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     *


 松明を片手に、宗賢が用意してくれた葦毛の馬にまたがり夜通し馬を駆る。

 私の前後には宗賢がつけてくれた腕の立つ家人(けにん)二人が護衛につき、私たちは夜の京を抜けると、丹波口から山陰道を駆け、丹波北部を目指した。最速で駆けても、三刻(さんとき)(六時間)はかかるだろう。

 無言でひたすら馬を走らせるその間、できれば何も考えたくはなかった。

 だが、意識して思考をはじき出しても、いつの間にか、また私は清和のことを考えていた。


 あの清和が大人しく捕まるはずがない。一騎当千とはやつのことを云う。

 きっと、何かの間違いだ。いや、だから清和のことが間違いであって、清国殿が捕虜になっていればいいという話しではない。……おそらく、早馬の報せにあったような、何か細川にとって想定外の事態はあったのだろう。でも現場が混乱していて、正しい情報を伝えられていないだけだ。


 清和はきっと無事だ———。


 何度も繰り返す思考の中で、私は自分にそう言い聞かせていた。

 手綱を強く握り、馬と同調するように体を寄せて、先を行く家人の背を追う。月の光は厚い雲にさえぎられ、まったくの闇の中で目印となるのは、尾を引く松明の橙の炎だけだった。

 老の坂峠を越えて野口の駅に差し掛かった頃、前方から向かってくる人馬があった。

 前を行く家人が速度とし、松明を振って先方に止まってくれるよう合図を送る。他家への報せであっても、東軍の早馬であれば情報はある程度、共有できる可能性が高い。


 距離がつまり、先方の旗印が読み取れた。

 白地に松笠菱———他でもない、細川の早馬だった。

 認識した瞬間、心臓がどくんっと大きく鼓動する。

 第二陣の早馬が来たのだ。

 早馬は先を急ぐあまり私たちを無視する勢いだったが、ここにいるのが細川清和の正室であると知るや、馬を飛び降りその場で畏まった。

 最初の使者より年齢も経験もつんでいると思われるその使者は、明らかに狼狽していた。

 それは、予定よりも早い遭遇であると同時に、遭遇の相手が私——細川清和の正室——であるという事によるものらしい。


「呼び止めてすまないけれど、本陣からの報せを訊きたいの。……口頭でかまわないわ」


 私は自分で思っている以上に、緊張しているらしい。馬上からかけた声は、知らず震えていた。

 使者は懐から文を出そうとしていた右手の動きを止めると、強張った顔を一瞬私へと向けた。側にいた家人がその非礼を叱責する間もなく、彼はぶつからんばかりに地面へと顔を伏せる。

 そのほんの一瞬に、使者の中で躊躇と躊躇を払う決心があったことを、私は彼の眼から読み取っていた。


 直感が、告げる。

 よくない報せだ。

 沙羅、覚悟をしておいて———と。


「姫様に、も、申し上げます。本日夕刻、敵陣にて、細川清和様の御首級(みしるし)が挙げられたとの報せがございました————」


 清和の、首が……?


「清和が………」


 ———討たれた。死んだ……?


 声にならなかった。

 傍らの二人の家人が、大きく息を呑んだ。


 ———清和が……死んだ、というの………?


 あまりにもするりと耳に飛び込んできた言葉に、私は茫然としたまま、身動きが取れない。

 次の言葉を発せられない。

 ……うまく呼吸ができない。息を吸い込めない。


「それは、それは真実であるか⁉︎」


 家人が低い悲鳴のような声を発した。


「はっ。遺憾ながら……」


 ざざっと吹き抜けた風に、使者の声がさらわれていく。

 屋敷を出る前に束ねた長い髪が、風に乱舞して私の頬をぶった。


「———わかりました」


 どうやって言葉を紡いだのか。気づいたら私はそう言って、使者を立たせていた。


「引き止めて申し訳なかったわ。本来の任に戻り、おまえはすぐにこのことを細川邸の皆様に知らせなさい」

「は、ははっ」


 使者は再び馬にまたがり、そうして思い返したように私と二人の家人を振り返った。


「おそれながら、姫様は……」

「私は、このまま本陣に向かいます」


 その旨、宗賢に伝えるよう命じて、私は使者を見送った。闇に解けていく背中を眼で追い、そして私も自らの馬の手綱を絞る。夜の闇はいまだ深く、行く手を閉ざしている。


「二人とも、行くわよ」

「姫様、本当に向かわれるのですか……?」

「———行って、自分の目で確かめなきゃ……」

「……なんと、ご気丈な……」


 絶句する家人を横目に、私は馬の腹を蹴る。束の間の休息を終えた馬は、嘶きとともに疾走を始めた。風を切って、夜の闇を切って、清和たちのいる戦場へと向かう。

 不思議なことに、あれほどぐるぐると廻りまわっていた思考はその輪廻をぬけて、今は私を無の世界へと誘い込んでいた。

 悟りが生じたのだろうか……。


 どれほど駆けた後だろう。手綱を握る手からも、馬にまたがる両の足からも、ふわりと力が抜けてしまった。葦毛の馬はそれまでの猛烈な疾走をやめて、速度を落とした。

 すぐ後ろを走っていた家人が私を追い越して、先を行く相棒に大声で制止を促す。

 二人の家人が、心配げに私を振り返った。私はぼんやりと、そんな二人をみつめる。

 否、二人ではなく———かつて嵐の闇の中で私の前を走っていた清和の背中を、私は虚空に見つめていた。


「そうか……」


 と独白する。


 私は……清和が好きだったんだ———。


 今ようやく、その事実を飲み込みこんだ。

 いつからか……わからない。

 でも、常にない苛立ちも、不安も、焦燥に似た想いも……すべては、清和への想いから始まったものだったのだ。

 清和のことが、ずっと気になって仕方なかった。


 いまようやく明けようとする夜の出口で、私は自覚する。

 自分があの皮肉屋で、自信家だった貴公子を好きだったのだ、と。

 どうしようもなく、愛していたのだと。

 だが————。


 もう、清和はこの世界にいないの……?

 何もかも遅かったの………?


      * 


 朝靄に煙る戦陣は、その清々しさとは対照的に重くうち沈んでいた。


「………なに? 沙羅姫が……⁉︎」


 陣幕の向こうから私の訪問に驚く清元氏の声が漏れ聞こえ、私は覚醒したように顔を上げた。

 一晩におよぶ乗馬に両の手足はがくがくと痛み、休息を欲して全身が悲鳴を上げていたが、私は家臣の勧めを断り陣中にて清元氏の登場を待っていた。


「沙羅姫!」


 陣幕を引き裂くように飛び出してきた清元氏は、いつも通り立派な総大将らしい姿だったが、その瞳だけが赤く充血していて、常に無い疲労と苦悩を物語っていた。

 清元氏は床机(しょうぎ)に腰を下ろす私の姿を捉えると、しばし無言で見下ろし、それからふっと力なく笑った。


「よくぞ……、よくぞ参られた……」

義父上(ちちうえ)……私は……」


 確かめに———清和の死を確かめに、とみなまではとても言えなかった。その憔悴しきった笑顔をみつめて、私は開きかけの口を閉じた。

 清元氏は小さく頷くと、正面の床机に腰を下ろし、あらためて私と向かい合った。


「早馬で、すでに報せは届いていようが……」


 穏やかな口調で、清元氏は語る。


「……昨日の夕刻、清和はこの世を去った」


 清元氏の口からその言葉を聞かされても、私には未だそれが信じられなかった。

 すでに聞き及んでいる。知っている。でも———理解できない。

 多分、そんな表情をしていたのだろう。

 清元氏は、泣くような笑うような、少し困った顔で私の瞳を覗き込む。


「私も、信じられない思いだ。でも沙羅姫……残念だが、清和は———もういない」

「…………」

「山名方に捕らえられて、ほんの数刻後のことだった。水面下での人質交換の交渉準備をしている最中に、清和が敵陣で討たれたという報せが届いて……私も自分の目で確かめるまでは信じられなかった———」

「清……か、ずは……」


 本陣に着いてすぐ水や薬湯を飲んだのに、いまだに喉が渇いてうまく声を発せない。

 唇をわななかせて、何度もつばを飲み込む私に、気を利かせた家臣が水を渡してくれた。

 私はありがたく、水の入った竹筒を口元に運んだ。だが、何故かうまく飲むことができない。はたはたと小さな波を立てて、水は唇から顎へと零れ落ちて行く。


 私は震えていた。いつから震えていたのか、分からない。けれど、竹筒の水をうまく飲めないくらいに、私は震えていたのだ。

 はっと気づいて、私は慌てて竹筒を下ろした。そうして、渇きを潤したように笑って見せた。

 これ以上の動揺は、清元氏や家臣に見せたくない。

 そんな私の様子を見て、清元氏は周りにいた家臣たちを退がらせ、そのうちの一人に何事かを囁いた。その者は退がったかと思いきや、すぐに一振りの太刀を手に陣中に戻ってきた。

 恭しく差し出されたその太刀を受け取り、清元氏はほんの一時(いっとき)、手元の太刀にいとおしそうな眼差しを落とした。それからおもむろに、彼はその太刀を私へと差し出した。


「受け取ってはもらえまいか」

「………⁉︎」


 意味が分からず、目の前の太刀をただ見つめた———刹那、私ははっと両の眼を見開く。

 清元氏から差し出された太刀は、柄に日輪の意匠が施された黒漆の太刀だった。裏を返さずとも、そこに描かれた模様が何であるのかを、私は知っている。


「これは、清和の……」


 出陣の三日前……清和と最後に会ったときに、私が抜いた太刀。

 帰ってきたらすぐにこの太刀で勝負を、と言質を取った太刀。

 震える両手でそれを受け取る私に、清元氏は教えてくれた。


「清国が、清和から最後に預かったものだ。この太刀を沙羅姫にと託されたと云う」


 この太刀を———私に?


 太刀の鞘に指が触れた瞬間、その冷たさにびくりとする。生命を失くしたモノ特有の冷ややかさに似ていた。私はぎゅっと唇を噛み締め、太刀を掴む。


 どういうこと? 今更、こんなものを渡されても……もう、勝負なんてつけられないじゃない。

 それとも———清和は最期に、私のことを考えていたと思っていいの? 


 受け取った太刀は、冷たくずっしりと重かった。


 ———でも、たとえそうであったとしても、もう何も……始まりはなしない。

 始まる前に、すべて終わってしまった……。  


 太刀の重さが清和の命の重さのようで、気が遠くなりそうだった。 

 そんな私を現実に縫い止めるように、耳に飛び込んでくる声があった。幾分高くはあったが、性質的に清和のそれとひどく似ていた。


義姉上(あねうえ)っ……!」


 外にいた家臣を振り切るように陣中に飛び込んできたのは、戦装束の清国殿だった。

 脱兎のごとく私の前まで駆けてくるや、人目もはばからず地面に伏した。


「義姉上、申し訳……申し訳ござりませぬっ」

「清国殿……」

「すべては、私のせいなのです。私のせいで、兄上は……兄上は……!」


 それ以上言葉にならず張り上げた声が嗚咽に変わるのを、私はただぼんやりと見つめるしかなかった。



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