることで助かった。

 戦勝の祝いの宴には顔をだしたが、そのあとも細川邸にはとどまらず、当たり前のようにこの白毫院に戻ってきた。戦の始まった頃には、木刀を振り回す私を恐ろしげに遠巻きに見ていた尼君たちだったが、今はまた、蝉の抜け殻のように虚ろに豹変した私を、怯えたように物陰から見つめていた。


 そんななか、清国殿が一度、見舞いにやってきたことがあった。

 陣中ののち、祝宴で一度しか顔をあわせることのなかった義理の弟は、ほんの二月ほどの間にひどくやつれ、そして見違えるほどに大人びていた。あるいは、大人びた憂いを身につけさせられたのか……身につけざるを得なかったのか。

 清国殿は繰り返し詫びては、自分は細川の跡を継ぐ資格はないと自己否定を重ねた。己を否定することで、重い現実から逃げだしたい気持ちを理解できないわけではない。

 さしもの私も、自分よりもやつれ苦しんでいる様子が見て取れる清国殿を前に、慰めるくらいの恩情は持ち合わせていた。


「ねえ、清国殿」


 清和の死に関して言えば、清国殿が悪いわけじゃないと私は思っていた。人質交換を言い出した、清和の責任だ。高貴なる義務(ノブレスオブリジュ)を声高に謳う清和だ。嫡男の自分が人質になることがどれくらいの危険(リスク)を伴うかは分かっていたはず。

 最後の最後で、清和らしくない選択をしたものだ。私が知っているあの冷静冷徹な清和なら、心を鬼にして清国殿を差し出しただろう。あるいは、山名の<狂犬>がいかほどの実力を有していようとも、おとなしく首をはねられるような最期は迎えるまい。刺し違える覚悟で、戦う男だと私は確信していた。でも、現実は違った………。


「清国殿が、清和に申し訳なく思っていることは、きっと清和だってわかっているわ。ただ、何のために清和があなたを逃がしたかを考えて」


 清国殿が跡を継がないというのなら、何のために清和が犠牲になったのか———その犠牲の意味がなくなる。

 いったい誰が、清和の代わりをするというの?


 私の無言の問いかけに、清国殿はゆるゆると首を振って、「比叡山にいる腹違いの兄上が還俗すればいいのです………」などとのたまった。


 清和たちに他に兄弟がいることなど、私は知る由もなかったが、たとえそんな兄弟がいたとしても、出家している時点ですでに跡継ぎの資格は失っているはずだ。


「清和は自分の太刀をあなたに託したのでしょう。もしもの時は、私に渡してくれと。同時に、彼は他でもないあなたに<細川>を託したのよ。………清和の遺志を、無駄にしないで」


 私は幾分やわらかい声音で、清国殿を説き伏せた。 

 清国殿とて分かってはいるのだ。ただ前に進むためにも、懺悔と許しを得たいがために、ここにきたのだ。

 私は、細川清和の妻らしい態度で、清国殿を叱咤激励し、その成長過程にある背中を山門から見送った。(ヒグラシ)が、染み入るように鳴く夕暮れだった。


 遠ざかる義弟の背中を見つめながら、私は喘ぐように大きく息を吸った。

 他者にはそうして、理性的で前向きなことをいえる私だったが、自身はというと悲しみの淵から這い出ることができないまま、溺れ死んでしまいそうだった。

 寝ても覚めても、清和の残像が瞼の内から消えることはない。


 ことに、夢は残酷だった。

 当たり前のように、清和に———生きている清和に会えて、私はその度に、ほらやっぱり清和は死んでなんかないじゃない、と安堵し幸福な気分になるのだ。

 高く舞い上がれば舞い上がるほど、地に落ちたときの衝撃が大きいように、目が覚めて清和のいない現実を認識する瞬間には、内臓を吐き戻しそうなひどい気分になった。

 そうして心身ともに安らぐことなく、清和と過ごした日々を思い出しては、後悔を繰り返す毎日。

 清和との思い出———なんて呼べるようなもの、そもそもあったのかどうかも、今となっては疑わしいのだけれど………。


 思い出すのは、早春の狩で出会った皮肉な貴公子……輿入れの夜のあいつの挑戦的な瞳……春の嵐の中で交わした太刀越しの鋭い眼と稲妻の中で追いかけたあいつの背中————。

 いつも、私たちは対立していた。外聞のために、夫婦ごっこをして仲良く見せかけたりはしていたけれど、本質的に私たちは其々の正義を通そうとぶつかってばかりだった。

 もし、もっと私が清和を理解して折れていれば、意地を張ることをしなければ、結果は変わっていたのだろうか………。


 めぐり巡る回想の果てに行き着く結論は、いつもそんな仮定法過去の世界だ。そして現在進行形の世界は何も変わらない。深淵に沈み込まないように、ただ大きく呼吸をする。


 尼寺での生活で外界との関わりを保ちたかったわけではないが、時折、霞が遠慮がちに畠山(じっか)からの文を持ってきた。言葉は違えども、内容はおおむねいつも同じで、義母上からは慰めと励ましが、父上からはお悔やみの言葉と畠山に帰ってこいという指示が記されていた。もはや、私は和睦の道具としての体を成さないのだ。相変わらずな父上の態度に怒りを覚えることはあっても、慰められることはなかった。


 また、清和亡きいま、細川から抜け出すことにも意味を見出せない。あれほど切望した細川からの逃避が、今は大手を振って行えるというのに………。

 それ以前に、よく己に問うことがある。清和が無事戻ってきて、勝負をして勝ったとしても、果たして私は細川を離れたのだろうか———と。今となっては、無意味な問いだが、私は(こたえ)を見つけられないでいた。

 ただぼんやりと蝉時雨の中で、時間だけが過ぎていくのを待つ。溺れないように、苦しい息継ぎを繰り返し、やがて丘に上がれる日が………苦しみが薄れる日が来るのを待つように。


 ———そうして白毫院に篭り続けるうちに、青々と繁ったもみじが次第に色を変え、ついには真っ赤に染まり庭へと舞い落ちる……季節は晩秋へと移り変わっていた。

 清和の菩提を弔う法要が嵯峨野の竜安寺で営まれ、私は久しぶりに白川を離れた。紅葉に染まる嵯峨野の地で、清元氏や清国殿に対面したその帰りだった———曼殊院に呼び出されて、私は久しぶりに細川邸に戻ることになった。



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