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「殺すなよ、あとが面倒だ」

「……わかってるわよ」


 今更それを言うかと鼻白らむ思いで、ちらっと清和のほうを振り返ると、彼が対峙する三人のうち、すでに二人が負傷しているようだった。

 大、中、小と並んだ人影の、一番大きい男は小太刀を握った右手で自分の左肩のあたりをおさえているし、一番小さい男は額か右目を傷つけられたらしく、右顔面が激しい流血でてらてらと濡れていた。二人とも先に槍と太刀で戦ったらしく、その足元には短く折られた槍と太刀が転がっている。

 中央で唯一無事らしい男が首領なのだろう。太刀を構えながら、大きい男と小さい男に「馬だ、馬を狙えっ!」と焚きつけるように命じている。

 その指示は私の側にいる二人にも届いていたようで、向かってくるその気配に、私は自分が対峙すべき相手へと向き直る。


 私が騎乗する馬の脇腹に突進してくる中年の男の、その足の運びを読んで、私は手にしていた槍を逆手に持ち替え、次の瞬間、銛を突く要領で男の左足の甲を刺し貫いた。

「がああぁあっ」と獣じみた絶叫を上げて、男は地面にもんどりうつ。

 それと前後するように、背後でもすさまじい絶叫が上がった。


 腰刀に手をかけたまま一瞬だけ清和のほうに視線を向けると、ちょうど清和の乗る黒い馬が前脚を地に下ろして、地面にうずくまる小さい男と茫然と立ちすくむ大きい男の脇を駆け抜けるところだった。察するに、馬に蹴り倒されたか、その寸前で恐怖に絶叫したか。いずれにせよ、清和の狙いは目の前の小物二人ではない。

 向かうその先には首領の男がいるはずだ。しかし、私からは死角になって男の姿は見えない。

 ——瞬きを一度した直後、ガギンッという金属音とともに、夜空に太刀が舞った。流れ星のように夜空を横切る太刀の様を見て、あっけなく勝負がついたことを知る。


「やや、やめろ! わかった、引く。おい、お前ら退却だ!ずらかるぞ‼︎」


 首領の顔は見えなったが、その尋常ではない悲鳴じみた声音からは、青褪めた姿が容易に想像できた。

 私は再び目の前の賊二人に視線を戻し、足を突かれてのたうち続ける中年の男の前まで馬を進めた。男は悲愴な面持ちで、私を見上げて懇願する。


「くるな! 殺さないでくれ!」

「……そうね、殺されたくないなら、おとなしくするべきね」


 口を利くのも阿呆らしかったが、無言で行為に及んで、男がこのうえ更に愚かな選択をするのも見たくない。


「下手に動いたら、その左足は一生、使い物にならなくなるわよ」


 私は男の足を貫き地面に深く刺さった槍の柄に手を伸ばす。突いた角度と同じ角度で一気に引き抜くと、男はうめきを漏らしながら傷ついた足を抱きしめた。

 一人で逃げようか迷うそぶりを見せていた少年に、


「連れていきなさいよ。仲間でしょ」


 と馬上から声を投じると、少年は小動物のように用心深い動きでそろそろと中年の男に近づき、そのまだ広くはない肩を貸した。一歩進むごとにうめく男を支えながら、少年はじりじりと後退し、最後の最後に捨て台詞をはいた。


「化け物め……!」


 助けてやったうえに、化け物呼ばわりされるとは……。


「失礼なことを言うわね」


 憤慨しつつ、二人の背が闇にまぎれて消えていくのを見守る。

 やがて、私は一つ大きく息をついて、手にした槍を持ち直した。


「さてと———。邪魔者が消えたところで、決着をつけましょうか」


 馬首をめぐらせて、清和へと再び向き合った。


 清和は無言のままじっと私を見つめたあと、呆れたような溜息をついたかと思うと、次の一瞬には一気に間合いを詰めてきた。風を感じさせる勢いで漆黒の馬が迫り、私が握っていた槍は中ほどで叩き斬られる。反射的に槍を捨て、いったん収めてた腰刀に手を伸ばしつつも、どうして———清和にはそんなことが出来るの⁉︎ という、どこか釈然としない不可解な感触が私の全身を駆け巡っていた。

 油断をしていたわけではない、なのに、なぜか清和は私の槍をやすやすと叩き斬った。

 だが、今はその動きをゆっくりと反芻している場合ではない。


 咄嗟に馬を前進させ、馬首を返すと同時に、すぐ傍に迫ってきていた清和の喉元めがけ、中段の位置から刀を突き出す。殺すつもりはないが、手加減をする余裕もなかった。私は本気だった。

 そして、その上で清和が私の刀を避けるだろうことを計算して、奴の体勢が崩れた隙に、その太刀を叩き落とすつもりだった。

 だが、私のもくろみはあっけなく外れた。


 ギャンッと鼓膜に響く金属音がして、私の繰り出した刀は清和の眼前で受け止められていた。刀の先には、かすかに血曇をみせる白刃が、凶器独特の冴えた煌めきを放っている。

 衝撃とともに、じぃんと痺れる鈍い痛みが、私の右手を覆った。

 清和は白刃の煌めきにも劣らぬ冷たい瞳で私をにらみつけると、ぐぐっと私の刀を押し返してきた。私は馬を操り、とっさに数歩の距離を稼ぐ。


 ———噂なんて、やっぱり当てにならないじゃない。


 独白して、分の悪さをひしひしと感じ取っていた。 

 今の一撃だけで、奴の強さはおおよそ分かる。太刀越しに満ちた殺気も、いま奴を包みこんでいる気迫(オーラ)も、十二分に玄人。私に剣を指導した兄上たちとも並ぶ腕前だろうことは想像に難くなかった。

 おまけに、奴の太刀に対して、私の腰刀は半分の長さもない。間合いの上でも、圧倒的に不利だ。


 清和は抜き身の太刀を青眼に構えて、私の動きをじっと見ている。先ほどの先制で私の実力を測ったのか、あえて向こうから仕掛けてくるつもりはないようだ。だが、一瞬でも隙を見せれば、どうなるかは分かったものではない。

 もはや傷つけられても、文句は言えない立場だ。これまでにない焦りが、胃の腑を、心の臓を、きゅうっと締め上げる。


 なのに、どうだろう。


 私は微かに唇の端を上げて笑っていた。

 追い詰められた緊張感とは裏腹に、奇妙な高揚感が全身を覆っていた。どこかぞくぞくするような楽しい気分が身体の内から沸き起こってくる。血沸き肉踊るとは、こんな気分のことを言うのだろうか?

 私は刀を構えなおしながら、唇をぎゅっと噛む。かすかに血の味がした。

 先に動いて、分があるだろうか。でも、そうしない限り私に勝ち目はない。だが——しかし、この状況では動けない。動くことを、体が……本能が(いさぎよ)しとしない。何故———。


 本能的な危険察知力が、清和との立ち合いを拒んでいた。

 傷つけられることはあっても、このお家大事の常識的な男は私を殺すことまではしない。……だからこそ、駄目もとでも次の一手を繰り出すべきなのに……その一手で清和の鼻を明かすことだって不可能ではないのに……。 

 高ぶる気持ちは奴との立ち合いを望んでいるのに、本能はそれを拒絶する。

 無言のまま清和に対峙しながら、その強さと同時に私はやはり何かしらの違和感を覚えていた。

 清和が驍将であろうことは、狩場で出会ったあのときにも感じていた。噂はどうであれ、先ほどの野盗たちとの立ち回りや、実際にこうして太刀を交わしてみて、その実力は納得済みだ。予想の範囲———いまさら驚くことじゃない。


 では、この違和感は? このやりにくさは………。


 微動だにしなかった清和の太刀が、ほんの僅かに揺れた。月光が反射して私の目をくらませる。

 と同時に飛び込んできた太刀を、私は危ういところで受け止めた。

 とっさに左手を添え、両手で刀の柄を握りしめ、全身の全筋肉を使い押しもどす。顔から僅か五寸ほどのところで、交差する白刃が小さく震えている。

 太刀越しに、清和の目が嗤っていた。余裕たっぷりの、人を小馬鹿にしたあの眼だ。


「————!」


 あっ、と思ったときには遅かった。

 奴は右手に握っていた鞘で私の腹部をトンと小突いた。私は均衡(バランス)を崩し、刀を握ったまま馬上に身をのけぞらせる。

 だが、私だって女だてらに剣を習ってきたわけじゃない。一瞬の後には体勢を立てなおした。そして、その時になって(ようや)く違和感の正体に気づいた。


「清和、あんた……左利きなの?」


 対峙してもすぐにそうとは気づかなかったが、清和は左手に太刀を握っていた。

 いつから……? 最初の小競り合いでは、違和感はなかった。


 刀を抜いた———とっさに、飛来した矢を叩き落すために抜刀したあのときからか……! 


「……咄嗟の行動というのは、存外、生来の癖ががでてしまうものだな」


 清和の低い声がどこか自嘲的に響いた。


「よく言うわ。女相手に組み合って、余裕がなかったってことでしょ」


 私は奴お得意の皮肉をかまして、同じように嗤ってやった。

 清和は鼻を鳴らす。


「狩に武術に……どこが『今かぐや』なのか、ますます分からなくなってきたな」

「私のことをどうこう云う前に、決着をつけましょうよ」


 腰刀を構えなおして、私は清和との間合いを取る。

 違和感の正体が分かった時点で、本能的な危機感は去っている。左利きであるということさえ気をつけて、その特異な動きに翻弄されることさえなければ、なんらいつもの立ち合いと変わることはない。

 睨み合って数秒の後、再び私から攻撃を繰り出した。


 空を切り、月光にきらめく刃。打ち合う金属的で硬質な音。一瞬、飛び散る火花。

 頭では理解していたけれど、常とは異なる角度から繰り出される刃は、受け止めるだけで精一杯だった。やっぱり余裕なんてない。

 けれど、清和との立ち合いは、どこか琵琶を合奏しているような錯覚を私に与えた。

 いや、合奏とはいえない。———競奏だ。それも、かつて弾いた『月花』とはまるで違う。


 相手を思いやりうまく合わせるような器用な優しさではなく————圧倒的な力量の差で、追いつけるものなら追いついてみろといわんばかりの強引さをもって、ともに高みへと舞い上がるような激しさ。

 けれどそれは決して不快ではなくて、私の中の上昇志向を刺激する。


 強くなりたい。この男に負けたくない!

 手加減のない本気の勝負で、私をもっと高みへと導け‼︎


 心臓が早鐘を打ち、清和と刃を交えているこの瞬間が、これ以上ない悦楽にすら思える。


 苦しい……恐ろしい……でも、このままずっと清和と闘っていたい。

 こうしている今———私は「生きている!」と実感できる。

 だって、愉しくて仕方ない!


 いっそう強く組み合う刃の先を、


 ハラリ……


 白い欠片が……雪が舞った。直後、吹雪のように、ざざっと視界が白く染まる。

 

「————っ⁉︎」


 春も盛りのこの時期に、雪などありえるはずもない。

 月光の中、目を凝らす私たちの間を吹き向けたのは、近くの屋敷から風で運ばれてきた桜だった。満開を過ぎた桜がその花びらを散らせていた。

 同時に、風に舞うのは花びらだけではなかった。後ろで一つに束ねていた髪が、強い風に引っ張られる。とっさに私はあごを引いて、対峙する清和を睨みつけた。


 こんなことでは、負けられない。


 清和はほんの須臾(しゅゆ)、視線を闇色の空に向けた。

 先ほどまで無風に近い穏やかな夜だった。なのに、今は晴れわたっていた空をすさまじい速さで雲が泳いでいく。

 強い風が吹いていた。空を見ずとも、視界の端に映る月影だけで十分わかる。

 月明かりの暗転とは別に、清和の表情が少しだけ曇った。


「まずいな……」


 刀を交え、お互い一歩も引くことのない状態で、清和がつぶやいた。


「春の嵐か……」


 耳を澄ませると、風の音に混じって、遠雷が届く。吹きつける風にも、雨の匂いが漂い始めていた。


 春雷か———。


「このままここで争っていても、埒が明かない」

「……でも、あんたには、このまま私を行かせるつもりはないんでしょ」

「無論だ」


 短く応えて、清和はぐっと刀を押す力を強めた。私は奥歯を噛み締めて、押されるもんかと抵抗する。

 だが、腕力の差は歴然としていて、清和の太刀は私の鼻先数寸のところにまで迫っていた。

 ぎりぎりと睨み合うこと数秒。

 清和がいつもの皮肉な調子で切り出した。


「お前が多少は剣を使えるということは分かった。だが、その得物(腰刀)ではお前自身、不満だろう」


 応えるまでもないことだ。

 目を眇めて応じると、清和はここでもまた一つの提案をよこした。


「日を改めて、もう一度、立ち合うのはどうだ?」

「…………」

「改めて勝負の上、俺に勝つことが出来れば、合法的にお前を解放してやろう」

「………それはまさか、私を細川から逃がしてくれるってこと?」

「そう聞こえないか? こんな風に夜逃げせずとも、お前には正当な理由をつけて、細川から出て行けるようにしてやろうといってるんだ」

「あんた……本気でそんなこと……」


 腰刀を握る膂力はそのままに、私は眉をひそめる。

 そんなことが、本当に出来るというのだろうか。

 清和はいつもの倨傲(きょごう)ぶりで断言する。


「果たせぬ約束はしない主義だ」


 僅かな逡巡(しゅんじゅん)の後、私は刀を引いた。


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