一
<登場人物>
沙羅姫…主人公。畠山宗家の姫君。細川に嫁ぐ。
細川清和…細川京兆家の若君。細川家の跡取り。
霞…沙羅の乳姉妹。姫付きの侍女。
細川清元…清和の父。東軍総領・細川家の当主。
細川清国…清和の弟。幼名:山王丸。
曼殊院…清和の祖母。先代当主の妻。
弾正…細川家の侍女。泰之の母。
和気泰之…細川家の家臣。清和の側近。
谷川宗賢…細川家の家老。留守居役。
顕璋院…沙羅の伯母。白毫院の庵主。
希望、というのは不思議なものだ。
確かな約定ではない。けれども、可能性があるというだけで、人は考えを、そして行動を前向きにする。
私もそうだ。
もう一度、自分の人生を———自分の望む生き方を取り戻せるかもしれない……!
そう思うと、これまで何の楽しみもなかった——むしろ曼殊院との嫁姑抗争や、周りを気遣った清和との猿芝居に疲弊するばかりだった——日々の生活に、よぉおおし、やってやる!と俄然やる気の火がついた。
我が人生を! 自由を‼︎ 再びこの手に取り戻すのよ、沙羅!
その実現のためには、乗り越えなければならない問題が二つほどある。
一つは絶対条件の清和との剣の勝負だ。それに勝利すれば、正々堂々と大手を振って細川から出ていける。———そう、約束した。そのための準備を怠るつもりはないが……。
問題の二つ目は、清和がいつ戻ってくるのかということだ。準備万端に整えたところで、清和が戦場から戻ってこないことには、話が進まない。勝負以前の話だ。
とにかく、いま丹波で繰り広げられている合戦の、早期決着が重要だ。一日でも早く山名に勝利し、一刻も早く清和には帰ってきてもらわなければ。もちろん、正々堂々と勝負するためにも、無傷でだ。その為なら、いっそ女武者として乗り込んで行って、戦に加勢したいくらいだ。
———なんて、そんな発想に至った自分に、我ながら新鮮な驚きを覚えた。
この大乱が始まってかれこれ五年———渦中の畠山家にあってさえも、私は今ほどに戦の勝利や早期終結を必死に願うことはなかった。
いや、むしろ他人事だった。
父上や兄上たちが戦場に身を置いている時も、彼らの実力や畠山の戦力を知っている私としてはあまり心配のしようもなく、まぁできることなら早めに合戦が終わって、また狩とかに連れて行ってくれるといいなー……くらいの気持ちで過ごしていたものだ。
正直にいうなら今も、この大戦そのものが直ちに終わりますように……なんてことは思っていない。いや、もちろん決着をつけられるものならばつけてほしいが、そう簡単ではないことは私にもわかっているからだ。
そもそも、この大戦の発端は何かといえば、将軍家の跡目争いだ。
今から十二年くらい前になるだろうか。先代将軍が暗殺される事件が起こった。
私は幼すぎて当時のことはよくわかっていなかったが、いっとき世の中がひどく騒がしくなった。
次の将軍候補は二人いて———一人は先代将軍の息子(八歳)、もう一人は先代将軍の弟(二十五歳)。ちなみに、清和の母君である北山殿はこの足利将軍家の出身で、暗殺された将軍の妹君にあたる。
将軍家を揺るがすこの不測の事態を可及的速やかに処理し、日本中の全武家を束ねるだけの政治能力を有するのはどちらか———となれば、僅か十にも満たない子供では無理があろう。
弟にあたる足利安義が急遽跡を継ぐことになった。但し、それは条件付きだった。将軍の息子——安義にとっては甥っ子——が元服するまでという、任期付での将軍職継承だ。そして、ありがちな話ではあるが、甥っ子が無事に元服し足利義史と名乗るようになっても、安義は将軍職を譲らなかった。
結果、義史を正統な将軍に推す細川宗家や畠山宗家によって、安義は将軍の座から引き摺り下ろされた。
しかし、火のついた野心を消すことができなかった安義は、己が側室の実家である山名を頼った。
山名家当主の山名豊全は安義を保護し、安義が将軍に返り咲くことができるようその後ろ楯を約束した。
ここに細川を総領とする東軍対山名を総領とする西軍の、将軍職をめぐる代理戦争が勃発したのだった。
これが五年前のこと。
東西それぞれに十万を超える軍勢をつけて、それまでにない規模の大戦となった。
緒戦は京でぶつかりあい、京の市街は一部が焼け野原と化した。
激しい戦いは、軋轢を持つ一族にも飛び火した。我が畠山家もその一つだ。義史を推す東軍として戦うことを是としない、頼長伯父たちが西軍についた。頼長伯父は父上の兄にあたるが、側室腹(異母兄)で畠山の家督を継ぐことはできなかった人だ。
そういう一族間の軋みや歪みというのは、畠山だけではなく京極や斯波といった有力武家にもあって、それぞれの一族が東西に分かれて、この争いをさらに複雑化させた。
畿内を中心とする激戦が二年以上も続き、清元氏との御所合戦で敗北を帰した安義は都落ちして、山名に匿われ再起を狙うことになった。以来、緒戦ほどの規模ではないにしろ、細川と山名の戦闘は依然として繰り広げられている。今回の丹波での合戦もそれだ。
畠山にいる頃は「足利安義が死んじゃったらなー。もうそれでこの大戦はお終いになるんじゃないの? 誰か、それこそ安義を暗殺しちゃえばいいのに」なんて、恐ろしいことを至極単純に考えていた。
だが、今ではそれは<無い>とわかる。たとえ安義が死んだとしても、この大戦は終わらない。
五年経っても依然として東軍・西軍ともに決定的な勝敗がつかず、先にも述べたような各家が絡む複雑な事情もあり、この大戦の行方はもはや誰にも解らないものになっているのだ。
———簡単に終われそうにないというのは、こういう理由だ。
ただ、局地戦に関しては、意外と容易く終わりを想定できる。
今回の丹波合戦でいえば、とりあえず西軍の上洛を阻めばいいのだ。西軍にそれ以上の進軍を諦めさせて、領地に引き帰らせれば終了だ。
問題は、どれくらいの時間と犠牲を伴うかということだ。
西軍総領の山名に加えて、今回は西国の有力守護大名である大内氏が、安義を推して上洛を目指している。
東軍総領の細川としては再び京の市街地が戦場になるのは避けたいために、あえて丹波で迎え撃つ形に準備を整えていた。とはいえ、畠山のように一族内での戦が進行中で、領地を離れられない家は多い。また、他の東軍勢力を動員して、京へ向かう西の街道は概ね塞がれてはいるようだが、背後から留守の京を襲われないとも限らないので、残る東軍の勘解由小路武衛家(斯波氏)を京の守りとして据えている。
丹波の戦場には五万を超える一族郎党が集結しているようだが、決して細川に有利とはいえない状況だった。
少しでも細川の有利になるなら、少しでも早くこの合戦を終わらせることができるのなら、私は喜んで戦場に出ただろう。——無論、細川家がそんなことを許すはずもなかったが。
ああああ、待っているだけなんて歯痒い!
私は初めて、戦を自分事としてとらえていた。なのに、結局、戦働きはできそうにない。
いまの私にできることは、勝負に備えて鍛錬を重ねることだけだった。
*
東軍・細川が出陣して二月あまり———季節は卯月から皐月に移り、梅雨の時期を迎えていた。
いつもなら気分までがどんよりとし、何をするにも億劫になる、一年の中でもっとも嫌いな時期だ。だが、今年は違っていた。
どんより落ち込む暇もなく、私は清和との勝負に備え、ただひたすら鍛錬に励む日々を過ごしていた。
といっても、ここは細川。
私のことをよく理解している畠山ならいざ知らず、この細川邸では女——ましてや次期当主の正室——が剣を振り回すなんてことが快く了承されるわけもなく、当然、人目があるところでの剣の稽古は憚られた。万一、曼殊院にでも知れようものなら、格好の標的となってしまう。
あのババアの中では、女が……しかも<姫君>が太刀を振るうなどということは、天地がひっくり返ってもあってはならないことだろう。
したがって私の稽古は、霞を見張りに立たせた上で、もっぱら締め切った自室の中で行われた。
想像通り、やりにくいったらありゃしない。床は汗で滑るし、室内は蒸し暑いし、調度類が傷つかないか霞が終始顔を覘かせるしで……とてもじゃないが稽古に集中できる環境ではない。
おまけに、清和や清元氏が屋敷を出払い、この細川邸に曼殊院と私だけという状況で、あの曼殊院が大人しく引っ込んでいてくれるはずもなかった。
案の定、出陣から一週間とたたないうちに、例の呼び出しが始まった。
細川のために戦うのは吝かでないが、命のやりとりはないにせよ、くだらない曼殊院との花戦に時間をとられるのは勘弁してほしかった。飽くなき嫁姑抗争が続くのを想像して、心底げんなりする。
せめて戦の間くらい、尼君らしく戦勝祈願の読経でも唱えてろっていうのよ!
そんな思いで曼殊院のもとに通うなか、清和付きの侍女——弾正には随分と助けられた。
弾正……婚礼の儀の際に、待女房(介添役)を勤めていた侍女だ。
霞が仕入れてきた情報によると、彼女は清和の乳母だった小備前という者の妹にあたるらしい。姉が乳母を引退するのと入れ替わりに、清和の世話役として細川に召し抱えられたという。てっきり何十年もいる古参の侍女だと思い込んでいたが、意外にも細川に入ったのは六、七年前とか。
ちなみに、清和の側近の和気泰之は弾正の息子なんだって。つまるところ、清元氏や清和が信頼を置く乳母の一族にして、細川を支える家臣ということね。私にとっての霞や鷹丸、乳母の峰と同じだ。それゆえか、私の知らないところで霞は泰之とも親しく交流してたようで、これまでの細川情報は弾正親子から得てるところが多いようだ。
さて、そんな弾正の元には、清和に付き従う息子の泰之からの戦況報告が届けられていた。泰之からの文ではあるが、内容は清和や清国殿の近況が本人たち同意のもとで記されていて、弾正はそれを曼殊院と私がいる場で度々披露してくれた。
戦場となる丹波に早々に着陣した細川軍だが、すぐさま合戦に突入したわけではない。本格的な戦が始まるまでは時間的にも余裕があったようで、泰之からの文はわりと頻繁に届けられた。
おかげで常とは違う戦場での清和の様子や、今回の戦が初陣となる清国殿の緊張具合が知れた。
ことに曼殊院は二人の孫の無事と活躍が知れて、日々もう感激したり気を揉んだりと忙しかった。
文が届く日は嫁いびりが影を潜めるので、私もずいぶん助かった。同時に、弾正の気遣いには心の底から感謝したものだ。
ただ———本当に助かってはいたが、根本的な解決にはならない。
戦が本格化して、文の頻度も以前ほどではなくなると、曼殊院との嫌味の応酬が戻ってきた。やられっぱなしは嫌なので、ついつい対抗してしまうが、私にはそんなことに割いている時間はないのだ。鍛錬して、果たし合いに備えなければ。
曼殊院を撃退して、かつ鍛錬に集中できる方法はないかと思案を巡らしていたところ、ふと思い出したのが白川の伯母上のことだった。
伯母上のところに行けば……いいんじゃない?




