四
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「———お前もすでに聞き及んでおるやも知れぬが、西軍の大内氏が大軍を率いて上洛を目指しておるとのこと。近く山名と合流し、細川軍との大戦になるだろうことは明白だ。
我ら畠山の東軍もうちそろって馳せ参じたいところだが、いまは大和での戦に加え、山城での戦も本格化しはじめており、我ら(畠山)の戦だけ手いっぱいというのが実情だ。
お前の兄、義貴はお前がこの文を読んでおる頃には、山城の国の頼忠(父上の弟)の軍との合流をめざし北上しているところだろう。頼長(父上の異母兄)の次男・充剛が西軍の六角と手を組んで、頼忠たち東軍を国境まで後退させおったからな。義貴には、頼忠らの軍に助勢するよう命じた。
頼義と義教の軍は依然、大和で頼長・頼亨(父上の異母弟)の西軍と対峙しておる。わしの東軍(本体)を今、山城や京へ割くことは自滅も同然、不可能な状態なのはお前も理解できよう。代わりといってはなんだが、此度の細川の戦に備え、河内・摂津方面から西に至る街道は畠山が責任を持って押えておる。そのあたりのこと、細川の方々にはくれぐれも宜しく伝えておいて欲しい。いずれこちらの戦の片がつけば、必ずや合力いたす。
わしも母も兄たちも、お前のことはいつも気にかけておるぞ。いつ戦で命を落とすとも知れぬこの父たちに、どうか一日も早く孫の顔を…見せてくれ。かわいい孫であると同時に…、東軍同士の絆の証しでもある子は…、わしらにどれほどの希望をあたえてくれよう。
清和殿と幸せである…ことは何より喜ばしいことだが…、子を産むことはお前の更なる幸せにもなるはず。われらは…お前の幸せだけを…、いつも…願って———って、あのくそ親父がぁぁああ! 私が幸せだとでも思っているなら、大間違いだってのよ‼︎」
読み進めていくにつれてふつふつと怒りのこみ上げる手紙を、私は両手でぐしゃりと握りつぶした。そのままの勢いで、壁へむかい力いっぱい投げつけてやる。
ぱすん、と音を立てて壁にぶつかった紙くずは、ころころと転がって、入口近くに運び込まれ山と積まれた巻物の麓で沈黙した。手紙とともに急遽届けられた、源氏物語絵巻だった。
どうやら霞が私に隠れて、曼殊院との遣り取りを実家に報告したらしい。本当に余計なお世話だっつーの!
実家からの手紙を一緒に聞かせて欲しいというから、霞の前で手紙を音読していたが、途中から変わっていく私の剣幕に、霞はいつしか何も聞こえていないかのように、せかせかと他の荷物の仕分けなどを始めていた。
私はふんっと鼻息を一つはきだして、近くに用意されていた器を取り上げ、中身をぐびりと飲み干した。
清和が曼殊院のところを急襲し、同席宣言をしたのは十日ほど前のことだ。それ以来、毎日の顔合わせは続いていたが、清和が一緒のせいか曼殊院の嫌味は表立ってはなくなり、その精神的苦痛からは解放されていた。予想はしていたことだが、清和さまさまでなんとなく面白くない。
そんな私の複雑な心境と、それ以前からの深い溝もあり、私と清和の関係は悪化することはなくとも、改善されるはずもなかった。孫の顔など、百年たっても見れるはずがないっての。
積み上げられた絵巻を順番に整理し飾り棚へと片付けながら、霞が「そういえば……」とわざとらしく切り出した。
「清和様は、本日はどちらかへお出かけなのでしょうか? 曼殊院様のところからお戻りになられてすぐに、お姿が見えなくなってしまいましたが……」
「はぁ? おまえって、あいつに興味津々なのね?」
「い、いえ、そのような個人的なものでは……軽食を用意しておりましたのに、お出しする間もなかったようなので……」
侍女たちに対して、マメに気を遣う清和にしては、珍しいことだといいたかったようだ。
私は仕方なく教えてやる。
「山王丸……じゃなくて、清国殿がきたのよ。先日無事に済んだ元服の報告とお見舞いをかねて、二人そろって隠居した乳母のところに行くことにしたそうよ。今まで延び延びになっていて、今日を逃すとよい日がないみたいなことを、あの清国殿が必死な感じで訴えていたから」
曼殊院のところから戻り、霞たちが台盤所に姿を消した直後、何の予告もなく庭先に清国殿が現れたのだ。
清国殿——清和の年の離れた同腹の弟君で、つい先日まで山王丸と名乗っていた少年だ。
近く元服の予定とは聞いていたが、つい一週間ほど前の吉日を選んでその儀式が厳かに行われた。そうして晴れて一人前の男子として、清国と名も改め、颯爽と武家社会への仲間入りを果たしたわけだ。
でも、昨日の今日で急にオトナになれるわけもない。
姿かたちは大人と同じ、直垂姿に髷を結い烏帽子をかぶってはいるものの、清和ほどには完成されていない。まだ羽が生えかわる途中の、雛のような美少年だった。どこか柔らかな印象で、見たことはないけれど母君の北山殿により似ているのかもしれない。
姿同様、立ち居振る舞いも急に改められるものではない。今日の不意の登場なんかはその最たる例で、いつもそうしていたのか、兄上に相談を思いつき先触れもなくふらりと庭先にやってきたようだった。
侍女もいない状態で夫婦ごっこをするはずもなく、ちょうど私は一人ぼんやりと庭先で、もうすぐ満開になろうかという桜を眺めているときだった。
紀伊の国に比べて、京の桜は遅いわねぇ。でも、その分ゆっくり観られてまぁいいか……なんて黄昏ていたら、桜の精よろしく美少年がひょっこりと現れるんだから度肝を抜かれたわよ。向こうもびっくりして、その場で行こうか戻ろうかと泡を喰っていたので、とっさに出来た義姉を取り繕って優しく手招きしてやった。その後、気を利かせて清和と話をさせたわけだけど……。
「では、弟君とお出かけになったのですか」
「みたいよ」
「夕餉までには戻りに……?」
「そんなことまで、私が知ってるわけないでしょ!」
「はあ……それも、そうですわね」
納得はしたものの、霞はまだ何かもごもごと言いたげで、絵巻物を棚から出したり戻したり、作業は一向にはかどらない。
「……何なのよ。何か気になるの?」
なんとも落ち着きが悪いのでこちらから訊いてやると、霞は少し言いにくそうにしていたものの、やがて「お気を悪くなさらないで欲しいのですが」と前置きをしたうえで訊ねてきた。
「実は気になることがあって……その、戦支度が本格化しているここ数日は別ですが、それ以前は清和様は毎夜、こちらにお渡りになっておいでですよね……? そして、朝までこちらでお休み……でしたよね?」
なんだか、また雲行きの怪しい質問だった。
「何が、言いたいのよ」
父上からの手紙を読んだ後だっただけに、また霞が実家からの指令を受けて、余計な何か——懐妊がどうとか——を言い出すんじゃないかと、私は憮然とした顔つきになっていた。
敏感にそれを察知したらしい霞は、あわてたように頭を振った。
「違うんです。いやその、まったく違わなくもないんですけど……」
「はっきりいいなさいよ」
「はい、その……実は、あの、噂でしかないんですが……」
ぜんぜんはっきりしない物言いに、私の苛々が頂点に達しようとしたそのとき——霞は予想だにしていなかった一言を口にした。
「清和様に、愛人がいると……」
「愛人⁉︎」
さすがの私もきょとんとしてしまった。
あの清和に、愛人がいる……?
次の瞬間、私はぷっと吹き出していた。
「何よそれ、ちゃんちゃら可笑しいわね」
「姫様、笑い事ではありませんわ。侍女たちの間では、姫様の輿入れよりずっと以前から、清和様には都のうちに愛人を囲っておいでだという噂があるのだそうです!」
「へええ。面白いじゃない。今源氏を気取ってるってわけ?」
「噂だけじゃないんです。夜な夜なこの屋敷を抜けだして、こっそりと愛人の元に通うお姿を目撃したという者もいるそうなんです」
「ああ、そうなの。まぁ、それならそれでいいじゃない」
「姫様! 何をのんきなことを言ってるんですか!」
こちらがびっくりするほどに激昂する霞。私は首をすくめる。
正直なところ、清和に昔からの愛人がいようが、これから先に愛人が出来ようが、私には関係がないことだし、どうでもいいことだった。
一言でいうなら、興味ないのよ。
でも、霞にとってはどうでもいいで片付けられることではないらしい。
「ちょっと落ち着きなさいよ。何で霞がそんなに興奮してるのよ。おまえが浮気されてるわけじゃないでしょう?」
「姫様こそ、どうしてそんなに落ち着いてらっしゃるのか、私には理解できません!」
そこで私は、ふと思いついたことを言ってやる。
「目撃者がいるといっても、どうせ噂の域を出ない話でしょ? どこそこの姫だとか白拍子だとか相手の身元まで分かってるならともかく。……その噂はね、きっと曼殊院の間接的な嫌がらせよ」
霞がはっとしたように表情を引き締めた。
この機を逃すまじと、私は畳み掛けるように、いかにも信憑性のありそうな話をした。
「ここのところ清和が同席しているから、直接的に私をいじめることなんて出来ないでしょ。でもあのババアの性格からして、私の快適な生活を黙って見過ごすなんて出来るわけないじゃない。だから、こういう噂を流して私を不安にさせようって腹なのよ。おまえも女の戦場で働く侍女なら、もう少し賢くなりなさい。煽動に乗せられてるようじゃ、あえなく討ち死によ」
「も、申し訳ありません」
霞は殊勝に頭を下げた。この素直さがこの子の美徳ではあるわね。
「おまえの気遣いはありがたいわ。だけど、もう少し私たちを信用して」
清和との協定以来、霞たち侍女の前では私と清和は仲の良い夫婦を演じてきた。その演技が今はものを言ったらしい。
「そうですよね」と霞は自嘲気味につぶやいて、照れたように笑った。私も笑顔で応える。そうしてこの話はもうお終い、とばかりにパンと手を打った。
「何だかすごく甘いものが食べたくなったわ。そういえば、畠山からの届け物の中に何かなかった?」
「堺から取り寄せた菓子があったように思います。ご用意いたしましょうか」
「うん。……あ、なら、あの曼殊院にも付け届けしといてよ。これくらいの余裕は見せておかないとね。ほほほ」
私の大人な対応に霞は感心したように頷いて、いそいそと巻物を片づけると部屋を出て行った。
私は人知れず吐息をついて、そのままごろりと床に転がる。
愛人の存在が真実なのか、あるいは曼殊院の企みかなんて、私の知ったことではない。そんな噂にかまっている時間など、今の私にはないのだ。
清和が出かけているこの一人の時間を有意義に使って、私にはすべきことがある。
「……でも、まずは頭脳労働か」
頭を働かせるのに糖分は欠かせない。
実家からの菓子を堪能しながら、まずはこれからの計画をじっくり立てるとしよう。




