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<登場人物>

沙羅姫…主人公。畠山宗家の姫君。細川に嫁ぐ。

細川清和…細川京兆家の若君。細川家の跡取り。


霞…沙羅の乳姉妹。姫付きの侍女。

細川清元…清和の父。東軍総領・細川家の当主。

細川清国…清和の弟。幼名:山王丸。

北山殿…清和の母。清元の正妻。八年前に死亡。

曼殊院…清和の祖母。先代当主の妻。

桔梗…細川家の侍女。

和気泰之…細川家の家臣。清和の側近。




「あんた一体、どういうつもりなのよ」


 開口一番に詰め寄ったのは、静々と私たちの部屋に戻った清和が、当然のようにそこに腰を下ろしたときだった。

 本当はもっと早くに———曼殊院の部屋を出た直後に訊ねたいくらいだったが、清和は一切の質問を拒絶するようにスタスタと前を行き、私はその背を追いかけるだけで精一杯だった。おまけに、いつもの清和ならそのまま自分だけ本殿に戻りそうなものを、何を思ったのか今日は私たちの部屋へと進路を取ったのだ。


 部屋に戻るまでは、清和のやり方(ペース)に合わせるより仕方がなかったが、これ以上は我慢がならない。

 仁王立ちの私を見上げて、清和は不思議そうに首をかしげた。


「どうしたのです、沙羅姫。……侍女達が驚いているではありませんか」


 そういう清和の視線の先には、霞をはじめとする私たち付きの侍女数名の立ち働く姿があった。

 彼女たちは私の姫君らしからぬ物言いに、一瞬その動きを止めたらしいが、霞が咳払いするのと同時に再び何事もなかったかのように動き出した。


 ………あくまで、猫を被り続けるというのね。


 苦々しい思いで見下ろす私を清和は別段気にした風もなく、ただ手にした扇でさりげなく「座れ」と示した。それから霞を呼んで、私の琵琶を用意するよう命じた。他の侍女には酒と薬湯を用意するよう指示する。

 清和の斜向かいに腰を下ろして私は自分の扇をはらりと広げると、口元を隠しながら押し殺した声で言った。


「私の質問を無視し続けると痛い目にあうわよ。ここで大立ち回りを演じて見せたって、私はかまわないんだから」

「……こっちは痛くもないが、そんなことをしたらそちらの立場はどうだろうな?」


 戸口の周辺を行き来する侍女に依然視線を向けたまま、清和は囁くような低い声で続けた。


「桔梗……という侍女がいるだろう。沙羅姫付きになっている、年嵩のいった穏やかそうな女だ」


 急に何を言い出すのかといぶかしみながらも、私の目は自然、その桔梗を探した。

 畠山からのお付は霞一人で、それ以外の私あるいは清和の世話をする侍女は、すべて細川家が用意した者達である。桔梗はそのなかでももっとも年上……といっても、四十路手前の落ち着いた侍女だった。出過ぎることもなく、年若い霞では至らない部分を影から助けてくれるような、よくできた先輩侍女だと霞が誉めていた気がする。

 その桔梗は、いまは戸口の外で連絡係の侍女に、清和の要求した薬湯などを用意するよう指示を出しているところだった。


「桔梗が、なにか……?」


 彼女の動きを目で追う私に、清和は静かに告げた。


「あれは曼殊院様の腹心の侍女の一人だ」

「……⁉︎」


 私は驚いて、清和を見る。清和はちょっとおかしそうに、その涼やかな目元を緩めた。


「やはり、気づいていなかったか」

「気づくも何も……桔梗はこの輿入れに際して、他家から新たに雇い入れられた侍女だって……」


 そう、確かまだ輿入れ間もない頃に霞がそう言っていた気がする。

 私だって、曼殊院のところから間者が送り込まれていることぐらい予想がついたから、比較的早い段階で疑わしい侍女は排除し、側近くにはよれない連絡係や配膳係などに命じておいた。


「あれは、私も昔から知る侍女だ。侍女同士が口裏を合わせて、そういうことにしたんだろう。雑魚だけを追い払って、本命を側近くにおいていたんじゃ、情報は漏れ放題(ダダもれ)というわけだ……」


 その通りだった。間者を排除しても、やたらと曼殊院が私のことに詳しいのには、こういう仕掛けがあったのだ。

 怒りのために扇を握る手にぐっと力が入る。それに視線を落として、清和は感情のない声で訊いた。


「……分かったところで、どうする? 締め出すか?」


 一呼吸おいて、脱力した。今更、そんなことしても損なだけだ。


「今までどおり、近くにおいておくわよ。ただし……大切なことは彼女には漏らさない。逆にこっちで利用してやるわ」

「意外と賢明でらっしゃるな」


 清和はどこか可笑しそうにつぶやいて、心持ち体をこちらへと倒した。そうして私へと囁く。


「だったら、『畠山の今かぐや』らしく振舞うことだ」


 偉く上からの態度に、当然といえば当然、私はムッとする。そんな私を横目で見て、清和は僅かに眉を上げた。


「そんな顔を見たら、桔梗はどう思うだろうか……」

「あんたがさっさと表に戻ったら、こんな顔しなくてすむわ」

「戻ってもいいが、そうすると琵琶を聴くという約束が嘘だった、と後で曼殊院様に報告されるな。別に私は構わないが……」


 むむぅ……!


「琵琶の……琵琶の約束だって、私はそもそもした覚えがないわ」

「往生際が悪いな」

「あんたと霞で仕組んだことでしょ!」


 パンっと扇を閉じた私に、清和はやれやれと肩をすくめた。

 次の一瞬、いつものように言い争いになるかと身構えたが、清和は侍女の動きをちらりと確認しただけで、幾分早口に話し出した。


「こちらから話すつもりはなかったが……こんな主人では霞があまりにも不憫だ。いいか、今日わざわざ私が曼殊院様のところに出張ったのも、これからは私が同席すると約束したのも、すべては霞の為だ」


 清和の語る事実によると、数日前、私の目の届かぬところで、あろうことか霞は、この清和に泣きついたらしい。このままでは姫様がおかしくなってしまうと涙ながらに訴えて、清和に曼殊院の虐めをどうにかしてくれと懇願したという。

 やたら私に、清和に相談してはどうか、などといっていたが、霞自身が清和に相談していたなんて……。


「そんなこと、私は———」


 思わず感情的になりそうな私を、清和は右手の扇一本で制した。


「わかっている。かたや『葵上』——弱みは見せない、そして相手は『藤壺』ならぬ『六条』だ。実際、こちらも迂闊だった。毎朝、顔だけは合わせているはずなのに、そのやつれ具合にも気がつかなかったんだからな。……今日、明るい所で改めてその顔を見て、少し驚いた」


 そう言う声はどこか自嘲的にも響いて、私は喉もとまで出掛かっていた罵詈雑言を飲み込んでしまった。ただ、それでは収まりがつかなくて、もごもごと瑣末な文句を口にする。


「……だったら、事前に知らせることだってできたでしょう? 今日、あんたが曼殊院のところに行くことは、霞だって知ってたみたいだし」


 霞が『もう少しの辛抱』というには、確たる根拠があったのだ。


「事前に知らせて、常とは違う言動で事を(こじ)らせては、霞の苦労も水の泡だ。沙羅姫は私ほどに腹芸が得意ではないとみえるからな」


 淡々と説明されて、私にはもう返す言葉がなかった。

 悔しくて、再び広げた扇でばさばさと顔を煽いだ。

 本当のところは、恥ずかしくて顔が火照りそうだった。霞がそこまでしてくれていたことも、その為に清和が乗り込んできて、あの曼殊院に釘を刺したことも……私は何も知らず、ただ小賢しく状況分析に励んでいただけなのだ。

 そして、霞のためとはいえ、私は清和に助けられた———。


「薬湯をお持ちいたしました」


 気づくと懸盤(かけばん)を持った桔梗が、清和の前に控えるところだった。


「ああ、それは沙羅姫に。まだ少し、お加減が優れぬようだからね」

「かしこまりました」


 桔梗は慣れた所作で私の前へと懸盤を動かし、一礼して部屋の隅へと退がった。

 懸盤の上には、まだ湯気の立ち昇る薬湯が入った器と、今朝届いた引千切(ひちぎり)の載った小皿が添えられている。

 私は気分を落ち着かせるためにも、扇を脇に下ろして、ほんのり熱い器を手に取った。

 桔梗が戸口で他の侍女と何か遣り取りしているらしいのを見ていた清和は、視線をそのままに穏やかに口を開いた。


「臣下の者を不安にさせるようでは、主として失格だ……違うか?」

「———違わないわ。その通りよ」

「ならば、提案がある」

「提案……?」

「霞のためにも、お互い他者の目があるところでは夫婦らしく仲良く振舞おうじゃないか。霞は私たちの仲についても、随分心配していた」


 最後の一言は苦笑交じりで実感があった分、私も素直に頷いてしまった。


「……わかったわ」


 素直な返事が意外だったのか、清和の視線が私へと向けられて、束の間、私たちは見つめあった。

 涼やかな瞳はいつもと変わりなかったが、そこにはあの人を小馬鹿にするような感じも、イラつくほどの傲慢さも見えなくて、何故か私は居心地の悪さを感じる。それを誤魔化すように、思いつくままに喋り出していた。


「ねえ、それより……あんた、お腹空いてない? 朝餉の後に、この引千切が実家から届いたんだけど、私は食べたい気分じゃないのよね。たくさんあるみたいだから、よかったら———」


 清和は我に返ったようにふっと視線をそらすと、「ああ」と小さく頷いた。そのまま、私がずいっと差し出した菓子の小皿を受け取る。

 霞たちはまだ戻ってくる様子がなく、私は薬湯をちびりと飲んで喉を湿らせた。もう少し、間をもたせる必要がありそうだ。


「……そ、それと、さっきの……曼殊院のところでの話だけど。琵琶の演奏を持ち出したの、私が弾くって知ってたの?……霞に訊いたの?」


 餅の上に乗った餡とその細工を珍しそうに眺めていた清和は、そのまま目線を上げずに応える。


「霞には、何かしら理由をつけて退出させるとだけ約束していた。箏でもよったが、ちょうど輿入れ道具の中に琵琶があったのを思い出して……。弾けない楽器をわざわざ輿入れ先にまで持参するとは思えないから、とっさに琵琶の約束と言ったが、まさか———」


 今更、弾けないとでも⁉︎ という疑いの眼を向けられて、私は言外に否定する。


「安心していいわよ。鑑賞用に持ってきたわけじゃないから」


 答えたところで、霞が母上の琵琶を抱えていそいそと部屋に戻ってきた。ほんの少し怯えるように、霞は琵琶の影から私の様子を窺う。

 曼殊院の元から救い出す算段をつけてくれたのは霞なのだ。感謝することはあっても、叱る事はできまい。

 私は苦笑を浮かべて、頷いてみせた。霞はほっとしたように、両肩の力を抜いた。

 前後して酒の用意も整い、輿入れ以来ややもすると通夜のようだった私たちの部屋が、珍しく華やいだ雰囲気となった。


 ほんのり苦い薬湯をもう一口啜り胃に落とし込んだ後、私は霞から琵琶を受け取った。その丸みと心地よい重みに、自分を取り戻す気がする。

 思えば、この細川に来てからの私は、私らしくなかった気がする。余裕もなければ、いつものような自信も、前向きな思考もなかった。めまぐるしい環境の変化に地団駄を踏むばかり。

 調子が狂っていたのなら、それはひとつずつ調節して直していくしかない。———この、琵琶のように。


 私がゆっくりと琵琶の調弦をしている間に、霞は進んで清和に酌をした。こそこそと何か清和にだけ聞こえるように話しているのは、今回のことに関する感謝の言葉だろうか。清和は例の貴公子然とした笑みで、鷹揚にそれを受け止めている。

 私とて、霞には感謝している。清和に泣きながら直訴するまで心配をかけていたことも、それに気づけなかったことも、心苦しく思う。また、その霞の為といいながら、曼殊院のところに出てきた、この清和にも。


 清和には、結局なんら(メリット)になることなどなかったのだ。


 もしかしたら……この男は私が思っていたよりも、いい奴なのかもしれない。いや———それで最初の心証が変わったり、奴の本性を肯定したりするほど、私は流されやすい人間ではないのだけれど。それはそれ、これはこれだ。

 調弦を終えて、私はひとつ咳払いをした。


「それで……何を弾きましょうか?」


 部屋の隅に控える桔梗をはじめとする侍女の目もあり、私は清和との協定にのっとった笑顔で訊ねた。


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